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【末松広行・トップの決断】 国分グループ本社株式会社  國分 晃 氏

時代の激変に対応し、食の供給という使命を担う

こくぶ あきら/昭和46年生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒業、ノースウエスタン大学経営大学院ケロッグスクール経営学修士号取得。平成6年ネスレ日本株式会社入社、10年国分株式会社入社、28年国分グループ本社(株)代表取締役副社長執行役員COO経営統括本部長、29年3月より、代表取締役社長執行役員経営統括本部長兼COO。現任、(一社)日本加工食品卸協会会長、東京都卸売酒販組合理事長。
こくぶ あきら/昭和46年生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒業、ノースウエスタン大学経営大学院ケロッグスクール経営学修士号取得。平成6年ネスレ日本株式会社入社、10年国分株式会社入社、28年国分グループ本社(株)代表取締役副社長執行役員COO経営統括本部長、29年3月より、代表取締役社長執行役員経営統括本部長兼COO。現任、(一社)日本加工食品卸協会会長、東京都卸売酒販組合理事長。

 1712年創業の国分グループは、明治維新、関東大震災、終戦と、日本近代史の歩みとともに時代の変化、社会体制の変革に対応しながら、酒類・食品卸売業として確固たる基盤を築いている。震災やコロナ禍など、思いがけない災厄に見舞われながらも、食のバリューチェーンを担い食品の供給途絶を回避するという強い使命感の下、今日も価格高騰の荒波に対峙する。國分社長に長い伝統を継承してきた矜持と未来に向けた展望と、そのための提言を語ってもらった。

国分グループ本社株式会社 代表取締役社長執行役員 兼 COO
國分 晃氏


時代の変化に対応して酒類・食品卸売業に

末松 御社は創業江戸中期という、非常に長い歴史を有する老舗企業で、これまでの時代の変遷においていくつも困難を乗り越えてこられたと思われます。一言では語りつくせないとは思いますが、まずは社史のご紹介からお願いできましたら。

國分 本社を日本橋1丁目1番地1号に構えておりますが、もともとは現在の三重県松阪に発する伊勢商人でした。1712(正徳2)年、当時の4代目國分勘兵衛が江戸進出を図り、茨城県土浦を拠点に醤油を醸造したのがそもそもの始まりです。

末松 では、当初は製造業であったと。

國分 はい、つくった醬油の樽を船運で江戸へ運び、ここ日本橋で荷揚げして小分け販売していました。4代目から数えて現在は私の父が会長兼CEOとして12 代目國分勘兵衛を襲名し、本年2023年で創業311年となります。

末松 以後、しばらく醤油醸造と販売を?

國分 幕末まで約150年生業としてきました。しかし明治新政府樹立の折には、それまで公用で醤油を納めていた各藩邸からの代金がほぼ棒引きになったり、また土浦の醤油醸造が他の産地に対し競争力を失うなどして、事業の転換を迫られるようになりました。そこで大きく舵を切ったのが、現在の主業である酒類・食品の卸売業です。

末松 卸売業を志向された背景というと。

國分 醤油の醸造が、仕込みから販売して品代を回収するまで運転資金を長く寝かせる商売であるのに対し、卸売業は売掛金と買掛金を迅速に回転させることで、事業をしながら運転資金を創出できるというビジネスモデルです。時代が大きく転換しようとする時、変化に対応するには資金を眠らせる醸造業ではなく、創出できる卸売業に将来性を見出した、という次第です。

末松 20世紀に入りますと、1923年の関東大震災、45年の終戦と、大きな災厄や時代の激変に見舞われますね。

國分 はい、震災の時には社屋の全焼、終戦時にはGHQに本社社屋を接収されるなど、いずれにおいてもその時代時代で資産をほぼ喪失するほど損害を被りました。例えば震災の折にはサントリーを創業された鳥井信治郎氏が、私たちの買掛金を受け取った後、全額そっくり事業復興資金として供出してくれるなど、さまざまな周囲の支援もあり、戦後も卸売業を継続することができました。現在、2022年12月期の年間売り上げは1兆9300億円を見込んでいます。

戸外活動への理解が得られにくい仕事

末松 それに加えて今般のコロナ禍ですが、この影響については。

國分 私たち食のサプライチェーンに携わる者は、エッセンシャルワーカーであると強く再認識させられました。2011年の東日本大震災発生時も同様ですが、小売店や外食店舗、学校・病院・介護施設に滞りなく食品をお届けすること、これは決して途絶させるわけにはいきません。

 一方で、配送センターでピッキング作業を行う作業員やドライバーの方が罹患しても、それでもなお配送を行うことができるように、BCPを確立しました。例えば、配送センター内で感染者が発生した場合を想定し、濃厚接触者が全体に広がらないよう、あらかじめ班分けして緊急時に備えるなど、さまざまな対策を講じました。また、配送を担う事業者は、平素その仕事ぶりがなかなか生活者の目に触れません。医療従事者や小売店のように、緊急時にも仕事の継続が社会的に理解されやすい立場の方々と異なり、20年5月前後の緊急事態宣言の折には、戸外で仕事をすることについてご家族の理解が容易に得られず、その中でも強い使命感の下、職責を果たしたという面もありました。

末松 コロナ禍当初、食品事業者全般の大変なご努力によって店頭から食品類が減るのを最小限に抑制できましたが、これはひとえに、日本の食に携わる人々の、危機発生時に対応する底力の強さによるものと実感します。この点は、先ほどご指摘された、平素は一般に目に触れにくい分野の方々の頑張りもあると、もっと社会的に認知されるべきだと思います。

 売り上げに対する影響はいかがでしたか。

國分 小売店での家庭用商品の需要は高まったものの、相反して飲食業を中心とした業務用の需要は激減しました。当社はその両方のお取引先があったので、なんとか相殺されました。しかし業務用のお取引先を中心にした卸さんは甚大な影響が生じたと察せられます。

 また、個人的につらかったのは当初、酒類が悪者扱いされたことです。

末松 一時期、店舗での飲酒が感染拡大の主因のように取り上げられましたね。

國分 当社の売り上げのうち35%をお酒が占めており業務用事業者の方々とのつながりも強いため、営業の自粛要請が相次いだのは非常に厳しい状況でした。