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俵孝太郎「一戦後人の発想」【第102回】

一つの脅威に直面する二つの体制~武漢ウイルスの渦の中で体制と財政規律を考える~

 武漢ウイルスに関する数多の論評は出たものの、自由民主主義国と一党独裁強権支配国の相対構図に与えた影響を検証する論調はほとんどない。自由の表裏として自己責任を負うべき日本で、政府財政による支援を当然視する風潮は、戦時中の忌まわしい記憶を彷彿とさせる。

マンガ的拡大を重ねる韓国

 武漢ウイルス感染症の被害は止まる気配がない。本家本元・悪疫の発生源の習近平・中国や、いまやその追随国に堕した文在寅・韓国は、最初に大流行を起こし、旅行者を通じ世界中に凶悪なウイルスを撒き散らして、一足先に感染の1波を越えた、とされる。

 ただし、共産中国の公表統計など信用できないのは世界の常識だ。現に北京を中心に感染が再発して、規制が強化されている。文在寅・韓国に至っては常に日本を意識し、あっちはダメだがオレのところはリッパにやってるぜ、と威張って見せてはボロを出す醜態を繰り返す。今回も最初は、ウチは日本と違って事前に感染を防止した、と称していたが、この国特有のキリスト教で粉飾した、大邱中心の土俗呪術団体の〝教会〟でクラスターが発生し、一時は世界2位の流行国になった。なんとかそれを抑え込み、短期で収束した、と胸を張ったら、その途端にソウルのコールセンターでクラスターが発生、感染が広がった。それも切り抜け、総選挙で与党を圧勝させた文は、世界は韓国の成功を〝K防疫〟と呼んで称賛している、と胸を張ったが、舌の根も乾かぬうちに、ソウルのゲイ・バーを一夜に5軒ハシゴした無謀な若者が端緒の大感染が発覚した。この〝3度目の正直〟は〝同好者〟の学習塾講師やその関係先、宅配便の集配センター、さらに大邱とは別の疑似キリスト教土俗呪術団体の〝教会〟に波及する、マンガ的拡大を性懲りもなく重ねて、一向に収束せず余波を垂れ流し続けている。

 日本もいったんは緊急事態宣言を解消したが、油断できない状態が続くことは疑う余地はない。東京は〝自粛〟緩和も束の間で〝アラート状態〟に逆戻りした。しかし小池ワンウーマン都知事の再選選挙が目前に迫った事情もあり、業界票の流出を避けたい打算と、〝実績〟を誇張宣伝する意図を込めて、出したばかりの〝アラート〟を三日坊主的に解消する、文在寅も顔負けの右往左往を演じた。九州全域では感染が沈静化していたのに、高速艇を中心に韓国との往来が激しい北九州だけ、20日以上も新規感染発生ゼロが続いたあと、突如大規模な新規感染を出し、その後は収まる気配がない。当地で眠っていたウイルスが目を覚ましたか、津島海峡を渡って新規に〝輸入〟したか、無気味な感じだ。

 テレビのワイドショーで、まるでモノを知らないのに、クチだけ達者、態度だけデカい〝ニュース芸人〟が、〝早くも第2波到来〟と騒いでいるが、新しい感染は圧倒的に東京が多い。それも新宿の〝夜の街〟のホストクラブ関係が半数近い。〝波〟というには規模が小さく、まだ第1波の余波ではないか。

財政負担はさらに増大

 アジアとヨーロッパでウイルスが微妙に変異していて、病状もやや違うという説もあるが、それはさておき、最初の流行はアジア・ヨーロッパでひと山越したあと、南北アメリカや中東・アフリカに移って増勢を続けている。世界を1巡すればそこでピリオドを打つか、またアジアから2巡目が始まるか、数か月中にわかる、というのが実情ではないか。

 その中で共産中国と文在寅・韓国を皮切りに、防疫目的の規制を緩めて経済活動復活に舵を切る動きが表面化した。日本より遅れて感染が始まり、段違いの爆発をしたあと、イギリスとスウェーデンでまだ尾を引いているのを除けば、峠を越したと見られるヨーロッパ諸国も、都市封鎖を解除して経済再建に動いている。最も遅れて大感染の波に洗われ、世界最悪の状況を呈してまだ収束段階に入ったとは到底いえないアメリカ。これから冬を迎えて深刻化を危惧されるブラジル。この現に他国を引き離して世界1、2位の感染大国も、経済活動の活性化に動き出した。

 悪疫の大流行が突発すれば、とりあえず貿易に必要な財政資金を投入して対処し、次いで都市機能を抑制して人と物の動きを止め感染拡大を阻むほかない。それで経済に一時的に影響が出ても、当面は目を瞑らざるをえない。そうした対応は、政治運営・経済活動、そして財政に大きな負荷をかけるが、自由民主主義国家の政治・社会状況では、公共政策によって生じた経済活動の低下による経営体にとっては減収・減益、被傭者にとっては給与の減少は、財政支出で補償・補填するのが常道になっており、悪疫対応との双方で、財政負担はさらに増大を続けることになる。

 予期せぬ緊急事態は、悪疫だけでなく巨大地震や大風水害などの自然災害でも起きる。しかし自然災害は、余波が発生したり影響が尾を引いたりはしても、基本的にはそのとき限りだし、地域的にも一定の範囲がある。それと較べて悪疫の大流行は様相が複雑で、いつ、なにが、どこで、どう起き、どこまで広がり、いつまで続くか、まるで見当がつかない。ほぼ1世紀前の〝スペイン風邪〟のように、2年から足掛け5年まで諸説あるが、数波にわたって大感染を繰り返し、世界中で膨大な感染者・死者を出すケースもある。逆に最近のSARSやMERSのように、衝撃的に出現して世界を驚かせ、局地的には深刻な傷痕を残したが、大きな規模の流行にはならず、短期間で消滅したり風土病化したりしたケースもある。結局のところ、どういう混乱が生じていつ終わるか、終わらなければわからない。進行中は目前の状況に追われ、計画的で過不足ない対応など、できっこない。

人類が初めて直面した2つの面

 人類は大昔から悪疫の大流行とそれが引き起こす社会的な大変動を体験してきた。その点は今回も活字・電波を通じて繰り返し指摘されている。しかし不思議なことに、少なくともいままでは、日本に限らず世界中で、あまり強調されないというか、不思議にすっぽり抜け落ちているというか、そんな論点が存在した。見落とされた、というより、当たり前すぎて見過したのかもしれない。しかし、それは間違っている、と思われる。見落とされ、見過ごされたのが、今回の武漢ウイルスのパンデミックが、2つの面で人類社会が初めて直面し、体験したものだったからだ。

 その1つは、このパンデミックが、政府の責任が問われる防疫、社会保険による医療の現物給付に代表される社会保障制度、経済対策としての企業や個人の減収に対する補填、など巨大な財政負担を免れない政治・社会構造が確立されて、はじめて発生した点だ。それに加えて、世界中で現に進行する姿が、映像を伴って大衆に刻々伝わるようになった点も、あげなければなるまい。その伝達が、少なくとも言論・表現の自由が保障される自由民主主義国では、多くの面で恣意的かつ一面的に拾い上げた映像と、必ずしも冷静で客観的とはいえないセンセーショナルかつエモーショナルなコメントとともに、雑然と投げ出され、消費され、捨てられた事実も重要だ。

 もう1つは、このパンデミックに襲われた世界が、自由民主主義を基盤とする政治、自由競争と自己責任を前提とする経済、および自由な言論・報道環境を踏まえた体制と、一党独裁の強権支配下、政治・行政をはじめ経済・防疫などすべてが一元的に管理され、情報を統制して一切の批判を許さない体制。この異質で対蹠的な2つの体制が併存する構造のもとで生じたこと。そしてその構造の双方に、唯一つ共通に同じ荷重でのしかかったのが、凶暴な悪疫の打撃とそれぞれの社会を襲う深刻な被害だった、という事実の意味だ。

不当に軽視された2つの発明

 武漢ウイルス感染症の先例は、やはり〝スペイン風邪〟だろうが、当時は防疫といってもH1N1亜型鳥インフルエンザウイルスとされるこの〝風邪〟の病原体とは無関係の細菌を使った無効な〝ワクチン〟を例外とすれば、有効な対抗手段はなく対症療法だけだった。社会政策という言葉は、後に歴史教科書で触れる形では存在していたとしても、実体としての社会保障や、まして全国民を対象とする社会保険は存在せず、〝救恤〟〝救貧〟という古めかしい行政用語が示す局部的対応が、民生に向けられた財政出動の全部といっても過言ではなかった。テレビはおろかラジオも一般に普及しておらず、ロシア革命は起きたばかりで、ソビエト国家は成立に向かう過程にあった。民衆世論が存在しなかったわけではないが、それが政治・行政に直接影響を及ぼすことは、まったくなかった。

 20世紀最大の〝発明〟は飛行機や原子力エネルギーなどではなく福祉国家と共産主義一党独裁国家だ、というのが筆者積年の持論だが、この2つはともに〝スペイン風邪〟の時代には存在していない。武漢ウイルスの世界になってはじめて登場したのだが、その事実が武漢ウイルスを巡る論議の中で、見落とされているか、意図的に見過ごされている、前掲の2つの視点。そして筆者のいう〝20世紀最大の2つの発明〟。この双方が交錯して、まことに複雑な状態を生み出しているのだが、この点がまったく無視、少なくとも不当に軽視されている観がある。

白日となった強権独裁の実態

 今回のパンデミックの発生源が中国の武漢であり、その世界規模の大流行の責任が中国の共産党一党独裁の強権・情報秘匿体制にあることは、当の中国やその属国的位置にある国を例外とすれば、世界の常識だ。

 なにぶんにも、この疫病の〝原産地〟が中国の武漢であること。ここにはコウモリ由来の病毒に関する研究が国際的に注目されている2つの国家・軍直属の〝研究施設〟があって、そこから作為か不作為かは別としてウイルスが流出し、食品市場がその初期の感染連鎖の一環になった可能性が高いこと。

 このウイルスに起因する呼吸器感染症が昨年晩秋に発生した事実を、台湾の情報機関がいち早く把握し、11月初めには対策に着手していたこと。それにもかかわらず、武漢の地方政府も習近平・中国中央も知らぬ顔の半兵衛を決め込み、12月31日にようやく武漢での新型ウイルス性肺炎の発生を公表し、越年した1月20日にやっと人から人への感染を公表する情報秘匿を行い、このため世界規模の対応に致命的な遅れが生じたこと。

 共産中国は、いまに至るまでこうした諸点を解明する国際的な調査に応じないだけでなく、この悪疫が引き起こした世界規模の被害に対し、詫びたり釈明したりしていない。それどころか、早期に大流行を体験し収束させた〝功労〟を誇示し、さらに流行初期に、自国民向けか、感染の世界的拡大を見越してそれに備えたか、いずれにしても事実問題として、マスクや医療防護具、薬品や治療機器などの自国生産を強化しただけでなく、世界各地で買い占め・買い漁りを臆面もなく進め、自国が感染を一応抑止して不要になった段階で、〝支援〟の名のもとに各国に高値で売り込んだり、一部の従属国に無償供与したりして、〝放火犯が消防士を気取っている〟と批判される言動を重ねていること。

 そうした一種の状況・言動や、東シナ海から南シナ海、太平洋の日付変更線以東やインド洋に及ぶ軍事力を背景にした進出など、悪疫によるアメリカはじめとする世界の大混乱を予期して準備したと思われても仕方ない、抜け目なく手際のいい行動が目立つこと。

 これだけの状況証拠が揃っているのでは、共産中国当局がいくら否定しても、世界中の疑惑が解消されるわけがない。

 強権独裁の本領を発揮して、人口1100万の大都市・武漢を3か月近く完全封鎖し、最低限の生活物資を住居周辺に現物配布する一方、地域住民に相互監視を強いて基本的に外出を禁止し、違反すれば容赦なく厳罰に処す、極端な防疫手法を採った中国の実態も、テレビ映像で世界中に明らかになった。

 日本のテレビも、平然と国民の自由を侵奪する共産中国のあり方を伝えはしたが、強健支配の論評は避けていた。欧米の多くの国が戒厳に準ずる法制と権能に基づき、ロックダウン=都市封鎖を断行する状況を、人の気配がなくなったパリのシャンゼリゼ大通りやベネチアのサンマルコ広場、ロンドンのボンドストリートなどの映像とともに伝えたが、そうした措置は憲法に戒厳を含む非常事態対処規定があるからだ、という論点は外した。そして日本では、国も地方自治体も、状況に応じて個々に〝自粛要請〟を発することしかできず、対応が不徹底だと批判する一方で、そうした姿が日本国憲法の抱える根本的な欠陥によるとは、まったく言及しなかった。

当然視される、国家財政による救済

 ここまでの指摘で、前掲の〝2つの視点〟のうち、前者にはそれなりに触れられた、という見方も成り立つかもしれない。しかし、それは違うと思われる。現状の報道・論評はそれぞれの事象を、並べず、較べず、関連づけず、別個の自然現象か、別々の土地の風景であるかのように、切り離して見ているからだ。〝2つの視点〟と〝20世紀の2大発明〟の体制論との交錯を欠いたまま単純に〝情報化〟し、消費しているからだ。

 例えば民衆の生活保障・損失補填の問題がある。共産中国が一応成功したとされる徹底した防疫の過程で、疲弊した国民福祉のために、どういう対策を打ったのか。その姿が当の中国や、現地の他国特派員の報道では、まるで見えてこない。完全な都市封鎖・住民の閉じ込めは武漢地域に限られたとしても、全土に及ぶ交通と物資供給の途絶で生じた生産・流通の低下、つまり企業体の業績不振やそれが招いた失業は、深刻だったはずだ。これに対してどのような救済策が打たれたかも、報道はまったくなかった。

 唯一つ、李克強首相が失業者に一定の所得を得させるために、北京で禁止されている食物の屋台を50万台まで認めると発言したが数日で取り消された、と伝えられた。これを巡ってヨーロッパでは、李首相と習主席の確執の現れと仄めかす観測も流れたが、同じころ北京で食品市場が感染源の新規のクラスターが発生している。それなら確執でなく、衛生的見地の政策転換だったこともありうる。

 その点に疑問が残るが、疑う余地のない面もある。共産中国では失業対策に首相が屋台経営を持ち出すことがある、という点だ。一定の失業給付があるのか、ないのか、あったとしてもごく僅かだからこういう〝対策〟が出現するのだろう、という見方も成り立つ。さらに、この現実に中国の世論や民衆感情がどう反応したか、その指摘も報道もない。

 そもそも共産党政府とは、労働者が主人公の権力で、〝福祉国家〟などという資本主義社会の寝言とはレベルが違う労働者天国だったはずだ。それがこのザマとはいったいどういうわけか。それに対して、自由競争・自己責任・弱肉強食・優勝劣敗・適者生存・自然淘汰が原則で、富めるものはいよいよ栄え、貧しきものはいよいよ窮する、とマルクス・レーニンから毛沢東・習近平らが200年も主張し批判してきた資本主義国家はどうだ。

 必ずしも政府の責任といえない、共産中国渡来の疫病の大流行で生じた、自然災害の一種といえばその通りの事態。原因者の共産中国に責任があるといえば、現にアメリカなどで共産中国に損害賠償を求める集団訴訟が提起されている事実が示すように、これまたその通りの状況。それにもかかわらず、私企業から個人までが蒙った損害について、政府に休業補償、所得補填を求める世論がある。国家財政による救済が当然のことであるかのように、俗流メディアの最たるものであるテレビが騒ぎ立てる。その中で、当然あって然るべき政治的・政策的な吟味は、少なくとも表面には浮上せず、そのための施策が粛々と進行している。これは一体どういうわけか。

際限なきバラ撒きオンパレード

 もちろん、自由民主主義に立脚する資本主義国の武漢ウイルス禍救済策といっても、国によってかなり幅がある。欧米はほぼ所得補償・損失補填に集中しているが、日本は安倍首相が〝世界で最も手厚い〟というように、国民1人当たり一律10万円の現金給付、一定の売上減を証明できる個人事業主やフリーランスに30万円給付、同様の条件で中小企業に100万円、複数の事業所を持つ場合は200万円給付、さらに雇用保険による一時帰休給付の摘み増し、水商売が主な対象と思わざるを得ない家賃の補填給付、1人親家庭のこども手当増額、困窮学生への20万円給付など、際限ないバラ撒きオンパレードだ。

 与党の一隅にいる公明党の〝影響〟も作用しているのだろう。彼らは自民党と組んで与党入りした直後の小渕内閣の〝地域振興券〟いらい、金券や現金のバラ撒き〝政策〟に、異様に固執してきたからだ。おかげで2020年度一般会計の予算規模は、当初予算と1次・2次補正の合計で160兆円。財源として発行される赤字国債は90兆円に達する。武漢ウイルス禍による不況で、税収と税外収入が当初予算で計上した70兆円を下回ることは確実だから、他に新規バラ撒きがないとしても、2桁の国債増発を含む3次補正は、必至だ。そのとき、前年度末に1115兆円に達した国の借金総額=国債発行残高は、GDPのほぼ2倍の1230兆円に迫ることになる。そして今財政年度中にウイルス大流行の第2波・第3波が起きれば、この超不健全財政は、さらに大きく悪化することになる。

 上の好むところ 下この顰みに倣う、という。安倍自公連立内閣がこの調子だから、小池百合子東京都政も、都独自の〝施策〟として〝自粛〟に応じた企業への〝協力金〟バラ撒きを敢行し、1兆円余の都の財政調整基金を蕩尽し尽くした。このカネは首都直下地震に備えて、石原慎太郎都知事時代を中心にコツコツ積み上げてきたものだったのだ。

 今回の財政対応が全部無用とはいわない。いわないが、ものごとには限度もあれば節度もある。10万円は生活保護の付加給付でいい。見栄張って大店を借りた家賃の補助や、ホストクラブやガールズバーの休業補償には疑問がある。バイト先のない学生には現金でなく、農家の収穫手伝いや田の草取り、工事現場の手伝いなど、汗を流す仕事を斡旋すべきだ。授業停止中だから住み込みで一向に構わない。敗戦直後、焼け跡闇市時代の学生の多くは自活して学業を終え、日本の高度成長の最前線の担い手に育っていったのだ。

戦時中と変わらぬ愚行

 昭和1桁世代までの日本人には、野放図な財政の現状から自然に思い出す忌まわしい言葉がある。〝臨時軍事費〟、戦争費用だ。これをケチったら戦争にならないから、国家財政は青天井・無制限に膨張した。日本に限らず交戦国はすべて、膨大な戦争予算を組み、戦後はこのツケの財政インフレに苦しんだ。インフレが最も苛酷だったのが敗戦国で、1次大戦後のドイツ、2次大戦後は日本だ。

 〝臨時軍事費〟には当然軍部の強圧もあった。同時にマスコミも戦前の社会大衆党などの〝革新野党〟も双手をあげて賛成し、世論の大勢も熱狂的に支持した。疑義を呈する良識派保守政治家や知識人は、非国民と罵られた。いま旧民主党政権の残党や共産・社民の野党は口を揃えてまだ足りない、〝100兆円の真水〟つまり赤字国債が財源の追加バラ撒きをしろ、と要求する。テレビの〝ニュース芸人〟もバラ撒きを疑問視するどころか、額が少ない、請求手続きが繁雑だ、支給が遅い、と大合唱して憚る気配がない。バラ撒き抑制を主張すれば、SNSで人非人呼ばわりが集中し、〝炎上〟を覚悟しなければなるまい。戦時中と状況は少しも変わっていない。

 愚行を繰り返していい道理はない。人間に節度と品性があるように、国家にも財政にも節度も品性もある。もちろん世論にも本来なら節度と品性は不可欠だ。

 いまのバラ撒きが横行する財政を続けていれば、民衆の要求を強権で圧殺する独裁国家だけが民の疲弊を無視して軍事予算を増強し軍備を強化し、テレビが煽る欲呆け〝世論〟に屈する自由民主主義国家は、財政破綻と軍備の弱体化・空洞化に苦しむことになる。そこが武漢ウイルスを世界に〝輸出〟した元凶の真の狙いだったとすれば、事態は深刻だ。
(月刊『時評』2020年8月号掲載)