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菜々子の一刀両断ってわけにはいかないか……【第229夜】

久寿乃葉30年

写真ACより
写真ACより

私の名前は松下菜々子。深川門前仲町で久寿乃葉という小料理屋を営む。未婚、子なし。恋人募集中。
世間の皆さんあるいはお店の常連のお客様同様、将来に不安を感じている。砂浜の真砂が尽きないように、私の老後不安にも底がない。同年代の客も同様と見えて、カウンター席でも座敷席でも、その種の会話が多いように見受ける。客の話に合わせるのは接待の基本。菜々子も、新聞、テレビ、図書館で、その種の勉強に怠りはない。

レオタード姿は見せないよ

 パンパカパーン! いきなりのファンファーレで驚きましたか。

 久寿乃葉、実は開店30周年なのです。でも長年通ってくださるお客様でも、開店年を覚えていらっしゃる人はいないようだ。「実はね」と打ち明けたら、「お店を始めたときママは何歳だった?」との反応。それに30を足し算して、菜々子の現年齢を弾き出そうとの魂胆が見え見え。粋でないねえ。「こんな浅知恵、他所でやったらセクハラだよ」とどやして収めた。

 こういうのもあった。「女将は30年前と変わらず若いねえ」。お世辞と分かっていても嬉しい。「秘訣はなんだい?」と来たから、フィットネスクラブでジャズダンスをやってると教えた。そうしたら「背筋がピンと張って和服姿が美しいが、レオタードもきっとピシッと決まっているのだろうな」と目を細めている。「そんなに見たけりゃ、あなたも始めれば。ビール腹がへこむわよ」と肘鉄を喰わせたが、もちろん通っているフィットネスの名は教えなかった。

 こんな話から始めたのは、ジャズダンスで知り合ったA子さんが関係するから。女同士、ペチャクチャしゃべっていて、愚痴の披露になった。その原因は二人ともコロナ。コロナで客足はさっぱり。予約が入ってないから今日はお休み。それは店主の菜々子の一存でできるが、当然ながらその日の売り上げはゼロ。しかし固定経費は減らないのだ。例えば家賃。今月は営業日が少なかったので家賃を半額にして、なんて交渉の余地はない。改めて考えると、久寿乃葉の営業時間は平日の夕方からの数時間。それ以外は使っていないのだ。30年間もなんて無駄に家賃を払ってきたのだろう。

芸を見せる場がない

 この事情はA子さんも似たようなもの。実は地元深川の芸妓で美緒(みお:仮名)という。深川の芸者は別名辰巳芸者と呼ばれ、木場の旦那衆のお座敷を盛り上げたものだと古老は語るが、後継者不足でとっくに絶滅したものと思っている人が多い。「それは違う。深川芸者は健在だ」と彼女は言うが、公開の機会がめっきり減って芸の伝承が危うい。何とかしなければとほかの姐さんたちと相談しているところに降って湧いたコロナ騒動。

 芸事は日々の鍛錬を欠かせない。それも稽古だけではダメで、お座敷で客筋の厳しい批評に晒されることで腕を維持しているのだ。「料金なんかどうでもいいから、目の肥えた観客に芸を見てもらえないだろうか」。

 菜々子が思い出したのが、久寿乃葉の店舗の来歴。戦後すぐに建築された二階家で、一階はもともと店舗仕様になっている。久寿乃葉はこの2階部分にあり、建物隅の戸を開け、三和土たたきで履物を脱いだら60度の勾配の階段を上がる。台所と6畳の和室で構成された今でいう1DK。でも当時としてはハイカラで、トイレのほか、その奥にお風呂もついている。ウソだと思う人は、トイレで用を足すついでに奥の開き戸を開けてごらん。もっとも菜々子は住まいとして使っていないから、お風呂場は物入れ代わりになっているけれど。

 ここにかなり長い期間、人気者の深川芸者が住んでいたと大家さんが記憶している。朝のうちここで三味線を鳴らしたり、長唄の練習をしたりしていたというのだ。となると久寿乃葉の空き時間を後輩芸者に提供することは、功徳と言えなくもない。

 そこで閃いたのがこれから述べる「久寿乃葉 秋の邦楽会」。三味線、笛、鉦太鼓に踊り手で4人揃えるわと彼女。チラシも作るわねと持参のノート型パソコンで文章を作り、写真を切り貼りしはじめた。スマホの扱いもままならない菜々子とは世代が違うのね。菜々子は音曲で少々うるさくしますと大家さんや周辺に挨拶をする役割。集客も菜々子が引き受けた。でもお客様のメールアドレスなど知らないから、通信は電話。顔を思い浮かべて、お座敷遊びをしたことがありそうな人に電話する。

「コロナも収まってきたようだし、久寿乃葉の30周年をしようと思うの。芸者にお囃子を入れて賑やかにね。○月○日の午後だけどどうかしら…」

 みんな暇なのか、菜々子に敬意を示して都合をつけてくれるのか、どんどん予約が決まっていく。

観客はどこに座る?

 電話先はBさんになった。「いいよ。楽しそうだから行かせてもらうよ」までは同じだったが、すでに11人の客が決まっていると話したところで、「久寿乃葉ってそんなに広かったか?」。失礼ね。お座敷が6畳間だってことは先刻ご承知でしょうが…。

「民謡や江戸端唄を演じるには工夫すれば大丈夫だと思うがね、ボクたち観客はどこからその芸を見させてもらうのかね。1階の屋根瓦に乗っかって窓の外から見ろというのではないだろうね」

 指摘されて頭が真っ白になった。演ずる場所は考えていたが、見る側の居場所がすっかり頭から飛んでいた。まずい。電話集客作戦を中断し、美緒さんと相談する。演ずるのは6畳のお座敷で、観客はカウンターの椅子席からではどうか。そうすると12人は無理だから二部制にしよう。彼女に異論はなかった。批評を受ける機会が二度になるわけだから、むしろ望ましいと。

 これをBさんに伝える。しかし設計家の彼は即座に次の指摘をした。「カウンター席は座敷から直角に並んでいる。そこに座った者が90度体を右に向けろと言うのだろうが、その場合、後ろの席になった者は前の者の背中しか見えないはずだ。ちゃんと実証実験したのかね」

 言われてみればそのとおりだ。でも、すでにBさんまで12人の来場は予定されている。今さら中止なんて菜々子の沽券が許さない。こういうとき深川芸者って肚が座っている。「まだ二日もある。それまでに知恵は出るわよ」。

ぶっつけ本番

 A子さんのパソコンがカタカタポスターを打ち出している。12時からと13時半からの二部入れ替え制。賛助出演者も美緒さんの交渉で決まった。隣県のY芸妓組合の男女3人。会場はもちろん久寿乃葉。会費は千円。これは人数を絞る前からの予定だったから不変。ただし「お飲み物代別」と注釈した。

 演目のプログラムも別途作成した。昨今は印刷屋さんの手を煩わせなくても、自分たちで(菜々子は見ているだけ)ササっと作れる。菜々子が大事にしている竹久夢二の「黒猫を抱く女」の版画コピーを刷り込んでもらった。そして演目は江戸端唄を中心に「奴さん」「深川」「七福神」「かっぽれ」など、また「とらとら」「金毘羅船々」になども含めて11曲。

 そうして当日、客たちがやってきた。菜々子は徹夜して考えた秘策を実行する。といっても実は出たとこ勝負。お座敷の上手、床の間を席に6人の客を一列に詰め込み、その前に和卓を並べ、ビール、お酒、菜々子の手料理を並べる。少々窮屈だが、宴会での主賓席だ。これで舞台スペースが4割がた狭まる。

 下手押し入れの前に向かって右から三味線、笛、鉦・太鼓と3人並ぶ。彼らは唄い手を兼ねるが、スペース的には3割弱。お座敷の残り3割、つまり2畳弱が踊り手の場所。西欧のクラシックバレエだとプリマドンナはジャンプ一番、窓の外に飛んで行ってしまうスペースしかない。だが、そこは日本の伝統的座敷芸能。所作の大きい手さばき、足さばきながら、回転も含めてほぼ一点にとどまりながら、移動しているように思わせる。手ぬぐい一つで別人物になり替わったように見せたりもするのだ。

 お店を開く前、つまり30年以上も昔になるが、料亭で見習い修業をしていたことがある。広~いお座敷を縦横に使っての芸者さんたちの踊りだったが、美緒さんたちは2畳足らずでも劣らぬ芸を披露してくれた。

日本の音曲再発見

 昨今は音曲騒音への風当たりが強い。個人宅でもピアノを置く部屋は防音工事をするのが標準的になっている。昼間っからのチントンシャンは大丈夫か。第一部のお客さまを送りがてら下の道路から第二部に備えての練習音や歌声を聴いてみた。窓は全開なのにうるさくない。デシベルが小さいのではなく、国民の耳になれた旋律だからではないか。

 応援演者の代表格に聞いてみた。日本の音階が西洋音階と違う点はつとに知られているが、世界の民族でそれぞれ固有の音階があるのだという。それを笛で示してくれた。言語の多様性と同じに考えればいいらしい。ちなみにこの人、東京芸術大学で能楽を専攻したのですって。たいへんなインテリなのね。

 客が演目にない「おてもやん」をリクエストしたときのこと。このとき三味線兼唄い手だった美緒さんが「同じメロディーの酒田甚句を聞いてほしい」と逆要望。熊本と山形で地理的に遠いし、歌詞の内容もまったく違う。でもメロディーは同じ。北前船が音曲を運んだのだろうが彼女の解説。インテリさんはコメントしなかった。

 最期は「黒田節」。踊りを見ながら全員で合唱。日本人のだれにもしっくりくるようだ。第一部第二部とも無事に終わり、売上げの集計。入場料千円だから12人では1万2千円だと思ったでしょう。久寿乃葉の客を甘く見てはいけない。「満足していただけたなら入場料をくださいね」。皆さん払った。ただし野口英世(千円)ではなく、樋口一葉(5千円)か福沢諭吉(1万円)。「儲かったねー」。でも次回をやるかどうかは…思案中。

(月刊『時評』2022年12月号掲載)

寺内香澄(てらうち・かすみ)(有)総合社会政策研究所。ショートストーリー作家としても活躍。単行本として『さわやか福祉問答』(ぎょうせい)。
寺内香澄(てらうち・かすみ)(有)総合社会政策研究所。ショートストーリー作家としても活躍。単行本として『さわやか福祉問答』(ぎょうせい)。