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森田浩之「日本から世界を見る、世界から日本を見る」㉒

人工知能の哲学問題

(写真:pixabayより)
(写真:pixabayより)

 人工知能(AI)は人間の知能をコンピューターで再現することであるが、「人間の知能」は正確に定義できるのだろうか。これは一面では哲学問題であるが、反面では工学問題でもある。というのも「知能」の定義に応じて、人工知能の手法も変わってくるからである。
 われわれは日々のニュースで「AI」という用語に晒されているが、これが「AIには一種類しかない」という印象を与えているとしたら、それは誤解である。人工知能という学問の領内にはたくさんの見解があり、みんなが「自分こそ真の人工知能を体現している」と自負している。派閥というべきグループ分けがあって、一部には醜悪な対立もある。
 「人工知能」という言葉は1956年に命名されたが、この頃の目的は人間の「高度な」知能の再現であった。高度な知能とは数学的論証やゲームにおける推論のようなものである。このため当時の人工知能は論理学を基礎としており、すべての状況をプログラムに書き込んでおかなければならなかった。将棋やチェスならば、考えられる限りあらゆる場面における最適な手を完璧にコンピューターに覚えさせておかないと、人間に勝てるようなプログラムは構築できなかった。
 この方法をロボットの行動に応用する場合、人間ならば無意識に行っていることを、すべてプログラムに入れておかなければならない。例えばロボットに隣の部屋にホチキスを取りに行かせるとすると、まずどちらの方向に進むか(時計回りか、反時計回りか)、ドアがあれば自分で開けなければならないが、その時はドアノブを回すのか、ドアを押すのか引くのか、廊下に出たらどちらに進み、目的の部屋に着いたら、またドアノブを回して……と続き、ホチキスのある机に到達したら、今度は引き出しを開けて、そこに何があるかを知覚して、ホチキスを手に取って……、またさっきの移動の手順を逆にたどって依頼主に目的の物を渡さなければならない。
 これらをプログラム言語を用いて書いていくわけであるが、一つでも抜けがあれば、ロボットはそこで動きを停止してしまう。
 このような立場を「論理派」と名付けるならば、1960年代に一度登場したが、1990年代まで反主流で、それ以降は論理派を圧倒しているのが「学習派」である。論理派が人間の理詰めの思考をモデルにしているのに対して、学習派は人間の脳をコンピューターで再現することを目指している(とはいえ、学習派の中にもいろいろな立場がある)。
 学習派に共通するモットーは、筋道立ててすべての状況を書き込むことは不可能だから、コンピューターにたくさんのデータを流し込むことで、機械自身にパターンを見つけさせるべきだというものである。これはそもそもの前提の段階で、論理派と大きく異なる。
 論理派は数学的推論など、人間の高度な知能の再現を目的としている。一方、学習派はまずまっさらな白紙のような脳を創ったら、あとはそれ自体に学ばせようという立場である。論理派が大人の知能を出発点としているのに対して、学習派は子どもの知能を出発点にして、人間と同じ成長をコンピューターに体験させようとする。
 学習派が1990年代まで反主流だったのは、数学の限界と、機械の情報処理能力の制約のせいであった。画像認識の場合、コンピューターに「ネコ」と「イヌ」を識別する能力を備えさせたいとすると、「ネコ」とラベリングされた写真を数十万枚程度、機械に読み込ませなければならない。これにはかなりの情報処理能力が必要で、コンピューターが大容量化・高速化しなければ、実現できなかった。
 さらに重要なのが、数学の能力である。1930年代に始まるコンピューター・サイエンスは数理論理学を基礎にしていた。これは人間の推論を記号に置き換えていく学問であるが、一つ一つの論理記号や展開の仕方は面倒ではあるものの、勤勉でさえあれば、何とか付いていけないほどの難関ではない。
 しかし学習派が依拠するのは数学の世界でも精緻な非線形の微分方程式である。画像がネコかどうかを判断する場合、コンピューターはまず写真を小さく細分化する。縦横100ずつに切り分けるとすると(これを「ピクセル」と言う)、白黒写真ならば、白に1、黒にマイナス1、灰色に0というように数字を割り当てる。
 人間の脳を模したプログラムであれば、一つのニューロン(神経細胞)は複数のピクセルの画像を捉え、それを次の段階のニューロンに送っていく。ニューロンの層が多ければ多いほど、実物に近い正確な像を再構成できる。この作業は最適化問題と同じだから、高度な数学が不可欠となる。
 不思議なのは、論理派は高度な知能を再現するために、見通しの良い設計図を活用する反面、学習派は人間の単純な知能を再現するために、複雑な手法を駆使していることである。AI界内部の対立は、人間と世界との関係についての哲学問題にも起因している。(月刊『時評』2019年10月号掲載)

森田浩之(もりた・ひろゆき) 1966年生。東日本国際大学客員教授。
森田浩之(もりた・ひろゆき) 1966年生。東日本国際大学客員教授。