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森田浩之「ヒトの知能とキカイの知能」⑭

AI未発達の世界

 50歳の節目に断捨離の一環として、何百枚ものCDを処分して以来、音楽鑑賞はユーチューブに頼り切っている。先日、知人からコンサートチケットを譲ってもらったが、演目にサミュエル・バーバーの「バイオリン協奏曲」があったため、ユーチューブで予習した。

 私はこの曲に馴染みがなかったので繰り返し聴くうちに、その美しさを感じられて、バーバーの別の曲を聴きたくなった。ユーチューブ利用者ならご存じのように、動画を視聴していると、パソコンやタブレットなら右側に、スマートフォンなら下方に「関連動画」として〝こんなの観たいでしょ〟というリコメンドが並ぶ。

 バーバーについて少し知っているが、バイオリン協奏曲を初めて聴いたとしよう。あなたなら次に何を聴きたいか?ここでクラシック・ファン何人かに質問してみた(まったく科学的ではない調査!)。われわれの世代にとって「サミュエル・バーバー」はオリバー・ストーン監督の映画『プラトーン』(1986年)の代名詞。ウィレム・デフォーが銃撃されて両手を突き上げながら息絶える場面での「弦楽のためのアダージョ」は二十歳の私の胸をグサりと突き刺した。

 映画少年からクラシック中年に進化(退化?)した者としては「関連動画」にこの曲があるものと信じ込んでいるが、いくらスクロールダウンしても現れない。細かい話だが、説明を楽にするために、私がユーチューブで聴いた演奏は「アウグスティン・ハーデリック」というバイオリニストで「WDR交響楽団」というオーケストラであることを情報開示しておこう。

「関連動画」に出てくるのは、ハーデリックがソリストの別の協奏曲(ブリテン、ブラームス、ボロディンなど)やWDR交響楽団の別のコンサート(マーラー、ベートーベン、モーツァルト他)、別の演奏者によるバーバー「バイオリン協奏曲」(アイザック・スターン、ギル・シャハム……)ばかり。最初見た時には「弦楽のためのアダージョ」は一つもなかった(後日、加わる)。

 ユーチューブが「関連動画」として載せているのは、私が鑑賞中の動画のキーワードをそのまま当てはめただけの結果。要するに「サミュエル・バーバー『バイオリン協奏曲』」「アウグスティン・ハーデリック」「WDR交響楽団」という用語に重なる動画を出しているだけ。私はこの時「ユーチューブはなんて頭が悪いんだ!」(本当はもっと汚い言葉)と毒づいてしまった。ユーチューブの親会社は世界有数のAIを開発してきたグーグルである。しかし実際にしているのは、単語そのままのキーワードだけで検索結果を出してくる単細胞にしかできないことだ。

 まだこの時点でも「もう世の中はAIに支配されていて、人間はいつかAIに操られる」と信じ込んでいる人がいたら、私は言いたい。「こんな愚鈍な機械に人間は支配できません!」

 本当のAIならどうするか。文字通りのキーワード検索ではなく、「バーバーの『バイオリン協奏曲』を聴いて心地よいと感じる人の好みは何だろう」と考える。バーバーを聴き尽くしているわけではないが、バイオリン協奏曲の美しさはまさに弦にある。ならば、「『弦楽のためのアダージョ』はどうですか?」と推薦するのがAIの任務だ。

 私はさらに上を求めたい。人間自身にわからないことを教えてくれるのがAIのはず。でなければ、わざわざ開発する意味はない。私がバーバーのバイオリン協奏曲に感動したのは、今この時点でそういうモードだということである。次の日になれば、またマーラーを聴きたくなるかもしれない。なのに、ユーチューブは一本調子で、何を聴いていても、いつも同じ動画をリコメンドしてくる。

 この頃、連日バッハばかり聴いているが、何時間も聴いた翌日のトップページには相変わらず大昔の履歴に関連した動画しか出てこない(ELO、ELP、REM……脈略ないけど、すべてロックバンド名)。バッハに包まれたくてログインした瞬間にこんな動画を薦められると、苛立ちを通り越して呆れてしまう。本当のAIなら、バッハを聴きたい気持ちを察して(そう「察して!」)、ユーチューブにもっと長く滞在させるための動画を掲示すべきだろう。

 だから私はユーチューブ、すなわちグーグル、および世界中のAI開発者に高いスタンダードを求めたい。私自身は言葉にできないけれど、バッハを聴きたい時に、自分では気付かないが教えてもらえると「そうそう、こういうのが聴きたかったの!」とコンピューターに感謝したくなるようなシステムを作って欲しい。それこそが真の意味で人間を超え、それでいて人間を助けるAIと名付けることができる。

 われわれの世界はまだAIに取り囲まれていない。どこかでAIのリコメンドに誘導されることがあっても(EコマースやSNSのニュースフィードなど)、額面通りにしか受け取れない計算機に過ぎない。期待したほど(怖れていたほど?)AIの時代はまだ先だ。

(月刊『時評』2022年6月号掲載)

森田浩之(もりた・ひろゆき) 1966年生。東日本国際大学客員教授。
森田浩之(もりた・ひろゆき) 1966年生。東日本国際大学客員教授。