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大石久和【多言数窮】

日本民主主義の危機

おおいし・ひさかず/昭和20年4月2日生まれ、兵庫県出身。京都大学大学院工学研究科修士課程修了。45年建設省入省。平成11年道路局長、14年国土交通省技監、16年国土技術研究センター理事長、25年同センター・国土政策研究所長、令和元年7月より国土学総合研究所長。
おおいし・ひさかず/昭和20年4月2日生まれ、兵庫県出身。京都大学大学院工学研究科修士課程修了。45年建設省入省。平成11年道路局長、14年国土交通省技監、16年国土技術研究センター理事長、25年同センター・国土政策研究所長、令和元年7月より国土学総合研究所長。

多言なれば数々(しばしば)窮す(老子)

――人は、あまりしゃべり過ぎると、いろいろの行きづまりを生じて、困ったことになる。

 中央公論の2023年11月号に経済学者の井上智洋氏が「ジャニーズ問題で問われるマスメディアのあり方」を論じて、「過ちの背景にあるのはマスメディアの『権力者への横並び的忖度』であり、太平洋戦争という必敗の戦争を日本が始めたのも、こうした忖度が影響している」と述べている。

 そのマスメディアを無批判的に受け入れてきた国民性にも問題があると論じている。

 井上氏は必敗の戦争と記しているが、確かに「GDPに5倍以上の差があり、自動車生産能力が100倍もある国」と真っ向勝負を挑んでも、万に一つも勝つ見込みなどありはしない。

 日本が普通選挙を採用したのは西欧諸国にそんなに遅れていない1925年だった。戦前も国民が政策に反対して意思を表明する機会はあった民主主義国家だったし、現に明治以降も酷な政策には民衆は暴動などで意思表示してきた歴史がある。例えば明治6年に土地税制の抜本的な改革となる地租の導入がなされたが、この重税に反対して各地で騒動が起こったのだ。これ以外にも、米騒動などで民衆は反対や不満の意思を鮮明にしてきたのである。

 ところが絶対に勝てるはずがなく、何万人もが死んでいくかもしれない戦争に突入しようとしているのに、信じがたいことに、この国では規模の大小を問わず反戦運動が起こっていない。いくら新聞が「鬼畜米英」と煽ったにせよ、敗北確実の対米戦争に反対運動がほとんど皆無だったことは、「世界史の不思議」にカウントすべきほどの奇妙さなのだ。

 ところが、日本の「世界史の不思議」はこの大戦限りではないのである。それが1995年の財政危機宣言以降の緊縮財政に邁進してきた今日なのだ。これが亡国の政策であったことは多くの証明事例があるが、最もわかりやすい例を示すと、1995年の日本人の世帯所得は約660万円であったのに対し、緊縮財政のためにデフレから脱却できなかったことから2020年には世帯所得が約564万円になり、この30年でほぼ100万円も貧困化したのである。憲法前文の規定から見ても、国民を豊かにできない政治は断じてまともな政治ではない。

 日本の名目GDPもこの間に世界の約18%を占めていたものが、直近では5%程度に低下して、2023年のGDP規模は人口8600万人のドイツの後塵を拝する有様なのだ。

 これらの事象は、国民がにわかに怠慢になったとか、無能になったといったことがなければ、政策の失敗であったと総括する以外に解釈できない。にもかかわらず、政治は国民貧困化の原因である緊縮財政を未だに掲げてさらなる歳出削減に励む一方、消費税増税や各種保険料の引き上げにばかり精を出している有様だ。

 問題なのは必敗の対米戦争に異議を唱えなかった国民は、今回も亡国の財政再建至上主義に全くといっていいほどに無批判で無抵抗でいることなのだ。なぜ、このような世界の恥さらし的な自国の転落にわれわれ日本人は無関心で無抵抗なのか。なぜ、このような無能な政治家の跋扈を許すのか。いくつもの要因が重なっていると考える。

 それは、①マスメディアの財務省への横並び的忖度としての財務省広報誌化と、②コロナ騒動でも明白となった世界の人びととは極端に異なるといえるわれわれ日本人の同調主義、③歴史の違いから来る西欧人とは比較にならないほどの日本人内部の「公意識」の低さ、そして付け加えなければならないのは、④人格や能力を欠いた人たちが選出されてしまう政治制度や選挙制度、最後になるが⑤われわれ日本人主権者が持たなければならない政治と生活の距離感覚の喪失、これらが群となって日本を破壊してきたと考える。従って貧困化の責任はもちろん政治家にあるが、相当部分を国民自らが負わなければならないことになる。

 同調主義や協調主義のわれわれが「異なる意見を持つ者の存在を尊重する」という民主主義の根幹中の根幹が理解できておらず、異を消しきって私的世界に閉じこもり公的世界への責任感を欠いているのなら、この国に民主主義は存在し得ない。

 新聞通信調査会は2023年10月14日に、「マスメディアに関する全国世論調査結果の概要」をとりまとめて公表した。それによると、メディアに対する国民の信頼度(%)は、NHKテレビ67.0、新聞66.5、民放61.8だったというのだ。

 ジャニーズへの忖度や貧困化への誘導を見ても、これだけの信頼をマスメディアに寄せていることは主権者責任の放棄なのだ。もうわれわれもこれを契機に反省しなければならない。

 World Values Survey〈世界価値観調査〉(2021)によると、世界の「新聞雑誌に対する信頼度」は、アメリカ、フランス30%、イギリス15%であったのに対し、この調査では日本はなんと70%だったというのである。世界の中で日本だけが群抜きの信頼度の高さなのだ。

 この調査でも明らかなように現在でもわれわれは、メディアによる必敗の戦争への道への扇動を無批判に受け入れ、この国を対米戦争に邁進させたあのときと同様に、メディアが報道する「財政再建至上主義」を無批判で受け入れていることがわかる。

 この11月の補正予算案に対して、すべての主要紙は「借金の積み増し」だと一斉に批判している。国債を「いわゆる国の借金」だと意味不明の解説をして国民の理解を誤らせている。少し考えても、対外関係を議論するならともかく「政府」はあっても「国」という経済主体は存在しない。おまけに国債を借金と認識して償還をしているのは世界では唯一日本だけなのである。この重要事実もほとんどの国民は知らされないから知らないでいるのだ。

 コロナ対策のために1年に100兆円もの国債を発行したりしたが、民間から現金が消えたりすることはなく、その逆に2022年の企業(金融保険除き)の内部留保は約555兆円に達し、これは対前年比7.4%増で11年連続過去最高だというのである。また、個人金融資産も2043兆円にも増加した。まさに「国債は、銀行保有による信用創造を通じて預金が増加する」と日銀の副総裁が国会で答弁した通りの現象が生まれているのだ。

 1995年以降、世界的にも歴史的にも例を見ない長さでデフレが続き、経済が成長しないために国民の貧困化が止まらず、憲法に規定する福利を享受できないのに国民の反応がほとんどないのだ。この国が西欧のような民主主義国家と言えるのか、大いに疑問なのだ。

(月刊『時評』2024年1月号掲載)