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大石久和【多言数窮】

変化を喜び、変化を嫌う

おおいし・ひさかず/昭和20年4月2日生まれ、兵庫県出身。京都大学大学院工学研究科修士課程修了。45年建設省入省。平成11年道路局長、14年国土交通省技監、16年国土技術研究センター理事長、25年同センター・国土政策研究所長、令和元年7月より国土学総合研究所長。
おおいし・ひさかず/昭和20年4月2日生まれ、兵庫県出身。京都大学大学院工学研究科修士課程修了。45年建設省入省。平成11年道路局長、14年国土交通省技監、16年国土技術研究センター理事長、25年同センター・国土政策研究所長、令和元年7月より国土学総合研究所長。

多言なれば数々(しばしば)窮す (老子)
――人は、あまりしゃべり過ぎると、いろいろの行きづまりを生じて、困ったことになる。

 日本人は、紛争による大量死は経験しなかったが、自然災害や火災による多くの死と徹底的な破壊を何度も経験してきた。江戸時代の初めにも、江戸城の中心部にあった本丸が焼け落ちるほどの大火事が起こり、江戸の街は焼け尽くされてしまった。

 その後も、大火災によって江戸は何度も壊滅したし、東京になってからも大震災が街の風景を一変させた。これは、江戸や東京だけの話ではなく、全国の多くの地方や都市で火災と災害による大量死と大規模な破壊が繰り返されてきた。

 本コラムで示してきたように、このことが街の姿を一変させて平然としている日本人を生み、その反対に、火災も大災害もなく一度造り上げると人為以外に変化の生じない都市を持ったことで、街の景観を大切にする文化を持つヨーロッパ人が生まれた。

 新しくなることで霊力を増すとの考えが日本人に育って、伊勢神宮などの式年遷宮が生まれたし、何でも新発売と言えば、よく売れるという消費者性向も生まれ、些末な商品改良も繰り返されてきた。ここでは、ヨーロッパ人との比較で言えば、日本人は間違いなく「変化を好み、新しくなることを喜ぶ」民族なのである。

 ところが、これは「モノの世界」のことなのである。建築物や商品については、新しいものを大いに好むのだが、実に不思議なことだが、「仕組み・ルール・やり方」などについては、日本人は変化や変更を極端に嫌うのである。

 つまり、街の造りはドンドン変えるのに、「やり方・方法」については、頑固なまでに変えないのである。

 先の大戦は、ルーズベルトの陰謀があったにせよ、日本人の思考能力の限界を露呈した残念な戦略経験だったと言っていいが、戦術についても情けないような事例が山積している。そのいくつかの例を、『空気の研究』で有名な山本七平氏が心理学者の岸田秀氏と対談した『日本人と日本病』(文春学芸ライブラリー)から紹介したい。

 たとえば、「アメリカ軍は一つ失敗を犯すと、同じような失敗を二度と繰り返すことはほとんどない。次の時は、前の失敗を徹底的に研究して万全の策を講じてくる。」という。ところが、日本軍は何度失敗しても、同じやり方で戦闘し、敗北を続けたというのだ。また、「最後の頃の特攻機の命中率は五パーセント以下になった。それでも相変わらず、日本軍は特攻機攻撃をやめなかった。とにかく日本軍は、失敗に懲りず、失敗から教訓を引き出さず、同じ失敗をまた繰り返すのである。」との記載もある。

 アメリカは、特攻機の動きを分析し、システム的な分析によって艦船の展開や砲撃方法を工夫し、それが戦後のシステムズ・アナリシスの誕生につながったとも言われる。

 さらに、日本軍は臨機の軍団編成ができなかったとも紹介している。「ドイツ軍は、モスクワの前面からベルリンまで撤退してきても、再編成しながらなお戦闘を続け、ベルリン攻囲戦でソビエト軍に十万の損害を与えている。」ところが、「日本の方面軍の編成も師団の編成もぜんぶ勅命なんです。現地で応変に再編成できない。」と言うのだ。

 こう見てみると、先の戦争から学ぶものは多いが、今日なお何も学んでいないことが痛感されるのだ。先の大戦から明らかになったように、われわれの最大の思考欠陥は「仕組み・ルール・やり方・方法」を変えることができないということなのだ。「モノや形あるもの」を変えることに躊躇がなく、むしろ喜び、尊ぶというわれわれは、「方法」を変えることができないのである。

 デービッド・アトキンソン氏は、近著『日本人の勝算』のなかで次のように述べている。

 「誰かが『日本人の変わらない力は異常』と言っていましたが、まったく同感です。私はこれまで、金融業界、文化財業界、観光業界で、どんな小さいことでも反対の声ばかりが上がり、なかなか改革が進まないことを痛感してきました。これだけの危機に直面しても、自ら変わろうとしないのは、普通の人間の感覚では理解できません。異常以外の何者でもありません。」と言うのだが、これは日本人は底抜けのバカだと言っているに等しい指摘である。

 先般、テレビで京都の湯豆腐屋が紹介されていた。そこは創業350年にもなる老舗で、店の自慢は創業当時から同じ方法で豆腐を作っているというのである。しかし、これは自慢できることなのだろうか。350年もの間、豆腐製法について何の技術の進歩も取り入れず、新たな工夫も加えなかったと言っているのだ。

 われわれの「やり方・ルール」を変えることができない思考方法は、能では「世阿弥に戻れ」といい、茶では「利休に帰れ」というように、家元制度とともに「方法を変えないことを最善」とする文化と言ってもいい。世阿弥や利休を誰も超えないのかというのだ。

 水泳の潜水泳法もいつの間にか禁止泳法となってしまったし、柔道やバレーボールなどのルールも頻繁に変更されている。ルール変更は日本人いじめという人もいるが、西欧人は簡単にルールを変えるのだ。それは、こちらが「自然災害死史観」を持つのに対し、彼らの発想の原点に「紛争死史観」を持つからである。

 どういうことなのかというと、紛争・戦争で繰り返し大量死を経験し、「紛争死史観」を獲得した戦いの国では、「仕組み・ルール・やり方」を頻繁に変えていかないと、敵対する相手に読まれて裏をかかれるからである。西欧の彼らは、「街は変えないが、やり方は柔軟かつ頻繁に変えなければならない」のである。これが、紛争に次ぐ紛争の歴史のなかで育まれた思考法であり、きっちりと今の彼らの遺伝子にすり込まれているのだ。

 この違いは、最近の一例でいえばITの進歩に合わせて仕事の仕方を変え、大きく生産性を伸ばしたアメリカ企業と、自社流の仕事のやり方にITをねじ曲げて導入したために、IT化のメリットを生かせず、生産性を向上させることができなかった日本企業という違いを生んでしまった。こうして経済成長した国と、しなかった国とができたのだった。
(月刊『時評』2019年4月号掲載)