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森田浩之「日本から世界を見る、世界から日本を見る」③

これからのヨーロッパ

(写真:pixabayより)
(写真:pixabayより)

 激怒と失望と内省の空白期が終わり、建設的な議論の時が来た。EU(欧州連合)とは何か。これを「単一市場」と「移動の自由」と名付けるならば、意外に事態を正確に言い当てている。EUは経済統合と共通の外交・安全保障政策と警察・司法の協力体制という三層から成り立っているが、最も重要なのが統一経済圏としての欧州共同体である。
 経済共同体としてのヨーロッパの核は「関税同盟」と「単一市場」である。域内では国境を越えて自由に財とサービスを取引できる。だから物や情報だけでなく、人の移動の自由も保障されなければならない。
 単一市場、すなわちEU域内を一つの商売圏とするためには、ある程度の政策の共通化が不可欠である。いくつか挙げれば、共通農業政策、共通漁業政策、共通競争政策、共通の消費者保護政策、全域に及ぶ環境政策、さらに加盟国同士の相互認識のためにEU全体の教育・文化政策や、域内格差を一定範囲に抑えるために共通の医療政策も必要になる。
 加えて「単一市場」と「移動の自由」は表裏一体だから、人の流出入に関するルールも共通化しなければならない。移動の自由という規定がある以上、域内からの労働力の受け入れも制限できないから、EUとしての移民政策や亡命政策も必要であるし、移動の自由を保障するためには国境管理についても加盟国間で合意しておかなければならない。
 6月23日の国民投票では、私の見るところ、英国民は比較的正確な情報に基づいて投票していたように思われる。やはりEUの本質は「単一市場」と「移動の自由」であり、離脱に賛成した52%の有権者は移民の制限を求め、EU本部のあるブリュッセルの役人による支配を拒否したのである。イギリス国内では近年、特にポーランドからの移民に対する嫌悪感が高まっていた。彼らを排除できるなら、単一市場から追い出されても構わないということである。
 もちろんEUは極度に込み入った体制だから、機構に関する正確な知識という意味では、残留派を含め、だれも「EUとは何か」を知らずに投票したが、本質を突くという点では、多くの人が共通了解のもとに賛否を決めたと言ってよい。イギリス国民は長い間、マスメディアを通じて、EUの規則とイギリスの法律との食い違いについて、多くのことを知らされてきたからである。
 共通農業政策によって補助金を得られるものとそうでないものがあるとか、共通漁業政策によって各国に漁獲量の分配があり、その割り当てを超えたものは海に捨てなければならないとか、EUの環境規制のためイギリス国内で自由に事業が営めないとか、さらにはイギリスでの判決がヨーロッパ司法裁判所で覆されるとか……枚挙にいとまがない。英国民は長年にわたり、自国の制度がEUの官僚によって否定されてきたのを観察してきた。これが今回爆発したのである。
 事を複雑にしているのがEUという組織の複雑性である。EUは「超国家」でありながら「国家の連合体」でもある。超国家的な機関と連合体的な機関が共存しているため、誰がどんな決定をしたのか、そしてそれが自分たちの生活にどう影響しているのかについて透明性が確保されていない。
 超国家的というのは、加盟国の国民が「EU市民」として直接的に政治参画できることを指し、これを体現したのが欧州議会である。750人の議員を各国の人口比で配分するもので、各国の有権者に投票権が与えられている。
 議会のカウンターパートとしての行政府に当たるのが欧州委員会である。実際の人選は各国政府の意向や、欧州理事会の推挙に基づくが、欧州議会の承認なしには正式に活動できないので、民主的なアカウンタビリティ(任命者への責任)は担保されている。現在の委員長はジャン・クロード・ユンケル(前ルクセンブルク首相)である。
 EUは一方で各主権国家の協調体制によって成り立っているから、各国政府は、欧州議会のようなEU市民による直接選挙が優勢になって主権国の意向が軽視されるのを嫌う。そのため欧州委員会と協力しつつ、それと同じか、それ以上の権限を有するものが「欧州理事会」と呼ばれる各国の首脳(大統領・首相)からなる会議である。そしてこの会議の議長がヨーロッパの「大統領」と名付けられる人で、現在はドナルド・トゥスク(元ポーランド首相)が務めている。
 以上の考察からして、私はイギリスの離脱は「なるべくしてなった」と見ている。いまやイギリスという卑屈な小国は完璧に機能不全に陥ったため、ボールはEUのコートにある。特に理事会がイギリスに対してどんな条件を突きつけるかで、ヨーロッパの今後が決まる。
 かつてイギリスの住人だった者としてはこんな帰結は受け入れたくないが、ヨーロッパのプロジェクトのほうが大事だから、EUはイギリスを叩き潰してでも欧州の解体を防ぐべきである。それが今度の愚かな決断に対する旧同盟国ができる正当なお返しである。

(月刊『時評』2016年8月号掲載)

森田浩之(もりた・ひろゆき) 1966年生。東日本国際大学客員教授。
森田浩之(もりた・ひろゆき) 1966年生。東日本国際大学客員教授。