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「ビジネスと人権」の取り組みの国際潮流/経済産業省 柏原恭子氏

日本政府の「ビジネスと人権」に関する行動計画

 国連人権理事会では各国政府に対し、ビジネスと人権に関する行動計画の策定を呼びかけています。既に20カ国以上が実施している中、日本政府も2020年10月に「ビジネスと人権」に関する行動計画を発表しました。計画では〝政府から企業への期待〟として人権デュー・ディリジェンスの導入を提示しました。

 行動計画を策定してから1年後の2021年の秋、経済産業省と外務省は連名で政府として初となるビジネスと人権への取組状況に関するアンケート調査を東証1部・2部上場企業を主な対象として実施しました。回答があった760企業のうち、「人権方針を策定」している企業は7割、「人権デュー・ディリジェンスの実施」や「救済体制の創設」をしている企業は5割に留まっています。人権の取り組みが進んでいる企業群をグループA、進んでいない企業群をグループBとして分析すると、グループAでは企業価値向上等のメリットを実感しているという回答が多くあった一方、グループBからは、どう着手すれば良いかわからず、ガイドラインの整備や企業の意識向上を求める声があがりました。

 そこで経済産業省では、国連指導原則をはじめとする国際スタンダードを踏まえ、企業に求められる人権尊重の取り組みについて具体的かつわかりやすく解説するガイドラインをつくろうと、2022年3月に検討会を設置し、専門家、産業界、労働者、国際機関、中小企業など幅広い有識者により構成される委員と検討を重ねて原案をまとめました。パブリックコメントを経たガイドライン原案は「ビジネスと人権に関する行動計画の実施に係る関係府省庁施策推進・連絡会議」に報告され、2022年9月、日本政府のガイドラインとして公表されました。(「責任あるサプライチェーン等における人権尊重のためのガイドライン」)

(資料:経済産業省)
(資料:経済産業省)

世界にも通用する実用的ガイドラインを目指して

 本ガイドラインは全ての企業を対象としており、まず人権方針の策定・公表を行い、次に人権デュー・ディリジェンスを継続的に実施し、そして人権侵害の予防や解消ができなかったときに備えて救済措置を講じる、という国連指導原則に則った三段階の手順を示しました。救済措置については国際スタンダードに定められた「苦情処理メカニズム」の確立を求めています。これはステークホルダーが懸念や苦情を申し立てることができる環境を用意することを求めるもので、個社で対応できない場合、業界団体等で整備されたものに各企業が参加するといった方法もありえます。

 人権尊重の取り組みにあたっての基本的考え方を次の五つに整理しました。1.経営陣のコミットメントが極めて重要であること、2.潜在的な「負の影響」はいかなる企業にも存在すること、3.ステークホルダーとの対話が欠かせないこと、4.優先順位を踏まえ順次対応していくこと、5.各企業が協力して取り組むこと、です。

 人権デュー・ディリジェンスにおいて、積極的な情報開示は欠かせません。外部の声に耳を傾けた上で、ステークホルダーとの関係やレピュテーションリスクを踏まえた各社のトップレベルによる経営判断が必要でしょう。

 ステークホルダーとは、企業の活動により影響を受ける関係者を指し、事業活動などによって異なりますが、典型的には取引先や従業員、労働組合はもちろん、消費者、さらにはNGOや人権擁護者、周辺の住人、先住民族、投資家なども含まれます。

 また、ガイドラインでは国際スタンダードが企業に尊重を求めている〝国際的に認められた人権〟の例を示しています。特に、人権への負の影響の深刻度が高いと言われる強制労働や児童労働等は留意が必要です。

 ガイドライン策定プロセスでも非常に議論が多かった点ですが、企業活動における人権尊重の意義として、企業活動における人権への負の影響を防止・軽減・救済することはもちろんのこと、取り組みが企業価値の向上につながるというメッセージに力を入れました。経営リスクの抑制のみならず、ブランドイメージの向上や投資家・取引先からの評価、さらに優秀な人材を集めやすくなるといったメリットもあるはずです。

 人権への負の影響の防止・軽減措置について、国際スタンダードにおいて取引停止は〝最後の手段〟とされていることを踏まえ、本ガイドラインの方針も、自社の影響力を行使して人権侵害の起きている事態を改善させることを優先し、それが不可能なときに限って取引停止を選択すべきとしました。

 例えば紛争等の影響を受ける地域では、企業が事業活動を継続することにより、従業員等が危険にさらされたり、意図せず紛争等に加担してしまう可能性が高まったりするリスクのためにやむを得ず撤退する状況も考えられますが、そのような地域から企業が撤退してしまうとそれを代替する企業が登場しないこと等により、現地の人権状況がさらに悪化しかねません。そのため、こうした地域において事業活動の停止や終了を判断する場合、通常よりも慎重な「強化された人権デュー・ディリジェンス」を実施した上での「責任ある撤退」をすべきだと記述しています。

 今年4月には追加で実務参照資料も公表しました。人権デュー・ディリジェンスの最初のステップで活用できる人権侵害リスク資料や作業シートを用意し、事業活動やサプライチェーン上の人権侵害リスクを特定しやすくしています。

人権侵害に無縁な企業はない

 企業活動を行う以上、人権侵害に無縁でいられる企業はありません。人権侵害は存在することを前提として、不断の改善を行い、取組情報を対外的に発信していくことこそが肝要であり、人権侵害やその可能性がゼロだと言う必要はないのです。

 オーストラリアの戦略政策研究所ASPIによる2020年の調査報告書で54社のグローバル企業がウイグル人権侵害に加担している可能性があると名指しされ、そのうち14社が日本企業だったことはかなり話題になりました。昨年末にイギリスのシェフィールド・ハラム大学が公表した報告書では、100社を超える国際的な自動車メーカーや部品メーカーがウイグルの強制労働に関係している可能性があるとされ、日本企業も数社、指摘を受けました。米国上院議員からも、今後の対応を問う公開質問状が送付されたと聞いています。ステークホルダーとはしっかり対話を行い、説明責任を果たしていくことが求められます。

 政府として、信頼性の高い情報を素早く提供していくことは引き続きの課題です。経済産業省ではホームページ上に設置したビジネスと人権の特設ページで各国の動向などを発信しており、さらにILOと連携してアジア全体へのアウトリーチも行ってきました。アジアのサプライチェーンに深く根ざしている日本として、アジア諸国の理解を深めることは有益と考えます。

 JETRO(日本貿易振興機構)のホームページには企業のための人権問題の相談窓口を設置しているほか、特集ページもタイムリーな情報発信がされていると好評なので、ご活用いただければ幸いです。

【参考リンク集】
◆責任あるサプライチェーン等における人権尊重のためのガイドライン関連リンク
 日本政府 責任あるサプライチェーン等における人権尊重のためのガイドライン(PDF)
 経済産業省 責任あるサプライチェーン等における人権尊重のための実務参照資料本文 別添1

◆経済産業省 「ビジネスと人権」特設ウェブサイト
 ビジネスと人権~責任あるバリューチェーンに向けて~

◆日本貿易振興機構(JETRO)特設ウェブサイト
 ビジネスと人権に関する貿易投資相談窓口
 特集 サプライチェーンと人権

                                               (月刊『時評』2023年10月号掲載)