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森田浩之「日本から世界を見る、世界から日本を見る」⑲

国家の崩壊

(写真:pixabayより)
(写真:pixabayより)

 2019年3月29日、イギリスはEU(欧州連合)から離脱した(または延期になっているかもしれない)。ポイントは離脱する「EU」の具体的な中身と、離脱の形態と、離脱後のEUとの関係である。EUは「単一市場」「関税同盟」「欧州司法裁判所」から成る。離脱派はこれらすべてから退くことを求めているが、この2年半の醜悪な争いは、事が単純ではなかったことを物語っている。
 単一市場はEU「域内」ではあらゆる物品が関税なしで行き来できることであり、関税同盟はEU「域外」からの輸入品は加盟国全体で統一しなければならないという規則である。強硬離脱派はすべてから立ち去り、離脱後は世界各国と自由貿易協定を結べると目論んでいた。関税同盟に残っていれば、イギリスはEUが決めた関税を守らなければならないが、関税同盟の外にいれば、独自の判断で域外の相手国と税率を決めることができる。
 ここに現れたのが北アイルランドとアイルランド共和国との国境問題である。北は連合王国の一員であり、南(共和国)はEU加盟国である。例えば、もしイギリスが中国と貿易協定を結び、EUよりも低い関税を受け入れたら、北と南の国境から安い中国製品がEUに流入してしまう。しかし北と南に検問所を復活させることはできない。1970年代以降に多発したテロを教訓に、1998年の和平合意締結後、北と南の検問所が撤去され、国境がなくなったからである。
 北と南との無秩序な密輸を防ぐためには、連合王国全体が関税同盟に残るのが順当である。実際に、これが昨年11月のEUとメイ政権との合意内容であった。しかしこれは強硬派の「完全離脱」に反するため、保守党内で反乱が起こり、メイ党首への不信任案が提出されるところまで対立が激しくなった。
 おそらく、ブレグジットを経済や日英の貿易関係の問題として見ているわれわれには、今のイギリスの動揺ぶりは理解できないであろう。私は日本人としてというよりも、一時期イギリスで暮らした「半英国人」という視点から、2016年6月23日の国民投票の結果に打ちのめされていた。私のような西洋崇拝者がイギリスに憧れてきた理由は、同国が「自由」「良識」「寛容」「高貴さ」を体現した国だったからである。
 しかし国民投票までの数カ月間のディベートやそれ以降の離脱をめぐる論争を見てきて、この国から「自由」「良識」「寛容」「高貴さ」の一切が消失したことを感じた。確かにイギリス人はブリュッセルの官僚に指図されたくはないし、国内の法廷の評決を欧州司法裁判所で覆されたくもないというのは理解できなくもない。しかし外国人の受け入れがイギリスの寛容さを示してきたから、反移民感情が離脱を促したことに今でも納得できていない。
 とはいえ、私は過去3年の英国内の論争をメディアと知人を通じて日本から観察していて、今は「合意なき離脱」を支持している。「残留派の転向か」と思われるだろうが、短期的には大きな経済的打撃になるが、長期的にはイギリスという国を壊すことにならずに済むのは、この選択肢しかないと確信するようになった。
 離脱の形態として考えられてきたのは、メイ首相案と合意なき離脱であり、その後のEUとの関係は完全離脱、関税同盟のみの残留、ノルウェー型(EUから離脱するが単一市場と関税同盟には参加)、カナダ型(すべてから離脱し新たに協定を結ぶ)などが挙がってきた。当座の離脱形態と、2020年末までに締結されるべき協定とが完璧に混同されてしまい、抜け出すことのできない膠着状態に陥ってしまった。
 問題はもう離脱の形態やEUとの関係を超えるところにまで達している。保守党からの残留派の離党者は3人だが、労働党からは9人も党を去ることになった。この中には将来を有望視されていた議員もいるから、今回の出来事は政治的な大激震である。
 この3月に入っても議論されているのは合意なき離脱か離脱の延期かを問う2回目の国民投票である。私はこの中で唯一、イギリスという国家が崩壊しなくて済むのは合意なき離脱しかないという結論に至った。すべての当事者が「自分だけが正しい」「自分だけが国益を気にしている」「自分だけが民意を反映している」と独善的になっている状態では、答えを中間に見つけることも、合意を形成することも絶対に不可能である。つまりどちらかの陣営が完全勝利しなければならない。
 関税同盟への残留も、離脱延期も、第2回国民投票も、すべて離脱派の逆鱗に触れるであろう。彼らの決意を過小評価してはいけない。彼らは満足した答えを得られなければ、必ずや暴動を起こすであろう。この方が合意なき離脱よりも、社会的損失は圧倒的に大きい。仮にこの時点で、折衷案でお茶を濁しているようならば、戦いは先送りにされたに過ぎない。イギリスはいずれにせよ完全離脱の道に進むであろう。そしてその方が、イギリスという国にとっては幸せなことである。

(月刊『時評』2019年4月号掲載)

森田浩之(もりた・ひろゆき) 1966年生。東日本国際大学客員教授。
森田浩之(もりた・ひろゆき) 1966年生。東日本国際大学客員教授。