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集中連載「ポスト・コロナの霞が関像」第1回

たなはし やすふみ/昭和38年2月11日生まれ、岐阜県出身。61年司法試験合格、62年東京大学法学部卒業、通商産業省入省。平成5年弁護士登録、大垣市内に事務所開設。8年衆議院議員選挙初当選、以後当選8回。14年自由民主党青年局長、16年国務大臣(科学技術政策・食品安全・IT)、22年自由民主党国際局長、24年自由民主党政務調査会長代理、26年自由民主党幹事長代理、28年衆議院国家基本政策委員長、30年自由民主党 党・政治制度改革実行本部長、令和元年衆議院予算委員長、2年自由民主党行政改革推進本部長。
たなはし やすふみ/昭和38年2月11日生まれ、岐阜県出身。61年司法試験合格、62年東京大学法学部卒業、通商産業省入省。平成5年弁護士登録、大垣市内に事務所開設。8年衆議院議員選挙初当選、以後当選8回。14年自由民主党青年局長、16年国務大臣(科学技術政策・食品安全・IT)、22年自由民主党国際局長、24年自由民主党政務調査会長代理、26年自由民主党幹事長代理、28年衆議院国家基本政策委員長、30年自由民主党 党・政治制度改革実行本部長、令和元年衆議院予算委員長、2年自由民主党行政改革推進本部長。

 わが国の最大かつ最高のシンクタンクとも言うべき霞が関の人気低迷に歯止めがかからない。この背景には過酷な長時間労働ややりがいの喪失、人事制度や政との関係などさまざまあるが、国家公務員の志望者は年々減少をたどり、今ではピーク時の4割減と過去最低を記録、さらに若手官僚の7人に1人が退職を希望していると指摘される。グローバル時代の中で、優秀な人材が集まり育たなければ、官僚組織は劣化し、政策の立案能力が低下し、ひいては国益の損失に直結することになる。
 当集中連載では、政・官・財・学の有識者からポスト・コロナ後のあるべき霞が関像について多様な分析と提言を語ってもらう。初回は、「霞が関崩壊」に危機意識を持ち、先ごろ公務員制度改革に関する提言をとりまとめた自民党行政改革推進本部長の棚橋泰文氏に話を聞いた。(本誌主幹・米盛康正)



「適度な緊張感を持った政官の協力関係を」

衆議院議員
自由民主党行政改革推進本部長
棚橋 泰文


最小の勤務時間で最大のサービスを


――この五月、本部長を務めておられる自民党行革推進本部・公務員制度改革等に関するプロジェクトチームより、「信頼され魅力ある公務員制度を目指して」と題する提言書が取りまとめられ、菅総理にも手交されました。同提言をまとめるいきさつ、背景からご解説をお願いします。

棚橋 象徴されるのはここ数年にわたり、国家公務員を志望する若者の数が年々減少している事実です。一言で申せば、職業として国家公務員を目指す人が少なくなっているのです。半面、20代で退職する国家公務員が増えており、いわゆるキャリアと呼ばれる若手男性官僚の7人に1人が退職を考えているとも指摘されています。
 入る人が少なくなり辞める人が多くなっている、これは行政組織としてまさに憂慮すべき事態だと言えるでしょう。国家を取り巻く環境が複雑化の一途をたどる現在、行政を担う人材の空洞化は国民生活に大きな損失をもたらします。国民のために、行政を動かすのに適した人材を将来に向けて確保しなければなりません。
 従って、志望者の数を増やして辞める人を少なくするという、求められる姿と現在の状況とのギャップを埋めるべく検討を始めたことが、提言書作成の背景となります。今回の提言では、優秀で望ましい人材が国家公務員として活躍し、それにより国民に日本国が奉仕するという理想の実現に向けた現状分析を行い、方策を取りまとめました。

――各論においても印象的なキャッチフレーズが当てられていますね。

棚橋 はい、例えば〝最小の勤務時間で最大の国民サービスを提供する〟などが目指すべき姿ではないかと。私自身、日本の国家公務員には三つの機能・役割があると、行革本部の会議等で常に申し上げてきました。
 一番目が何と言っても、統治機構として、また行政権の実務的な担い手として国民の生命・財産を守る役割です。警察官や自衛隊などがこれに当たります。二番目が国民に対して行政サービスを提供すること、該当するのは厚生労働省などでしょう。そして三番目が、法律の立案過程でシンクタンク機能を発揮することです。特に日本においては戦後、霞が関が国家最大のシンクタンクとして社会・経済をけん引してきました。しかし現在、むしろこのシンクタンク機能が弱体化しており、それがまた国家公務員の人気を押し下げる一因にもなっています。

――シンクタンク機能が低下した理由として考えられるのは。

棚橋 やはり、世上よく指摘される勤務時間の長さが大きく影響していると思われます。私が官僚時代だった頃に比べれば幾分、改善されているとはいえ、産業界の標準に比べ、まして働き方改革が推進されている現在において、まだまだ圧倒的に勤務時間が長いと言わざるを得ません。
 個人が人生設計として国家公務員を選び、日々の仕事にやりがいを感じるべきところ、長時間労働が心身を圧迫し、過重負担となって個人のモチベーションを喪失させてしまっています。また、日々目前の仕事に追われて、日本国の長期展望を大局的に練る余裕が失われています。そうすると将来的に不利益を被るのは結局のところ国民である、そうした問題意識をベースに、今回の提言を取りまとめた次第です。


行政機構全体の質の低下を懸念


――新入職員が政策立案や行政執行の中枢を担うようになるまで長い年月を要するわけですが、政と官の距離が乖離して、有能な官僚育成においても分断が生じているという話もあります。先生のお話を聞きますと、その影響が今般顕在化しているという危機意識が感じられます。

棚橋 繰り返しになりますが、国家公務員志望者の減少傾向は止まらず、試験制度が違うので単純比較は出来ませんが平成8年度のⅠ種試験申込者数は4万5000人を超えていましたが、昨年度の総合職試験申込者数は2万人を割り込んでおります。かつ入省しても20代のうちに辞めてしまう若い世代が多いとあっては、国の将来を考えた場合、危機感を覚えずにはいられません。

――優秀な若者の行政離れがこれ以上進むと、グローバル化が進む中、他国の行政官と交渉や議論を展開していくとき、国益にかかわる可能性も危惧されます。

棚橋 それも非常に由々しき事態です。従来型の人事制度では、入省後10~20年で課長補佐から課長へ、つまり最も実務を動かすポジションにステップアップしていくわけですが、その段階で秀でた人材が乏しくなると、行政機構全体の質の低下につながります。
 行革本部でこのような議論がありました。確かに東大法学部を出ればそれでよい、という問題ではないのだが、そもそも遡ると明治近代化のとき東京帝国大学法学部は官僚を養成する機関として設置された、いま東大法学部卒の若者が官僚を敬遠するのは、外資系企業等の方が報酬面はもとより若いうちからやり甲斐ある仕事ができるという面も大きいのではないか、と。
 私が入省した通産省(当時)は、霞が関の中でも比較的若いころから責任ある仕事を任せてくれる官庁でしたが、それでも入省後まずは事務の雑用から始まり一定の仕事を担当するまで7~8年かかります。つまり新卒で入ってもその段階で30歳前後。そうなると20代のころから責任ある仕事を志望する人材から見ると魅力に乏しく映る面があるのは確かです。
 であるならば、給与面ももちろんですが、今の年功序列型の人事システムを見直し、若いころから責任を伴う仕事に携われて、個人のやり甲斐を喚起できるシステムに移行することが重要です。


多様な人材を育てるには組織の余裕を


――人事システム改革の一つとして、いわゆる“回転ドア”方式の導入が従前から唱えられてきましたが、なかなか根付いていないのが現状です。どういう方策が必要でしょうか。

棚橋 人材育成システムの複線化、多様化が一案だと思います。行革本部において、“回転ドア”に関連して議論されたのが、日本が資金を拠出している割合に比べると国際機関の要職に日本人が就いている割合が少ない、という点でした。その背景には、やはり世界的に通用する博士号を有する人材が少ない、霞が関入省後、一定の留学や海外経験はさせてくれるものの、ドクターコースをゼロから取得する時間まではもらえるわけではない、それだけの余裕も役所に無い、その結果、国際社会で通用する人材をなかなか育てられないという負のスパイラルに陥っています。

――人材育成は、やはり難しい面がありますね。

棚橋 そういう意味で、中途も含めて多様な人材を採用し、また人を育てるという観点からももう少し余裕を持たねばなりません。これまでの行政改革というと、むしろ国家公務員の数を減らすことに主眼が置かれてきました。
 私は行政改革推進本部長に就任して以後、国家公務員や部署の数を減らすことが行革の目的ではない、国民のニーズに合った行政が実施できるように組織を適応させていくのが行革の目的である、そして中長期的にニーズ適応型組織を構築していくためには、必ず一定の余裕が必要だ、と主張してきました。民間企業がコストカットに努力している中、国家公務員の人員を削減しないのはけしからんという意見もあるかもしれませんが、その余裕こそ、国家全体、国民全体、産業界全体にとっても必ずプラスに作用すると考えています。
 従って今回の提言には、行政改革は“行政削減”ではなく、“行政改善”の視点から人材育成を図るべき、とのメッセージを込めたつもりです。

――保健所の数が縮減されたことにより、今般のコロナ禍において残った数少ない保健所が対応に追われました。この例のほか、スリム化やコストカットによるひずみや影響は、後年別の形で顕在化すると思います。そう考えると今回出された提言は、10~20年後の霞が関において大いに役立つと期待されますね。

取材時撮影
取材時撮影

質問権と提出刻限ルールの相克


――官僚の残業時間の長さは、議員の国会質問に対する答弁づくりや待機に起因するところ大なりとの指摘もよく受けますが、これについてはいかがお考えですか。

棚橋 私が通産省に入省した1987年当時、国会質問等の待機においては、入省一年目のキャリアは、情報連絡のハブ機能を務める関係で、質問が全部入るまでは関連する課室にはすべて待機をお願いする、質問が入った段階で必要でない課は待機が解除されて帰宅できるものの、引き続き待機する課は草案をつくり関連する政府の部室へ了解を求める、連日そういう仕事をこなしていました。終わるのは午前4時ごろです。ネットどころかFAXも普及しきれていない頃でしたから、私ども新人は、朝刊を配達するごとく、答弁書をタクシーを使って答弁者の自宅に配って回る有様でした。この答弁書配達を終えても、もちろんその日は休みなどということはなく、家でシャワーを浴びただけで出勤するか、役所に戻って2~3時間ほど仮眠するかのどちらかでした。
 このような勤務状況は何としても変えていかねばならないと、当時強く思いました。そして、この思いは、今も変わらないどころか強くなっています。

――質問項目は、与野党とも刻限通りに出されているのでしょうか。

棚橋 一部の議員が定められた刻限までに質問項目を出さないという指摘もあります。特に昨年、私が予算委員長を務めていた時にそれを痛感しました。国会で次の日どういう委員会構成を行い、質問時間をどう割り当てるか紛糾する場合は確かに当日の朝になる場合があるものの、それはレアケースで通常は前日の夕刻には決まります。そこから官僚が準備をすれば、答弁者に答弁書を 20 時ごろには出せるはずです。
 委員会立てが決まらない時点において質問を出せないのはやむを得ないところなのですが、不要に遅い部分があるのも確かです。これはぜひ、改めるべきです。野党には野党で質問権があり、これは憲法41条に関連する民主主義の根幹にかかわる問題です。この点は国会で少数会派も含めて議論する必要がありますから、率直に申して時間はかかります。とはいえこの部分も提言では触れさせていただきました。

――官庁内のシステム面で改善の余地などは。

棚橋 昔は場合によっては押印が20も30も必要になり、相対的に押印1人の責任は20分の1、というジョークも飛ばされるほどでした。各種決裁は現在徐々にハンコレスが進んでいますが、そもそも、決裁過程に参加するのは、起案者と審査者と最終決裁権者ぐらいでよいのではないか、と考えます。できるだけ決裁ラインを軽くして、他の職員の負荷が軽くなった分、本来の政策立案機能の涵養などに時間を振り向ける方向へ、省内で仕事の分担を見直すべきだと思います。
 私のもとにも職員各位がレクチャーに来ることが多いのですが、その場合、私は、責任をもって説明していただける方であれば役職の軽重は問いません。ただ、他方で一部の議員は今なお、一定の役職以上の幹部を寄こすよう要請しているのが現状です。その辺りの文化もぜひ変えていかなくてはなりません。
 また行革本部の大半の会議は現在、全てリモートで行っています。移動の時間が削減できて関係各位に好評です。このように方法によって合理化できる部分は少なくありません。ポスト・コロナにおいても慣例にして行きたいと思います。

政官関係は“親しき中にも礼儀あり”


――政官関係のあるべき姿には多くの多様な意見が寄せられますが、官僚経験もある先生はどのように捉えておられるでしょうか。

棚橋 適度な緊張関係を持ったままでの協力関係、に尽きるでしょうね。親しき中にも礼儀あり、だと思います。先ず政治家に関して。霞が関では平素得ることが少ない国民との接点が、国会議員の強みです。市井の声を聞いて政策に反映するという点で、国会議員に一定の知見・見識があるのは間違いありません。一方、特定の行政分野に長年にわたって携わっている霞が関官僚は専門的な知見・経験を有しています。
 そうしたそれぞれの背景のもと、国会議員自身が国民と接した中で得た見識を生かし、立法府の立場から行政府に話をするのが本来の姿ではないでしょうか。一方、行政府は専門家として海外の事例、過去の事例を含めて政策立案への方策を探るわけですので、従って最終決定権者である立法府は、行政府にリスペクトの念を常に持って接するべきです。これが緊張感ある協力関係のあるべき姿だと思います。

――メニューを提示するのは官僚であっても、それを選択する責任は政治にあると思われます。

棚橋 霞が関はシンクタンク機能を有するべきといっても、官僚は民主的に選ばれたわけではない以上、独善的に特定の政策だけを提案するのではなく複数の選択肢を示しそれぞれの長所短所を比較衡量できるよう明示していくことが必要です。そしてその選択は、国民から負託を受けた政治家が責任をもって行うことになります。


デジタル庁は国民生活に不可欠


――デジタル庁発足によって、国民生活のデジタル化はもちろん、霞が関の働き方も効率化が進むのではないかと期待されています。

棚橋 これまでの閣議決定の折などに、日本社会あるいは行政のデジタル化推進が指摘されましたが、ご承知のように進捗ははかばかしくありません。昨年秋、菅総理が就任段階で掲げたデジタル庁発足の構想には、私も大きな期待を寄せているところです。昨年、行革本部としてもデジタル庁構想の実現に向けて議論を重ねました。霞が関では新省庁を作る時は、他方で既存の部署を削減するスクラップ&ビルドが前提とされていましたが、デジタル庁発足に関しては例外とされています。
 昨年の通常国会で、衆議院予算委員長として、予算審議を4回行い4回通過させたのですが、これは1960年以後、暫定予算を除いては最多記録だそうです。にもかかわらず、大型連休中に審議した第一次補正予算、いわゆる10万円の特別定額給付金に関しては、実施は市町村にお任せせざるを得ず、非常にもどかしい思いをしました。雇用関係のお金の出入りを除いては、基本的に国が直接国民一人一人にお金を渡すシステムがありません。このことが特にコロナ禍のような緊急時に、行政執行の効率性を阻害していると痛感します。
 仮に、コロナ禍以前に多くの国民がマイナンバーを取得していて、そこに例えばメールアドレスと口座番号、携帯電話番号等がひも付けられていれば、特別定額給付金も政府の方から支給の意向を問うメールが送られ、それに「はい」と返信するだけでひも付けられた口座に10万円が支給される、といったことが実現できた訳です。図らずも、このコロナに関する給付金が、行政がデジタル化を加速する必要性を浮き彫りにしました。現在、急ピッチで進めているワクチン接種においても、マイナンバーですべて管理できていれば二重予約の問題はおそらく解消されていたでしょう。
 このようにデジタル化は、国民生活の利便性を大きく向上させると同時に、行政事務の効率化、コストの低減を図り、何より人材に余力が生じることによって、日本の将来、地域の未来に向けてより高度な政策立案に向けた知見を涵養する機会を創出することになります。これらの点から、デジタル庁は、行政、そして国民生活に不可欠な存在になるでしょう。

――最後に霞が関官僚諸氏に対し応援のメッセージなど。

棚橋 日本国および日本国民の生活を基盤から支えているのは、まさに国家および地方の公務員の方々です。私も、社会人キャリアの最初に国家公務員の道を志したことには今なお誇りを持っており、おそらくは大多数の官僚の皆さんも日本国と日本国民のために自分の能力を使いたいと志して、この道に入ってこられたことでしょう。
 残念ながらその志がすぐに実現しないケースや当初の想定とは異なる現実に直面することもあると思われますが、最初の志を失うことなく常に心に持って仕事に邁進していただきたい。それに対し、活力ある仕事を阻害するような要因を極力排除して、官僚の皆さんが日本国と日本国民のためにしっかり行政を遂行できる環境を整えるのが、われわれ政治家、そして立法府の仕事であると強く認識しています。

――本日はありがとうございました。



(本記事は、月刊『時評』2021年7月号掲載の記事をベースにしております)