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大石久和【多言数窮】

いま、改めて「国土学」

おおいし・ひさかず/昭和20年4月2日生まれ、兵庫県出身。京都大学大学院工学研究科修士課程修了。45年建設省入省。平成11年道路局長、14年国土交通省技監、16年国土技術研究センター理事長、25年同センター・国土政策研究所長、令和元年7月より国土学総合研究所長。
おおいし・ひさかず/昭和20年4月2日生まれ、兵庫県出身。京都大学大学院工学研究科修士課程修了。45年建設省入省。平成11年道路局長、14年国土交通省技監、16年国土技術研究センター理事長、25年同センター・国土政策研究所長、令和元年7月より国土学総合研究所長。

多言なれば数々(しばしば)窮す(老子)

――人は、あまりしゃべり過ぎると、いろいろの行きづまりを生じて、困ったことになる。

 熱海の土石流災害から早くも2年が経過した。風化土ばかりから成る日本の山地に、何の対策もしないまま盛土をしていけば、少しの雨が降るだけで土砂崩壊が起こり、時には大きな土石流が生まれるのは、土木工学や砂防学を学んだりした者には常識の範疇なのだが、世間の常識とはなっていない。熱海土石流災害は、この常識の欠如が生んだものなのだ。

 盛土業者を責めなければならないことは当然だが、取り締まるべき立場にあった熱海市や静岡県側にも「何が何でも早急に対処させなければならない大災害の種を仕込んだのだ」との切迫感が感じられないのは、行政の側にも「風化岩上での非対策の盛土」がいかに危険で非常識なものなのかの認識が十分でなかったことを示している。

 今日環境に優しいエネルギーなどといって太陽光パネルを平地にも山腹にも敷き詰めているが、土砂災害的にはきわめて危険な工作がなされているのだ。パネルの下は流水があると簡単に土砂が流れ出す「草の生えない裸地」なのである。災害アセスメントが十分に実施されなければならないのだが、環境の美名の前でそれが不十分なまま、(景観を破壊しながら)地域を危険に曝しているのではないかと心配なのだ。

 歴史を学んで長年月に渡る日本人の経験を知り、それをユーラシア人の経験と比較しながら、「われわれ日本人とは何か」を知ることはきわめて重要で、成人となった日本人が国の内外で仕事をする上で欠かせない知識や認識をもたらす。これが歴史を学ぶ意味なのだ。

 まったく同様に、日本国土の上に暮らし、国土にインフラ投資などによって手入れしながら、日本国土からの恵みをいただくことで暮らしを成立させているわれわれ日本人は、日本国土とユーラシア国土の違いを理解し、インフラ投資の量と質などを考えなければならないのだ。

「われわれはどのような国土を与えられたのか」を学ぶことは歴史学習並みに必須のことなのだ。例えば有史以来地震を経験してこなかったパリと、近い将来100年前の関東大震災の再来を予測しておかなければならない東京とでは、都市計画の内容が異なって当たり前ということなのだ。そしてその違いは、人びとの思考も感性も建築形態をも左右するのである。

 今年2023年7月にも6年前と同様の厳しい豪雨が九州北部を襲い、秋田も豪雨に見舞われた。これが、ほとんど日本全国で起こり得ると考えなければならない世界的に希有な国であるとの認識が欠かせないということなのである。以下にいくつか順を追って説明しよう。

①「砂防」という言葉と土砂崩壊の国・日本と、岩盤上のヨーロッパ国土
 長い時間にわたって強度の強い降雨を浴びると、山の斜面は土砂崩落を起こす。日本の山々は前述の通り風化岩でできているために比較的簡単に崩落することから、明治以前の昔からその対策に苦労してきたのだった。
 こうした土砂の移動防止を「砂防」と呼んできたのだが、この言葉は「津波」と同様に世界語にもなっている。このことは砂防という言葉が世界中で使われるほどに、わが国は世界のなかでも特に山腹の土砂崩落対策が必要な国であることを示している。
 ヨーロッパの国土は氷河期には何㎞にも達する分厚い氷河に覆われていたが、この氷河が融解して行く過程で国土中の風化岩や風化土をすべて海に押し流していった。そのため、パリやその他の都市は風化土が流れ去った後のフレッシュな岩盤上に存在している。
 日本では氷河期には山岳地帯が氷で覆われていた程度であったから、氷河期が終わるとき風化岩をすべて山岳地域に残してしまったのである。加えて、その山岳地域が地震多発の豪雨地帯であり、国土面積の約70%にも達する世界に例を見ない山岳国家なのである。

②地震と軟弱地盤上の都市
 その国土で世界中の地震エネルギーの約20%もが解放されて(マグニチュード6以上の地震、マグニチュード4以上の地震だと約10%)、日本国土に大地震を頻繁にもたらしている。日本の地表面積は世界の0・25%にすぎないから、大きな地震の単位面積あたりの出現頻度は世界の80倍にもなるということなのだ。
 その大地震頻発国なのに、日本のブロック中心都市級の大都市は「すべてが軟弱地盤上に存在している」のである。6000年程前の縄文時代は温暖であったから海面が現在より6mほど高くなっていた。
 簡単には信じがたいのだが、栃木県の最南端が海に接していたほどの海面上昇だったのである。その後地球の寒冷化が進んで海面が低下して現在に至っているのだが、その過程で関東では利根川(東京湾に注いでいた)や荒川、江戸川などが土砂を押し流してきたことで関東平野や東京の大地が生まれたのである。
 したがって東京はせいぜい何千年か前から形成されてきた若い地盤上にあり、まるで締め固まったりはしていないズブズブの土地である。このことは、建築物や橋梁を建設するためには大きなケーソンや多数の杭が必要になりコストを押し上げることにもなっているし、地震による構造物破壊や土地の液状化を覚悟しなければならないことを示している。
 この事情は、大阪と淀川、名古屋と木曽三川、札幌と石狩川など、日本中同じなのである。ここでこのように「国土学」を示しているのは、こうしたことは歴史で家康の事績を学ぶ「歴史学」並みに成人日本人の常識になっていなければならないと考えるからなのである。

③偏西風の存在
 われわれはテレビなどの天気予報を見て、雨雲が西方の朝鮮半島や中国大陸からかなりの速度で日本列島に流れてくる様子を毎日のように眺めている。これは日本の上空を猛スピードで流れている偏西風によるものである。最大風速80mという強力な偏西風が雨雲を運び、時には黄砂をどんと持ち込んでくる。偏西風の直上流の韓国の釜山周辺や中国の東シナ海沿岸には原発が林立していることは以前にも紹介した。偏西風は気まぐれに蛇行することが多いために、日本の気象をきわめて複雑なものにしており、気象予測を難しくしている。このことも成人日本人の常識的な認識でなければならないのである。

(月刊『時評』2023年11月号掲載)