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大石久和【多言数窮】

「非常時」のない国

おおいし・ひさかず/昭和20年4月2日生まれ、兵庫県出身。京都大学大学院工学研究科修士課程修了。45年建設省入省。平成11年道路局長、14年国土交通省技監、16年国土技術研究センター理事長、25年同センター・国土政策研究所長、令和元年7月より国土学総合研究所長。
おおいし・ひさかず/昭和20年4月2日生まれ、兵庫県出身。京都大学大学院工学研究科修士課程修了。45年建設省入省。平成11年道路局長、14年国土交通省技監、16年国土技術研究センター理事長、25年同センター・国土政策研究所長、令和元年7月より国土学総合研究所長。

多言なれば数々(しばしば)窮す(老子)

――人は、あまりしゃべり過ぎると、いろいろの行きづまりを生じて、困ったことになる。

 ロシアのウクライナ侵攻による戦争状態が長引き、食糧とエネルギーに絡んだ世界経済への影響が拡大して、日本もコストプッシュインフレという大変な物価上昇を経験している。この難儀さは1995年にアメリカのFRB議長(当時)が指摘した「日本経済は第二次大戦後、初の本格的なデフレを経験している」との指摘以来、いまだに需要が供給を上回らないデフレ下にあるのに、輸入物価を中心に消費者物価が急上昇していることにある。

 これは、アメリカなどがコロナによる経済への悪影響を除去する経済対策を、早急かつ大規模に実施した結果、エネルギーの価格上昇に加えて、経済が過熱し需要が供給を上回る本来のインフレ突入しているのと大違いなのである。

 日銀が金融緩和を止められないのもこれが理由であり、いろいろ言う人はいるようだが日銀は苦渋の正しい判断をしていると言える。

 こうした外的ショックを受けて国内を眺めてみると、財政支出を削ることばかりに熱心であったために非常時に対する備えを何一つしてこなかったこの国の、情けないを通り越した「政治的・国民的怠慢」が露見したと考える。

 食糧問題に詳しい柴田明夫氏によると、日本の米の備蓄量は消費量の2日分しかないのに対して、中国ではそれが186日分にもなるという。小麦粉が入らないのなら米粉を使えという話があるようだが、通常の食糧分としての備蓄がこの程度ならほとんど不可能な話だ。

 小麦が入ってこなくなれば、うどんもパンも価格の高騰どころか、入手すら不可能となる。食糧全体もカロリー計算で30%台の自給率しかないにもかかわらず、輸出産業として農業を考えるなどという不思議な議論をしてきた国だから、これもあり得ることだと納得しなければならない。

 国内産の品質に対する信頼もあって国産食肉は高値で取引されているが、ほとんどの畜産農家は経営体としての存続の可能性に苦しんでいる。そして、その飼料の大半は輸入に頼っている。飼料の国産化への投資を怠ってきたから、飼料輸入が止まれば食肉の供給はこの国では終わるのだ。追加していえば「種」もほとんど海外からの輸入に依存している。

 スイスが2017年に憲法上に「食糧安全保障」を書き込んだというが、そのような感覚はこの国には皆無で、憲法は1ミリも動かせない国だし、今回の食糧騒動ですら価格高騰の議論はあるものの安定供給論は参議院選での話題にもならなかったのだ。

 安全保障については、その傾向がさらに顕著で、福島瑞穂氏はかつて「世界を侵略しないと表明している国を攻撃する国があるとは思えない。攻撃する国があれば世界中から非難される」と述べたのだった。

 なるほど、ウクライナに侵攻して戦争を始めたロシアには世界から非難が集中しているけれども、ウクライナ人は殺され続けている。この事態に対して、福島氏は政治家として追加の発言をする責任があると考える。

 日本の周辺国は核で武装しているが、それでも日本は核を持たないのはいいとしても、では万が一どこかが核攻撃してきたときに日本人の命を守るという努力をしたのかというと、何も考えず、何もせずで無為に過ごしてきたのが日本だった。

 人口あたりの核シェルター設置率は、イスラエル、スイスの100%、韓国ソウルの300%、アメリカ82%、ロシア78%などと国民の命を守るために大きな投資をし、設備を整備してきているのだ。「憲法が平和を守る」にすがるこの国の設置率は0・02%という有様である。

 ウクライナ侵攻後、核シェルターについて述べた政治家は知る限りでは小池都知事だけなのだが、地下深いところを走る都営地下鉄も駅に相当な設備投資をしなければシェルターとしての機能は持てない。しかし、財政再建至上主義のこの国でその決断ができるのか。

 ウクライナ侵攻が契機になった訳ではないが、この国はいま大変な電力不足が懸念されている。電力自由化の失敗と晴天の昼間発電の太陽光発電依存に加え、休止中の原子力発電所が多い上に、火力発電所の故障や点検などのために発電量が低下しているからである。

 全体に占める「停止または廃止措置中」の原発割合は、北海道電力、東北電力、東京電力、中部電力、北陸電力、中国電力では33基すべて、関西電力で11の10、四国電力で3の2、九州電力で6の4という状況だ。全国の原発53基の内、稼働しているのはわずか4基である(日本原子力発電を除く)。

 ウクライナ侵攻を契機に、イギリスは8基の原発を10年内に新設することを決めたし、ベルギーも原発推進を決定した。ドイツの外務大臣は環境保護を旗印にしてきた緑の党出身だが、この紛争を契機に石炭の利用も原発稼働も容認した。いまは世界大戦中とでもいうべき各国の非常時認識が伝わってくるが、日本では何が起ころうと何事も平時のままなのだ。

 戦争有事に備える安全保障についての議論も準備もないが、エネルギー・食糧の対外依存がこれだけ高いにもかかわらず、「非常時想定」がまったくないという不思議の国なのだ。

 なぜ、この非常時に休止中原発の早期稼働を図らないのだろう。また、原発の稼働停止や電力自由化などによる電力供給の不安定や不足という政府の政策の失敗になぜ一般国民が罰則まで覚悟した責任を負わなければならないのだろう。

 今年の5月28日に「この夏向けの電力量需要ひっ迫注意警報」として、萩生田経済産業大臣は次のように述べたのだった。

 「ご家族でですね、この夏場、部屋を離れてエアコンを使うのではなくて、テレビなど一つの部屋にまとまって見ていただくような、そこがちょっとずつの試みをしていただくことで、乗り越えて頂けると思いますのでご協力をお願いしたいと思います。」

 ここには電力行政失敗への反省の弁はどこにもない。電力の利用が不自由な国で設備投資をして生産を拡大しようとする企業は皆無に違いないし、そのような国に進出したいと思う外国企業は一社もないだろう。設備投資のない国が経済成長するわけなどないのだが・・・。

(月刊『時評』2022年8月号掲載)