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人的資本経営が企業価値を上げる/経済産業省 蓮井智哉氏

◆経済産業省人的資本経営政策最前線

はすい ともや/昭和44年生まれ、北海道出身。東京大学法学部卒業。平成5年通産省入省、24年経済産業省中小企業庁事業環境部企画課長(併)制度審議室長、27年大臣官房政策審議官室参事官、内閣官房一億総活躍推進室参事官、28年経済産業省経済産業政策局産業構造課長、30年大臣官房参事官(経済産業政策担当)、内閣府地方創生推進事務局参事官、令和2経済産業省製造産業局金属課長、3年7月総務課長、10月より現職。
はすい ともや/昭和44年生まれ、北海道出身。東京大学法学部卒業。平成5年通産省入省、24年経済産業省中小企業庁事業環境部企画課長(併)制度審議室長、27年大臣官房政策審議官室参事官、内閣官房一億総活躍推進室参事官、28年経済産業省経済産業政策局産業構造課長、30年大臣官房参事官(経済産業政策担当)、内閣府地方創生推進事務局参事官、令和2経済産業省製造産業局金属課長、3年7月総務課長、10月より現職。

人材を「資本」として捉え、その価値を最大限に引き出すことで、中長期的な企業価値向上につなげる「人的資本経営」への注目が国内外で高まっている。経済産業省では2022年5月に、人的資本経営を実践に移していくための取り組みを開始し、8月にはコンソーシアムも設立された。人材を「資本」にするとはどのようなことか、企業は今後どのように対応するべきか、蓮井審議官にその理念と実践へ向けた対応を語っていただく。

経済産業省 大臣官房審議官(経済産業政策担当)
蓮井 智哉氏

企業価値向上には無形資産投資が重要

 本日は現在トピックになっており、政府も大きなテーマとして取り上げている人的資本経営について、お話をしたいと思います。

 「人的資本経営」の定義とは、「人材を〝資本〟として捉え、その価値を最大限に引き出すことで、中長期的な企業価値向上につなげる経営のあり方」のこと。教育や研修、日々の業務を通じて能力・意欲・経験を蓄積させていくことで、社内の人材が企業の付加価値に資する存在、価値を創造する源泉であると捉える考え方です。天然資源に乏しい日本は、昔から「人が重要な資源」といわれ続けてきましたが、これを現代風に言い換えたものともいえます。

 そもそも日本企業では人的資本の投資は財務上のコストとみなされ、短期的な利益を下げてしまうものと考えられがちでしたが、最近では持続的な企業価値の向上には人材を含む無形資産が重要だとされるようになりました。例えば米国では無形資産への投資額が日本とは比較にならないぐらい大きく、かつ有形資産と比べた投資割合にも差があります。その背景として、無形資産の重要な部分を構成する人的資本が企業の競争力の源泉になりつつあり、「日本企業も人的資本への積極的な投資に取り組んでいくべきではないか」という問題提起につながっています。

 ここで日本企業の人的資本はどのような現状にあるのか、さまざまなデータから紐解いていきましょう。

 ご存じのとおり、少子高齢化が進む日本では生産年齢人口が減少し続けており、働く人々がスキルを磨き、生産性を高めないことには経済を維持できないといわれています。外国人労働者についても、2030年時点で需要に比べて63万人も不足するという調査・研究報告があり、昨今の円安もあって日本は外国人労働者から選ばれない国になりつつあります。つまり人手不足はずっと続く可能性があるのです。

 人手不足を認識した上で、ここからは人的資本について考えていきましょう。経済産業省がまとめた「従業員エンゲージメントの国際比較」によると、日本企業の従業員エンゲージメント(個人と組織の成長の方向性が連動していて、互いに貢献し合える関係)は、欧米諸国はもちろん、東アジア諸国と比べても最低水準にあり、私たちもこの結果に大変驚きました。日本のビジネスパーソンといえば、就職した企業に忠誠を尽くして一生懸命働く姿を想像しがちなのですが、データでは「働き甲斐がない」という結果が出たのです。この結果を裏付けるように、「現在の勤務先で継続して働きたい人の割合」の調査でも52%しかなく、アジア諸国の中でもかなり低い結果です。とはいえ、日本では転職や起業はリスクが大きく、仮にできたとしても日本の場合は諸外国に比べ、賃金増加につながらない傾向がデータから示されています。

技術革新が進み人材教育に悩む企業

 一方、企業の中にいても技術革新はどんどん進むため、実に4割以上の企業が「技術革新により必要となるスキルと現在の従業員のスキルとの間にギャップが存在する」と答えています。その典型的な例がIT業界でしょう。

 例えば、日本のIT企業では、文系学部を卒業した人材を企業内研修により短期間でデジタル人材に育成するという話もよく耳にします。デジタル分野では大学で学んだ知識と企業で求められるスキルのギャップが大きく、リスキリングのニーズが高まっています。デジタルは他分野よりも技術革新のスピードが速いため、その傾向がより顕著で、半数近くのITエンジニアが自分の技術やスキルの陳腐化に不安を抱えています。

 「それならば博士号取得者を雇用すればいい」という意見もありますが、日本では博士号取得者数が減少傾向にありますし、将来の進路も大学教員や独立行政法人などに就職を希望し、民間企業を選ぶ人が米国に比べて明らかに少ない現状があります。一方、企業側も採用は修士号取得者までとし、社内のOJTやOFF-JTで鍛えて企業や業界に特化した能力・知識を磨いていくケースが多かったのですが、最近になってこの傾向に変化が現れはじめています。

 デジタル系の博士号取得者は世界的に不足しているため、企業間でも争奪戦になっています。余談ですが、デジタル系の高度人材が求められる機会が増えているが、情報系の学科の人材は全く取れないので、どうしたらよいか、との問い合わせに対し、大学の数学科や物理学科を卒業した理学部人材を紹介した、といった事例も耳にします。以前は就職先が高校教師などに限られるとされていたのが、民間企業への就職も増えるなど、以前に比べ世の変化を感じます。企業側から見れば博士号取得者は雇いづらいという認識があった上に、給与面でも高くなることがネックでしたが、ある大企業ではグループ内にデジタルに特化した子会社をつくって博士号取得者を雇用し、本体の会社で働いてもらう試みもされていると聞きます。

 実際、国際機関などで働く方々には修士号・博士号取得者が極めて多く、そういう面でも日本は相対的に学歴が低い国に分類されがちです。結果として日本の人材競争力ランキングは近年中国にも抜かれる事態となっています。さまざまな分析結果から見ても、日本は欧米諸国に比べて人材投資が少なく、長引く不況等で企業側も人材投資をカットせざるを得ない状況だったと推察されます。

効果的な研修や自己啓発行動とは

 「社員の自己啓発行動はどうか?」という点を見ると、実はこれも相対的に少ないのです。その理由は、「自己啓発を行っても社内で評価されない」「仕事や家事が忙しい」「費用がかかり過ぎる」など。逆に企業側も「自己啓発がビジネス内容と合っていなければ評価しづらい」など、いろいろな面でミスマッチが生じているようです。

 企業内の教育訓練についても、三つの課題があるといわれています。そもそも教育できる人材が企業内に不足していること。コロナ禍を経た今、需要が回復してかなりの人手不足感があること。同じ意味で人材を育成する時間もなく、教育に人を割けないこと、の三つです。

 では、企業における教育訓練を大学などで実施してはどうでしょうか。人口減とともに学生数が減る一方の大学で、社会人教育を本業に位置付けてはどうか、という提言です。これに対して企業側からは「大学は基本的な概念は教えるが、実践的な教育になっていない」などの声があるため、われわれ経済産業省としても予算を確保し、対策を進めているところです。例えば、寄付講座を持つ企業の場合、従来は講座の内容は大学に任せていましたが、今後は実社会や企業の研究開発・人材育成に資する共同講座をつくっていく。そこに経済産業省としても補助できるよう令和4年度の補正予算を措置しました。これも人的資本投資関連の施策の一つです。

 さらに、自己啓発を行う上での課題には、時間面やコスト面以外にも、「自分の目指すべきキャリアがわからない」「どのようなコースが自分の目指すキャリアに適切なのかわからない」といった知識・情報面での悩みがあります。そこでキャリア・コンサルテーションとそれに応じたリスキリングをセットで行うことで、従業員の悩みや迷いに応えられるほか、自己啓発した従業員が次のステップに進む、さらには転職にまで繋がる可能性も広がります。そもそも自己啓発を促す制度自体を持っていない企業や、制度はあっても使用実績がほとんどない企業も少なくありません。従業員が中長期的に自らの業務に必要な能力やスキルを明確化し、それに応じたリスキリングをしていくこと、それができる人材を採用することは、広い意味での人材マネジメントにつながります。実際、企業の人事担当者にお話をお聞きすると、「人事戦略が経営戦略に紐付いていない」と語る方が少なくありません。結局のところ、人事は人事任せになってしまいがちなのですが、そうならないようにすることが大きな課題です。というのも、実のところ投資家はもっとも重視すべきものは「人への投資」と考えているからです。

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