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【末松広行・トップの決断】東京農工大学学長 千葉一裕氏

土壌でCO2を吸収する研究に着手

末松 「地域中核大学としてのイノベーション創出環境強化」に取り組んでおられるとのこと、これはどのような構想でしょうか。

千葉 これまで東京農工大学は、世界の中でどれだけ注目されるかという観点で研究を進め、さらに、40年近くにわたりアジアや南米、アフリカ等からも多くの博士課程入学者を受け入れ、学位取得者を輩出しています。

 翻ってこれからの時代、大学が立地する地域とのつながりも同時にもっと強化すべきではないかと強く感じています。つまり東京多摩地域の状況や社会課題について、私たちは研究機関としてどれだけコミットしているだろうかと。多摩地域には約400万人の住民がおりますが、皆さんが日々口にしている食料や使用しているエネルギーのほとんどは地域外から持ち込まれたものです。また遊休農地が年々増加し生産者の高齢化も進んでいます。一方、東京都における森林のほとんどは多摩地域が占めており、ならば社会課題の解決とポテンシャルの活用に、地域の大学として乗り出すべきではないかと考えた次第です。国内他地域はもちろん海外から見ても、この多摩が魅力ある地域に映るようにしていきたい、と。そういう観点で、多摩地域の自治体や商工会議所に声をかけて連携し、本学が旗振り役となって専門性を発揮していきたいと考えています。

 具体的には、本学の研究に基づく事業創出の取り組みを多摩地域に展開し、食料安全保障と農林業の経営力を強化する大都市近郊型農林業を推進し、持続的に発展可能な社会に向けた事業投資型アグロフォレストリーシステム構築を構想しています。本学のフィールド(林地・農耕地)を活用した民間との大型共同事業を開始し、温暖化対策や栄養改善に資する家畜品種に関し、大型産学共同事業なども開始を見込んでいます。

末松 多摩地域は森林資源が豊富とのご指摘がありましたが、林業再生に向けた取り組み状況をお願いします。

千葉 日本の国土面積のうち森林と耕作地で計約8割を占めている以上、木材の有効利用だけにとどまらず、カーボンニュートラル実現に向けて森林の活用に大きな可能性があると考えています。例えば伐採後の再造林について、成長速度が速い樹木(早生樹)を利用した森林の造成を図りCO2吸収機能を強化すること、また土壌中に炭素を貯留する機能をもっと増大させる方策も有効ではないかと着目されています。ある計算によると、世界の地表に約3兆トンのCO2が貯留されていると言われ、さらにこの土壌の機能を適正に高めれば、人間が排出した多くのCO2を吸収できるとか。排出してもそれを上回るだけ吸収出来れば、経済活動における極端に大きな制約も緩和され、温暖化対策との両立も可能にできるのではないかということです。

 この壮大な実験を、多摩地域他各地の森林や、本学が所有する約1000ヘクタールの演習林を舞台に、民間企業さんからの資金も得ながら研究に取り組む計画です。

末松 近年は日本の土壌の炭素吸収能力について再評価が進んでいますので、この研究の発展は非常に期待が大きいですね。

千葉 人口が密集する大都市近郊の森林および土壌で炭素吸収の実証が叶えば、これは都市化が急速に進む世界のモデル地域となる可能性もあります。都市部で排出したCO2を周辺で吸収するという、大きな脱炭素のサイクルを確立し、加えて経済的な流れも付加できれば何よりだと思います。

末松 森林や土壌の吸収能力については今後さらに精緻な科学的エビデンスが必要ですが、将来的に周辺地域が吸収機能を持つことで、森林育成が経済的価値を有し、都市と森林を合わせた地域一帯がカーボンクレジットを生業にできるようなところまで発展できれば、まさに未来の都市機能モデルと言っても過言ではありませんね。

千葉 ご指摘の通りです、林業を生業にできれば従事者も増えますし持続的な生産活動が担保されます。逆に、この社会実験を実現させ社会サイクルとして確立させないと、2050年カーボンニュートラルの実現は心許なくなると言えるでしょう。しかし森林や土壌が有する潜在的価値を社会がまだ認識していないので、その評価を得るためにも本学のような実証が必要なのです。さらに価値を発見するだけでなく、それをより高めて活用していくための社会的体制構築がこれから求められます。今、私自身がこの構想について各方面から理解を得るべく、頻繁に説明に出向いているところです。

人の暮らしの価値を高める研究

末松 他に、革新的な研究分野を開拓されているそうですが。

千葉 それも地域の社会課題対応への一環です。例えば、高齢化が進むと移動手段の確保が困難になりますので、これを何とか解決したい。この点、実は東京農工大はドライブレコーダーの情報を19万件ほど有しており、ドライブレコーダー協議会の本部も本学にあります。免許更新時に教習所で放映される安全運転啓発のビデオには、東京農工大提供とクレジットされています。

末松 それは知りませんでした。貴学の意外な一面ですね。

千葉 この情報集積をもとに、自動運転や事故の未然防止について長らく研究を積んできました。将来的に地域の高齢者や子どもが無償で移動できるようなシステムとして確立することを目指しています。

 また脳波の研究をされている先生が、幸福感についての実証に取り組んでいます。日常どのような生活を送るとより多幸感が得られるのか、その獲得システムの解明が健康寿命延伸につながるのではないか、という提案をしていきたいと思っています。

 これらの研究が意味するところは、冒頭で申し上げたように競合分野で1位を取るのではなく、人の暮らしの価値増大という観点に重点を置く、という理念に則っています。これから価値を生じる研究で成果を上げれば、自ずと大学自体も世界第一線の研究拠点として位置付けられますから。今はまだテーマとして埋もれつつも、やらねばならない研究はたくさんあるはずです。そこにいち早く注目して開拓していく、そうすれば必然としてその分野のトップになれるのです。本学にとどまらず、大学の研究者は新たなテーマを自身で切り拓いていくべきだと思います。

大規模な動物救急医療センターを開設

末松 22年秋には、「小金井動物救急医療センター」を新設されたそうですが、その目的は。

千葉 農学、工学の別なく大学を発展させていく象徴として位置付けるべく、11月24日に工学部がある小金井キャンパスに第二の動物病院を開所しました。医療スタッフ約40名を病院事業の中で新規雇用する計画であり、装置も最先端を揃え、数年後には放射線治療も開始します。

 ではなぜそこまで動物医療に力を入れるか。突き詰めると、動物すなわちペットのケアは飼い主のケアに他なりません。ペットの健康を維持するために、飼い主が自分の健康にも注意を払うようになり、結果として健康寿命延伸につながることが期待されます。繰り返しになりますが、地域の中核大学として高齢化という課題解決に、動物医療を通じて貢献するものです。これについては国の資金に頼らずすべて診療報酬、つまり売り上げで賄っていきます。3年後には単年度黒字、10年後には投資回収を達成する見込みを立てています。

末松 大学が動物医療に注力する例がほぼ無い上に、そこまで本腰を入れられるとは正直驚きました。

千葉 私が学長に就任した直後から打ち出した構想でして、かなり短期間で形にすることができました。事務職員や教員も一緒に、経営面も含めてゼロベースから意欲的に取り組んでくれた所産です。

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