お問い合わせはこちら

人的資本経営が企業価値を上げる/経済産業省 蓮井智哉氏

投資家が注目するのは「人材投資」

 下のグラフは「中長期的な投資・財務戦略において重視すべきもの」を投資家側と企業側の視点から調べたものです。投資家は「人材投資」「IT投資」「研究開発投資」に注目しているのに比べて、企業側は「設備投資」「株主還元」に重きを置いています。両者は見事に反転しており、非常に興味深い結果です。投資家にアピールし、より多くの投資を引き出すためには、人材・IT・研究開発という無形資産投資にどれだけ取り組んでいるのかが重要であることが、このデータからもわかります。

蓮井氏資料1.jpg

 このような実態を踏まえた経済産業省の動きをご紹介しましょう。まず2020年9月に、一橋大学CFO教育センター長の伊藤邦雄教授がまとめた『人材版伊藤レポート』を発表。2021年6月にコーポレート・ガバナンスコードを改定。さらに人的資本投資の中核である賃上げが今まさに論点となっておりますが、賃上げ促進税制を大幅に拡充するとともに、人的投資の3年4000億円規模の施策パッケージが開始されました。「赤字が多い中小企業は賃上げ促進税制だけでは難しい」というご意見も多いため、中小企業向けの補助制度における補助率アップなどのインセンティブも設定しました。2022年5月には『人材版伊藤レポート2・0』を公表。8月には人的資本経営コンソーシアムを設立しました。内閣官房の新しい資本主義実現会議の元で、『人的資本可視化指針』が公表されました。さらに10月には人への投資策を「5年で1兆円」とすることを経済対策の中で決定。「3年4000億円」から大幅に拡充しました。

三つの視点と五つの要素

 人的資本経営の実現には、「実践」と「開示」の両輪が必要です。各企業が取り組み、その内容を外部へ情報開示したものを投資家が評価し、資金が集まる。その循環がつくられることが重要です。そのためにも、企業には「人的資本投資は中核的な経営戦略だ」という認識をもう一度深めていただきたいと思います。私たちは人的資本投資に取り組む縁(よすが)としての『人材版伊藤レポート2・0』、情報開示を進める手引きとしての『人的資本可視化方針』を2本柱と位置付けています。

 ここで、人材版伊藤レポートで示された、人的資本経営のフレームワークについてご紹介しましょう。フレームワークには三つの視点と五つの要素があります。

【三つの視点】
  視点1:経営戦略と人材戦略の連動
  視点2:As it-To be ギャップの定量把握
  視点3:企業文化への定着

【五つの要素】
  要素1:動的な人材ポートフォリオ
  要素2:知・経験のダイバーシティ&インクルージョン
  要素3:リスキル・学び直し
  要素4:従業員エンゲージメント
  要素5:時間や場所に捉われない働き方
 
 三つの視点・五つの要素をまとめると、まずCEOをはじめとする経営層の方々が「わが社にはこんな人材が必要だ」と強くコミットいただくことが重要です。そのコミットメントを踏まえて、現状とあるべき姿を比較し、ギャップを把握する。どこにどのような人材が欲しいのか、どれくらい不足しているのか把握し、その上でダイバーシティやインクルージョン、多様性のある人材や女性活躍などへ広げていき、同時にギャップを埋めるためのリスキルや学び直しを検討する。その結果、従業員のモチベーションやエンゲージメントが高まりますし、テレワークなどの働き方を進めていく。こうした取り組みを中長期的に定着させていくことが、最終的に経営戦略と人材戦略を連動させ、企業価値の向上につながると考えています。

 では、三つの視点・五つの要素を具体的にどのように進めていけばよいのでしょうか。それについてご紹介しているのが、1本目の柱の『人材版伊藤レポート2・0』で、私たちは「アイデアの引き出し」と呼んでいます。

 中でも非常に重要と考えておりますのが、経営戦略と人材戦略を連動させていくための結節点としてのCHRO(Chief Human Resource Officer: 最高人事責任者)の設置です。CHROを中心に全社的経営課題を抽出し、その中でKPI(重要業績評価指標)を設定し、その背景や理由をしっかり説明する。その上で人事と事業の両部門をどのように役割分担していくのか、人事部門のケイパビリティをどのように向上させていくのかを検討することが大切です。

特に経営層に対しては、サクセッションプランの具体的プログラム化、指名委員会委員長への社外取締役の登用、役員報酬への人材に関するKPIの反映などを盛り込んでいます。

 経営人材は早期に選抜していくことが求められます。さらに経営陣には生え抜き以外の人材を増やすこと、社員の再配置や中途採用の早期実行、新卒一括採用に限定しない採用戦略など、採用方法の多様化が重要です。社員のリスキルや留学・起業経験がその後の社内での地位・処遇の向上につながる仕組みや、兼業・副業を推進するための社内環境の整備、すべての取り組みを通じての「ウェル・ビーイング」の視点も重要です。

 『人材版伊藤レポート2・0』では、他にもさまざまな具体的なアイデアを紹介していますし、19社の実践事例も掲載されていますので、ご参考になるのではないかと思います。もちろん、企業により業界・業態・業績は百社百様ですので、掲載されたアイデアだけに捉われるのではなく、自社で独自のアイデアを出していくことが大切だと思います。

的確に情報を開示し、投資家にアピールを

 2本目の柱である『人的資本可視化指針』は、企業の人的資本投資をどのように可視化していくのか、経営戦略と人材戦略をどう結び付けるのか、人的資本投資と企業競争力のつながりをどのように明確化し、投資家にアピールするのか、その手引きとしてまとめられたものです。情報開示の際は、「ガバナンス、戦略、リスク管理、指標と目標」という四つの要素で行うこと。有価証券報告書においては、人的資本に関わる「人材育成方針」「社内環境整備方針」や、測定可能な指標や目標、進捗状況などを開示することが義務化されていることも重要なポイントです。任意開示の部分でも、統合報告書や長期ビジョン、中期経営計画、サステナビリティレポートなどを戦略的に活用する企業が増えています。今や人材育成やスキル開示に取り組んでいない企業はネガティブな評価を受ける可能性があり、「価値向上」だけでなく、「リスクマネジメント」の観点からも情報開示が求められています。

 ここまで『人材版伊藤レポート2・0』をどのように実践し、『人的資本可視化指針』に沿ってどのように情報を開示していくのか、お話をさせていただきました。人的資本経営に具体的に取り組んでいただくために、人的資本経営コンソーシアムを設立しました。2022年8月に設立総会を開催したところ、320社がコンソーシアムに参加頂くことになり、その後も企業から要望の声が多いため、第2回の募集も受け付け、現在437社となっております。この場を通じて、人的資本経営の実践に関する先進事例の共有、企業間協力に向けた議論、効果的な情報開示の検討が進むことを強く期待しています。
                                                 (月刊『時評』2023年2月号掲載)

関連記事Related article