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大石久和【多言数窮】

「松下幸之助」がいないという悲劇

おおいし・ひさかず/昭和20年4月2日生まれ、兵庫県出身。京都大学大学院工学研究科修士課程修了。45年建設省入省。平成11年道路局長、14年国土交通省技監、16年国土技術研究センター理事長、25年同センター・国土政策研究所長、令和元年7月より国土学総合研究所長。
おおいし・ひさかず/昭和20年4月2日生まれ、兵庫県出身。京都大学大学院工学研究科修士課程修了。45年建設省入省。平成11年道路局長、14年国土交通省技監、16年国土技術研究センター理事長、25年同センター・国土政策研究所長、令和元年7月より国土学総合研究所長。

多言なれば数々(しばしば)窮す(老子)

――人は、あまりしゃべり過ぎると、いろいろの行きづまりを生じて、困ったことになる。

 1930年頃の日本は世界恐慌のあおりを受けて大不景気となり、当時の大蔵大臣・井上準之助が金を解禁したために金貨が国内から大幅に減少し、厳しいデフレが継続してしまった。これが有名な井上の緊縮財政で、この結果、日本も大いなる不況に沈んだのだった。

 これに対し1931年に4度目の大蔵大臣に就任した高橋是清は、金輸出を再禁止し、日銀引き受けによる政府支出の大幅な増額という積極財政により、世界恐慌の中で日本経済を最速で脱出させることに成功したのだった。

 これらの出来事を踏まえて、評論家の中野剛志氏は「奇跡の経済教室」という自著の中で、井上準之助時代の松下幸之助の発言を次のように紹介している

「緊縮財政もここまで来ると、自分で自分の首を絞めるが如くにさらなる不景気を作っている。(略)ものをつくったうえにも使ってこそ、新たな生産が起こり、進歩となって不景気が解消され、国民には精気がみなぎり、国力が充実されて繁栄日本の姿が実現するのだ。」

 松下氏は井上の緊縮財政のなかにおいて、まだ高橋是清が登場する以前の時代に是清の積極財政を先取りし、「新たな生産の必要」という需要創出を説いたのである。民間需要が消えた経済には政府の財政支出拡大が欠かせないと説いたケインズ理論が誕生する以前に、まるで「日本のケインズ」というべきような正論を披露していたのである。

 大学で経済学など学んだこともない、当時はまだ中小企業の実業家だった彼が、1930年頃に、いまでは論理的にも検証された正しい経済政策論を説いたことは、驚異の事実であり、日本人として誇らしいことである。しかし逆に、今日の経済学者や経営者が経済政策について何も理解できていないことへの衝撃の方が大きいともいえるのだ。

 財務大臣の諮問機関である財政制度等審議会の暴走は、今に始まったことではないが、あまりに酷いものがある。これを経済学者も主要メディアもまったく批判できないでいるところに、この国の悲劇はある。

 この国民が被っている悲劇に正対できていない学者やメディアは、従ってその存在そのものが大問題なのだが、最大の問題は政治家の沈黙である。財政制度等審議会を批判できていないのだ。

 なぜ、ここまでこの審議会が問題だというのか。

 それは、この審議会の建議などを踏まえて財政運営してきた結果、「世界の先進国の中で唯一経済成長しない国となって国民の貧困化が進み、優秀論文も書けない科学技術停滞国となり、競争力もスイスのIMD2023年版では35位に転落し、挙げ句の果てにG7の中で唯一40歳未満の若い国民の死因の第一理由が自殺となっている」からである。

 世界のどの国の歴史にも、これ以上の失敗はないだろうというレベルの大失策の連続が、この30年の日本史なのである。これをリードしてきた財政制度等審議会の認識を追って見よう。

 この審議会は、2014年に「財政健全化に向けた考え方」を取りまとめた。そこでは「家計が保有している潤沢な金融資産と企業部門の資金余剰があるから、多額の国債を低金利で発行できているが、国内の資金環境が将来にわたって維持される保証はなく、国債発行額を減らして債務残高を圧縮し、財政リスクを出来るだけ少なくする必要がある」との認識を示したのだった。

 ここには、いくつもの大きな誤った認識が含まれている。最大の問題は、「国債発行が民間からの資金の収奪である」という間違いである。これはいくつもの国会答弁で誤りであることが明らかになっているのだ。

 日本銀行の雨宮副総裁(当時)は「国債は、銀行が保有する分については信用創造を通じて預金が増加する」(2019年)と述べているし、財務省も2023年の西田昌司参議院議員の「国債が1000兆円あるということは、民間の預貯金が1000兆円増えたのだね」との質問に「先生のおっしゃる通りです」と答弁しているのだ。

 このことは、最近の事実が証明していることでもあるのだ。コロナ対策のために最近は過去には考えられないほどの年間100兆円規模の国債を発行したが、その結果、企業(金融・保険業除く)の2022年発表の内部留保は515兆円を超え、対前年6・7%も増加して10年連続過去最高を記録したのだ。

 個人の金融資産も同様で最近も過去最高を更新し、何と2021年には2023兆円と、これも過去最高を更新したのだ。これらの事実が、多額の国債発行が民間の資金余剰を吸い上げたりはしておらず、その逆の資金供給であることを証明しているではないか。

 このように2014年の財政制度等審議会の認識は間違いであることは、論理的にも事実的にも完全に証明されているにもかかわらず、最近の少子化対策や安全保障のための財源確保論議でも同じ間違いをこの審議会などは繰り返しているのである。

 何度、何年、間違えばこの国は気が済むのだろう。この審議会の論理がこの国を支配してきた30年間に、日本国がどれだけ経済的な地位低下をしてきたか、日本国民がどれほど貧困化してきたのか、財政制度等審議会会長である経団連会長の十倉氏には見えていないのか。だからいま、経済界に一人の松下幸之助もいない悲劇を嘆きたいのである。

 政治は憲法が規定するように「国民が福利を享受できる」ために存在する。経済はそれが可能となるように法律や制度に支えられ、それを駆使して民間が富を生み出していく。今の経済界はそれが機能していると考えているのか。それを感じる目や耳を持っているのか。

 それぞれの民族には「先天的に埋め込まれた目を覆うフィルター」があり、それが脳の思考回路を制御している。太平洋でのアメリカとの戦いでも、同じ作戦を繰り返しては同じ敗北を繰り返してきた日本軍。一度日本軍に敗れた作戦は二度と採用しなかったアメリカ軍。

 長い歴史を持つわが国であるが、ユーラシア人のような大量死を伴う紛争の歴史を持たなかった日本人である。作戦に変化がなければ、その先には「死」しかないのだという歴史を経験せずに済んだ幸運は、いま「変化できない民族の悲劇」となって現前している。

(月刊『時評』2023年8月号掲載)