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森田浩之「日本から世界を見る、世界から日本を見る」⑩

新しい冷戦

(写真:pixabayより)
(写真:pixabayより)

 1989年にベルリンの壁が崩れ、翌年にドイツが統一し、そしてその次の年にソビエト連邦が解体して、世界は「歴史の終わり」を迎えた(かに思えた)。1990年代は西洋的自由民主主義が地球を支配し、人権と平和と共存が人類共通の価値観になると楽観視されていた。
 詳細に定義すると、リベラル・デモクラシー(自由民主主義)は「自由主義」と「民主主義」から成る。
リベラリズム(自由主義)は、国家による抑圧からの解放を求める立場で、政府が行う人権侵害を阻止することが近代市民社会の課題となったため、「~からの自由(解放)」と「権利」を重視する。
デモクラシー(民主主義)はリベラリズムを保証する制度であり、それ自体は目的ではなく、自由と権利を確保するための手段である。というのも、衆愚による多数の暴政は古代ギリシアから懸念されており、むしろ大衆的な専制主義を防止するための装置である。
 この視点から見ると、1990年代はリベラル・デモクラシーが地球上に行き渡った時代として記憶されている。しかしこれは歴史の一つのエピソードに過ぎず、時代の趨勢は逆行している。
 というより、歴史は単線的に進んでいないと同時に、厳密な意味ではリピートすることもない。歴史はらせん状に変化しており、らせん階段を横から見ると、縦に上がっているが、同じらせんを真上から見下ろせば、いつもの場所を行ったり来たりしている。
このように、歴史は一つの方向から眺めれば、時間の経過とともに、事態が変化しているが、別の方向から観察すれば、人間は同じ過ちをくり返し続けている。
 その点、2010年代後半の世界は「デモクラティック」ではあっても「リベラル」ではない。政府が国内で反対派の人権を侵害しているという面では、世界は中世に回帰したようだが、中世とは違い、それはデモクラシーという正統的な制度のもとで行われている。それゆえ、最近の一連の出来事は新しい傾向である。
 筆頭がロシアである。1980年代後半のゴルバチョフによる民主的大改革の後、エリツィンの時代に入る。当時のクリントン米大統領との関係が良好だったため、先進国首脳会議に加わり、1998年からは「G8」になった(2014年まで)。
 現在も大統領・国会議員は形式上、民主的な選挙によって決められているが、欧米と日本の報道から判断するかぎり、果たしてこれが西洋的な意味で〝合法的〟つまり政府からの干渉のない自由な選挙かというと、かなり疑問である。
 さらに反体制派の政治家やジャーナリストがロシアの国内外で殺害されている。モスクワの街中を歩いている時に射殺されたり、ロンドンで放射性の毒物をもられるというような事件である。
 かといって、プーチンが中世的な、暴力のみに依存する絶対君主かというと、どれほど厳しめに見ても、プーチンの国民的人気に関しては、議論の余地はない。毎回の選挙で、西側は政府による選挙介入の懸念を表明しているが、仮に国家による抑圧がなくても、プーチンは大統領選で勝つだろうし、議会選挙で与党は多数派を占めるだろう。
 要するに、いまのロシアは多数派の支持を背景にした独裁政治という歴史的には特異な形態を示している。
 同様に国民的人気と絶対主義を組み合わせているのが、トルコのエルドアン体制である。トルコは歴史的にイスラム系のオスマン帝国としてヨーロッパを南から脅かし続けてきたが、一世紀前にケマル・アタチュルクにより世俗的(無宗教的)な国家として生まれ変かわる。
 エルドアン大統領が危険視されているのは、世俗主義に徹してきたトルコをイスラム教国に変えようとしていることである。そしてエルドアンは思い通りの国家にするために、大統領に権限を集中させる憲法改正に乗り出し、一度は頓挫したものの、大衆的人気を背景に改憲を成し遂げた。
 この過程で野党や反体制的ジャーナリストを弾圧し、加えて昨年の軍によるクーデターを逆利用して、批判勢力の排除を強化している。そしてこれも中世型とは異なり、国民の多数派の支持を受けてのことである。
 専制政治から民主化を経て、大衆的独裁者に至る道は、フィリピンにも見られる。マルコス体制を倒した革命の後、二人のアキノ大統領を輩出して、ドゥテルテ政権がやってくる。彼はダバオ市長時代、麻薬撲滅に成果を出したため、治安維持を託され国家の政権を担うことになった。
 しかし欧米のメディアでは、尋問する前に撃ち殺すという方針から「ダーティー・ハリー」と名づけられている。ドゥテルテ本人が市長時代、みずから機関銃を携えて、大型バイクで取り締まりの先頭に立っていた。
 時代はある面では逆行し、政府による人権侵害が多くの国でまかり通るようになった。これは「リベラリズム」の否定である。しかしこれが「デモクラシー」に基づいているという点では、奇異な現象である。西洋的な意味では歴史は終わらず、新しい専制時代を迎えた。(月刊『時評』2017年10月号掲載)

森田浩之(もりた・ひろゆき) 1966年生。東日本国際大学客員教授。
森田浩之(もりた・ひろゆき) 1966年生。東日本国際大学客員教授。