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大石久和【多言数窮】

驚きと事実認識の欠如

おおいし・ひさかず/昭和20年4月2日生まれ、兵庫県出身。京都大学大学院工学研究科修士課程修了。45年建設省入省。平成11年道路局長、14年国土交通省技監、16年国土技術研究センター理事長、25年同センター・国土政策研究所長、令和元年7月より国土学総合研究所長。
おおいし・ひさかず/昭和20年4月2日生まれ、兵庫県出身。京都大学大学院工学研究科修士課程修了。45年建設省入省。平成11年道路局長、14年国土交通省技監、16年国土技術研究センター理事長、25年同センター・国土政策研究所長、令和元年7月より国土学総合研究所長。

多言なれば数々(しばしば)窮す (老子)
――人は、あまりしゃべり過ぎると、いろいろの行きづまりを生じて、困ったことになる。

 この国では、いつの頃からか事実や実態を踏まえた議論が消え去り、観念論的で評論家的な解説ばかりが跋扈するようになってしまった。そして、この国から「驚き」が消え、驚きがもたらす危機からの復元力がほとんど完全に喪失してしまった。
 
 たとえば、国民の世帯所得は1995年頃から今日までに世帯平均で100万円も減少しているが、経済学者たちはこの回復法や、これへの処方箋を何一つ提案できていない。デフレが続いているのに、相も変わらず「消費増税と歳出削減」なるデフレ促進策を主張し続け、吉川洋氏などは三橋貴明氏から「財政破綻詐欺師」とまで言われる始末なのだ。
 
 「日本国民はこれほどまで貧困化したのか」という驚きが、学界にも政界にも経済界にも皆無なのだ。メディアもこうした感性をとうの昔に喪失してしまっており、当局からの発表についての解説を垂れ流している。国民を豊かにするために、経済(=経世済民)という学問があり、政治があり産業活動があるのではなかったのか。なぜ国民の貧困化の事実の前に驚かないのか。驚く力もなくしたのか。
 
 「驚き」は学問の出発点でもあるし、子供の成長力の原点である。「なぜこんなことが起こるのだろう」「なぜこんなことになっているのだろう」と驚きを持って引っかかり、こだわるところからすべてが始まる。驚きの喪失は、思考の喪失なのだ。
 
 なぜ日本人はこんなに貧困化したのだろう」との驚きがなければ、貧困化からの脱出などできるわけがない。ここから主流派経済学のトンデモ級の間違いと、財政運営の大失敗が抽出されるのだが、その出発点の驚きを欠いているから何も始まらない。
 
 これも妙な言い方だが、「驚き」は能力なのである。驚くことができるというのは、才能の一種なのである。NHKの「チコちゃんに叱られる」ではないが、ボーと生きていたのでは驚きへの気付きもなく、驚きをチャンスに才能発揮することができないのだ。
 
 驚きが改善への意欲を生み、努力の原点となる。つまり、驚きをなくした民族に将来はないのである。ここで、UN,National Accounts Main AggregateDatabase(2018・12)の1995年から2017年までの22年間の名目GDP成長率を見てみよう。
 
 この22年間にほとんどの国は経済成長して中国などは1500%を越えており、世界平均は158%の成長となっている。世界中の国が成長しているなかで、成長がマイナスの国が2カ国ある。それは内戦に明け暮れるリビアと、何ということか日本なのである。
 
 為替レートの変化は念頭に置く必要があるとしても、トンデモ級の驚きなのだ。この間、ずっとデフレであったから実質成長率では、物価下落分若干成長したように見えるのだが、税収連動は名目値なのであるから、デフレ下では名目を見なければならない。
 
 この事実に対して、消費増税や歳出削減策の誤りを驚きを持って見ることができないようであれば、われわれ日本人は沈没船から脱出することなど不可能だ。この国連のDatabase は、わが国の長年にわたる財政・経済政策の失敗を端的に示しているからである。
 
 更に、驚きの欠如以上に大問題なのが、事実に基づいた議論があまりに少ないことである。はっきり言えば、ウソがまかり通っている実態がある。ウソからは、正しい政策仮説も何も生まれる訳などないのは当然のことだった。
 
 郵政民営化の際の竹中平蔵氏の主張をたどってみよう。氏は郵政民営化のメリットとして次のように説明していた。

①350兆円という厖大な簡保などの資金が「官」のお金から「民」のお金になる。
 
 しかし、これは郵貯や簡保を運営する主体が、民営化によって単純に「民」になること以上の意味はない話なのだ。逆に最近では、「民」になった簡保の不祥事が生じている。

②全国津々浦々の郵便窓口がもっと便利になること。
 
 これも民なら便利になるかもしれないと言う民営化に引っかけた幻想を述べたに過ぎないものだ。竹中氏から利便性向上の具体内容が示されてはいない。

③公務員を3割削減して、小さな政府を実現すること。
 
 もともと郵政に従事していた公務員の給与は、一般の歳費が充当されていたわけではなく、独立の郵政特別会計だったのだ。民営化によって見かけ上、郵政公務員が民間人になったというだけで、政府の大きさの議論にはまったくつながらない主張だったのだ。

④ 「見えない国民負担」が最小化すること。
 
 これも、何を指して述べているのか、ほとんど意味不明の主張だった。
 
 今のわが国で「最も大きいウソ」は、財政破綻論だろう。MMT(現代貨幣理論)を持ち出すまでもなく、日本の財務省は、2002年に海外の格付け機関が日本国債を不当に低く格付けしたとして反論した。
 
 この時財務省は、「自国通貨建ての国債のデフォルトは考えられない。デフォルトとしていかなる事態を想定しているのか」との反論書を送ったのだ。
 
 財政当局自身が、日本国債のデフォルトはないと断言しているにもかかわらず、主流派経済学者たちは一貫して完全なウソであるデフォルト音頭を歌い続けてきた。
 
 こうして財政破綻の恐怖をあおることで、国民を萎縮させて新しい挑戦を躊躇させ、社員から仕事への熱意を奪って、日本をスポイルしていったのだった。
 
 増税と歳出削減の財政運営では、デフレからは絶対に脱却できない。デフレから脱却できなければ、労働者の賃金が上がるはずがないのである。
 
 財政制度等審議会は令和の財政再建などとほとんど意味不明なことを言っているが、この国がやらなければならないことは、財政再建から経済再建に舵を切ることなのだ。
 
 小さな政府を指向し、民営化、自由化、規制緩和に走ってきた日本の新自由主義経済学は終焉の時を迎えた。なぜなら、デフレと増税で国民は貧困化して経済は成長しなかったため総税収はまったく伸びず、日本の世界的な経済地位は急降下していったからである。

(月刊『時評』2019年8月号掲載)