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特集:ネイチャーポジティブが目指す世界/続橋 亮氏

    温室効果ガス削減の「見える化」ラベル
    温室効果ガス削減の「見える化」ラベル

――なるほど、ネイチャーポジティブ進展のカギとなるのは企業の認識と行動、と指摘されていますが、さらに言えば消費者がその重要性を認識し、環境負荷低減の農産物購入という行動変容へと促していくことが重要ですね。

続橋 はい、まさしく消費者へのアプローチは大変難しい部分でもありますが、そうした中でわれわれは現在、〝生産現場における環境負荷低減の見える化〟を推進しています。

 これは、いわゆる稲の中干し期間延長(メタン生成菌の活動を抑制)や、化学肥料・化学農薬の低減、暖房等による化石燃料の使用削減など、従来方式に比べGHG削減に資する方法で生産された農産物を対象に、小売りの店頭で認証ラベルを貼り、消費者に一目で、これは環境負荷低減に取り組んで作られた野菜類なのだと分かってもらうようするものです。削減割合によって星の数を増やしています。この取り組みは大変好評で、既に小売りや飲食店を中心に1月下旬現在全国で延べ689店舗がこの「見える化」ラベルを
導入しています。

 他方、兵庫県のJAたじまや宮城県のJAみやぎ登米、佐渡市などは独自に、冬期湛水(冬期も水田に水を張り生態系を守る)や魚道確保など、生物多様性保全に資する活動をして生産したコメです、というアピールをしています。ならば各地それぞれの基準や表示ではなく、農水省として全国共通で汎用性のある基準をつくりたいと思い、有識者各位による検討会を設け、まさに新たなスキームがスタートするところです。

――なるほど、自治体だけでなく生産現場に接する各種団体において、推進や連携を図ることも有効ですね。

続橋 その点、有識者の委員にJAの方にも参画していただき、地域視点で持続性ある取り組みとなるようアドバイスをいただいています。

環境意識が高い若手の生産者

――企業や自治体の活動について先行的事例などはいかがですか。

続橋 環境省が今通常国会で法案提出を目指している「自然共生サイト認定制度」の試行において、さまざまな分野の企業による植林、屋上・壁面緑化、アマモ場の整備、等々の事例が展開されています。

 さらにこの試行は、ビオトープづくりに勤しむ神戸市など、大規模自治体なども対象となっています。この点、農林水産省とは平素直接的な関わりが薄い企業、自治体などに対して、環境省と連携し、政府として網羅的にアプローチしていくことが重要だと認識しています。

――環境負荷低減や生物多様性保全の現場とも言うべき、農業生産者の方々の声などは。

続橋 このテーマに対する、若手生産者の方々の関心は本当に高いと思います。私は2011年の震災当時はワシントンDCに留学中でしたが、帰国してから13年まで復興庁に出向し、その後さらに東日本大震災の被災地である宮城県石巻市に赴任して当時の亀山紘市長を支えました。そのご縁で昨年秋に同市のハード面における復興完成セレモニーに招待いただき、開催前に現・齋藤正美市長と「みどり戦略」について意見交換をしたところ、市長曰く、市内の若手農業者から、戦略の内容を実際に手掛けてみたい、しかし具体的な手法に詳しくないという声が多く、JAいしのまきと市役所で共催で勉強会を開くので、ぜひ農林水産省本省からも講師としてきてくれないか、と大変ありがたい依頼を受けました。現在、その実施に向けて市役所農林課と調整しているところです。

――概して環境問題に対しては若い世代の関心が高い傾向にありますが、農業分野でも然り、のようですね。おそらく他の市町村でも同様の潜在需要があるのではないかと。

続橋 前後して福島県田村市の白石高司市長とお話したのですが、こちらでは昆虫課という部署を設けており、市長曰く「これからはカブトムシだ、カブトムシを食料にする、人間が食べるのではなく養殖魚の餌として」として、すでに養殖場の誘致に力を入れているとのことでした。一般に養殖魚の餌は海洋小魚類などですが、それに比べれば著しく環境負荷が低く、地元で持続可能な餌を供給できるとともに養殖魚育成のサイクルが回せる、そして養殖場を誘致できれば地元振興にもつながるという〝三方良し〟だと語っておられました。

 このように先進的な自治体はどんどんネイチャーポジティブの方向に農林水産業を進めています。われわれとしても国と地方の連携に着実に手応えを感じております。

――GHG削減の観点では、以前から森林の吸収力が着目され植林活動が展開されてきました。

続橋 農林水産業は削減ではなく「吸収」ができる分野であるというのが画期的です。一方、森林の高齢化などでその機能は低下しています。さらに、近年は森林組合などでの担い手不足もあり、林業の活性化は難しい課題です。一朝一夕には解決できませんが、路網の整備と合わせて、通常の苗木より成長が早い〝エリートツリー〟の開発など技術でこれを補う取り組みも行っています。

 また森林だけではなく、未来に向けて今注目を集めているのは、海洋を舞台とした〝ブルーカーボン〟です。

ブルーカーボンの吸収力に期待

――では、ブルーカーボンのポテンシャルについて教えてください。

続橋 まさしく海草、海藻藻場、海藻養殖、マングローブ、塩性湿地などを対象に保全と育成を図り、資源を適切に管理するという観点とともに、これら海草・海藻類が有するCO2吸収・貯留を促進するものです。長らく海藻類のCO2吸収・貯留量の計測方法の確立が求められてきましたが、水産庁がその算定方法を確立し、次の国連への報告に、世界で初めてブルーカーボンの吸収量を反映するという方針が、1月に開催された環境省の有識者検討会で了承を得たところです。

――ブルーカーボンの担い手というと、漁業関係者でしょうか。

続橋 もちろん漁業関係者もキープレイヤーですが、ブルーカーボンに関しても、食料システム全体での取り組みが必要です。例えば、あるスタートアップ企業では育成した海藻をもとにスイーツの原料として加工し、デパートで販売したところ大変な好評を博しました。このように、地域漁協は藻場の増生に取り組み、適切に管理しながら持続的に収穫した分を企業が商品開発して販売する、つまり環境対応と産業資源としての両立を図るという構図になります。

――ブルーカーボンの推進に向けた発信こそ、四囲を海洋に囲まれた日本ならではですね。

続橋 ご指摘の通り、日本が世界に発信していくべきテーマです。昨年末ドバイで開催されたCOP28において、環境省の伊藤信太郎環境大臣とオーストラリア環境エネルギー省副長官が連携協定を結ぶなど、日豪でブルーカーボンに関する取り組みを推進していく体制が整いました。農水省も引き続き環境省と協力してブルーカーボンの推進に努める所存です。環境省では国内外への発信にリーダーシップを発揮してもらって、藻場の再生や資源活用は農水省や国交省がその方途を探る、という役割を担っていくことになるでしょう。

――しかし日本沿岸では海水温の上昇で、生態系本来の藻場も生育しにくくなっているのでは。

続橋 海水温の上昇は今や世界共通の難題です。米国でもベーリング海のカニ類が全く捕れなくなって、昨年冬に初めて全面禁漁になり、地元経済に大きな被害が発生しました。今年も予断を許さない状況と聞いています。

農業分野のJCMの実績づくりを

――インバウンドの高まりの中、水田や森林も含めた日本の伝統的な里山風景を維持することが、外国からの旅行者を呼び込む観光資源になるとの指摘もありますね。

続橋 そのためにも日本固有の風景を形成する自然や生態系を保全することが、地域経済にも資することになります。生態系はもちろん、自然環境を背景に育まれたその地域独自の食材や伝統的な料理も含めて、新たな、そして外国人にとっては魅力的な観光資源に映ると思います。

 この点は私自身、むしろ米国駐在中に強く実感しました。当時、コロナ下ではありましたが米国・カナダのシェフやジャーナリストを日本に招いて地域の食を紹介するという企画を立て、現地自治体の協力の下、震災被災地である岩手、石巻、福島を訪問したところ、いちごやホヤ、和牛などの味、品質の高さに皆、驚嘆していました。中でも、酒造や醤油の醸造所に案内したとき、発酵文化に対し非常に高い関心を寄せていたことにこちらが驚いたほどです。推察するに、自然と風土に根差しながらコメの育成から酒造りまで脈々と連なる食文化と、建築も含めたそれを形成する地域文化との一体感に深く感得したのだと思われます。

 この視察会の様子はその後、参加したジャーナリストによって米国最大級の大手フードインターネットメディアであるイーター(Eater.com)に記事が掲載されました。その時参加した、全米で初めてミシュラン二つ星を獲得したスターシェフが、彼らのチーム6名を連れて、この冬に秋田、岩手、福島を再度訪れてくれました。

――農水省と関係省庁との、連携状況などはいかがでしょうか。

続橋 環境省とはむろんのこと、経産省とはGHG削減に関してJ-クレジットの推進に向け連携強化を図っています。この分野は長らく環境省、経産省が主導してきましたが今般、バイオ炭の使用や中干し期間延長などの農業分野でのGHG削減の必要性が認識されたので、これらみどりの農業技術を、国内はもとよりパリ協定6条2項に基づく二国間クレジット制度(JCM= Joint CreditingMechanism )を活用し、ASEANのプロジェクトとして形成することを、官民全体で目指しています。これまで農業分野のJCMは、少なくとも日本ではまだ実績が無かったので、ぜひ先例をつくっていきたいですね。もともと日本のみどりの理念をアジアモンスーン地域に広げ、構築していくという理念のもとに「みどり戦略」を策定しました。その実現を図るべく、外務省、環境省、経産省、そして国交省などと連携しています。

――誌面を通じて室長からメッセージなどございましたら。

続橋 カーボンニュートラル、ネイチャーポジティブのどちらも、農水省だけでは決して達成できないテーマであり、他省庁、民間企業、自治体等との連携は不可欠です。これまで同様、今後も関係各位との連携強化を図りながら進めていきたいと思います。

――本日はありがとうございました。
                                                (月刊『時評』2024年3月号掲載)