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森田浩之「日本から世界を見る、世界から日本を見る」⑪

女性の飛躍を阻む不条理な基盤

(写真:pixabayより)
(写真:pixabayより)

 日本人が欧米、とくにアメリカの政治を理解できないのは、政治という公共的領域が、価値観という個人的な信条の上に成り立っているためである。改めてこのことを感じた契機は、米映画プロデューサーによるセクシャル・ハラスメントである。
 米紙がスクープして以降、次々と被害者が名乗りを上げた。ここからハリウッドのセクハラ探しが始まるが、これとは別の複数のセクハラがソーシャル・メディアを通じて申告されると、そのたびに名指しされた俳優がフェースブックやツイッターで謝罪するという事態が続く。
 これはエンターテイメント業界では終わらず、政界に飛び火し、さらに国境を超えて、現時点ではイギリス議会でセクハラ探しが始まり、かつて女性記者の膝を触ったとして、メイ政権の国防大臣が辞任するまでに至っている。
 ただ行き過ぎの面が否めないのは、ジョージ・H・W・ブッシュのセクハラ疑惑である。すでに数年前から車椅子で生活しているが、公的な場で記念撮影をする際、隣の女性の腰に手をまわしてしまう。この時、手がどこかに当たったことがセクハラとして取り沙汰されたが、これには魔女狩りに近いものを感じた人も多かったようである。
 しかしそれでもこの問題については、騒ぎ過ぎるほど騒ぐべきであろう。まだ政界も、財界も、メディアの世界も男性中心であるため、不快な思いをした人、屈辱を感じた人、さらには犯罪行為と見られるようなことをされた人も、沈黙せざるを得ない。今回の一連の事件で「女性は声を上げるべきだ」という風潮に向かうことが期待されている。
 話は前後するが、この10月に英BBCのお笑いトークショー(と言っても、かなりインテリな番組である)にヒラリー・クリントンが登場した。そのなかで司会者は、昨年の大統領選のディベート、とくに二番目の対決に言及した。この討論会は二人が椅子に座って動かないというフォーマットではなく、一般有権者に囲まれた円形のプラットフォームのなかを自由に歩きまわるというものであった。
 当時、米国の政治風刺番組でよく取り上げられたのが、クリントンが話している最中に、トランプが背後から威嚇するように接近する光景であった。
 トークショーでクリントンが言うには、トランプは強面で、威圧的で、相手を支配するかのように、存在を誇示しようとする。それが劇的に表われたのが、ディベートでクリントンに襲いかからんばかりのトランプの男的なるものを丸出しにした野獣性であった。
 トークショーの司会者は、このディベートについて「彼が背後に近づいてきたのを知っていたか」とたずねた。クリントンは「もちろん、わかっていた。どんな女性でも、背後に人が来ればわかるものだ。」
クリントンは続けて言う。「私はその時、後ろを振り返って『私を脅すべきではないし、女性を脅すべきではない。下がりなさい』と言ってやるべきだった。」
トークショーには一般客も入っていたが、ここで会場は割れんばかりの拍手に包まれる。クリントンはそのまま次のように述べる。
 「女性で公職に就いている場合、男性の同僚、上司、顧客など、彼らはあなたを支配しようとする。通常は、何もしない、何も反応しないものだが、そこで強く対応すると、『彼女は怒っている、面倒な人だ』と言われてしまう。こういう言葉が、女性を飛躍させない。私はこういうことに我慢しないことにした。こういうことに立ち向かうことにした。」
 ここでもっと大きな歓声がわき上がるが、われわれはここで、その勢いにのみ込まれずに「なぜ彼女は負けたのか」と問い直さなければならない。
 細かいことだが、意外に重要なのが、彼女の名前である。トークショーに出たのは、最近出版した本の宣伝のためである。そこには「ヒラリー・ロドハム・クリントン」と旧姓をミドルネームに入れているが、大統領選では「ヒラリー・クリントン」だけであった。
 これは結婚後も旧姓を名乗ることを受け容れない人がいることの表われである。クリントンが選挙戦で旧姓を省いたのは、社会における女性の役割について固定的な考えを持っている人に対する緩和策であった。
 いまでもショックなことは、大統領選の出口調査によると、白人女性の半分以上がトランプに投じたことである。つまり男性の半数以上と、女性の多くが「女性の社会進出」について懐疑的であることを示している(もちろん女性の活躍は歓迎するが、クリントンの手法は「古いフェミニズム」という意見もある)。
トランプ自身が選挙戦中リークされた録音で、セクハラまがいのことを公言していた。しかしそれでもトランプが勝ったということは、セクハラ発言がマイナス要因にならなかったことを意味する。
 女性の役割についての固定観念と、セクハラの許容範囲に関する価値観が、大統領選を決めたとしても過言ではないだろう。西洋の政治は一見、合理的なようだが、実際は不条理な基盤の上に築かれている。(月刊『時評』2017年12月号掲載)

森田浩之(もりた・ひろゆき) 1966年生。東日本国際大学客員教授。
森田浩之(もりた・ひろゆき) 1966年生。東日本国際大学客員教授。