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俵孝太郎「一戦後人の発想」【第81回】

「平成」あと半年 改めて問う 不毛の根源(下)

 平成最後の夏に発見された二つのメモ・資料からは、東條の軽薄さと昭和天皇の強い責任感が感じられる。翻って〝お気持ち発言〟には厳粛さが感じ取れないのと同時に、与野党、マスコミ、企業に至るまで無責任感で覆われた平成の風潮を実感する。

最後の夏に発見されたメモと資料

 「平成」最後の〝八・一五〟を迎えたこの夏、かっての大戦の最高責任者・東條英機の開戦前夜の言動を示すメモと、最晩年の昭和天皇の戦争にかかわる述懐を書き留めた記録が発見され報道された。前者は東條内閣で当時内務省事務次官だった湯澤三千男のメモ。後者は崩御の一年九か月前に八五歳の昭和天皇が侍従らとの対話で漏らされた感懐を書き留めた小林忍侍従の日記。いずれも遺族が発見し提供したものだ。湯澤メモは初出。小林日記に記述された内容は前から知られていたが、新資料でより生々しくなった。

 内容の詳細は前者は七月、後者は八月の新聞各紙の紙面と、そのコンピュータ画面の検索で現れる関連資料を参照してほしい、というほかない。ここでは核心部分を、前者は最初に報じた読売新聞、後者は最初に配信した共同通信を詳細にキャリーした産経新聞、および一部は朝日新聞に基づき紹介する。

 前者は昭和一六=一九四一年一二月一日の御前会議の最終的な対米開戦決定を受け、八日未明の開戦?真珠湾攻撃が迫る七日午後八時半、首相官邸に警察を統括する内務次官と陸軍次官を呼んだ東條が、翌朝の開戦発表時の手順を指示したのち、〝御上ノ御決意ノ結果〟日ごろ反目することが多い陸海軍が一致して戦争突入体勢を整えたことで、〝(東條自身が)御上ヨリ御ホメノ御言葉ヲ頂キテモ宜シカラン〟と自画自賛し、〝斯ノ如キ状態ナルガ故ニ既ニ(戦争に)勝ッタ〟も同然、とほろ酔い状態で語ったと記述されている。

 後者は昭和六二=一九八七年四月六日夕に昭和天皇が住まいの皇居吹上御所で当直の小林侍従らに対して、二月に弟の高松宮に先立たれたことに始まり、〝仕事を楽にして細く長く生きても仕方がない。辛いことをみたりきいたりすることが多くなるばかり〟、〝兄弟など近親者の不幸にあい、戦争責任のことをいわれる〟と語った、とされる。

二つの〝秘話〟の今日的意味

 これら二つの記事は四分の三世紀、あるいは三〇年余を隔てたとはいえ、現に「平成」が直面する問題に照応する面が多いことは明白だ。にもかかわらず、すべての新聞や記事を後追いしたテレビは、それぞれを個別に、そして今日の問題とまったく関連づけずに、「論」のカケラもない平板で素っ気ない扱いで報じた。四方八方に気を配って〝忖度〟した、各社編集幹部の談合の結果だろう。

 二つの〝秘話〟の今日的意味だが、東條の場合は、天皇が統治・軍事の全権を一身に掌握する絶対君主制下とはいえ、その承認という国内的事務手続きを経たに過ぎないのに、それだけの〝成果〟で国運が懸かる大戦争に〝既ニ勝ッタ〟も同然と一杯機嫌でいってのけた軽薄さだ。仮にも一国の首相・軍人にあるまじき判断力の欠如、マトモなオトナにありえない幼稚さ、単純さには呆れ返る。

 後者は、天皇の地位が背負わざるをえない責任の重さ、自らの名で宣戦布告した以上は避けられない〝戦争責任〟。これらに処する昭和天皇の厳しい姿勢が、「平成」の天皇といかに大きく違うかを、痛感させられる。

 東條の言動に対する批判は、いまのテレビのニュース・コメンテーターでも、シタリ顔でやるだろう。しかしテレビ主導のマスコミは、現にこれと同じ姿を続けている。早い話がスポーツの国際大会で、勝つのが容易でない相手との対戦でも、中継アナや解説者は根拠もなく、勝てます、と〝既ニ勝ッタ〟東條流で安請け合いする。カメラ・クルーは競技場前で捕まえた観客に声をかけ、絶対勝ちます、オー、とやらせ満点で拳を突き上げさせる。その〝絵〟を日ごろヤクニンや企業のやらせを攻撃するテレビが臆面もなく流す。その醜態・狂態を、だれもが怪しまない。

 この程度なら笑い話だが、相手がある外交や、国力・軍事力が剥き出しでぶつかる国際関係に直面する関係者の言動、その報道ぶりや、それに影響される大衆世論の動きも似たようなもんだ。一例に拉致問題をあげると、年内に被害者全員を帰国させてほしい、という願いは被害家族の心情として同情できるものの、実現できなければ政府を信用しない、というのはおかしい。拉致被害者は人数も氏名も確定しておらず、〝全員〟かどうか、確認しようがない。北朝鮮政権が身柄を握っている彼らをどうして帰国させるのか。身の代金を積むのか、実力つまり軍事力で奪還するのか。常識で無理な主張だとわかるはずだ。

 自民党総裁選でイシバは、平壌に連絡事務所を置くことから着手しろ、といった。開設交渉はどうするか。北がつけるだろう交換条件にどう対処するか。その説明はない。東條と同様、手続きをとれば〝既ニ勝ッタ〟と同然、なんとかなると思っているのか。仮にも報道機関ならそこを問い質すべきだが、伝言ゲーム式に伝えるだけでは話にならない。

裏返しの東條のような手合い

 余談だが、日本のマスコミは左翼偏向しても表向き政治的中立を標榜している。アメリカの新聞は大統領選挙の都度、わが社はこの候補を支持する、と旗幟を鮮明にする。多くは民主党寄りで、テレビもその流れを汲む。彼らが辛辣にトランプを非難するのは偏向というより社風だし、万事承知の固定読者・視聴者への迎合サービスの要素も強い。

 ところがアメリカのテレビの口真似をすれば上等舶来で大衆受けする、と思う裏返しの東條のような手合いもいる。政治も経済も事件ものも国際ネタも、スポーツや芸能まで、一人の中年男が、なにもかも〝これでわかった〟と児童劇団の子役に上から目線で講釈するNHKの番組があった。その後継番組が民放に出現し、番組スタッフが事前に各分野の専門家に電話で話を聞き、主役の中年男が自分の意見としてオンエアするのを了承してほしい、と頼んでいたのが最近複数の総合雑誌で同時にバクロされ、物笑いの的になった。

 この男の最新作は、安倍首相とトランプ米大統領とのいわゆる〝アベ・トラ関係〟を取り上げて、児童劇団の子役に〝安倍サンはトランプ先生のいい生徒でいたいらしいね〟といわせて、〝よくできました〟と落とすコント仕立てだが、筆者は安倍首相がとりわけ外交に傑れているとは思わない。自主外交論などというのは、日本が置かれている地政学的条件、現時点で存在する政治的・軍事的・財政的制約を考えれば、憲法上できるはずがない〝皇室外交〟と同様、成り立たない話で、日米機軸以外の外交は現実的にありえない。トランプべったり、といっても、伝統的にシナびいきの民主党政権より共和党政権のほうが日米関係が円滑に運ぶのは、長い歴史が証明している。共和党が現にトランプ政権なのはアメリカ国民の選択の結果であって、日本はとやかくいう立場にない。中間選挙の政権党不振は毎度の例で、だからといってすぐにどうこういうほどの話でもない。

 安倍の対中・対ロ・対韓姿勢には、もう少ししゃっきりした面があっていいとは思う。対中では、行き詰まっている〝一帯一路〟など、ウチは興味ない、とソッポを向いていればいい。対ロでは、ウラジオ会談でプーチンが記者会見の場で〝前提抜きで平和条約交渉に入ろう〟といったときに、間髪入れず〝オーチンハラショー、とても素晴らしい、これで解決ずみの歯舞・色丹は明日にも返ってくる、今後は国後・択捉返還に専心しよう〟といえばよかった。満場爆笑、プーチン苦笑。テキが面のつもりで面金を叩いたのに、斬り返しの抜き胴一本、鮮やかに取れたのだ。第六高等学校剣道部主将・六段安倍晋太郎の息子がこれくらいできなくてどーする。

 対韓では、文在寅(筆者は〝文は寅サンに在り〟と彼の名を憶える)に、ウチの麻生財務相は(慰安婦問題の最終的決着にかかる日韓合意も反故にする)こんな調子じゃ融通したカネが返ってくる見込みも立たないからスワップ協定には応じられねえな、といってるよ、と耳打ちすればいい。テキは凹むしかないはずだ。それでも凹まなければ、いざというとき、ドルを融通してやらないだけだ。

安倍首相の三つの欠点

 安倍首相にも欠点は、当然ある。第一に強力なブレーンの不在。第二に優柔不断な対消費税制姿勢が端的に示している財政規律意識の欠落。ひいては広範な規範意識の低さだ。

 政界のブレーンづくりは吉田茂?池田勇人?大平正芳の流れが有名かつ強力で、中曽根康弘は急逝後の大平チームを引き継ぎ、田中角栄は官僚中心に独自のブレーンを固めて、それぞれ奏功した。だが福田は最終的に無罪になったが占領下で昭和電工疑獄に問われたため、戦後復興?高度成長の過程で古巣大蔵省をはじめ官・財・学・言論界の主流から距離を置かれた。さらに池田・大平・田中・中曽根と対立したこと、福田個人の狷介な性格も手伝い、周辺に人材があまり集まらない取り巻き政治に傾いた。その影響は森喜朗?小泉純一郎、さらに安倍?息子の福田康夫、再登板の安倍と、歴代の清和会出身総理に及んで、内外政策の放漫さ、弱さにつながった。安倍の規範意識の低さには、政治家三世、気楽なエスカレーター学歴の甘さも影響しているだろうが、財政規律の軽視と旧通産省・経済産業省依存には、福田の大蔵?財務省軽視、より的確には敵視の反映もあるだろう。

 安倍の欠点の第三は、規範意識の問題と関連するが〝すべてわたしの責任です〟がキマリ文句なのに、責任の実態をどう捉えるか、事実に応じた責任の問い方・取り方をどうつけるか、明らかでない点だ。たぶん本人も的確にはわかっていないのだろうが、それで他人に問題点を正確に説明できるわけがない。結果として、どうも安倍サンは悪いらしいよね、という漠然たる印象が残るだけなのだ。

 具体的にいえば、森友問題は昭恵夫人の軽率な言動がすべての根源なのは明白だから、前号でも触れた通り彼女は閉門蟄居・謹慎させるべきで、〝友好外遊〟に同伴して政府専用機のタラップを昇らせるのなど言語道断、慎むべきだった。国会答弁も、夫としての連帯責任、より的確にいえば管理責任を感じており遺憾に存ずる、といえばよかった。こういえばツジモトやレンホー、フクシマらは、妻の監督とは何事だ、と反応するから論点がズレる。テキもサルもの、交わしてくれば、攻勢防御で公明党辺の女性議員に同趣旨の質問をさせれば、局面転換を図れただろう。

 加計問題は〝お友達〟政治の反映を否定できない。それなら、友人に行政との接点が生じた以上は一時的に彼と接触を断つべきだった、と率直に認めるべきだった。そのうえで獣医師の養成機関がない四国に然るべき機関ができたのは適切と考える、獣医師会の妨害はひどかった、そういえば野党には彼らの政治献金が入ってましたね、と答弁すれば、野党はグーの音も出なかったろう。

無責任さでは同格の野党、マスコミ

 無責任さでは野党もヒトのことなんかいえない。代表に返り咲いたと思ったら民主党を解党して小池百合子と希望の党をつくり、たちまちコケた前原誠司。その希望の党も都民ファーストの会も、脱兎のごとく滑り出したのに自身の野心丸出しの言動で一瞬で即死状態にした小池百合子。二期一二年も公選法が認めない二重国籍のまま参院議員を務め、歳費・通信交通費など数億円の国費を貪ったのに、返納は愚か説明の気配も示さない蓮舫。細川護煕も鳩菅ドジョーも、安倍より無責任で無能な首相といわれても仕方あるまい。

 共産党も同列だ。選挙のたびにかかってくる投票依頼電話で、中年女が〝ヘイワケンポーを守る党〟などというから、第九〇帝国議会の昭和二一年八月二四日の衆議院本会議で日本国憲法の記名採決の際に共産党だけ反対したのを知っとるか、と聞くと、ウソだ、という。地区委員に聞いてみろ、といったらしばらくして返電がきて、地区もウソだといってる、というのには呆れた。新聞記者時代からフリーの初期は共産党が専門。古くは一九五〇年代初頭に一年半ほど存在した反徳田・反代々木の日本共産党(国際派)東大細胞で不和哲三らと〝同志〟だった筆者には、いまも〝九条の会〟や〝市民団体〟からの左翼的主張の署名簿が送られてくる。そのたんびに〝マック憲法に反対した栄光の党史を忘れるな!〟と返信することにしているのだ。

 閑話休題。野党の責任感覚もひどいがマスコミも論外なのはいうまでもない。なんども触れているから今回は立ち入って言及しないが、「平成」になって民放・NHKを問わずテレビの劣化が進んだこと。それに引きずられていくつかの新聞の紙面の低俗化が加速したこと。ソビエト崩壊で共産主義信仰に引導が渡ったかと思いきや、一部の新聞やテレビの〝ニュース芸人〟はリベラルと称して一層偏向の度を強めていること。論壇誌の相次ぐ廃刊が示すように〝絵空事〟の横行に圧倒されて「論」が死滅しつつあること。これらは指摘しておかなければなるまい。

 昭和の復興期に多発した産業災害、高度成長期に社会問題化した公害の発生は「平成」になって報じられることがほとんどなくなったが、替わって企業不祥事が連発している。産業災害も公害も、もちろん忌むべき、根絶すべきものではあるが、これらには功を焦って猪突猛進した結果の、行き過ぎという観もあった。しかし現に見られる品質管理の手抜きや、それを百も承知の上での出荷・完工引渡しは、職務怠慢であり責任放棄であり、外に対しては完全な信義則違反・契約不履行、内にあっては就業規律の崩壊、社としてのプライドの喪失であるというほかない。

 ひとくちに責任といっても、統治責任・政治責任・行政責任、経営責任・雇用責任・品質責任、社会責任・報道責任、扶養責任・保護責任、医療責任・介護責任、いろいろあるが、共通していえるのは、それぞれの職務や立場が求める固有の本分と規律に忠実に、誇りと自負を持って最善の努力を尽くし、出すべき結果を的確に出すことによって初めて果たされるもの、という理解だと思われる。

 この理解は、単なる弱肉強食の未開社会ではない、多少とも文明化した国家社会であるなら、〝之ヲ古今ニ通シテ謬ラス 之ヲ中外ニ施シテ悖ラス〟(教育勅語)、どこにもいつでも通用する大原則だと思うが、日本では「平成」に入ったころから様子が変わった。かつての栄耀栄華が陰りを見せるテレビが安上がりの手法で視聴率を稼ごうと、一山なんぼの関西系のお笑いタレントを動員し、やたらバラエティ化したせいで、規律・プライド・勤勉・努力といった価値観は揶揄と嘲笑の対象にされ、重厚長大はダサく軽薄短小はイカす、という気風が支配的になった。

 なにぶんにも民主主義の世の中だ。社会、そして国民の多くが軽薄化しているのに、政治・社会や政治家・経営者だけが重厚でいられるわけがない。そうした社会風土の変化が「平成」の無責任さに反映されていないと思うのは、むしろ不自然というものだろう。

〝小林日記〟に見る昭和天皇の責任感

 そこで、最晩年の昭和天皇の悲痛な述懐を伝える〝小林日記〟に帰るが、この記述から「平成」の天皇の〝お気持ち退位〟を思い浮かべる読者なんか一人もいない、と思う新聞記者・整理部員は、まずいないだろう。別の角度でいえば、あの記事からだれもが、これは〝お気持ち退位〟との関連でこの時期に出現したニュースだな、と思っただろうし、そのことに気づかない新聞記者も整理者も、いるわけがないということにもなる。

 ところが筆者の知る限りでは、どの新聞もどのテレビの〝報道番組〟と称するワイド・ショーも、この関連にはいささかも触れていなかったのだ。これはどうしたわけか。

 〝小林日記〟に遺された、あの述懐から半年もたたない昭和六二=一九八七年九月二二日に、昭和天皇は結局一年三か月余あとの崩御に直接つながることになる病を突然発症され、宮内庁病院で長時間の大手術を受けて、予定されていた沖縄国民体育大会開会式へ、そして国内で唯一残されていた沖縄県への、行幸を取り止められる余儀なきに至った。

 その後に発表された御製

  思はざる病となりぬ沖縄をたづねて

  果たさむつとめありしを

 は、おそらく八六歳六か月前後の作と思われるが、その年の春に〝長く生きても仕方がない〟、〝戦争責任のことを言われる〟と漏らした昭和天皇が、重病になって手術を受けられた秋には、国内のどの地よりも〝戦争責任〟を強く感じざるを得ない〝沖縄をたづねて果た〟す〝つとめ〟が、思いもかけずできなくなったことを、深く悔やまれたのだ。

 私人として弟宮に先立たれること二度。このころには、すでに皇后のアルツハイマーの度合いも、おそらくはかなり進んでいたものと察せられる。ご自身の老いと身辺寂寥の思いを深めつつも、なおかつ〝最高の公人〟として、もはや石つぶてが飛んでくることなどありえないにしても、少なくとも地元の一部の人たちからは刺すような視線を浴びることがないとはいえない、過去の〝戦争責任〟を最も強く意識せざるを得ない、沖縄への〝訪問〟が、思いもかけず不可能になったのを、重い病の床で痛切に悔やまれる。その責任感のありかた、その剛毅さが、昭和天皇のご人格を強く表象していることは、〝昭和〟に生きたもの、だれもが強く、そして深く、感銘するところだろう。

厳粛さを感じない〝お気持ち〟発言

 ひるがえって「平成」の天皇の〝お気持ち退位〟の表明は、父君陛下の絶詠よりは三歳近く少ない、八三歳八か月に満たない時期になされている。前立腺ガンと心臓の冠動脈狭窄の手術歴があるとはいえ、同年配の父君陛下にくらべれば健康状態はかなり良好だと思われるのに、憲法にも皇室典範にも規定のない、すなわち終生在位を前提としてまったく想定していない〝退位〟の望みを、しかもNHKという公共の電波を使って表明されたことには、既に本誌でも述べたように、筆者は強い違和感を拭いがたい。

 昭和天皇は、大元帥として戦死者に対する責任感を、すべてに先んじて重く持っておられた、と察せられる。〝長く生きても仕方がない〟と仰せられたのは、死にたい、といわれたのと同義と受け止めざるをえず、思わず襟を正させる厳粛さと、迫真性がある。

 一方「平成」の天皇は、〝お気持ち〟発言が明確に示すように自らの象徴としての〝つとめ〟が体力面で十二分にできなくなったこと、つまり国民への責任を必ずしも全うできなくなったことを、〝退位〟を発意した理由とされている。

 昭和天皇の責任感がかつての戦争の死者に真っすぐ向かっていたのに対して、「平成」の天皇の責任感は歴史の文脈を離れ、いま現在生きる国民が対象になっている。〝昭和〟に生き「平成」に余生を送る人間の一人として、筆者はこの〝お気持ち〟から厳粛さを感じない。どうぞ末長く、お楽に、ただしお静かに、お過ごしください、と申しあげる。

(月刊『時評』2018年12月号掲載)