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大石久和【多言数窮】

拉致問題解決を後らせた日本人

おおいし・ひさかず/昭和20年4月2日生まれ、兵庫県出身。京都大学大学院工学研究科修士課程修了。45年建設省入省。平成11年道路局長、14年国土交通省技監、16年国土技術研究センター理事長、25年同センター・国土政策研究所長、令和元年7月より国土学総合研究所長。
おおいし・ひさかず/昭和20年4月2日生まれ、兵庫県出身。京都大学大学院工学研究科修士課程修了。45年建設省入省。平成11年道路局長、14年国土交通省技監、16年国土技術研究センター理事長、25年同センター・国土政策研究所長、令和元年7月より国土学総合研究所長。

多言なれば数々(しばしば)窮す (老子)
――人は、あまりしゃべり過ぎると、いろいろの行きづまりを生じて、困ったことになる。

 「歴史とは過去に積み重なって行くものである」と考えているユーラシア人とは異なり、「歴史とは大河のように流れ去って行くものである」と考えている日本人は、過去を大切にしないし過去から学ぼうともしない。また、鳩山由紀夫氏に代表されるように過去の自分の発言もすぐに忘れる。

 日本人最大の失敗であった先の大戦について国を挙げた総括を行っていないことがその典型だが、最近でもずさんというよりはデタラメな公文書の管理方法が問題となった。流れ去った過去だからと過去を大事にしない国に、過去を記録し過去を反省して将来への教訓とするという感覚はなじまないから、そのための組織も貧弱だ。多分、近い将来もまた中央省庁や企業などの「文書改ざん・文書破棄事件」が生じるのは確実だと予言する。

 先の公文書問題では、学者・政治家・メディアは口をそろえて厳しい指弾の声を上げたが、彼らも「過去の言動を問わない」世界に閉じこもっているから、偉そうなことなど言えるはずもなく、公文書問題事件とまったく同根の世界にいる。

 拉致事件を振り返ってみよう。北朝鮮による拉致事件が生じてから何十年という時間が経っているが、こんなに時間がたっても解決しないのは、一部の学者・政治家・メディアなどの日本人と北朝鮮との合作の事件だったからという印象がきわめて強い。

 作家の井沢元彦氏は、『学校では教えてくれない日本史の授業』(PHP文庫2015・4)のなかで、「朝日新聞社というのは日本のマスコミのなかでもっとも北朝鮮寄りの『親北派』です。そのことを端的に示す例を挙げれば、北朝鮮による日本人の拉致事件があります。日本の新聞社のなかで、この事件を最後まで認めなかったのが朝日新聞社でした。」と述べている。

 また、『『反日』という病』(幻冬舎)のなかで木佐芳男氏は、辛淑玉(シンスゴ)氏が「北が日本人女性を拉致したというのは嘘だと思う。工作員教育係なら在日同胞を使えばすむからだ」と述べたという朝日ジャーナル(1988年2月26日号)の記事を紹介している。

 辛光洙(シンガンス)は、1978年の地村保志さんとその妻の富貴恵さんや、1980年の原敕晁(ただあき)さんの拉致犯人で、1985年に韓国で逮捕されて日本人拉致を認め、日本人になりすまして工作活動を行っていたことを自白した人物である。

 驚くべきは、この辛光洙の釈放嘆願を日本の国会議員ら133名が1989年に韓国政府に提出したことである。このなかには、土井たか子、村山富市、菅直人、田英夫、青島幸男などが含まれていた。辛光洙が入っていたことを知らなかったという現職議員もいるが、誰の釈放嘆願かも知らずに署名するという無責任さをどう考えればいいのだろう。

 「みなさまのNHK」の吉田康彦元NHK国際報道部次長は、「北の核は人畜無害」だと述べた上で、「拉致問題の解決を前提にする限り、日朝国交正常化は永久に実現しない。拉致問題は棚上げにして『過去の清算』と取り組むべきである」と語っていた。*

 岩波書店の雑誌「世界」もNHKに負けてはいない。岡田厚編集長は、2001年1月号で「日本は自らが提起した『日本人拉致疑惑』に自ら縛られ、交渉の自由を失っていると思える」*と書き、野田峰雄氏は「世界」3月号で、「事件現場に立つ、すると『北朝鮮による拉致』を示す証拠がないことをまざまざと思い知らされる」と書いた。*

 「世界」の岡田厚編集長は、2002年の北朝鮮大使へのインタビューで、「拉致といいましても私たちはそれを認めていません」との相手の発言を垂れ流していた。*

 1985年に辛光洙が日本人拉致を認め、1988年に梶山静六国家公安委員長が参議院の予算委員会で「おそらくは北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚でございます」と答弁した後のこれらの発言や報道なのだ。驚愕の妄言・妄動ぶりである。

 社民党のHPには、「拉致は新しく創作された事件というほかない。元工作員が本当に存在するのかどうかさえ極めて怪しい」との記述が2002年まで掲載されていた。*

 デタラメな発言は数知れない。今も国会議員をやっている辻元清美氏は、「日本はかつて朝鮮半島を植民地にして、言葉まで奪ったことに対して補償も何もしていないのだから(筆者注:戦後補償は)当たり前の話です。そのことをセットせずに『9人、10人返せ』とばかり言ってもフェアじゃない」と、2001年に公言していた。*

 河野洋平氏は「自分の責任でコメを(北朝鮮に)送らせてほしい。送れば北は心を開く」*といったと言うが、何というお花畑主義なのだろうと感心する。

 外務省も果敢に発言した。阿南惟茂外務省アジア局長は、辛光洙の証言を受けて「韓国の裁判で証言があるといったって、韓国に捕まった工作員だから彼らは何を言うかわからない」と述べたことが産経新聞1997年10月30日に掲載された。*

 槙田邦彦アジア局長(阿南の後任)は、1999年12月の 自民党外交部会で「たった10人のことで日朝国交正常化交渉が止まってもいいのか。拉致にこだわり国交正常化がうまくいかないのは国益に反する」と言った。*一体、どの国の外務省なのだろう。日本の外務省は慰安婦問題でも、国際世論に訴える努力をほとんど何もしなかったのではないか。

 横田めぐみさんのご両親たち拉致被害者親族の戦いの歴史は、こうした「日本人との戦い」だったのだと、あらためて痛感させられる。仲間であるはずの同胞からのこうした端から拉致を認めようとしないし、解決しようともしない心ない発言に、何度も心が折れそうになったことだろうと心労察するにあまりあるものがある。

 石川文洋朝日新聞カメラマンは、「北朝鮮では衣食住、教育などはほぼ無料に近く、冷蔵庫やテレビなど生活の基本となるものは完全に保証されている」と言ったという。*石川氏は、どこの誰がこうした費用を負担していると考えていたのだろう。

 経緯をふり返るとわかるが、拉致事件の解決を長引かせてきたのは、事実の追求という姿勢がまったくないまま、デタラメを垂れ流してきた日本人だったのだ。

 *は、『拉致の海流』山際澄夫著(扶桑社2004年)からの引用である。
(月刊『時評』2019年5月号掲載)