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大石久和【多言数窮】

虚構の上の日本

おおいし・ひさかず/昭和20年4月2日生まれ、兵庫県出身。京都大学大学院工学研究科修士課程修了。45年建設省入省。平成11年道路局長、14年国土交通省技監、16年国土技術研究センター理事長、25年同センター・国土政策研究所長、令和元年7月より国土学総合研究所長。
おおいし・ひさかず/昭和20年4月2日生まれ、兵庫県出身。京都大学大学院工学研究科修士課程修了。45年建設省入省。平成11年道路局長、14年国土交通省技監、16年国土技術研究センター理事長、25年同センター・国土政策研究所長、令和元年7月より国土学総合研究所長。

多言なれば数々(しばしば)窮す(老子)

――人は、あまりしゃべり過ぎると、いろいろの行きづまりを生じて、困ったことになる。

 ここでは、財政再建至上主義の虚構性を何度も指摘してきたが、国債は国民からの現金の吸い上げなどではなく、銀行保有を通じて国民への預金の供給であることや、現金の収奪であれば長期金利が下がり続けることなどあり得ないことも根拠とともに示してきた。

 それでも多くの国民は「国債は後世への借金の先送りである」との説明を刷り込まれ、この虚構を盲信し続けている。その結果、明らかになっているのは、国民の継続的な貧困化の進行と先進国で唯一まったく成長しない経済なのだが、それでも政府こそが有効需要を上げてデフレギャップを埋めなければならないとの意識には達しない。

 強力な虚構の刷り込みが効いているのである。ロシアによるウクライナ侵攻が起こってみると、今度は国家・国民の生存のために不可欠な安全保障について恐るべき虚構に安住したまま、ほとんど何も考えずに75年以上を過ごしてきたことを自覚せざるを得なくなった。

①日本国憲法前文 その1

 まず憲法前文の虚構性を確認したい。ウクライナ侵攻が起こった最近では、たびたび指摘されている「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」という部分である。

 わが国周辺のどの国が「平和を愛する諸国民」で構成されているのだろう。「恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚する」のは勝手だが、それで国民を侵略から守ったり、侵攻を防いだりできるのだろうか。

 これは憲法制定時にGHQが「日本を再軍備も戦争もできない国にする」為に入れた前文記述であり、9条の非武装と交戦権否定の規定と連動しているのである。

 ウクライナへの侵略が始まってみると、われわれは偶然にも平和裏に過ごしてくることができただけだったことが明らかだ。この憲法の思想に基づいて軍備を整備してこなかったが、それでは防御力を高める努力をしてきたのかというと、これも世界の落伍者なのだ。

 核兵器から国民の命を守る核シェルターの人口あたり設置率(%)は、韓国ソウルで300、スイス100、イスラエル100、アメリカ82などに対して、日本は0・02という有様だ。口で平和と叫ぶだけで、非常時に備える努力すら何もしてこなかったのが戦後日本という国である。

②日本国憲法前文 その2

 あまり注目されないが憲法前文には次のような記述がある。「そもそも国政は国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。」

 しかし、この30年近く国民は貧困化を続けており、世帯所得では100万円もの低下が生じているから、国民の福利は大幅な減少を続けている。ということは、近年の国民の代表者は「使命を果たしていないため権力を行使することはできない」ということになる。憲法前文の規定からは全議員の議席返上か、歳費の全額返上の必要が出て来るのである。

③連合国支配からの日本の独立

 日本はいまだにGHQの支配下にあるといえば、そんなバカなと言われるのだろうが、実際、占領時代に強烈な権力による放送、新聞、雑誌、映画などの検閲や私信の開封や焚書までやったという野蛮な言論統制をわれわれが受け入れてきたことは、ほとんどの国民の知るところとはなっていない。しかし、それはなぜなのか。

 GHQは「言論統制をやっていること」自体を言論統制の対象とし、日本の言論機関はそれを遵守せざるを得なかったからであるのだが、この占領時代が終わっても新聞などは「GHQのいいなりに言論を曲げてきた」ことを一度も読者に説明していない。

 そのため戦後の日本の多くの地域が独立した1952年4月28日以降もGHQ統制時代のままの報道を続けざるを得ない状況に自らを置いているからである。そのため、この日を祝うことができないのだ。メディアは今年が沖縄返還50周年だと騒ぐが、日本のほとんどの地域が今年が戦後独立70周年だと決して報道しないのは、隠すべき過去があるからなのだ。

 その典型が憲法報道である。GHQは日本国憲法の作成にGHQが関与したことへの言及を発売禁止を含む言論統制の対象としたため、メディアは憲法批判そのものをタブーとせざるを得なくなった。そのために、いまだに憲法を批判的に報道できないでいるのである。

 このことを積極的にも消極的にもまったく報道しないことが、憲法前文の「お花畑思考」やいつまでも前進しない9条議論から、多くの日本人が脱却できない最大の理由である。

④非核三原則

 作らず、持たず、持ち込ませずの非核三原則に続いて、「考えず」、「議論せず」を加えて非核五原則という人もいる。さらに「考えさせず」という第6項目もあると考える。

 しかし、なぜリビアのカダフィがあっけなく打ち倒されたかといえば、非核を受け入れ核開発を断念したからだし、ウクライナが侵攻されているのも、ロシア、アメリカなどによる安全保障を信頼して核兵器を放棄したからである。

 逆に、極小国である北朝鮮にアメリカも手を出せないのは、この国が核保有国であるからなのだ。したがって、どんな条件を出されても北朝鮮が核を放棄することなど、この国が最近の歴史を学んでいるのなら絶対にあり得ない。

 「持ち込ませず」はすでに崩壊している。アメリカの空母や潜水艦が核を下ろしてから日本に寄港することなどあるはずがない。それにもかかわらず、この三原則が国是などというのは、現実無視も甚だしい虚構なのだ。これこそ欺瞞だらけの戦後日本の象徴である。

 ウクライナ侵攻が起こると「食糧の対外依存率」が極めて高いこの国が、極めて脆弱な欠陥を抱えていることがわかったが、その国が農産物輸出を掲げるという漫画的虚構もある。イギリスが8基の原発を新造することを決定したが、日本では国民に強力な節電をお願いしながら停止原発の再稼働を議論すらできないというのも象徴的な虚構の構造である。

(月刊『時評』2022年6月号掲載)