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俵孝太郎「一戦後人の発想」【第136回】

またやってる『朝日』の角度づけ記事 立民とグルの〝放送法〟騒ぎ 『朝日』は自民・安倍叩きの執念 高市に狙いを定めたケチつけ 立民は旧社会党的な万年野党体質 現役ヤクニンと組んだ工作か

『朝日新聞』の捏造と歪曲の歴史に、新たな章が加わったと言えよう。元高市総務相に関する放送法の内容に対する政治的介入計画疑惑である。『朝日』は運動体として定番のキャンペーンを行ったが、事態は尻切れし、むしろ立憲民主が窮地に立った。しかし当の『朝日』のみは平然とやり過ごしている。この独善性に付けるクスリはもはやない。

最低な捏造の典型例

 またやってる、というのが率直な印象だ。だれがやってるのか。『朝日新聞』だ。なにをやってるのか。〝角度つき記事〟連発だ。この表現には注釈を加える必要があるのかもしれない。新聞にとって、新聞記者にとって、職業倫理に反する最低の所業は、捏造記事の作成・配布だ。事実を意図的に歪曲して読者に間違った印象を与えようと企むのも、捏造と同一視されて仕方がない。

 戦後日本の新聞で、『朝日』ほど最低の捏造をした新聞はない。『朝日』ほど事実の意図的歪曲を常習的に重ねた新聞もない。

 前者の典型的な例には、敗戦間もない1950年に出現した〝伊藤律架空会見記〟がある。まだアメリカ軍の占領支配下にあった当時、スターリン・ソビエトの尻押しを受けた金日成統治下の北朝鮮軍が、北緯38度線に沿って設定されていた暫定国境線を6月25日に突如踏み越えて、韓国に侵攻した。当時35人の代議士を出していた日本共産党は、敗戦日本に進駐した直後に、日本政府が自分たちを長く閉じ込めていた牢獄から出してくれたアメリカ占領軍を〝解放軍〟と呼んだ姿勢を、米ソ冷戦が始まりかけていたソビエトのスターリンに咎められて、1月に〝国際批判〟を食らっていた。その背景もあってこのときは反米姿勢を強く打ち出し、それが祟って全国会議員・主要党幹部が占領軍指令で公職追放され、政治活動を禁止された。

 このとき志賀義雄・宮本顕治らの非主流派は、学生の一角などを基盤に国内で密かに活動を続けた。党を代表する書記長の徳田球一や野坂参三ら主流派は、密航船で共産中国に逃げた。徳田と同行していた側近の伊藤律と、阪神間の山中で深夜に単独会見したという、ウソ八百の架空会見記を書いた『朝日』の記者がいて、特ダネとして大々的に9月27日付紙面に掲載された。当然ながら犯行はたちまちバレ、書くほうも書くほうだが載せるほうも載せるほうだと、新聞界に限らず日本中が呆れたものだ。この捏造記事は縮刷版では白抜きにされて醜態を留めているが、その事情を知る人もいまは少ないだろう。

事実を意図的に歪曲した好例

 歪曲では東日本大震災に伴う大津波が引き起こした2011年の福島第一原子力発電所の原子炉事故に際して所長がとった対応に関する政府調査委員会の記述を、最低限の日本語の読解力があれば読み違えるはずのない読み方で、職員が所長の指示を待たず無規律に逃げ出したと歪曲し、それを〝告発〟する長文の誹謗中傷に等しい記事を載せた点が、まだ多くの読者の記憶に残っているだろう。

 これは『産経』を皮切りとしてほぼ1か月の間に他紙も全文を競って掲載し、政府も公表したために、歪曲が完全に露見した。

 ほぼ時期を同じくして、『朝日』が全社を挙げて看板キャンペーンとして長期にわたって盛大に続けてきた、朝鮮半島出身の〝従軍慰安婦〟報道について、捏造と歪曲を幾重にも重ねているとする批判が、報道界や世間で高まり、〝社会的事件〟に発展した。

 慰安婦問題については詳しく説明するまでもないだろうが、日本陸軍がシナ大陸で展開する戦線までついていった兵士相手の売春集団が、実際は公娼業者が募集・管理していたのに、軍が直接関与・運営し、朝鮮半島では誘拐もどきの行為までして若い女性を集めて戦地で就業させた、という事実無根の風説を尤もらしく報じ続けた、というものだ。

 そもそもは1970年代から、主に週刊誌を舞台に〝暴露もの〟中心に執筆活動してきたライターの著書が発端だが、それが世間やマスコミの一角で取り上げられると、ウソで固めた〝体験談〟を講演会などでぶって謝礼を稼ぐのがショーバイの詐話師が出現する。彼の、自分も〝慰安婦刈り集め〟にかかわった、という作り話の〝ザンゲ〟に、80年代初めに『朝日』の記者が引っ掛かり、架空の記事が大阪本社の紙面に掲載された。

 それに続き多くの『朝日』記者が、確認や裏取りなど一切抜きにして、追随記事を書きまくる。改めて詐話師に〝独自取材〟して企画記事を書く記者まで現れる。『朝日』ブランドの世間的な信用度も作用して〝ウソから出たマコト〟状態が30年近くも続いた。

 当然かもしれないが〝被害者〟側の韓国が便乗して対日政治問題化させる。国連でも途上国出身の無知な女性外交官が、人権問題を扱う委員会を舞台に、意図的に日本を誹謗攻撃する決議を押し通す。支局を長く朝日新聞社屋に置き続けたニューヨーク・タイムズを筆頭に、世界の有力紙も一切の裏付け取材をせず、『朝日』の記事を右から左に垂れ流し続ける。国内政治面でも、日本社会党中心の野党勢力や左翼系の〝学者・文化人〟が、自民党政権に対する攻撃材料に利用した。

独善性への相次ぐ指摘

 一方で秦郁彦・西岡力らを先駆けとする学者・研究者が、コツコツと事実を掘り起こし精緻に検証して、世間に流布されている風評を明確に否定した論稿を、『朝日』と紙面づくりで永く対決してきた産経新聞社発行のオピニオン誌『正論』などを舞台に発表し続ける。『産経』を筆頭にこうした見解を紹介する新聞・雑誌も増えて、秦らの論証の説得力が次第に世間に広く浸透していった。

 日ごろ『朝日』の偏向した報道姿勢への批判・反感が鬱積していたのも重なり、韓国側がこの問題で事実無根の対日攻撃を蒸し返したのを直接の引き金として、福島原発事故報告の歪曲事件との複合作用で、『朝日』批判の火の手があがり、たちまち広がる。久しく独善的で傲慢な姿勢で批判に対処してきた彼らも、今回だけは突っ張り通すわけにもいかなくなり、2014年10月に7人の委員による〝第三者委員会〟を設けて、過去に溯って関連記事の検証を始めた。

 おそらく朝日新聞社側が事務局として用意し提供した資料に、ざっと目を通した程度の安易な〝検証〟だったと思われるが、12月22日には早くも「朝日新聞の慰安婦報道を検証する第三者委員会」の、A4版100ページほどの本文に資料を添えたパソコン文書の報告書ができあがる。この文書「朝日新聞の慰安婦報道」には、多くの虚偽の〝事実〟を伝えた記事や、それに依拠した誤った判断による記述があったことは否定できない、として1982年9月から91年5月までの間に『朝日』が掲載した記事16本を示した。

 朝日新聞社はその16本を取り消したうえで「社告」で読者に謝罪。社長は引責辞任、編集幹部も処分した。報告までの所要期間の余りの短さ、取り消し記事の量の極端な少なさに照らしても、お手盛りの〝第三者〟によるお座なり文書、という批判は免れまいが、それでも7人の委員の中には、元外務官僚とか国際事情に通じた学者とか、名実ともに第三者的な存在もいた。彼らが報告書に付け加えた個別意見には、

 朝日新聞の社員は「〝物事の価値と意味は自分が決める〟という思いが強すぎないか。ほかにも〝角度〟をつけ過ぎて事実を正確に伝えない多くの記事がある」「新聞社は運動体ではない」(岡本行夫委員)

「(第一に、よく読めば怪しいことが分かることに関して)ありえない初歩的な誤りを犯し、しかもそれを長く訂正しない」「(第二に)キャンペーン体質の過剰である。おごりと独善が(中略)感じられる」「第三に指摘したいのは、物事をもっぱら政府対人民の図式で考える傾向である」。第四に「過剰な正義の追求」、「第五に現実的な解決策の提示の欠除」と続き、「第六は論点のすりかえである」として、典型的な例として「安倍内閣の安全保障政策についても、世界中で戦争ができるようにする、という趣旨のレッテルが張られている」が(中略)これは「議論の仕方としても不適切で」「国論を分裂させ、中道でコンセンサスができることを阻む結果に」なっている(いずれも北岡伸一委員)

 と、痛烈に『朝日』の体質を真正面から衝いた的確な意見も掲載されている。

第三者委員指摘の意義はどこへ

 しかしこうした〝直言〟は「報告書」本文にはない。単なる委員個人の私的意見で、報告書に載せるまでもないがこんなことをいった委員もいたよ、といった軽い扱いで、A4版資料込み160ページ余のパソコン文書を最後まで精読すればともかく、本文を主体にざっと目を通した程度では、気づかないに違いない。当時『朝日』が一応反省した風情で紙面に掲載した「報告書」の紹介記事でも、これらの論点は触れられなかったはずだ。

 そもそもこの「報告書」は、申し込み者に対して朝日新聞社から直接ザラ紙・仮綴じの文書を送付する形で公開された。筆者もこの手続きで入手したが、正式な書籍として広く公刊・販売された記憶は、寡聞にしてない。ということであるなら、これは朝日新聞社が世間の批判に抗しきれず、やむなく出した屈辱的文書であって、社員としてはなるべく早く忘れ去りたいし、世間にも忘れさせたい、と思っていただろう、と察するのが当然だ。発表から10年近くたったいまとなっては、そんな報告文書が存在した事実自体、執念深い『朝日』ウオッチャーはいざ知らず、『朝日』の記者などは完全に忘れ去って、なんの教訓も過去の汚辱の記録から得ておらず、岡本・北岡委員が指摘した彼らの〝悪しき伝統的体質〟を、持ち続けているに違いない。

 早い話が『朝日』は安倍晋三元首相に対して、すでに銃撃・暗殺されて1年以上もたっているのに、いまだに執念深くあらゆる機会に紙面を挙げて〝ストーカー的攻撃〟を続けている。原子力発電への全紙面を使った〝運動体〟としての〝過剰キャンペーン〟も募る一方だ。これでは「報告書」に一応は記載を残している良識派第三者委員の指摘など、完全に無視した姿勢というほかないが、その例は他にも列挙すれば際限がないほど出現し続けている。その新顔に〝テレビの放送内容に対する政治介入計画疑惑〟なるものがある。

当初から「運動体」の臭気

 8年ほど昔の安倍再登場政権下の高市早苗総務相と、総理官邸に在勤する首相補佐官の一人が、放送行政を所管する総務省の職員に対して、某民放テレビの特定番組名を挙げて余りに政治的偏向がひどいので規制することはできないか、と話したとする文書が総務省に保存されており、その内容に沿った高市大臣の国会答弁がある、と立憲民主党の小西洋之参院議員が、3月2日にわざわざ記者会見を開き、翌日の予算委員会の質疑で取り上げると表明した。

 この会見を、他紙は質疑の実行段階で報じればいいという判断からだろうが、ほぼ黙殺した。しかし『朝日』は3日付紙面の1面に本記、3面に長文の解説記事を並べて、予告編で大々的に報じた。当日の質疑でも、当事者で現在は岸田内閣の経済安全保障担当相である高市が、小西議員が突き付けた文書の一部に関して〝捏造〟と断じ、事実なら閣僚はおろか国会議員も辞職していい、と強く反論したこともあり4日付紙面で大きく扱った。しかし当初の記事を一見したときから、筆者は、この〝疑惑〟報道こそ〝疑惑〟だらけだ、と感じていた。『朝日』が「運動体」として「過剰なキャンペーン」を張るときに必ず漂う「おごりと独善」の臭気が、この紙面には極めて強く立ち込めていたからだ。 

 例の〝伊藤律架空会見記〟いらいの常套手段だが、『朝日』の捏造ないしは歪曲的〝特ダネ〟に共通点があるのは、甲羅を経た新聞記者には衆知の話だ。まず〝予告編〟つまりデスクはじめ編集幹部の注意を引いて〝真打ち〟が必ず目立った扱いを受けるよう、社内向けに布石を打つ前触れ記事が登場する。もちろん社内だけでなく、読者の耳目もあらかじめ引き付けておく狙いもあるわけだが、伊藤律架空会見の場合は〝日共潜行幹部・神戸付近に出没の噂〟という公安情報を騙ったベタ記事が先行していた。

定番の図式と尻切れの末路

 キャンペーンや意図的歪曲にも、毎度例外なく異様に力を込めた前触れ記事があり、続けて国会の〝爆弾質問〟や役所・企業などの〝秘匿されていた文書発見〟、関係者の〝長く秘めてきた事実の告白的証言〟が、一定の〝角度〟をつけた〝関連情報〟や解説記事とともに紙面化される。しかもこうした異様に大きな扱いが単に連日続くだけでなく、あちこちの紙面にも多発的に掲載して、反響を拡大・増幅する仕掛けになっている。

 この仕掛けにNHKや民放テレビが乗っかり、加えて新聞他紙までも巻き込まれれば、『朝日』はメディア・スクラムの先陣をきる形で社会的評価を高めることになる。しかしたいていの場合は、常連追随者のNHKや民放テレビのワイドショー、週刊誌の一部などは乗ったとしても、新聞他社は黙殺する場合が多い。それには当然それ相応の根拠・理由があるのだが、『朝日』は未練たらしくしばらく〝続報〟を載せ続け、やがて途切れがちにし、いつか尻切れトンボ式に消える。

 小西質問に関しても、NHKはじめ一部の偏向テレビは、それなりに『朝日』に追随した。しかし新聞他紙は一般的な国会報道の範囲に止めたし、雑誌社系の週刊誌も素通りした。4日に長大な別面解説記事と社説、8日には1面の本記に加えて2、3、13、32面、9日もやや扱いを落とした1面の本記と3、4、33面の関連記事に再度の社説と、『朝日』の力み返った紙面作成には、報道の常道を超えた明らかな政治的〝運動体〟と化した彼らの姿が露呈されていたからだ。

公文書どころか下書き以下?

 新聞他紙がこの件を軽視した理由は、至って単純だ。〝爆弾〟が不発に終わったあと、小西議員がヤケ糞的にツイッターで〝自白〟した通り、彼は元郵政官僚で、仲間がいまも総務省にいる。参院の委員会で小西に迎合的な答弁をした現総務相も、高姿勢の高市に対して、多少は小西の顔が立つような答弁ができないものか、と誘導する異例の委員会指揮をした参院予算委員長も、いまでこそ自民党だが、かつては菅(カン)内閣の閣僚を務めていたり、民主党員だったり、小西の〝昔の仲間〟だったのだ。

 小西を軸として反安倍・反高市の官僚が仕掛けたのか、逆に〝昔の仲間〟のイタズラに小西が乗り、さらに『朝日』の記者が引っ掛かって、騒ぎを大きくしたのだろう、という見立てが他紙におおよそついていたのだ。

 残っていると称する〝公式文書〟は、小西質疑に際して総務省が改めて行った調査によると78枚。高市が問題にしたのはこのうち4ページだ。政府の共通の公文書管理規定では、文書はテーマごとにファイルし、作成者名を明記したうえ、所管長の確認印なりサインなりがついているのが必須要件だ。総務省の調査では、問題の78ページは46のファイルになっていたが、うち26のファイルには作成者名・所管長の確認がなく、問題の4ページはすべてこのクチだった。

『朝日』も総務省の報告は大筋で認めているが、これでは公文書どころか、その下書きとさえ認められないというのが、常識的な判断だ。よくて落書きの紛れ込み、勘ぐれば政治的意図を込めた偽造文書、と見られても仕方ないシロモノなのだ。偽造・変造と答えれば法律の条文に触れて犯罪容疑に直結するから、捏造・怪文書という表現で答弁した、という説明を含めて、この〝疑惑〟論議は、第一歩から高市の完勝だったというほかない。

党のけじめを問うブーメランに

 国会の〝爆弾質問〟がウリの野党議員のところにガセネタが持ち込まれることは、決して珍しくない。自民・社会対立時代にしばしば鋭鋒鋭く政府自民党を追い詰めていた社会党の〝爆弾男〟が振りかざした〝証拠〟のメールが、真っ赤なニセものとバレた例もあった。このとき〝爆弾男〟は悪あがきせずアタマを掻いて陳謝し、日ごろのさっぱりした人柄も手伝って、与野党・記者団の大笑いだけで決着したものだ。

 今回の成り行きは、それとは大違いだ。ガセ文書を持ち出してそれなりに世間の注目度を集めた小西議員は、ヘンに気分が高揚したのか、別途筆頭理事を務める参議院憲法審査会の審議に関して、政府・自民党側が求め、衆議院の憲法審査会がすでに実施している毎週の審議なんか、サルか蛮族(野蛮人)のやることだ、と放言した。そしてそれを報じたテレビ局・新聞を名指して、元郵政省放送政策課長補佐にケンカを売るとはいい度胸だ、と無頼漢もどきの啖呵を切った。さらにそんな報道姿勢のテレビ局は法に従って処分すべきだ、と声高に主張した。

 この発言は自身の、ガセ文書を持ち出して8年前の安倍政権下での首相補佐官の放送法をめぐる動きを取り上げた、参院予算委員会での主張と、まさに正反対の言い草だ。〝元郵政省放送政策課長補佐〟の立場で〝元首相補佐官〟の発言の正当性を裏書きした、ということにもなる。これには報道陣も呆れ返ったが、立憲民主党の指導部も大驚愕し、泉代表が緊急記者会見して〝党の見解とはまったく違う〟と弁解したうえで、小西議員の参院憲法審査会のボストは即刻解任、更迭したと見てもいい、と付言した。

 しかし、当然ながらこれで笑ってすませる話ではない。そもそも、これではガセ文書に依拠した国会質問に対するケジメも、当初には小西質問を大いに持ち上げていた安住国会対策委員長や、小西質問に追随して高市に閣僚辞任・議員辞職を迫っていた立憲民主党の少なからぬ議員の、発言責任に対するシメシがつかない。彼らはことあるごとに〝疑惑〟の標的にした人物を起用した総理総裁の任命責任を追及するが、同じ議論が今回は泉代表自身に降りかかっていったのだ。

国会に関する二つの提言

 半世紀以上日本の政治を、国会論戦を、見続けてきて、いつも思うことが二つある。一つは、議員の院内での発言は国会外で責任を問われることはない、という憲法51条の規定だ。これには国会法第14、15章の各条文が定めている院内規律、院議に基づく懲罰規定が伴っているが、議員のガセ情報に固執する質疑態度、さらにガセと判明しても誤報を前提とした筋違いの閣僚辞任要求などを口汚く求め、テレビ桟敷の支持者に向けたスタンドプレーを続ける徒輩が絶えない現状がある。彼らに対し毅然として国会法に則った懲罰事案を提起する責任を、衆参両院各常任・特別委員長に課すべきだ。さもないと国会法第119条の議員による他議員への無礼の発言の禁止・懲罰規定が空文化してしまう。

 第二に、委員会質疑はあらかじめ議員が通告した質問事項に関し政府側が答弁することになっているが、政党間討論以外の一般質疑のときも、状況に応じて議員・多くは野党議員と、政府委員・多くは閣僚との議論を保障するよう、委員会運営のルールブックである先例集の慣例を改めるべきだ、という点だ。

 質疑応答から議員対政府の討論への切り替えは、理事会で事前了解が成立していなければ委員長の裁量によるが、委員長の判断に異論があれば、当然委員長不信任案が持ち出されてもいい。このルールが定着すれば、安倍内閣時代末期のモリ・カケ一色に塗りつぶされたのを典型とする、不毛の委員会審議も、改善されることが期待できよう。

 今回の件を小西議員がどう思っているかは知らない。しかし世間の彼に対する評価は落ちただろう。ただ『朝日』は、どこ吹く風かと、平然とやり過ごした。

 4月2日の『朝日』は社説で上から目線で安倍首相補佐官の〝発言〟記録を鵜呑みにしたままの苦言を連ねる傍ら、利用価値のなくなった小西議員もたしなめる一方で、高市議員の当然の答弁拒否を重ねて非難した。さらに雑報でも無用の追い打ちを続けている。

 叩けばどこかにホコリが出る他人はいざ知らず、オレ様だけはいつも正しい、というわけだ。彼らにつけるクスリなど、もはやどこを捜してもありえない、と断ずるほかない。

(月刊『時評』2023年6月号掲載)