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菜々子の一刀両断ってわけにはいかないか……【第271夜】

〝孫破産〟させる世の中ではいけない

写真ACより
写真ACより

 私の名前は松下菜々子。深川門前仲町で久寿乃葉という小料理屋を営む。未婚、子なし。恋人募集中。
 世間の皆さんあるいはお店の常連のお客様同様、将来に不安を感じている。砂浜の真砂が尽きないように、私の老後不安にも底がない。同年代の客も同様と見えて、カウンター席でも座敷席でも、その種の会話が多いように見受ける。客の話に合わせるのは接待の基本。菜々子も、新聞、テレビ、図書館で、その種の勉強に怠りはない。

孫が留学することになった

「孫娘が名門語学系大学に入学してね」とOさんが目を細めていたのが2年前の春。そのお孫さんが「おじいちゃんにちょっと相談が…」と電話してきた。

「卒業前に一年間語学留学しようと思うの。どうかしら?パパ・ママには授業料で負担をかけてるから言い出しにくくて。まずおじいちゃんを味方につけてからが切り出すのがいいかなって」。Oさん、側面支援の感覚で「見聞を広めるのはいいことだ。じいちゃん、年金暮らしだからたいしたことはできないが、少しは援助してやろう」と答えたのだとか。

 数日後、その母親、つまりOさんの娘がやってきて紙片を差し出した。

「お父さん、ありがとう。夫からもくれぐれも礼を言ってほしいとのことだったわ」

 紙片には留学費用の見積り。3年ローンで100万円ずつの3年払い。「1年間の贈与非課税は110万円までらしいから分割にしたわ」

「エッ、オレがこれを全部払うの?!」とOさん、事の重大性に気づいた次第。

子育ては誰がしている

「その程度で驚いてはいけません」と菜々子の真ん丸になった瞳にむかって相席のAさん。「今どきの若い親は、子育てをジジ・ババに分担させることを親孝行であるかのごとく思っているのですから」

 Aさんが語るには、昨今の若夫婦は共稼ぎ。「子どもなんか育てるのが面倒だから要らない」と言うのを「子どもがいてこそ生活に張りが出るんだぞ」と諭したという。言った手前、有言実行することになる。幼稚園への送り迎えは当然のことで、熱を出せば泊まり込んで看病する。運動会や学芸会への準備、参加は言うに及ばず、いたずらして学校に呼び出されるのもいつしか祖父母の役割になる……。

 さらに隣席からMさんが加わった。ジジ・ババの子育て支援は労務提供だけではないと言う。生まれた子に着せる服やバギー・おもちゃなどの関連経費はほぼ祖父母が調える。少し長ずればピアノ、机、2段ベッド、ランドセル、学校の制服。高校、大学の入学金……。

「最初の孫にかけたのと同じようにしてくれるものと子どもたちは思っていますから、いつしか祖父母が負担するのが当然の責務のようになってしまうのです!」

 Oさんに発言が戻る。「誕生日だ、入学式だ、卒業式だ……。節目節目に会食するけれども、なぜかその費用は当然のごとく自分が持つことになる。収入レベルがとっくに逆転しているのにどういうことか。娘婿に『キミも今では役付きだろう』と言ってみたが、『ええ、それで忙しくて』とうまく逃げられてしまった」

老後設計を孫が狂わせる

 日本人は責任感で生きている。その第一が他人に迷惑をかけないこと。引退生活に入るにあたっては入念に計算する。年金と蓄えの取り崩しで平均寿命プラスα歳までの生計は万端。心配なのは大病だが、これには予防と終末医療拒否。わが身の始末は自分でつける算段を幾重にも講じておくのがわが国民の美徳なのだ。

 その際に怖いのが、予想外の出費。昨今の物価上昇に伴う政府批判の理由を正しく理解しなければならない。バブル崩壊以降、ほぼ一世代にあたる年収、物価は上がらなかった。その前には物価上昇もあり、同時に収入も増えた。双方同じ率なら影響を打ち消し合う。そして実経済は基本的に並行して動くのだ。

「少子化が続いていて当分は人手不足で賃金が上昇するから物価上昇を怖れる必要はない。外国人を流入させて賃金水準を下げようという策謀には断固反対する」との政府方針を定めればたちどころにインフレによる生計不安は解消する。菜々子もそう思う。

 そしてもう一つの出費増嵩要因が、高齢者では孫関連。Oさん、Mさん、Aさんが口々に言うように、思っていた以上に出費が続く。自分たちはすでに子育てを終えた世代。孫のことは子世代の責任領域と突き放すのが論理なのかもしれない。だが、果たして割り切れるものか。その好例がOさんの留学費支援。Oさんは孫が生まれた時点から、それぞれの孫ごとに経済支援の計画を立てていた。ただし予定では大学入学で終わるはずだった。

「大学進学は18歳。国家の法律で『成年』とされる年齢だ。それを超えてまでジジ・ババが出しゃばるのは行き過ぎだ」。その前提での老後資金計画だったはず。ところが「おじいちゃん、私、留学したいの」と言われて反対などできるだろうか。Mさん、Aさんも頷く。

 Oさんの今回の出費は300万円。これによる老後資金計画の狂いをどう取り返すのか。

「想定死亡時期を早めるか、そうでなければ自己破産だな」。冗談にしても少々深刻。

 可愛い孫が原因で生活困窮、そして破産宣告?かつては子が多いゆえに食い詰めた親が破産した。昭和の前半時期に偉い政治家が「多子が貧困の原因であるから子どもをあまり作らないように」と国会で呼びかけ、産児制限に関する法律が作られた。

「孫破産」はそれとはまったく違う。孫が多いからではなく、孫を可愛がりすぎて祖父母の生活設計が狂うのだ。

こども家庭庁への不評

 わが国の人口政策が「出生抑止」から「出産奨励」に代わって久しい。そのための司令塔としてこども家庭庁が新たに作られ俊秀が集められたとされるが、ネットなどではよい評判をトンと聞かない。代表的な声は、「こども家庭庁の予算規模が年々増強されるに比して、出生数がますます減少速度を高めているのはどういうことか?」

 こども家庭庁の主な財政支出は、子育て家庭の親への補助金である児童手当の支給とか、保育所費用を肩代わりする保育費などだ。これらの合算額は兆円規模で増えている。もっともっと増やさなければ出生数減少を止められないということらしい。だが、いくらに増やせば出生数が増え始めるのかについての説明はない。政策効果を問わない政府支出がなぜ認められるのか。明細がないボッタクリバーと大同小異ではないか。

 お役人にとって予算規模拡大は最大の功績として出世の評価基準になるという。もし年々の出生数が増加に転ずれば、財務省から「こども家庭庁の役割は果たされているから、そろそろ予算増は打ち止めにしたい」と言われそう。逆に出生数が増えなければ、「まだまだ増額が必要である」と主張できる。そして子ども一人当たりの支援額を増やすことだけならば簡単なのだ。出生数が減れば、その分、子ども一人当たりの予算額を増やせる。出生数を増やさないのが組織の発展のためには好都合という構図が暗黙のうちにできている……などと疑いたくはないが、暗黙の合意があるとすれば亡国のお先棒である。

祖父母の活躍で出生増

 菜々子の想像が当たっていないことを祈る。だって政治家もお役人も同じ日本人。社会全体のことを真剣に考えているに違いないと信じたいもの。それにしても児童手当も保育所も予算を増やすことはやめた方がよい。これまで何倍増もしたけれど出生数が増えないのは、政策の方向性が間違っていると考えるのが普通の発想。

「政府批判はその程度にして、どうすれば国民意識が出産意欲に向かうだろう。ジジ・ババの力で何ができるか考えようよ」。菜々子から3人に提案したら反撃を受けた。

「ママは子どもも孫もいない。そういう人にも貢献してもらう必要がある。子どもが生まれなければ日本という国を維持できないのだから」

 Oさんが口火を切る。孫のために出費をすることが社会的評価されるようになればいいのではないか。たしかにそうだ。彼が300万円の留学資金を出したのは計画外だったかもしれない。だが、出せる余裕がある祖父母が孫の将来のために投資をすることは、社会としては賞賛すべきことだ。政府は「人生100年」と言っている。ならば100歳まで生きる可能性を前提とした社会像を国民に示すことではないのか。

 アイデアが出始めると早い。ほとんどの高齢者が死亡時にかなりの貯金を残す。言い換えれば死亡時期の見誤り。100歳まで生きるつもりが80歳で死亡したとか。でも反対の見誤りではそれこそ「老後破産」になる。どちらも防ぐ方法がある。

 Aさん「例えば90歳まで生き抜いた人にはまったく生計に困らない基礎年金を支給することにする。そうすれば準備していた老後資金を90歳でちょうど使いきることが可能になる。Oさんをまねてお孫さんへの留学資金を支援することも、多くの高齢者にとって可能になると思えるぜ」。基礎年金支給は超高齢者に限定する考えで、庶民的には穏当な考え。

 子育てに労力提供を惜しまなかったMさんも発言。「ジジ・ババが保育園代わりになるのをもっと評価していいのではないか。政府出費は減るし、孫の精神発達にもいいはず。保母さんの必要数が減って他産業への国民労働力提供になる。ついてはジジ・ババ保育実績を記録しておいてAさんが指摘した基礎年金充実に反映させるのもありではないか」

孫加算で孫破産はなくなる

 3人とも俄然、楽しそう。それはいいのだが、菜々子のように孫がいない者はどうなる。同じ額の年金保険料を払い込んだのに、孫の有無、あるいはその養育に物心両面でどう貢献したか、その度合いで年金額に差が付くのは子や孫がいない者への経済損失の強要ではないの?

「年金は生きてなければもらえない。何人、孫がいようが、早死にすれば無支給で終わる。年金制度にはその時代の社会要請が反映されている。作った子孫数に年金額を連動させるのは合理的政策判断だろう。実孫の数で年金額を調整するのは問題ない」とMさん。

 Aさんが補足意見。「基本年金額は同じにしたうえで、育ち上っている孫一人につき月数万円での定額「孫加算」をする仕組みであれば、日本国民は納得するのではないかな」

「ママも隠し孫を公表するとか…」とOさん。不謹慎な冗談は久寿乃葉では禁句です。

(月刊『時評』2026年6月号掲載)

寺内香澄(てらうち・かすみ)(有)総合社会政策研究所。ショートストーリー作家としても活躍。単行本として『さわやか福祉問答』(ぎょうせい)。
寺内香澄(てらうち・かすみ)(有)総合社会政策研究所。ショートストーリー作家としても活躍。単行本として『さわやか福祉問答』(ぎょうせい)。