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【時事評論】戦後78年となる盛夏

改めて戦争と平和について考えるとき

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 暑い夏が訪れ、また先の大戦を思う時が巡ってくる。

 わが国だけで、戦死者数230万人、民間人死者数80万人にものぼるといわれる犠牲の上に、私たちは戦後78年間にわたって戦争をしない平和国家として存立してきた。

 わが国の新たな出発点となった日本国憲法は、国民主権、基本的人権の尊重、そして平和主義を3原則としており、私たちはこれらを普遍的価値としている。

 誰もが、悲惨な戦争をしたいとは思っていないし、平和を願っているのである。

 しかし、他方で、この世界から戦争はなくなっていない現実がある。

 ロシアによるウクライナ侵攻は、多くの人々を驚愕させたが、国際政治の厳しい現実を改めて見せつけた。

 この戦争は、ロシアとウクライナだけの問題ではなく、ウクライナを支援する側、ロシアを支える側、それぞれに実に多くの国々を巻き込んでおり、エマニュエル・トッド氏のように「すでに第三次世界大戦が始まっている」という議論すらある。

 目を日本の周囲に転じれば、核とミサイルの開発を進めてきた北朝鮮があり、実力によって覇権的に現状変更を志向する中国があり、軍事的示威行動を繰り返すロシアがある。

 まさかと思っても、平和を破壊する歴史が繰り返されないという保証はどこにもない。

 NHKによれば、私たちの歴史上記録に残る戦争や紛争の総数は、実に1万回以上であり、総死者数は1億5千万人にものぼるという。人類は「仲間で助け合う」という美しい本能を有するが故に、「仲間」以外とは本能的に戦う衝動に駆られる宿命にあるらしい。

 それでは、私たちは、いかにして戦争を回避し、平和を維持できるのであろうか。多くの人々が考え、議論し、今もって正解を見出せない課題だ。

 この点について、国際政治学ないしは国際関係論の世界では、大きく見て、力の現実を重視するリアリズムと、相互依存と協調の可能性を重視するリベラリズムという二つの流れがある。

 この観点からすると、近時の日本政府の動きは、リアリズムに立脚したもののように見える。

 具体的に見ると、日本政府は、安全保障環境の厳しい変化を踏まえて、新たな「防衛力整備計画」において今年度からの5年間の防衛力整備の水準を従来の計画1・6倍にあたる43兆円程度とし、その初年度となる今年度の防衛費は過去最大の6兆8219億円となっている。これは、昨年度の当初予算の約1・3倍であり、大幅な増額だ。

 こうした防衛費増額に向けた財源確保法が6月に国会で成立した。

 同法により、国有財産の売却収入など税金以外の収入を複数年度にわたって活用できるようにするための「防衛力強化資金」が創設される。

 同法に増税規定はないが、防衛費増額に必要な額から逆算して、1兆円強の増税が既定路線とされ、所得税については所得税の納税額に新たに1パーセントの付加税を課すことなどで確保する一方、東日本大震災からの復興予算にあてる「復興特別所得税」の税率を1パーセント引き下げた上で、課税期間を延長する方針だという。事実上の復興特別税の転用だ。

 こうした財源に裏打ちされた防衛費増額に象徴される防衛力強化は、けっして戦争をしたいが故ではなく、戦争をしないための抑止力強化のためであろう。

 先に述べた通り、力の現実を直視した適切なリアリズム的対応と言っていい。問題は、防衛力強化=抑止力強化というリアリズム的対応だけでよいのか、という点ではないだろうか。

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 今年のG7広島サミットに際しては、世界のリーダーたちが原爆資料館を訪問して原子爆弾の被害の悲惨な実相を感得したはずだ。こうした営みの積み重ねも、私たちは忘れることなく、飽くことなく、続けていくべきだ。

 また、世界の平和を保障するために作られたはずの国際連合の機能不全を乗り越えていく改革を、わが国として推し進めるべきであろう。

 さらに広く、国際協調の在り方を探っていく可能性が日本にはある。それは、戦後長きにわたって先人たちが築き上げてきた平和国家・日本の立ち位置があればこその可能性だ。

 「戦争の原因」から物事を見るのがリアリズムであり、「平和の条件」から物事を見るのがリベラリズムである。そもそも両者は根源的な対立関係にはなく、どちらかしか取り得ないというものではない。

 「恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚」して、「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたい」と憲法前文で日本国民は宣言した。

 私たちは、今こそ改めて、リアリズムとリベラリズムの現実的なバランスを意識しつつ、戦争と平和に関してしっかりと考えるべき時だ。
                                                (月刊『時評』2023年8月号掲載)

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