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集中連載「ポスト・コロナの霞が関像」第3回

くらしげ あつろう/東京都出身。東京大学教育学部卒業。昭和53年毎日新聞社入社。経済部デスク、政治部デスク、千葉支局長、政治部編集委員、政治部長、編集局次長(政治担当)、論説副委員長、専門編集委員、論説委員長等を経て、現職就任。
くらしげ あつろう/東京都出身。東京大学教育学部卒業。昭和53年毎日新聞社入社。経済部デスク、政治部デスク、千葉支局長、政治部編集委員、政治部長、編集局次長(政治担当)、論説副委員長、専門編集委員、論説委員長等を経て、現職就任。

「霞が関に対する三つの提言」

毎日新聞社客員編集委員
倉重 篤郎





角を矯めて牛を殺すな


 日本の官僚と言えば、かつては「政治は二流だが官僚だけは一流」と言われたものである。1980年代、90年代までは颯爽としていた。日本経済の占める位置が世界で膨張、米国との貿易紛争に至った頃は、米国のリビジョニストたちから「日本の政治まで牛耳るMOF(大蔵省)」「ノートリアス(悪名高き)MITI(通産省)」などと恐れられた。実際に彼らは日本の官僚制度を研究し、いかにしてそれを潰すか、機能不全にするか、戦略を練っていた。彼らからしてみると、日本の官僚こそ、ジャパン・アズ・ナンバー1の秘密を握っているように見えたのである。

 その真偽は別として、その霞が関が今は見る影もない。「日本最大のシンクタンク」とまで言われた時代認識力、政策立案力、人材力、発信力すべてにおいて陰りがみられる。若者の間でも就職先としても急速に人気が落ちている。
 いくつもの理由が複合的に作用した結果であろう。ただ、私にはなぜか「角を矯めて牛を殺す」と言うことわざが思い浮かぶ。牛の曲がった角を直そうと手を加えているうちに牛を殺してしまうことだ。転じて、少々の欠点を直そうとして、かえって全体をダメにしてしまう例えだが、霞が関官僚の現状を見るに、まさに言い得て妙な面があるのではないか。
 というのも、霞が関改革のため良かれと思って取られた措置・制度が悉く運用面で躓いて、かえって官僚達のやる気を削いでいる、官僚達が本来発揮できる力を鬱屈させている、と思えるのである。

 三つ挙げてみる。
 第一に、内閣人事局を作って審議官以上700人の官僚人事を時の政権が一元的にコントロールする、との仕組みである。これが本来の目的通り動いていない。「省益」官僚達を「国益」官僚に生まれ変わらせるつもりが、「官邸益」「政権益」に奉仕する忖度官僚を広範に生み出してしまった。
 第二に、国会質問は、原則2日前までに担当省庁に通告されるべし、とされた質問通告ルールが守られていないことである。国権の最高機関である国会での野党の質問権を重視、それに対する霞が関の答弁作成能力を勘案して作られた、ある意味紳士協定である。この不全が官僚の長時間労働の原因の一つとなり、霞が関を不人気職場にしている。
 第三に、バブル時代の官僚のご乱行を律するための国家公務員倫理法・規程が、結果的に官僚をスポイルしている。あまりに官僚の行動を雁字搦めに規制するあまり、総務省の接待疑惑のようにそれを黙殺する輩が出てくる一方、大半は民間との必要十分な情報交換ができぬまま、政策立案能力に劣化を来している。

菅強権人事と質問通告が霞が関を壊した


 順番に見てみよう。内閣人事局の創設については、制度改革そのものを否定するものではない。自分の出世第一で出身官庁の方ばかり見て、時の政権の省庁の枠組みを超えた政策立案・実行の障害にしかならないような官僚群像を多く見てきたからである。いわゆる官僚主導から政治主導への転換そのものは正しい路線変更であった。
 ただし、である。安倍晋三首相・菅義偉官房長官・杉田和博官房副長官トリオの8年に及ぶ治世下で、この制度は本来の趣旨を換骨奪胎された。彼らは意図的に各省人事に介入し、各省内で自律的に決められていた人事秩序を壊していった。政権へのロイヤリティーを踏み絵に協力的な者を昇進させ、そうでない者をはじいた。
 官僚にとっては人事がすべてである。ポストに就き権限を得なければ、本来自分が官僚として世に奉仕しようと思っていたこともできない。この3人に自分の将来を握られているという意識が、官僚達を必要以上に萎縮させ、政権の意向を忖度させた。

 その結果何が起きたか。いわゆる「モリカケ桜」の世界である。
 森友問題では、あの財務省が決裁文書改竄という不始末をしでかした。国有地払い下げの真相を自ら開示する度量もなければ、有能なノンキャリを死に追いやったことに対する深刻な反省すら見られない。かつて財研(財務省)クラブに在籍し、財務官僚達の能力、国家のために働くというモラルの高さを知る者としては信じられない思いである。鯛は頭から腐る。霞が関全体をどれだけモラルダウンさせたか。その原因者は万死に値する、と思う。
 官僚がスキャンダル隠しに使われているだけではない。官僚達がその道の専門家、玄人として発信すべき情報、意見が強大な人事権の圧力の下で、自己規制、封殺されている。出てこない。
 より良き政治決定のための幅広い選択肢の提供、プロジェクトを進める上でのマイナス評価と反対意見の提示、そして、それらをめぐる自由闊達な議論の保障。政策決定過程で官僚達に果たすべき役割をサボタージュさせてきた。この国損もいかばかりであろうか。

 二つ目の霞が関の長時間労働も相当なところまで来ている。直近の政府の調べだと、国家公務員のうち「過労死ライン」の月80時間を超える超過勤務(残業)をした職員が、昨年12月~今年2月の3カ月間で延べ6532人、月100時間超の職員は延べ2999人いた、という。80時間超の多い順は、厚生労働省1092人、財務省で799人だった。
 厚労省を中心にコロナ対策に追われたとみられる。財務省は年末に集中する新年度の予算編成や税制改正大綱の決定なども影響している。遅くまで仕事をすることを「不夜城」として誇るような霞が関の体質もあろう。
 ただ、気になるのはやはり質問取りである。4月にコンサルティング会社「ワーク・ライフバランス」が発表したアンケート結果を見ると、残業発生の主要原因として指摘されているのが、野党の質問通告だという。「2日前ルール」について8割以上が「守られていない」と答えている。「前日の22時や休日など、非常識な時間に行うことも多い」「資料を出さない限り通告を行わないなど、通告を役所との取引に使っている」などの不満も出ている。これも放置できない段階に来ている。


倫理規定改定、「完全割り勘制」に


 三つ目の国家公務員倫理法・規定(2000年施行)も見直すべき時期だろう。
 確かに、あの時点を振り返ると、やむを得なかった措置とも思われる。原因を作った大蔵省の接待疑惑があまりにもひどかったからだ。銀行のMOF担(大蔵省担当者)が社の交際費を湯水の如く使い、エリート官僚をあの手この手で接待した。官僚側もいい気になって、それに乗っかった。霞が関全体に節操がなくなっていた。ショック療法としては意味があった。

 ただ、あれから20年。時代は変わった。バブルははじけ、超デフレの時代が続いている。
 総務省接待疑惑で出てきた東北新社やNTTは別にして、官僚を接待しようにも普通の企業にはカネがない。タクシーチケットも自由にはならない。一方で、官民情報交流のパイプは詰まったままだ。役人が民間人と意見交換する際の制約が強すぎて、民情把握が十分でないまま政策立案するケースが多いようだ。

 曰く。「5000円以上の利益供与があれば届け出る」(国家公務員倫理法第6条)、「特に飲食では1万円以上を届け出る」(国家公務員倫理規程第8条)

 本省課長補佐級以上の公務員が自らの飲食料金を全額自腹で負担していたつもりでも、実際には相手事業者が5000円以上の費用分担をしていた場合には、法第6条「贈与等の届出」違反に該当、相手が利害関係者であったことが後から判明した場合には、規程第3条1項六号「利害関係者から供応接待を受けること」とある「禁止行為」違反に該当してしまう、という。
 官僚と見れば、贈収賄事件の被疑者と疑ってかかれ、といわんがばかりの法制度である。ここまで面倒な手続きを踏まなければならないとなると、とても届け出を出す気にはなるまい。

 そこで、論旨に沿って三つの提言をする。
 まずは、質問通告、長時間労働からだ。野党が時間をかけてギリギリまで質問を練るのも十分理解できるが、紳士協定はやはり遵守すべきである。ここは衆参両院の議運でルールを再確認すべきだ。自分達が与党になった時のことまで考え、官僚をどううまく使っていくかに知恵を絞るべきである。
 長時間労働全般に対しては、人事院の強い関与を求めたい。国家公務員のための勧告権を持つこの行政委員会は一体何をしているのか。調べてみると、19年2月には各省庁に対し、残業を原則月45時間以内にするよう文書指導している。それが守られてないことに対しもっと強い措置をとるべきではないか。非遵守職場からの訴えを受け付ける内部告発の窓口を作ったらどうか。本気度が伝わって来るだろう。
 公務員倫理については以下のように思う。官僚とても立派な大人である。知性、教養、モラルは世の一般人より高いはずだ。そろそろ性悪説から性善説に切り換えたらいかがだろうか。5000円だの1万円での届け出制をやめ、「完全割り勘制」にしたらどうか。極めて分かりやすいし、社会常識にも則っている。
 最後に人事の問題である。ここが一番難しい。政権が変わらなければ無理であろう、とだけ言っておこう。

 さて、コロナ後どうなるか。バブル崩壊以降コロナまで、日本の国力、経済力が伸び悩んできたことは事実である。その状況を漫然と続けるのか否か。霞が関官僚群の時代認識・政策立案力が試される局面でもある。そのためにも牛を殺してはならない。質の高い豊富なミルク(国富)をもっと出してもらうのが、賢い選択であろう。



(本記事は、月刊『時評』2021年9月号掲載の記事をベースにしております)