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森田浩之「日本から世界を見る、世界から日本を見る」⑤

経済政策の新潮流

 国で経済政策が行き詰まっているが、打開策として流行なのが財政出動である。
1970年代のスタグフレーション(インフレと失業の同時発生)によって、当時主流だったケインズ経済学が失墜した。それによると、物価上昇期は失業率が低く、失業が増えると物価は下落するはずであった。
 オイルショックを契機にケインズ理論の信頼性が崩れ、マネタリズムが台頭する。それは政府の任務は物価安定だけで、経済活動はすべて民間に任せるべきだと主張する。
これで経済政策の基軸が交代し、道具が財政政策から金融政策になり、主体が財務省から中央銀行に移る。同時に政府の位置付けも変化し、社会発展の推進力ではなく、成長の阻害要因と見られるようになる。
 政府が民間経済に介入すると、自由市場がもたらすはずの最適な資源配分が妨げられるから、政府の役割を小さくして市場の働きに任せておけば、自然に均衡点にたどり着くという見方である。
背景には、政府が国家権力を用いて市場を支配することは、非効率であり、悪であるという考え方がある。非効率であるのは、現場の創意工夫こそ成長の原動力であるためである。特定の状況に置かれた人が発揮する火事場の馬鹿力のほうが、政府の高台からの指示よりも、優れた成果を出すということである。
 悪であるのは、民間市場の担い手は個人の自由を最大限活用して経済活動に従事しており、ここに政府が法的権限を盾にして手を突っ込んでくることは、自由の侵害に相当するためである。
 これら二つの議論は前者が経済的効率性の話であり、後者が政治的権利の問題であるが、その交点に税金がある。すなわち前者では、税金は安いほど働くインセンティブが高まるから、減税したほうが成長し、かえって税収が増えるという議論になり、後者では、所得はその個人のみに処分する権利が与えられているから、政府にはそれに手を触れる権限はないということになる。
以後、成長を促すという効率の面でも、国家による自由の侵害という正義の面でも「民間は善、政府は悪」という見方が広がっていく。
 またケインズ政策は公共事業を正当化するという点でも悪名高かった。『雇用・利子・貨幣の一般理論』には、困窮する失業者は気の毒だから、財務省は閉山した炭鉱に札束を埋めて、彼らを雇って掘り起こさせたらいいと書いてある。これは英国人特有のユーモアだから真に受けてはならないが、その現代版がヘリコプターマネーである。
 政治の場、つまり政策的にはマネタリズムが優勢になり、80年代以降の新自由主義政権で次々と民営化や規制緩和が実施される。さらに税収不足から、公共サービスの縮小、福祉の削減、失業者の自立支援に政策の比重が移っていく。それにつれて中央銀行への期待が増大していった。
 しかし経済学の内部では、静かにケインズが生き続けていた。国内総生産や国民所得などの経済統計はマクロ経済学の分野だが、30年くらい前までは、その内部で経済人がどう行動しているかは問題にならなかった。
 だが経済学が想定している「均衡」の概念が崩れることで、不均衡な状況のなかで個人がいかに振る舞っているかに関心が移る。そこでマクロ現象のミクロ的基礎が研究課題として浮上するが、その担い手がネオケインジアンと呼ばれる学者である。
 これは一義的には地味な学問対象であるが、一部の研究者はその成果を基に大胆に政策提言するようになる。マネタリズムが「物価安定」のための金融政策を強調するのに対して、ネオケインジアンは「景気対策」としての金融政策を主張する。マネタリストと新ケインズ派の連合そして2000年以降の世界的なデフレ時代がやってくる。
物価が継続的に下がっていくなかで、日本も欧州の数カ国も、財政政策で不況を止めようとするが、効果が小さいわりに出費は多く、成長しないから税収は増えずに財政赤字だけが増えていった。
 そこにマネタリストとネオケインジアンの連合軍がやってくる。前者は物価安定を目標にしているが、デフレ下の〝物価安定?とは理論的には金融政策による調整インフレだから、彼らは量的緩和に賛成する。後者は景気対策としての金融政策を提唱しているから、浮揚効果のある量的緩和に賛成する。
しかしここでまた場面転換が起こる。量的緩和が収穫逓減の法則にはまり、効果が薄れてしまった。そこで今度はネオケインジアンが、大規模な財政出動を言い始める。不況を終わらせることが政策の最優先課題と考えるケインジアンとしては当然の理屈である。
 G7でこのような旧式ケインズ政策を採用するのは、アメリカ、カナダ、フランス、イタリア、日本である。イギリスはキャメロン政権で急進的な予算削減を行い、財政出動に反対していたが、メイ政権は強硬路線を緩めつつある。ドイツだけはまだ構造改革論の急先鋒で、世界的趨勢に逆らっている。
「民間対政府」「金融対財政」は永遠のテーマだが、政策にもトレンドがあり、いまは財政出動に分があるようだ。

(月刊『時評』2016年12月号掲載)

森田浩之(もりた・ひろゆき) 1966年生。東日本国際大学客員教授。
森田浩之(もりた・ひろゆき) 1966年生。東日本国際大学客員教授。