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俵孝太郎「一戦後人の発想」【第86回】

民主主義を機能不全に導く罠 改憲・BREXIT・そして〝壁〟

 自民党が掲げる改憲はそもそも戦後いらいの公約で、長期政権にありながら実現できないことこそ不思議というほかはないが、これにはそれなりの理由がある。そしてこれに通じる問題が英米の国境問題にもうかがえる。いずれも民主主義政治を機能不全に陥らせる〝罠〟が潜んでいるのだ。

職歴三分の二世紀に迫る

 筆者が産業経済新聞大阪本社に編集局員として入社したのは一九五三年四月一日だったから、この四月で六六年を過ぎて六七年目に入った勘定だ。新聞社にいたのは一六年五か月間で、最初の二年は社会部だった。そのうち一年半は新兵勤務の定石のサツ回りをしたが、担当地域に入国管理事務所や公安調査局があった。敗戦からまだ八年の乱世だ。三年前に突発した朝鮮戦争を背景に、共産党員や在日朝鮮人がやたら火炎瓶をブン投げて騒乱事件を起こす。幹部クラスが機帆船で朝鮮半島やシナ大陸に密航する。彼らの勢力が強い当時の大阪で、この持ち場は普通のサツにくらべれば政治的な視点が求められた。

 そのあと大阪で政治部に移り、労働運動と社会・共産両党を担当した。大阪には六年半いて、〝六〇年安保闘争前夜〟の五九年夏に東京本社政治部に転じた。そこでも振り出しの首相官邸の次は社会党。一〇年間に政治記者の標準コースを一巡したが、社会党クラブは三回持った。他社を通じ数少ない専門記者として共産党は一貫して持ち続け、そのうえで論説委員を経て退社し、フリーになった。

 とはいえ一か月休んだだけで、勤めていた新聞社の系列ラジオで九年、さらに日曜一日を挟んで引き続き系列テレビで八年半、計一七年半ニュース・キャスターを務めた。社外執筆は新聞社時代も盛大にやっていたが、電波時代に執筆範囲がうんと拡大した。月給を貰うか、ギャラや講演料か原稿料で食うかは別として、政治記者を基本に働いてきて、職歴は三分の二世紀に迫る。

 本誌の表紙には新年号から〝創刊六〇年〟と刷り込んであるが、三〇代に入ったばかりの筆者を三〇前の創業社長が厚生省記者クラブに訪ねてきて、継続寄稿を約束したのが一九六一年の晩春だった。いらいお互いの信頼感と友情のもと、海外旅行で抜けたことが一度か二度あったかもしれないが、連載タイトルを何回も変えながら執筆を続け、先代社長が急逝して幼児のころから知っている現社長の代になっても寄稿を続けて五八年を経た。六〇年の本誌の歴史の九五%を越す密度で書き続け、数え年九〇歳のいまも、本誌のほかに毎月一誌、隔月二誌(このうち一誌は生涯の趣味であるクラシックCDの流通販売大手タワーのフリー・ペーパーだが)の連載を持つ。たぶん現役の政治記者・連載寄稿者では最古参の一人に入るだろう。

腑に落ちかねたまま三分の二世紀

 そうした筆者にも、腑に落ちかねたままで三分の二世紀を経た難問がある。民主主義の政治制度下にある国で、正当な選挙によって国民の支持を得て権限を与えられた政治家あるいは政党が、自らの公約を実現すべく努力し行動することに対し、問答無用で否定し非難して憚らない風潮が横行するだけでなく、それを咎めるどころか、むしろ煽り立てる傾向が、テレビ主導の内外のメディアに共通に見られるようになったことだ。さらにそれが世間の空気に反映して、現実政治にハネ返っているのではないか、という疑念もある。

 こうした姿は民主主義・議会政治・自由社会、そもそも近代国家を近代国家として成り立たせている原理原則に照らして、本来あり得ないこと、あるべからざることのはずだ。ところが例えば日本国憲法に関して、芸能プロを通じてテレビの〝お囃し要員〟に登録された、仮にも〝専門家〟と称して画面に顔を出す〝学者〟の中にも、台本作家の書く筋立てに沿って発言し演技する役割の派遣労働者だから当然かもしれないが、論理以前、支離滅裂、矛盾だらけの発言をする向きが多い。

 いうまでもないが、自民党にとって憲法改正・自主憲法制定は昨日今日になって俄かに思いついて持ち出したものではない。一九五五年に吉田茂率いる自由党と鳩山一郎が代表する民主党が保守合同して自由民主党に結集してからの六三年余、一貫して掲げる結党の大義、有権者国民への公約の柱であり、その位置づけはいささかも動いたことがない。

憲法改正を掲げて政権を維持

 この間、自民党は前世紀末に八か月余、今世紀に入って間もない時期に三年四か月足らず、合計四年そこそこ、政権の座を離れたことがあるが、最初のときは〝政治改革〟をめぐる党内分裂、正確にいえば金丸信失脚後の旧田中角栄派ー竹下登・金丸派の跡目争いに起因する派内対立の果てだった。総選挙で民意離反に遭って力負けで政権を失ったのは、鳩山由紀夫率いる民主党に大敗した、二〇〇九年の一回きりしかない。

 その鳩山由紀夫が五四年前の保守合同に際して最も強硬に憲法改正を主張した鳩山一郎の孫なのは歴史の皮肉だが、このときの自民党の敗因も憲法改正ではなかった。長期政権の党にあるまじき、第一次安倍晋三、福田康夫、麻生太郎と、三年で三人も首相が変わる政権の不安定さが、有権者国民の不信を買ったのだ。しかしこれも皮肉なめぐり合わせだが、鳩山由紀夫のもとで自民党から政権を奪取した民主党も、鳩山、菅直人、野田佳彦と三年で三人も首相が変わる始末で、安倍が総裁に復帰した自民党に総選挙で惨敗を喫し、政権を奪回されている。

 話を戻して、自民党は結党いらい半世紀を大きく超える歳月の九割以上は、憲法改正・自主憲法制定を掲げて政権を維持した。この間に行われたそれぞれ二一回の衆議院総選挙と参議院通常選挙でも、多少の浮き沈みはあるが、選挙後の国会の勢力分野で衆参両院議員総数で自民党が非自民勢力に劣ったのは、前記二〇〇九年総選挙後の一回だけだ。

 もちろん有権者国民の多くは、国政選挙に際して政策体系・外交軍事方針・統治能力・行政指揮能力などを総合判断して投票する。改憲であれ護憲であれ、憲法だけを政権選択の唯一の指標にするのはごく少数だろう。しかし六〇余年も掲げ続けた看板政策に多くの有権者国民が強く反発し抵抗していたら、自民党政権がこれだけ続くはずがない。逆にいえば、もし有権者国民が護憲を強く支持していたら、改憲に反対する反自民の勢力が、例外的に政権を奪った例があるとしても、これだけ敗北を重ねた理由は説明できまい。

迷走したのは共産・社会

 そもそも憲法と党の基本政策の関連でいえば、迷走を続けたのは共産・社会両党だ。共産党は敗戦直後、占領下に行われた一九四六年の新憲法制定の帝国議会の衆議院採決で、天皇を国民統合の象徴とするのは君主制の遺制であって民主主義に反する、一切の戦争を放棄するのは民族の自然権である自衛権と自決権に反する、という尤も至極の二点の理由をあげて五人の議員全員が反対票を投じた。〝マック憲法(マクドナルドじゃない、マッカーサーだ、念のため)粉砕〟と銘打ったこの快挙は一定の知識青年の支持を得たが、彼らはその後間もなく、朝鮮戦争下の一九五一年に地下で秘密裡に開いた第六回党大会期第四回全国協議会で、スターリンと毛沢東の指示に盲従し、武装方針に基づく暴力革命路線を党の正式方針に採用する。その後、北京に逃亡していた徳田球一の死亡に伴って徳田主流派が凋落、反徳田の宮本顕治派が主導権を握り、一九五五年の同大会期第六回全国協議会で武装闘争方針を放棄。五九年の第七回党大会の宮本の党書記長就任を経て、六一年の第八回党大会で党綱領を改定、〝暴力革命〟を〝強力革命〟と言い換える言葉遊びめいた韜晦的な転換を手初めとして、なし崩し式に〝護憲の党〟を名乗るようになった。

 いまはさすがに「平成」の天皇の在位三〇年の賀詞奏上の衆議院本会議は欠席したが、毎国会の冒頭に帝国議会時代に置かれた〝玉座〟が残る旧貴族院、現参議院本会議場で天皇が臨席して行う開院式に、半世紀を超える無視の伝統を破って列席する変貌ぶりだ。

 社会党も、保守合同と同じ年に一歩先んじて実現した左右統一のあと、総評―官公労の組織力つまり資金力と運動員の動員力を背景に左派が全党を牛耳るようになり、そのブレーン組織であるソ連派の社会主義協会が裏で下書きした政治・政策路線を、そのまま党の方針にするようになった。一九七〇年代には社会主義協会がつくった〝テーゼ〟を党の綱領的文献に指定したが、そこには社会党政権実現後に自民党に政権が戻ることはなく、資本主義は自然と立ち枯れる、と明記してある。要するに、憲法も議会制民主主義もクソ食らえで、わが党は一党独裁の永久政権を目指す、という意思を露骨に示したわけだ。それから半世紀、政党要件も独力で維持できないほど社会党が〝立ち枯れた〟のは、皮肉を通り越して自業自得というほかない。

 そうした共社の憲法姿勢をめぐる故事来歴を、テレビの〝報道番組〟に出没する〝ニュース芸人〟はもちろん、局出入りの台本作家やテレビ局員、新聞記者でさえも、もはや知らないのだろう。彼らは自民党=改憲=悪、共社=護憲=正義、と小学校で日教組の教師に刷り込まれたままなのか、特定層の読者・視聴者に迎合する偏向を商売の売り物にする一部メディアに真似るのがインテリと思い込んだのか、偏跛なイデオロギーに立つ原稿や台本を、頭脳を使う知的労働でなく、指先の筋肉労働として、殴り書きして止まない。

不思議な現象の理由とは

 それにしても、日本は議会制民主主義の国であるはずだ。総選挙で衆議院の過半数を制した政党もしくは政党連合の代表が、衆院議員による首班指名選挙で過半数を得て首相となって内閣を組織し行政権を行使する一方、衆院の最大勢力を率いる立場で実質的に立法にも関与するという、間接民主制に立った一元的権力構造を採用しているはずだ。その日本で長期にわたって政権を維持する自民党の結党いらいの公約が、実現できないまま六〇年以上を経て、しかもそれが必ずしも問題にされないのは、考えてみれば不思議な現象なのだが、それにはそれなりの理由がある。

 それは、憲法改正に関しては議会制民主主義や議院内閣制を機能停止に導く仕掛けが、憲法そのものに仕込まれているという点だ。こういえば読者はすぐ察しがつくだろうが、憲法第九六条、改憲は衆参両院の総議員のそれぞれ三分の二以上の賛成で発議したうえで国民投票を実施し、過半数の賛成を得なければならない、という規定の存在だ。

 一概に議会といっても、歴史的には王族・貴族や富豪・名望家、現役を退いた官僚や軍人などから、終身あるいは有期で議員が任命されたり、地方議会が自らの地域代表として議員を送ったりする上院と、基本的に国民だれもが立候補でき、国民すべてが投票できる任期制の下院で構成されていて、かつては上院を上位とする国が少なくなかった。旧大日本帝国憲法下の上院である貴族院も、衆議院に対して優越性を持っていたのだ。

 それが、議会政治の本場イギリスで上院はいわば名誉職になり、英語でコモン・ハウス=庶民院と呼ぶ下院が首相選出から予算・法律をつくる主役になった。日本でも衆議院議員だけを、有権者国民の委任に基づき彼らの代わりに政治に当たるという意味で、代議士と呼ぶ慣習が旧憲法時代から定着している。いまも参議院議員は代議士とは呼ばない。かつては貴衆両院といわれて貴族院の下に置かれていた衆院側が、イギリス風を気取って始めた、抵抗精神を秘めた政界用語だったのかもしれない。現憲法下では首班指名や条約・予算の議決が衆院優位なのは、衆知の通り。

根幹に反する三つの点

 日本国憲法は、こと改憲に関して議会制民主主義の根幹を為す部分に反する規定を、なんと三点も抱え込んでいる。

 第一。いまでは衆議院と大差ない選挙制度になっているとはいえ、歴史をたどれば貴族院の系譜を継ぐ参議院を、衆議院とまったく同列で改憲発議の一方に置いていること。

 第二。多数決の原則的基準である過半数ではなく三分の二、それも総議員数の三分の二の賛成を発議の成立要件にしていること。

 第三。選挙を通じて有権者国民が委任し、選ばれた議員が受任するという間接的関与でない、木に竹を接いだような国民投票という直接的民主主義の手法を、改憲の最終決定の要件に採用していること。

 の三点だ。第一、第二点は〝マック憲法〟の〝原産国〟アメリカ憲法の大統領弾劾規定に準じているが、第三点はさすがにアメリカ憲法にもない。日本国憲法でも発議は〝総議員数〟を分母にしているのに、国民投票は有効投票数を分母にしている、さすがに〝マック憲法〟の草案作成者も、気が咎めていささか条件を甘くしたのかも知れない。

 それにしてもこの改憲規定は、日本を永久に弱小国の位置に封じ込めて置こうとする戦勝―占領者〝マック〟の断固たる意思、より的確にいえば強い悪意が感じられる陥穽―ワナである。ところがこの点について、日本のほとんどの政治家・憲法学者・言論人が的確に指摘して問題化せず、今日まで漫然と放置し看過してきたのは、思えばおかしな話だ。

 その背景には、第九条二項冒頭のいわゆる〝芦田(均)修正〟によって最低限の自衛力保持を可能とする余地が生まれ、占領終結―独立回復の時点で絶対的に改憲しなければならないという機運がもう一つ高まらなかったこと。第八九条に明白に抵触する私学助成制度が、復興―高度成長―大衆社会状況に伴う大学インフレなどの社会的条件や、与党のいわゆる〝文教族議員〟に私学出が多かったうえに、〝護憲〟を標榜する左翼野党もこの点では与党と利害が共通するために知らん振りを通し、与野党馴れ合いで違憲状態を放置してきたこと。近くは、〝世襲〟という文言や皇室典範の規定との関連を見れば明白に終身在位を定めている第二条に抵触すると思われる〝お気持ち退位〟、民法や戸籍法の規定に照らしても第二四条が認めていないことが明らかな同性婚の法制化を求める動き、など憲法を無視した暴走的現実が進行していることなども、見落とすわけにはいくまい。

BREXITにも通じる面

 〝マック〟が仕組んだ高いハードルを越えなければ、いまとなっては実際問題としてどんなに現実と乖離した条項を含んでいても改憲は困難だ。しかしそのハードルを下げるためには、いったんは高いハードルを飛び越えて第九六条を改憲しなければ始まらない。この〝絶対矛盾の自己同一〟ならぬ、絶対矛盾の自己撞着をどう打開するのか。その答えが容易に出るとは思えないが、これと通ずる面が、議会制民主主義・議院内閣制の〝母国〟であるイギリスでも、BREXITをめぐって生じているように思われる。

 BREXITに関しては、イギリスの国内世論だけではなく、与党保守党・野党労働党それぞれの内部にも、EU脱退・残留の両論がほぼ拮抗状態で存在しているようだ。そのうえ、〝連合王国〟を構成するスコットランドは残留派が優勢。ブリテン島と海を隔てるアイルランド島北部のアルスター地域には、独立国として別途EUに加盟していて脱退の意思が全然ないアイルランドとの間に、地上の境界線があるという事情もある。

 アルスター問題はことに深刻で、いまは境界線ですんでいるが、BREXITとなれば厳格な国境管理が不可欠になる。アルスターとアイルランドの間には、イギリス国教とカソリックの宗教対立もからんだ民衆レベルの激しい抗争があり、前世紀後半には武装ゲリラが暗躍して爆弾テロも頻発した。こうした事態の再現も憂慮される。

 そうであればこそ、選挙を通じた有権者国民からの委任、当選した議員の多数が支持した政府の受任、というイギリス御家芸の手続きを積み重ね、間接的に組み上げた権限と責任を明示しつつ一元的な対応をとり、イギリス政府とEU官僚機構が真正面から対峙して厳しく交渉する姿勢を、貫くべきだった。

 それなのに、与党内どころか閣内さえ一致できるかどうか怪しかったからか、脱退がイエスかノーかという単純な国民投票を断行してイエス優位の結果を示し、EU官僚相手の協議を乗り切ろうという無理筋を採用した。本来は首相のリーダーシップのもと、必要なら閣僚更迭や内閣改造、下院の解散―総選挙を繰り返してでも、粘り強く手続きを尽くしてEU官僚を追い詰め、相手側の譲歩を引き出すべきだったのだ。そのうえでの最終決着に際して、妥結すべきか蹴るべきかを問う国民投票をすることさえ、ポピュリズムとエゴが横行する世の中では如何なものか、と思われるのに、国民投票から交渉を始めたのは、イギリス政治にあるまじきお粗末さだ。

 そもそも直接性民主主義・国民投票とは、極めていかがわしいものだ。沖縄の普天間基地を辺野古に移転するための海面埋め立てをめぐる県民投票でも、五二%そこそこの投票率しかないのに、左傾マスコミや左翼野党は七八%が〝反対〟に票を投じたという面だけを強調する。しかし〝賛成〟〝どちらともいえない〟に棄権・無効を合わせれば有権者総数の六割を超えていて、〝反対〟は県民の四割にも及ばない、という評価も成り立つ。

 そんないい加減なものだからこそ、二五〇〇年昔ギリシャのポリスという小さな都市国家でさえ、直接性民主主義・全員投票は対立を確認し激化させる効果はあっても、物事を妥協や解決に導く効能はない、として政治制度としては廃れてしまい、別のさまざまな統治形態を試みるようになったのだろう。

トランプ公約も難航

 イギリスが国境問題がからむBREXITで難儀しているように、アメリカのトランプ大統領の公約である〝メキシコ国境の壁〟建設も難航している。アメリカはイギリスやそれに倣った日本のように議院内閣制で政治権力を一元化するのではなく、有権者国民が大統領と上下両院議員を別々に選挙する二元制権力構造をとっている。ただしアメリカはまず州ができ、その数が増すにつれて国が大きくなった、合衆国と名乗るものの実体は〝合州国〟だ。政治制度もそれを踏まえていて、上下両院議員は国民の直接選挙だが、大統領は旗幟が鮮明な選挙人を選び、形式的には彼らの投票で大統領が決まる間接型だ。大統領は必ずしも議会に責任を負わず、大統領令や拒否権を使ってかなり強く権力行使ができるが、議会が非協力でも解散権はない。議会には大統領弾劾権があるが実現は至難で、それぞれが勝手に動く。そうした仕組みがチェック機能として作用する場合もあるが、党派対立も加わって互いに足の引っ張りあいを始めると、収拾困難になる。不法移民問題・国境問題の現状は後者の典型的な姿だろう。

 移民がアメリカを築いたというが、昔の移民が徒手空拳で国を築いたことと、不法入国してその成果にタダ乗りしようとするのは、全然別の話だ。国境管理は国家主権にも治安にも直結する大問題で、そこに〝不法〟が横行してもいいという道理は、どこにもない。

 イギリスと同様に島国の日本は、国境管理に関する問題意識が低い。トランプの〝壁〟への執念も、中米に発してメキシコを縦断してアメリカ国境に迫る〝難民キャラバン〟の大群も、単なる話題、トピック映像、ヒトゴトとして扱われ、消費されるだけだ。

 しかし朝鮮半島有事や、中国経済が破綻して争乱化したときに、難民が不法移民として日本になだれ込んでくれば、深刻な脅威になる。前述のように朝鮮戦争中、小型漁船による難民の密航があった。だが当時は反共の難民が多く、たいてい日本語ができ、なにより少数だった。万一近い将来こうした危機が起きれば、難民を扱う〝業者〟は大きな船を使うだろうし、日本嫌いで日本語もできない暴民が無数に流れ込む惧れがある。そうした事態に、果たして日本の政府や国会、メディアは断固対応できるか。多分できないだろう。

 憲法、BREXIT、〝国境の壁〟。これらに見られる民主主義政治を機能不全に陥らせるように作用している〝罠〟の存在を考えると、歴史の前途にはあまり光明が見られない、という気がしてこないものでもない。

(月刊『時評』2019年4月号掲載)