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大石久和【多言数窮】

中国とは何なのか

おおいし・ひさかず/昭和20年4月2日生まれ、兵庫県出身。京都大学大学院工学研究科修士課程修了。45年建設省入省。平成11年道路局長、14年国土交通省技監、16年国土技術研究センター理事長、25年同センター・国土政策研究所長、令和元年7月より国土学総合研究所長。
おおいし・ひさかず/昭和20年4月2日生まれ、兵庫県出身。京都大学大学院工学研究科修士課程修了。45年建設省入省。平成11年道路局長、14年国土交通省技監、16年国土技術研究センター理事長、25年同センター・国土政策研究所長、令和元年7月より国土学総合研究所長。

多言なれば数々(しばしば)窮す(老子)

――人は、あまりしゃべり過ぎると、いろいろの行きづまりを生じて、困ったことになる。

 福島原発の処理水をめぐって中国からの執拗な科学的根拠のない攻撃が続いている。科学技術研究の総本山を自覚しているはずの日本学術会議はなぜか完全沈黙を貫いているが、一体、何のために存在しているどこの国の政府組織なのだろうか。

 中国に忖度して保身に走る学術会議に存在理由はないのだが、さて今回はその中国である。中国の近傍にあって中国の歴史とともに歩んできたかのような日本は、なかなか中国を相対化して見ることができないほどの歴史観を持ってしまっている。

 大胆すぎる割り切りだが、長い文明の歴史を持つ国々の成り立ちを考えると、西洋諸国と中国、そしてロシアと周辺国という三分類した地政学的歴史観が欠かせないと考える。

 ここでは国土との関わり合いがそこに暮らしてきた民族の特性を規定してきたとする「国土学」を提唱しているが、まさに国土学的歴史観がそれぞれの地域の民族観につながり、それと自国とを比較して理解することで得ることができる民族認識があると考える。

 まず都市城壁の存在から考えてみたい。ユーラシア大陸から切り離された孤島群に生存する日本とは異なり朝鮮半島からイギリスに至る一帯の地域には、歴史的に都市城壁を整備しなかった国や民族は存在しない。イギリスは島国なのだが、ドーバー海峡は30㎞程度の幅しかなく、カエサルの時代以前から大陸との往復が活発に行われ、大軍も海峡を越えていったのだった。イギリスは島国にある「大陸国家」なのである。

 したがって、イギリスは日本と異なり都市城壁の建設を必然としていたのである。とにかく都市(=CITY)の語源となっているラテン語(CIVITAS)は「壁の内側に人が蝟集するところ」というのだから、人が集まるためには、それを取り囲む城壁整備は前提なのだ。ユーラシア大陸のすべての民族は都市城壁を構築して紛争に備えながら長い歴史を過ごしてきたのだが、世界の中で「最も強固な都市城壁を必要としたのが中国人」なのである。

 それは中国人が長い歴史の中で経験してきた紛争の規模とそれに伴う殺戮の残酷さが、世界史の中でも群を抜く厳しいものであったことから来ているのである。その一つの象徴が中国最大の城壁都市・南京である。

 南京の外郭も含めた都市面積は250㎢と広大で、それは東京山手線の内側面積63㎢や、唐の長安87㎢、清の北京城60㎢などと比較しても桁外れの広大さを誇っている。われわれの感覚をはるかに超えた超大規模の城郭都市なのである。そして城郭は四重構造にもなっているし、城門は二重の構えで攻撃に備えている。これらの城郭は高さ10mもの高さの石垣構造からできており、突破することなどおよそ不可能な印象を与える威圧感を持っている。

 とにかく世界のどこにもこれだけの構えを持った城壁都市は存在しない。1840年頃から造られたパリのティエールの城壁も34㎞もの延長を持つヨーロッパ最大級の巨大なものだが、その内部は80㎢程度であったし、長距離砲がすでにあったので大きな城郭は存在せず、400mほどの空間に堤防のような土塁があって騎馬軍団の侵入を防ぐ構造となっていた。

 中国の城郭がこれほど強固で巨大なのは、彼らが経験した紛争が世界に例を見ないほどに厳しいものであったことを示している。打ち破られたら、全員がきわめて残忍な方法で惨殺されるからなのだ。

 明が崩壊して清が生まれたとき、張献忠という殺人鬼が明の四川省の守備兵75万人とその家族32万人を殺したと記録されている。これは「四川省」そのものを屠ったといわれ、この行為は「屠川」と名付けられている。また、揚州では城壁内の人間はすべて虐殺され、この時火葬に付された人間は80万人以上だったという。これも「屠城」と呼ばれている。

 広大な国土を有する中国は周辺の強力な異民族に囲まれている。彼らは中国人から蛮夷として恐れられていたが、これが「東夷、西戎、北狄、南蛮」という四夷で、これが何万、何十万もの騎馬軍団となって頻繁に中国平原に攻め込んでくるのだ。都市城壁のレベルを超えて国家城壁が必要だと考えたのも当然だった。中国各地の万里の長城は明時代には国家財政破綻寸前まで費用をかけたといわれるが、長城を必要とする経験は厳しいものであったに違いない。この厳しさの差が、同じ都市城壁国家なのに西洋の「公の発見」ではとても対処できず、中国では「強大な権力とそれを支える暴力の獲得」という違いを生んだのだ。

 国家そのものに城壁を入れようとしたのは、ローマ支配時代のイギリスもそうであった。1世紀頃に造られたハドリアヌスの長城はいまではイングランドとスコットランドの境界になっているし、その後のアントニヌスの長城もいまスコットランド中央に残されているが、万里の長城から見るとちょっとした堀にしか見えない程度の構造でしかない。

 一橋大学の王雲海氏は中国について「『社会体制』が権力を規定するのではなく、権力が『社会体制』を規定する。権力が『社会体制』のなかにあるのではなく、『社会体制』が権力の下にあるのである」と述べ、「つまり、中国の秩序を形づくっているのはむき出しの政治権力だ」と言うのである。

 ヨーロッパの都市城壁はその中に暮らす人びとに「市民」としての自覚を要求し、それが「私益を超えた公益を優先する責任」などに昇華していったが、中国では暴力的危機レベルが城壁内の人びとの「市民認識の獲得」程度で乗り切れるものではなく、「都市内で暮らす人びとを縛る強力な権力の重要性と、そのためのすさまじい暴力の容認」だったのである。

 都市城壁を必要としなかったわが国では、公の発見もなかったし厳しい暴力の獲得の必要もなかった。私を超える公のないわれわれは、「公としての責任」を自覚することなく「私空間と私時間」のなかに埋没して主権者責任を自覚することもない。

 残忍な暴力や殺戮をほとんど経験してこなかった日本人は、「安全や安全保障」の概念が獲得できないまま世界史の外に立ち、大きく変化していく世界をただ呆然と見つめている。

 この表現が決して大仰ではないのは、情けないほどの政治家の無気力と政治への国民の無関心が「長年ひたすら貧困化を続けている国を生んでいる」ことで証明されているのだ。

(月刊『時評』2023年12月号掲載)