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俵孝太郎「一戦後人の発想」【第90回】

〝老後2000万円不足説?の構造 元凶は〝業者委員?の商策 踊った野党と〝ニュース芸人?

 野党が参院選の争点と息巻いた〝老後2000万円不足説?だが、報告書を発表した金融庁の審議会自体、過半数を〝業者?が占める軽量作業部会で、老後の危機感を煽り投資市場に誘引する筋立てが明瞭だ。そもそも常識をもって内容を読めば、誤読や騒動が起きる余地はない。テレビ、新聞、野党にこそ問題を大きくした責任がある。

対象業界の利益擁護組織に

 審議会は実に複雑な事情を抱える組織だ。筆者は中曽根康弘内閣時代に首相直属の特設審議会である臨時教育審議会で、専門委員として全期間3年。その直後からは大蔵省(現財務省)の常設審議会である財政制度等審議会で、委員を4期8年。引き続き専門委員や臨時委員の辞令を1年刻みで10余回受け続けて、都合足掛け25年ほど係わってきた。鳩山由紀夫・民主党首班内閣の二代目蔵相・菅直人が、うるさ型ヴェテラン委員を敵視して全審議会から一掃を図ったとき、標的の一人にされて退いてすでに10余年を経たが、一定の経験や知見があるつもりだ。その蓄積と、その前の現役記者時代に知り得た多くの点を踏まえ、新聞やテレビなどで窺い知る最近の審議会の姿と見較べて、いまの審議会のあり方がどうなっているかを、朧げながらも察知できる立場にいるとも思っている。
 その前提でいうが、最近の審議会は菅内閣いらいの軽量化が極まり、見識に乏しい烏合の衆が並ぶ、諮問官庁と対象業界の利益擁護組織になり果てたという印象が強い。かつては特設審議会はもちろん、常設審議会でも大どころと目される審議会には、政権中枢にモノをいえる官界・財界の重鎮や古参ジャーナリストが多数加わっていて、議論や答申・建議が一般常識とズレないように、あるいはヤクニンが極端な縄張り意識に走ったり、現役のマスコミが馬鹿げたツマミ食い式〝報道?に走ったりしないように、目を光らせたものだ。そうした人事慣行が崩れ、政治・行政・社会の広い範囲に向けた視線に欠ける、安易安直な答申や報告が出がちになったと思う。
 それに加えて、基礎知識も一般常識もないくせに視聴率を意識したウケ狙いで片言隻句を拾って揚げ足取り式な話題づくりを図る、テレビの〝ニュース芸人?の横行で、審議会の内容が歪められて世間に伝わるようになった。そうした〝誤報?や、ときには明らかに政治的意図を持つ左翼一流のデッチあげに週刊誌や、情けないことに新聞までが引きずられ、世人をミスリードする状況が頻発するようになった。通常国会終盤に突如として降って湧き、野党が安倍政権を責め立てるネタになっただけでなく、参院選で俄仕立ての争点にもなった〝老後資金2000万円不足説?は、その典型的な現れといって間違いない。

特設審議会と常設審議会

 この〝不足説?が生じた経緯と、それが巻き起こした〝騒動?の中身がどんな様相だったか。そもそもこの〝説?の発生源の金融審の部会報告の草案がどういうもので、それがどう歪められて広がったか。この点は後述することにして、その前にピンからキリまである審議会に触れると、ピンの典型には佐藤栄作内閣や中曽根内閣で、内閣の使命感と面目を賭けた重要政策の立案に当たった臨時行政調査会や、中曽根内閣の臨時教育審議会などの、特設審議会があげられる。
 これら特設審議会は独自の設置法を持ち特定の諮問事項に取り組む時限組織で、委員は国会承認人事だった。このため各党各関連団体の推薦議員が総花式に並び、それぞれの利害や政治的思惑がぶつかる党派的論争の場になることも多かった。それに対応するため政権側が委員の定員外で官・財界や知的世界からの専門委員を加えて議論を積み上げ、高レベルで政権として政治的・政策的レガシーを遺そうとする組織構造になっていた。
 一方、税制調査会や社会保障制度審議会、財政制度等審議会や中央教育審議会など、内閣府を含む各省庁の設置法に明記された常設審議会がある。これには暗黙の〝格付け?があって、上記の審議会は〝最上級?とされていたが、それぞれ所属する省庁の予算要求の事前審査や予算執行状況の監視、中・長期計画の立案などに当たる。そうした審議会の中にも、たとえば筆者が長く関係した財政審でいえば歳出削減部会のような常設組織もあれば、橋本龍太郎内閣で諮問に集中的に取り組むために設けられた財政構造改革特別委員会のような専門委員も加えた時限組織もある。

過半数が〝業者?

 今回の〝騒動?の舞台になった金融審議会は首相直属の審議会だが〝主役?の市場ワーキング・グループは内部に設けられた臨時部会のようで、委員は座長を含め21人だった。内訳は、過半数の11人が株式や債券・保険・銀行系にコンサル屋などの〝業者?、他は専門外を含む〝学者?が七人、メーカーの役員と弁護士と新聞の論説副委員長が各1人で、多くは一般的な知名度は低い中堅実務者クラス、部会開催は12回だったという。
 問題の根っこの一端はこの点にあったと思われる。例えば橋本内閣時代の財政審財政構造改革特委は委員長以下21人と同規模だったが、内訳は一橋大教授の小委員長を含めて東大・京大・阪大など国立大学を中心に私学から慶応を加えた財政学者が6人、マスコミからは読売の主筆・社長はじめ新聞では日経の編集局長と筆者を含む産経OB2人にテレビからNHKの現役の計5人、財界は新日鉄社長・住友電工会長・三和銀行元頭取と日銀副総裁の計4人、官界は元大蔵次官2人と経企庁の官庁エコノミストの大御所に運輸省OBの計4人、そして民間エコノミストが野村総研のOBと現役の2人だった。これだけの顔触れがほぼ全員欠かさず出席して10か月間に26回の会議を開き、海外調査が2チーム、他の審議会との意見調整も6回開いて議論・検討を重ね、報告をまとめた。
 くらべれば一目瞭然。草野球とプロ野球ほど、それが言い過ぎなら実業団野球とプロ野球ほど、チーム構成も〝プレーヤー?のレベルも違う。逆にいうと、そこから金融審議会の市場ワーキング・グループが、限られた目的に沿って急造された実務処理的な軽量作業部会であって、財政審構造改革部会のように大所高所から国家財政全般を論じて改革提言する組織ではなく、報告草案もさして深く練られたものではなかった、と察しがつく。
 問題の報告草案は「高齢社会における資産形成・管理」というタイトル。「はじめに」で、デジタル社会の到来で「金融機関は既存のビジネスモデルの変革を強く求められている」から「高齢社会の金融サービスとはどうあるべきか、真剣な議論が必要」であり、新しい社会状況「に沿った金融商品・金融サービスを提供することが要請されている」と、報告の趣旨を説明している。
 つまるところ、長寿社会を迎えてこれからの年寄りにどう資産を成させるか、いまの年寄りにも手持ち資金を多少とも長持ちさせるためにどうするか、という観点に立って、そのためには彼らを投資市場に引き込むことが不可欠だ、という結論に持っていこうとする筋立てが、はっきりしている。極端に偏った委員構成から見え見えの、はじめから予定された出来レースなのだ。年金はそうした筋立てを補強するために、年寄りの金欠ぶりを強調すべく登場した小道具に過ぎなかった。

なし崩し式な賦課方式に

 筆者は〝国民皆保険・皆年金?が実現した昭和36=1961年に厚生省担当の政治記者であり、数年後には政治一般と併せて社会保障政策も担当する論説委員になった。専門記者の経歴を持つ者としていうが、日本の年金制度は当初、加入者の掛金と雇用者の負担金、国民年金の場合は個々の掛金と政府負担金を積立てて運用する基金から給付する、完全積立方式を標榜していた。
 明治いらい軍人・文官には恩給制度があったが、これは一定の掛金を納めさせてはいたが、現役期間や階級に応じて定める終身給的性格だった。だからこそ〝恩給?と呼ばれていたのだが、シナ事変という〝非常時?に際して近衛文麿内閣が唱えた〝新体制?のもとで、一般サラリーマンを対象とする厚生年金が創設された。そのときに採用した方式を国民年金法の策定に当たった岸信介内閣も踏襲して、〝皆年金?制度が生まれたのだ。
 しかし〝60年安保騒動?で退陣した岸内閣に代わった池田勇人内閣が〝皆年金?を実施に移した時点で、すでに受給年齢を超えていたり、短期間の掛金納付で受給開始になる層が多数いて、国民年金に積立方式を貫徹させるのは無理とすぐわかる。厚生年金も、戦時中や敗戦直後の貨幣価値で積立てた額が、高度成長に伴う物価上昇で極端に少ない給付額にしか反映せず、不満が噴出する。
 このため労組を支持基盤とする社会党・民社党に、貰う話ならなんにでも飛びつく公明党、当時の社公民3野党が、雇用人口増大で増える一方の現役世代の掛金を受給者が山分けする賦課方式に変えるよう、国会で強く主張した。マスコミや世論もこれに同調し、佐藤内閣は過去の積立金を運用した基金を存続させる一方で賦課的要素も取り入れる〝修正積立方式?を〝発明?して、なし崩し式な賦課方式導入が始まった。
 野党に甘い三木武夫・福田赳夫内閣の時代に〝修正?度合いがじわじわと拡大し、実質的に限りなく賦課方式に近づく。それでも政府は一時期〝修正積立方式?の旗印に固執していたが、いつの間にか政府も専門〝学者?もマスコミも、厚生・国民年金が賦課方式だという実情を否定・否認しなくなり、年金は賦課方式だという認識が社会に定着した。
 ところがそれも束の間、少子高齢化の進行でこのまま賦課方式を続ければ積立てた年金基金のパンクはいずれ確実、ということになり、現在では経済実態に合わせて給付を抑制する〝マクロ経済スライド方式?が唱えられるようになった、というわけだ。
 ついでに、〝年金制度は100年安心?というのは、野放図な賦課方式の抑制に踏み切らざるをえなかった小泉純一郎内閣で、公明党出身の坂口力厚労相が、支持団体・創価学会員に向けた内輪の会合でぶったのを、なぜか公明党・創価学会に弱い新聞やテレビが、自民党の主張にすり替えたのが実態だ。

注記では葬式代が残る計算

 金融審ワーキング・グループの報告草案に戻って、この中で各種統計を引用して国民を投資市場に誘導するという〝時代の要請?に応ずる手法を説明するためのモデル・ケースとして、総務省の家計調査を踏まえて「夫65歳以上、妻60歳以上の夫婦のみの無職世帯」の実収入と実支出の月額平均値を、棒グラフで例示していた。このグラフに年金中心に収入が20万9198円、支出は26万3718円、差し引き「毎月の赤字額は約5万円」と書いてある。それなら年に60万円、95歳と90歳まで生きれば35年で2000万円、というテレビ記者の独り合点の算術計算が一人歩きして、騒動になったのだ。
 実際には、正味50ページの報告草案の同じページの同じ箇所に、「高齢夫婦無職世帯の平均純貯蓄額2484万円」という注記がある。異なる公的調査からの引用だが、棒グラフと関連づけて読み取るなら、それじゃ毎月貯金を食い潰していっても死後に500万くらい葬式代が残るね、という話になる。
 日本の個人金融資産は、最新の日本銀行発表で1835兆円だ。これには公的年金の個人積立分も入っているが、1億2000万の人口で割れば一人当たり1500万円だ。赤ン坊も入れた平均値だから、高齢夫婦世帯なら2500万円あってなんの不思議もない。フトコロに余裕がある年寄りが多いから、80代の親が50代の子の生活の面倒を見る80・50問題が起きる。超低金利と預金を下ろしにいくのが面倒だという理由で手元に大金を置く年寄りが多いから、日銀発券高は異様に膨らむ。特殊詐欺やアポ電強盗のエジキになる年寄りも多発する。実際には長い生涯の果てに貯蓄ゼロという年寄りはむしろ例外で、常識的には平均2484万円はともかく、そこそこは持っているだろう、という感じは多くの国民が抱いているはずだ。報告草案が棒グラフの横に平均純貯蓄額の数字を大きく注記し、上記の説明を添えていれば、誤解も捏造も生む余地はなかっただろう。
 だが、それでは当り前すぎてわざわざ報告を出す意味がない。いまの年寄りにくらべて消費性向が強く、高齢に備える意識の低い中年や若者世代を投資―蓄財に駆り立てる〝施策?を打ち出さなければ、諮問に応えられない。作業グルーブの多数を占める〝業界?委員の面子も立たない。なんとかいいチエはないものか。ついでに小金持ちのいまの年寄りも〝より大きな安心?を謳い文句に投資市場に引き込む案はないか。そこで小細工に走って、棒グラフの横に虫メガネで見なければ読めないような小さな字で高齢無職夫婦世帯の平均純貯蓄額を書いて言い訳できる余地は確保しつつ、個人金融資産の現状などへの言及は避けて、2000万円足りなくなる、という危機感だけを煽り立てる構成にした。さらに後半部分では不自然なまでに認知症に言及して、いまの年寄りにも、投資すれば持ち金が増える、と投資の効果を強調した。

軽薄、怠慢、不勉強の三者

 それでも一定の常識に立って報告草案を読めば、途方もない誤読や騒動が起きる余地はなかったはずだ。しかし記者クラブで中間報告文書を斜め読みした未熟なテレビ記者が、〝2000万円足りなくなる?という文字に飛びついたのだろう。それを聞いたデスクもテレビ人固有の〝取って出し?の軽率さで、ウラを取ることも、立ち止まって他の社会事象と照らし合わせて考えることもせず、おもろいやんけ、とオン・エアさせたのだろう。一犬虚に吠えれば萬犬実を伝う、だ。NHKを頭目に、テレビがいえば、犬棒歌留多通り、ウソから出たマコト、になるご時勢だ。各テレビが聞きかじりで〝情報番組?と称する面白半分の電気井戸端会議で、伝言ゲーム式にウソを広げる。そこに素養も勉強もない野党議員が飛びつき、政治問題に仕立てる。新聞も週刊誌も裏取りもせず引きずられる。
 麻生財務相をテレビ・カメラの前で〝報告草案を読んだのか?と詰問した、日本国籍が絶対要件の参院議員の3期目になって台湾との二重国籍がバレたとき、父親の手続きミスにして逃げたテレビ・タレントあがりの蓮舫も、本人が報告草案を読んでさえいれば、さすがにあんな聞き方はできなかっただろう。
 かつての〝消えた年金?騒ぎの再燃を狙ってテレビ・カメラの前で〝消された報告?と繰り返した野党の国会対策の元締・辻元清美は、税金から出ている秘書給与をピンはねして利殖商品を買い、執行猶予つき懲役判決が確定した人物だ。政府に文句をつける国会議員より投資指南業のほうが、よほど似合う。
 新聞も、情けない、の一語だ。産経・日経は問題の棒グラフを紙面に載せたが、故意か不注意か、肝心の純貯蓄高を落としてしまって記事全体が見当外れになった。毎日・東京は筆者宅では取らないから知らないが、朝日は意図的か怠慢か、記事も解説も社説でも、収支と赤字の数字だけを繰り返して貯蓄など資産の話にはいっさい踏み込まなかった。作業チームに唯一委員を出した読売も、初期報道では他紙と大差ない紙面だった。数日後の解説欄に「〝老後2000万円不足?独り歩き」という見出しの長文の記事を載せ、金融庁の資料に基づくイメージと称して、退職金も含む年代別の資産の推移を線グラフで示したが、そこでも純貯蓄高2848万円という具体的で核心的な数字には、触れなかった。
 実は、夫婦で年金中心の収入が月割り21万円弱、支出が26万円余、差し引き5万円の「赤字」という報告草案のモデル・ケースには、貯蓄2500万円とも書いてある、という点は、騒動発生後の国会の党首討論で安倍首相が指摘している。NHKの国会中継では、隠しようもないからバッチリ出ていた。しかし新聞の一問一答式の記事で、この安倍発言を一応は載せたのも読売だけだった。NHKを含め、テレビ・ニュースはほぼ完全にカットした。唯一、どの局かは忘れたが、なにかの番組で一瞬、たぶん編集ミスの消し損ないだろうが、前後の脈絡から外れたところで苦笑交じりの安倍の声が、このモデルには2500万の貯金があるんですよ、と不自然に入っていたのを、耳にした覚えがある。
 このように〝騒動?の経過を事実に照らして追うと、金融審ワーキング・グループも到底ほめられたものではないが、問題を大きくした責任は、第一に軽薄なテレビ、次に怠け者の新聞、そして不勉強かつ不真面目な〝騒動屋?の野党、なのははっきりしている。

見捨てられつつある投資市場

 野党には、なにをいってもはじまらない、と見捨てるほかないが、同様に世の中から見捨てられつつあるのが、投資市場なのではないか。投資といってもいろいろあるのだろうが、株式についていえば、個人零細株主は証券会社の営業マンに〝クズ?と呼ばれ、マトモな扱いをされなかったと定説がある。小金持ちが株で当てて巷の評判になり、噂を聞いた主婦が市場参加するようになれば上げ相場は終わる、という〝法則?もあった。堅実な生活感覚を持つ層は、株屋はマトモな人間が付き合う相手ではない、と思ってきたのだ。いわゆる〝大正バブル?が弾けて大恐慌で株が暴落したとき、演歌師が歌劇「リゴレット」の〝女心の唄?の替え歌で、〝株が下がる、株が下がる、小気味よくも下がるよ?と町を流して歩いたくらいだ。戦後もなんども株価の乱高下があり、その都度、大衆投資家は株屋の食い物にされた。その恨みは深い。
 いまも投資信託の元本割れは珍しい話ではない。世界的超低金利の流れの中で、収益構造の悪化に苦しむ銀行がないチエをしぼって捻り出した新商売も、大手の外貨建生命保険は為替変動と高額に設定した管理手数料に食われて欠損続出だ。地銀が主体のアパート・オーナー商法は、不良建築業者と舌先三寸で商売する〝千三つ屋?つまり1000の商談のうち三つが成立すれば食っていける悪徳不動産屋と組んだのが運の尽き。いずれも社会問題化して、そうでなくても低い〝投資?の社会的信用度を、より低くしている。
 テレビの〝情報番組?が一時持て囃していた、パソコンを駆使したデイ・トレーダーやFX取引も、少なくとも一部は引き籠もりの〝生業?のようだ。NHKが株価下落のたびに映し出す、昼日中に証券会社店頭の株価ボード前に佇む貧しげな〝投資家?の風情も、〝投資?のイメージを下げることにはなっても、上げることにはなってはいまい。

国民視線の大型審議会に

 〝業者?が過半数のワーキング・グループでは、当然限界がある。金融庁が本気で有効な施策の策定を求めて諮問するのなら、業界寄りでなく、国民の視線に立って関連業界全般を厳しく叱正する委員に参加を仰ぐ、大型審議会にすべきだった。現状のまま漫然と年金制度を転がしてはいずれダメになる、という判断なら、アベやスガがなんといおうと、年金をより強力な老後の暮らしの下支えにしようというのならそれ専門の審議会に諮問すべきだし、少子高齢化で先細りが避けられないのなら、プラス・アルファの部分は国民各自の自助努力に俟つほかありません、といえばよかった。そうしなかったのが敗因だ。
 それにしても、テレビは論外だが、返すがえすも新聞がなっていなかった。筆者が新聞記者となって67年目だが、駆け出しのころ先輩から、必ず現場を踏め、原資料に当たれ、と厳しくしつけられた。その原則に立てば、どの記者も新聞社も失格だらけだ。
 特に困り者は、民放二局のテレビ・ニュースのレギュラー・コメンテーターとして毎夜顔を出す、二人の政治記者OBだ。二言目には〝政府首脳に電話した?とか〝私が取材した?と繰り返すが、この問題では、報告草案にきちんと目を通してさえいれば、いうはずのないデタラメなコメントを、シタリ顔で連発していた。まさか、老後の仕事と高いギャラを失うのを恐れて、テレビが犯した誤解・誤報を、新聞記者魂に立って、あれは間違いだ、と正すのを、ソンタクの末に避けたのではなかろう。怠け者の正体がバレただけ、と思いたいが、さて、真相はどうだったか。
(月刊『時評』2019年8月号掲載)