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俵孝太郎「一戦後人の発想」【第108回】

〝情報化社会〟下の〝武漢ウイルス〟 信用できる話・ できない議論

 約1世紀前の〝スペイン風邪〟流行時も発生源・経路は判明せず、視野の捉え方次第で期間や死者数もかなりの違いが生じている。現代においても、一つの方向に情報の流れが集中すれば視野狭窄となり同調圧力を生みやすい。テレビで大合唱する政権批判や総バラ撒きへの迎合はその典型と言える。

「原発地は全く不明なり」

 共産中国起源の〝武漢ウイルス〟に世界中が引っ掻き回された1年が過ぎたが、新しい年が心機一転、一陽来復となる期待は、到底持てない。この疫病がいつ、どういう経路で日本に持ち込まれたのかも判然としていないし、いつになれば収束するのかも、皆目わからない。どうやら流行の波が去ったようだ、と思っていても、いつ次の波が襲ってこないとも限らない。そうした繰り返しの果てに流行収束がやってくるのだろうが、それはあくまで結末を見てからの話だ。

 ほぼ1世紀前に世界を震撼させた〝スペイン風邪〟も、実はいまだに発生源も日本への感染経路も明らかではない。日本で基本史料とされるのは、内務省衛生局編『流行性感冒「スペイン風邪」大流行の記録』(1922=大正11年刊 現在は平凡社が東洋文庫778として翻刻している)だが、ここでは「今回の〝インフルエンザ・パンデミー〟 は其の源を何処に発せしや全く不明にして且つその伝播の経路も不明に属す」とし、「西欧の流行に後るること三、四箇月、大正七年八月下旬より九月上旬に至り初めて蔓延の兆を呈し忽ち急激なる勢を以て全国に蔓延し、爾来大正十年七月に至るまで三回の流行を反復せり」と、「海外よりの侵入経路に関しては大正七年五月上旬南洋方面より横須賀に帰還したる一軍艦二百五十名の同病患者を発し」と述べて、艦船による海外からの持ち込みが疑われる例を軍民それぞれ複数あげたあと、「之を以て直ちに本病の初発なりと断じ難き理由あり」と続け、「大正七年春に一部地方で見られた〝インフルエンザ〟様疾患」を初発とする説なども紹介している。

 さらに、「殆ど秩序ある系統を示さざるを以、海外よりの侵入経路並に其の内地に於ける源発地は全く不明なりと云ふの外なし」と、結局のところ、どこからどう持ち込まれたかは皆目見当がつかない、として「各府県に於て調査したる流行期間患者死者総数を各流行期別に比較すれば」と一覧表を添えている。

 その表を読み下しの文章に直すと、

 ▽第1回 流行期・大正7(1918)年8月から同8(1919)年7月、患者・2116万8398、死者・25万7363、患者対死者の比率は1・22%。

 ▽第2回 流行期・大正8(1919)年10月から同9年(1920)7月、患者・241万2097、死者・12万7666、患者対死者の比率は5・21%。

 ▽第3回 流行期・大正9(1920)年8月から同10(1921)年7月、患者・22万4178、死者・3698人、患者対死者の比率は1・62%、

 で、3回合計で流行期間が満3年。患者2380万4673、死者38万8737、患者対死者の比率は通算1・63%になる。

二つの記録に現れた違い

 一方、2020年9月刊の磯田道史著『感染症の日本史』(文春新書)は、発生源・感染経路・感染者数・死者数では深入りを避けたが、流行期は学生時代からの恩師で前掲の内務省衛生局編の『記録』と並ぶ〝スペイン風邪〟の基本文献と定評がある『日本を襲ったスペイン・インフルエンザ 人類とウイルスの第一次世界戦争』(藤原書店)の著者、慶應義塾大学名誉教授で歴史人口学の泰斗・早水融の、晩年の雑誌論文を紹介し、

 〈「スペイン・インフルエンザ」は日本に三回やってきた。

 第一波は大正7(1918)年5月から7月で、高熱で寝込む者はいたが、死者を出すには至らなかった。これを「春の先触れ」と呼んでいる。

 第二波は大正7(1918)年10月から翌年5月ごろまでで、26・6万人の死亡者を出した。これを「前流行」と呼んでいる。大正7年11月は最も猛威を振い、学校の休校、交通・通信に障害が出た。死者は、翌年1月に集中し、火葬場が大混雑になるほどであった。

 第三波[後流行]は大正8(1919)年12月から翌年5月ごろまでで、死者は18・7万人である。

 [前流行]では死亡率は相対的に低かったが、多数の罹患者が出たので、死亡数は多かった。[後流行]では、罹患者は少なかったが、その五パーセントが死亡した〉

 としている。(「『スペイン・インフルエンザからなにを学ぶか」『機』2006年2月号所載の早水の文章を引用した磯田の前掲書から表記もそのまま再引用した)。

 早水説と内務省衛生局の『記録』の二つを比較すると、流行期間は内務省が満3年、早水が満2年で、まる1年も違う。ところが死者数は、流行期間を長く見た内務省が39万人弱、短くとる早水は45万3000人で、第1波でも多少は出たと思われる死者を見込むと、こちらが2割ほど多くなる勘定だ。

事実認定の精度はどちらも薄弱

 この違いはなぜ生じたのか。前にも本稿で紹介した石弘之著『感染症の世界史』(2018年 角川ソフィア文庫)は、内務省の数字には「一部府県のデータの欠落が」あると指摘する一方で、早水の研究は当時の新聞記事などから資料を丹念に拾っただけでなく、「(悪疫の)流行時に死亡率が平均より高くなる〝超過死亡〟を計算して、死亡数は四五万人にのぼるとしている」とする。

 磯田も「早水先生が必死で集めた当時の新聞記事」という表現で早水の示した数字の背景に触れているが、過去の公的記録を当時の新聞記事、現地の役場などに残る記録、流行地の役場の吏員・医療従事者・元患者とその家族などの〝古老〟や民間の郷土史家などからの聞き取り、といったフィールド・ワークを重ねて検証し、史料批判をする手法は〝公認史観〟に異を唱える左翼史家が提唱して、敗戦後の一時期に広く行われていた。

 その背後には〝官〟の公式統計より〝民〟の〝埋もれた真実〟の発掘を重んずるイデオロギー的な歴史観があったが、この手法は結果として、往時の新聞の社会面記事の水準を反映した虚報や誇張、長い歳月の言い伝えの中で生じた誤伝、古い記憶に染みついた〝実感〟に由来する誇大表現、などの作用で〝意図せざる歪曲〟を生み、迫真の〝物語〟としては意義深いが、史料としての信用性には疑問が残るとして、いまでは影が薄れている。尤も内務省衛生局の『記録』も、流行が問題になり始めた時期から終息したとする1921年7月の直後までに、各道府県が内務省に上げた報告を基礎に編纂して、翌22年に刊行しているのだから、単純な〝欠落〟だけでなく、〝余波〟で生じた患者数や死者数を切り捨てた分も、ある程度あっただろう。

 事実認定の精度には、どっちもどっち、の観もあるが、それにしてもこの二つの数字の違いは大きい。その差はなぜ生じたのか。

視野の国内・世界の差?

 内務省の『記録』は、職掌柄当然ながら、日本国内だけが視野の中にある。100年前の日本は、市町村という基礎自治体の規模は極めて小さく、逆にいえばその数はいまより遥かに多く、地域住民に目配りが効く行政の網の目は至って細かかった。左翼史観では、網目の細かさはもっぱら警察による民衆の動向監視のためだ、という理解になるが、必ずしもそれだけではない。当時まだ発展途上の日本だが、すでに地方の村落でも欧米の平均を超える高い公衆衛生水準を実現していた。

 とはいえ内務省に上がってくる数字は、末端でソロバンで集計し罫紙に筆写して、郡役場・道府県を〝各駅停車〟してきたはずだから、転記ミスもありえたろう。診断基準も必ずしも一様ではなかったと思われるし、誤診も、風評・外聞を恐れて地域の有力者・住民と役場がグルになった意図的な感染隠しもなかったとはいえまい。そのうえでの数字だ。

 早水説は、〝スペイン風邪〟と今回の〝武漢ウイルス〟の中間点の時期にあたる戦後の所産だが、当時の世界はジェット旅客機や衛星を使った通信技術が発展したいまほど〝小さく〟なってはいないとしても、また〝情報化〟がいまほどは徹底していなかったとしても、日本国内の流行を対象とする研究であっても視野の中に世界が入っていたことは、間違いないだろう。早水が渉猟した往年の新聞記事には、時代を反映して不正確で断片的なものが入っていたとしても、世界全体の流行状況を伝える記載もあったはずだ。日本と世界の感染動向のズレを意識しつつ、腐心して資料を集め、観察と考慮を重ねて纏めた結論が、流行期間の1年の違いと死者数のほぼ2割増で〝学説化〟したのではないか。

 今回の〝武漢ウイルス〟について、日本ではメディア主導で2020年の春の第1波、夏の第2波として、晩秋から冬にかけての感染流行を第3波とするのが一般的だが、秋から冬の〝波〟を欧米や韓国は第2波としているようだ。本家本元の中国に至っては、世界に先駆けた春先の第1波以降、〝波〟というに足る感染流行はないことになっている。ホントかね、という思いは避け難いが、そうしたそれぞれの国の主観的な呼び方に対して、後に世界の学界が、そもそもの発生源から及ぶ限り流行実態を検証したうえで〝波〟に関する統一見解を出すことになるのだろう。

統計資料と、学説との違い

 内務省の『記録』と早水・磯田の見解に見られる数字の開きに戻って、実のところ、そうした齟齬を生むのは、一国中心のものの捉え方と、世界を見渡したうえでの見方との違いなのではないか、という感じもする。あるいはそれが、行政組織が集めた統計資料と、一定の史観に立って根拠を検証して編み出した、学説との違いなのか、とも思う。

 数字の信頼性といっても、なにせ人間の世の中なのだから、たかが100年やそこらでは、当然ながら変わりようのない部分もあるだろう。もちろん大きく変わった面もあるはずだ。早い話が、急性の呼吸器感染症の死者が出れば、100年前には季節性インフルエンザや細菌性肺炎を疑って調べる手間をかけずに、死亡診断書に死因は呼吸不全、それを引き起こした第1原因は〝スペイン風邪〟と書き、そのまま役場に届けることが多かったのではないか。いまも〝武漢コロナ〟陽性の死亡者は、他の疾患を確かめるまでもなく、〝新型コロナによる死亡〟と診断・届け出られ、統計処理の対象になる例もあるだろう。

 公衆衛生の網の目にかかれば当然のこととして公的統計にカウントされるが、私費で民間医療機関のPCR検査を受けたり、まして市販され始めた簡易検査キットを使って自分で調べて陽性と出た場合に、無症状・治療不要の若者や勤労世代は、往々にして保健所に届け出ず、ウイルスを抱えて仕事や遊びで歩き回り、追跡不能の感染源になるケースがあるという。100年前の風評・外聞を惧れた地主・住民・役場、村ぐるみの〝スペイン風邪〟隠しとは異質の、現代風ルール違反だ。

一方向への情報に世界が集中

 2020年の初春・秋の日本の季節性インフルエンザ患者発生数は、例年の0・1%と異様に少なかったという。〝スペイン風邪〟に関する早水の見立てとは正反対に、昨年の日本は、欧米とは桁違いに少ないにしても一定数のコロナによる死者が出たうえに、疫病流行に起因する不安心理や経済上の困難によると思われる自殺者が例年より多かったというにも拘わらず、総死亡数は減少した。

 その理由として、日本人は常日頃から衛生観念が高く、清潔を旨とする生活習慣が定着しているうえに、肉体的接触を伴う親愛表現の慣習がないことが、流行抑制に一定の効果を上げたという見方が定説化している。それとともに、〝武漢コロナ〟が隣の中国大陸の発生で、火元の武漢で大感染した次に、横浜に寄港したクルーズ船ダイヤモンド・プリンセスの乗客の集団感染という形で足元に火がつき、テレビの〝情報番組〟を中心に朝から晩まで、連日の騒ぎになった状況も大きく作用したに違いない。そこが〝武漢ウイルス〟の、まさに〝情報化時代〟の申し子のような新しい特性というほかない。

 現に世界各地の〝武漢コロナ〟の感染者数と死者数が、同じ数で世界中の新聞紙面に載り世界中のテレビで伝えられている。あれはアメリカのジョンズ・ホプキンス大学が毎日公表した数字をそのまま流しているのだが、当の大学は、数字は必ずしも政府の公式統計だけによるものではない、と説明する一方、個々の根拠は明らかにしていない。ひとつの〝はやり病〟の、およそ素性の明らかでない、根拠も確度も裏づけのない、疑えばきりがないといっても過言でない数字が、世界を股にかけてなんとなく通用し、世界70億人の耳目がこの一点に連日集中している。こういう状況には率直にいって不気味な感じもある。 

 一つの方向への情報の流れの集中には、視野狭窄を生みかねない面があるし、付和雷同を招いて〝同調圧力〟を高めることにもなりかねない。多くの情報が映像を伴って、なんの吟味も検討も、発生の時日や出所さえあやふやなまま、瞬時に世界中に伝わり、いま目前で起き
た事象のように、てんでばらばらに受け取られ、〝消費〟される。そしてたちまち新しい情報や〝絵〟に上書きされて、消え去る。しかも、考えれば〝情報〟は必ずしも中身が均一でない抽象的な数に止まっていたり、〝絵〟になりやすいうわべの格好だけで本質的な要素は避けて通っていたりする。こういう状況は健全な姿とは到底いえまい。

 日本はもともと大勢順応・同調性が高い心理的風土がある。そのうえ、常に他局の動向を含めてキョロキョロと瞬間視聴率の動きに目を配り、少しでも注目度が高いと思われる話題・論調があれば、猿真似でもなりふり構わず危機感を煽り立てる方向に集団暴走するテレビのワイドショーが、世間の空気を支配している。しかも世間に影響する部門を仕切るのが、往年のように経験を積んだジャーナリストではなく、テレビ局出入りの下請け制作プロダクションがシロウト感満載で捏ね上げたシロモノを、よくて局アナあがり、番組によっては売れないお笑いタレントの〝ニュース芸人〟だったりするから、始末が悪い。同じ疫病、同様な感染の流行に、それぞれの国がどう対応しているか、なまじ〝事実〟の断片が〝絵〟で伝わるから、そうした〝情報〟の〝切り口〟には細心の配慮が欠かせないのだが、視聴率本位だからインパクトの強い方向に流れる。結果として混乱が起きる。

ロック・ダウンをめぐる茶番

 その典型がロック・ダウン、都市封鎖をめぐる論議だろう。あれは本来は戒厳措置の一環だ。軍隊のある普通の国では侵略・内乱・反乱に対処する軍事法制の中にテロ・暴動・大災害・ゼネストに対応する戒厳条項があり、その一環に都市封鎖もある。帝国憲法下の日本にもそうした建て付けの法体系があった。

 しかしそれは、「諸国民の公正と信義に信依して、われらの安全と生存を保持」(憲法前文)しようとする敗戦後の日本では、改憲しなければできない。無知識・無教養のテレビの〝ニュース芸人〟は、普通の国の〝絵〟を見せて、外国の子供がもつ気の利いたオモチャを欲しがる子供のように、日本にもあれが必要だ、と騒ぐ。元防衛庁長官の小池東京都知事なんか、無茶は百も承知でテレビでいい顔をしてみせ、否定せざるをえない立場にある安倍首相(当時)を相手にロック・ダウンを唱えて人気を稼ぎ、初夏の再選がかかった選挙に利用しようと企み、奏功した。

 用済みになったあとは小池は知らん顔をしているが、再流行が激化した冬を迎えて、いつもは非常事態対応法制整備といえば治安立法だと、引っ繰り返って猛反対する左翼野党が、ひたひたと迫る総選挙を意識したのだろうが、非常事態宣言だ、都市封鎖だと、やるといえるわけのない菅(カンではない、スーことスガ)首相を責め立てる構えを見せているのは、笑止千万というほかない。

 秋から冬にかけて〝ニュース芸人〟や左翼野党の責め口はもっぱらGoToトラベル批判だが、全国民を対象に、社用出張から故郷の老親見舞いまでを、〝観光振興〟名目で一律税金で援助する奇怪な仕組みは、他国にもあるのだろうか。韓国に似たようなものがあるという話はどこかで見た気がするが、イート・イベント・商店街の総バラ撒き手法を含めて他国のそうした情報は、聞かない。

 事業支援・家賃補助・楽団や劇団への助成はあっても、利用者個人を対象とする割り引きを、貧富を問わず総バラ撒きをしているという〝情報〟が伝わってこないのは、そうした事実がないか、日本のテレビや新聞が怠慢で伝えないか、バラ撒き一辺倒の某党などが陰に陽に報道側に圧力をかけて取り上げないようにさせているかの、どれかだろう。

 こうした愚挙の走りがコロナ禍初期の1人一律10万円バラ撒き、国費12兆8800億のムダ遣いだが、あのゼニの不受領者が1%というのには呆れ返った。そこには無宿・路上生活・認知症の独居者などもいたはずだから、矜持を持って受領を拒否したのは1000人に1人いるかどうか、という感じだ。

 テレビの〝ニュース芸人〟が囃し立てる、貰え、貰え、の大合唱の中で、みんなで貰えば恥じゃない、という欲深老人が多かったとすれば、問題だ。中年や若い現役世代、まして青少年や幼児は、受け取ってなんの問題もない。これから働いて納税し、国債償還に当たるからだ。生活困窮者も当然受け取っていい。彼らを助けるのは平時でも国家の責務だからだ。しかし一定の年金を、自ら納付した課金に国費を上乗せして受け取って、なんとか平穏無事に暮らしている年寄りは、貰ったまま返済には係わらず近く死ぬのが必至だ。それなら貰うべきではないというのが、自力で生きた独立不羈の気概を持ち、恥を知る人間なら、当然の姿勢だ。筆者もその一員だ。

 諸外国のこの種の財政資金の個人向けの給付が、大金持ちや政治家も対象とする総バラ撒きかどうかの詳細な報道は、テレビはもちろん、新聞でも見かけない。見落としがないとはいわないが、90翁とはいえ、それなりに注意深く情報を追っているつもりの筆者の耳目に、こうした基礎的な情報が入ってこない〝情報化〟のあり方は、問題ではないか。

浅ましくする政策があまりに横行

 そうした姿の一例に、GoToトラベルに関する東大の調査がある。この調査は、GoToトラベル利用者のコロナ感染率は非利用者の1・6倍だったとし、その理由には

 1、GoToトラベル利用者のほうが感染リスクが高い

 2、感染リスクが高い行動をとりやすい人間だけが、もっぱらGoToトラベルを利用している

 の両論が考えられる、としている。

 筆者は2が正解と見るが2に関しては一部のテレビが触れただけで、ワイドショーの多くは1だけを伝えて政権批判のネタにした。〝紙〟で証拠が残る新聞では、滑稽にも偏向の定評がある某紙は、1だけとは言い切れないと観念したのか、完全スルーして全然触れず、自ら〝特落ち〟に甘んじた。

 日本人を浅ましくする〝政策〟が余りにも横行し過ぎる、と筆者は痛感している。その責任は安倍・菅政権が取らなければならないが、火元はたいてい公明党だ。10万円給付も、困窮者に限って30万円を給付するという自民党の岸田政調会長(当時)案には、それなりの正当性と説得力があった。それを、衆知のように公明党の山口代表が二階自民党幹事長と組んで潰した。高校3年生と浪人に限って2万円バラ撒くという公明党の新任政調会長の珍案は、さすがに世論のブーイングで撤回したが、こうした愚劣な〝政策〟は断じてこれ以上、積み重ねるべきではない。

 さもないと日本は一定の品位と尊厳を保つ国家として存立できなくなる。そうなれば祖先や大戦の英霊に対し申し訳が立つまい。

 (月刊『時評』2021年2月号掲載)