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俵孝太郎「一戦後人の発想」【第112回】

習近平の焦り 共産中国の焦り~内外での異様な強硬策展開は周恩来なき毛沢東文革の喜劇~

 今や世界各国で共産中国の強硬が常態化しつつある。現在の習近平体制は、独裁者と化した毛沢東の晩年に近い。人口減など破綻・崩壊の兆候も見える中、さらなる暴走を封じるためにも、世界の有志国が一致して圧力を強めていくほかない。

不変の2025年崩壊説

 筆者はかねがね、共産中国2025年崩壊説、なるものを唱えてきた。いまどきそんなヨタ話をしていていいのか。2025年まであと3年半ほどなのに、中国の強大化は進む一方ではないか。こういう批判もあるだろうが、筆者の考えは変わらない。5年後に完全崩壊に至ることはないとしても、中国の崩壊プロセスは水面下で確実に進んでいて、これから加速度的に表面化し、世界のだれの目にもわかるようになる、と思っている。

 そう考える根拠は、当初は単純なものだった。要するに近代以降多くの先進国が体験した道だ。近代化・工業化とそれに伴う平均的な所得・生活水準の上昇がもたらす、人口構造の不可逆的な変化とそれに伴う経済状況の変化が、いずれ中国でも顕在化する。しかしそれに順応して新しい社会環境を構築するのは、共産党一党独裁体制下の中国にとって必ずしも容易ではない。必ず政治的・経済的・社会的に大きな摩擦が生じ、大混乱のあげく体制破綻の危機に立つ、と見ていたのだ。

 より単純な比喩を使えば、中国も明らかに背が伸び、体重が増す外形的成長の時期を終え、内面・生活面の充実を図る時期に達している。それに応じた生き方に切り替えなければならないのだが、伸び止まりを自覚できない、あるいは伸び止まりを受け入れることを許さない、共産党の無謬体質と一党独裁の権威主義が災いして、心身が極度にアンバランスな状態を続けている。これでは自滅の道を突進するほかないが、彼らはその危険な前途がまったく見えていない、という話だ。

 人口構造の変化と経済状況の変化、という多くの国が成長・発展の過程で直面した2つの要因に加え、中国には習近平体制が定着し強化するにつれて、第3、第4の要因が出現した。国内的には過度の強権化、国際的には深刻な孤立化だ。二つの新要因は互いに絡みあって中国の前途をより複雑かつ困難にしている。それは彼らが建国いらい70年余かけて築き上げた現在の高みから、短期間で転落する危険を孕んでいる。

〝文化大革命〟の既視感

 二つの新要因のこんごの展開は改めて触れるが、この様相には既視感がある。毛沢東が旗を振った〝文化大革命〟と、四つの要因のうちの古いほうの二つに直結する〝1人っ子政策〟だ。毛沢東が、中国大陸の東北部から〝中原〟に及ぶ地域を実質支配していた日本が太平洋戦争に敗北で残して去った力の空白と、蒋介石率いる国民党による中華民国統治の混乱に乗じ、蒋の勢力を台湾に追い出して治乱興亡の4000年に一応のピリオドを打ち、共産党一党独裁体制のもとで、安定した国家を実現した事実は偉業といえるだろう。

 その過程で、蒋介石系諸勢力・割拠する地方軍閥・農村を牛耳る地主や富農層などを対象とする武力弾圧や粛清をはじめ、イデオロギーに固執した非現実的営農法に抵抗する農民への無慈悲な制裁、施策の失敗の結果生じた凶作・食糧難による大量餓死など、2000万とも3000万ともいわれる多くの人命を損なう大混乱を生んだ暗黒面もあった。

 そうした副作用を伴いながら、毛が率いる共産党支配体制確立後の新中国は、荒廃した国土に農業を復活させて、ともかく国民生活を安定させた。その結果農村部の人口は急増し、放置すれば人口が膨張して地域社会がパンク状態に陥り、内部に矛盾や軋轢が生じて収拾困難になる事態が懸念される状態になった。それが事実に即していたか、杞憂に過ぎなかったかはさておき、〝1人っ子政策〟は毛のこうした問題意識から出ている。

 毛沢東思想の独自性は、〝農村が都市を包囲して革命を達成する〟という点にある。これは、都市労働者が団結して決起し、暴力を辞さない集団行動で権力を奪取する、というレーニンの思想とは明らかに違う。実際に毛は半農半ゲリラの八路軍を率い、〝租界〟という名で長く欧米と日本の植民地状態に甘んじてきた都市を〝人民の海〟の中で孤島化させる戦術で、支配圏を拡大した。結果的には日本の敗戦に乗じた形になったものの、毛は終生農村・農民を、ヒトラーにとってのヒトラー・ユーゲント、スターリンにとっての青年共産同盟に等しい、〝子飼い〟の私兵が固める親衛隊と認識していたのではないか。

人口を分離固定化した狙い

 広大な国土で巨大化する国民を、農村人口と都市人口に区分して固定化する特異な制度も毛の〝悪しき遺産〟だが、彼には農村を都市と切り離して差別する意図など、文字通り毛ほどもなかったと思われる。日本の高度成長期に茨城県知事が、伝統的地場産業の農業と、筑波から鹿島灘沿岸を経て日立に至る大工業地帯が並び立つ、〝農工両全〟構想を示したことがある。それと同様に毛は〝農軍両全〟の伝統を持つ農村を国の根幹に位置づけて、〝租界〟いらいの無気力・怠惰に加えて商工業化の必然的な帰結で安逸・放恣に流れやすく、到底信用するに足るとは思えない都市住民と、峻別したかったのではないか。

 そうした理解に立てば、毛が中国共産党内に向けては、思想・規律の厳格化を問う〝整風運動〟と都市で新支配層の子弟としてぬくぬくと育つ〝太子党〟の農村部への〝下放〟を命じたこと。同時に国民一般に対しては、質実な価値観を維持する〝文化大革命〟を指示したこと。そして農村人口と都市人口を分離固定化した狙いが腑に落ちるはずだ。

 晩年の毛沢東が、〝下放〟や〝文革〟という強硬手段に訴えたのに加えて、「語録」の形式で自らの思想をテーゼ化し、党と国家の将来を規定しようとしたこと。さらに、少数の側近が旗を振って仕組んだとはいえ、自身の神格化を止めようとせず、個人崇拝・権力集中を排除しなかったことも、事実だ。

 筆者は、晩年の毛沢東は、極めて保守的で土俗的な理念に固執する独裁者だった、と考える。ただ、生まれたばかりの新中国がまだ開発途上、というより開発以前の状態だったことを反映して、毛の覇権確立の対象はもっぱら党内と国内に集中し、視線は国外には向かわなかった。視線の先があるとすれば、同じ共産主義に拠って立つ一党独裁国だが、ユーラシア大陸を7割方輪切りにする世界最長の国境線で対峙する、ソビエト・ロシアに集中していた。当時の米ソ東西対立の世界で、新中国は完全な中立、というより少なくとも西側の主役アメリカの目に好ましい存在と映るような位置に、身を置いてきたといえる。

切り替えの好機だった理由

 もっとも農村しか知らない毛と違い、若いころ欧米や日本に留学した経験がある周恩来を筆頭とする開明派党幹部は、猜疑心の強い毛やその取り巻きの監視の目をかい潜りながら、欧米や日本との国家関係の基盤構築を模索してきた。そして土俗派の毛沢東の〝農軍両全〟とはまったく違う別の国家像も、密かに、しかし堅実に、構想し、準備してきた。毛の寿命が残っていた期間、鎖国に等しい状態で安定的で緩慢な農業中心の成長に甘んじたのは、結果的に建国当初の共産中国にとって、適切な国家運営だったろう。毛の死後、まず側近の〝4人組〟を征伐したあと、開明派が前面に立ち新中国の前途を都市主体の工業的発展に切り替えたのも、当然の流れだ。

 毛の死で到来した切り替えは、共産中国にとって、絶好のタイミングだった。第1に、建国直後から増えに増え、農村部の不安定化要因になりつつあった若年人口を、都市部で急速に拡大した軽工業部門の未熟練労働者として吸収でき、すぐ有効活用できた。

 第2に、戦時中の空白を挟み、長く欧米にくらべて安い賃金に支えられる軽工業製品の世界に向けた最大の輸出国だった日本が、高度成長で重化学工業国化し、この分野の世界的供給源がもっぱら新中国に移った。

 第3に、蒋介石が言い出し、毛沢東も受け継がざるを得なかった対日賠償放棄の代償として、高度成長で経済・財政力を高めた日本が提供するODA=政府開発援助が、民間投資・技術供与を道連れに中国に大量に流れ込み、急速な工業化とその高度化を支えた。

 第4に、この時期は米ソ冷戦・東西対立の終末期で、国内に経済不振と権力抗争を抱えるソビエトの対外姿勢はより硬直化し、その反射で欧米の中国に対する視線は緩かった。むしろ最初は軽工業製品の供給源として、そして中国の経済水準が上がるにつれて日本を含む先進工業国の製品の輸出先としても、中国は重視されるようになった。

 第5に、中国が新興工業国として豊かになる中で、〝一人っ子〟世代は親の世代は到底不可能だった欧米や日本への留学を頂点に、高い教育を受ける機会に恵まれ、相応の技術力を身につけた。その結果中国は、初期の低賃金労働力が切り札の軽工業国から短期間でテイク・オフして、自前の高度な工業製品を世界に向けて大量に輸出する、経済大国の人的基盤、生産力を持つことになった。開発のための巨額の投資や長い時間を要としない、先進国の知的財産を発展途上の後進国の当然の権利のような顔をして常習的に無断・無償で盗用したことが、テイク・オフを助けた事実も見落とせない。彼らは被害者である先進工業国の油断に乗じて、さしたる非難も抗議も摩擦も蒙ることなく、軍事・治安から各種の民生サービスに至るまでの高度の開発・生産能力と利用技術を身につけ、世界で展開するエレクトロニクス大国にのし上がった。

 さらに第6に、これまでは国内で〝一人っ子政策〟のマイナス面が表面化することも、工業発展の反面にある農村の衰退とそれに伴う食糧の輸入依存も、問題にならなかった。国際的には貿易・経済摩擦を手初めに、知的財産・国家理念・統治体質・人権、さらに軍事面などで、さまざまな違和感や対立が生じつつあったものの、その動きは緩慢で深刻な衝突には至らず、中国は国際社会でほぼ自分本位で立ち回ることができていた。

独裁者になった有利な状況

 習近平は、こうした共産中国の発展にそう貢献したわけではない、当初は〝下放〟された〝太子党〟の目立たない一員に過ぎなかった。〝下放〟組にも、ピカリ光る能力があったり、強力なコネに恵まれたりすれば、〝文革〟終結後早々に北京に帰る機会を得たに違いない。しかし習は、置き忘れられた荷物のようにドサ回りの地方党官僚生活を続けた。北京帰参が遅れたわりに順調にポストをあげた彼が、党と国家の中枢メンバーに加わり、ついにトップの座についたのは、格別の実績を認められたわけでもなければ、苛烈な党内抗争に打ち勝ったわけでもない。経済を背景に、欧米や日本の半植民地だった時代から中国の中心都市だった上海を牛耳る、党内派閥の頭目で一代前の党・国家の独裁権力者の江澤民が、あいつなら無益・無能だがまず無害だろう、と判定して登用した安全牌だった。

 その習が、就任後10年足らずで世界制覇の野望を隠そうとしない、超強面の独裁者になったのにも、いくつかの強運というか、彼に有利な状況があったことを否定できまい。なにより習の党主席・国家主席としての任期の開始が中国経済の絶頂期と重なっていた。しかもそれが、アメリカはオバマの8年、日本は〝悪夢の〟民主党政権3年4か月末期、EUもイギリス離脱を中心とする混乱と、先進国が揃いも揃って内向きにならざるを得ないタイミングだった。同じころロシアのプーチン統治は、内には原油価格の乱高下による経済困難、外にはクリミア問題などで揺らいでいたし、韓国やカンボジアなどでは、中国に擦り寄る政治指導者が出現した。主要国の中で当時は中国だけが、伸び伸びと世界を横行できたことは、見逃せない点だ。

 習が〝下放〟後のドサ回りの中で、毛沢東流の土俗的な人心収攬術、統率手法を身につけていたことも、プラスに作用したに違いない。ただの〝太子党〟の神経では、臆面もなく〝語録〟ふうの文言を国の内外にひけらかしたり、〝一帯一路〟といった、無邪気とさえいえる自己肥大・誇大妄想的な大風呂敷を広げることは、できなかったはずだからだ。

足下で進む高齢化・人口減

 とはいえ世の中、そう都合のいい方向にばかり転がっていくものでもない。習が登場する以前から進んでいた〝一人っ子政策〟による中国の人口構造の歪みは、2010年には労働力人口の減少、2018年には総人口の減少という姿で、表面化・具体化していた。国家・社会・民族が豊かさを満喫して、熟しきった段階で人口が下降線に入るのなら、自然な成り行きといえる。しかし中国は、人為的に出生を抑え続けて、人口構造に大きな断層を刻んだあげくこうなったのだから、対応は容易でない。労働人口の減少だけなら、製造技術の高度化や、最近ならAIを駆使した高度の自動化で補えるだろう。農耕人口の減少も、農業機械化や営農者の就農期間の延伸で対処できる。しかしそれには自ずと限度がある。それ以上に高齢人口の増加と現役世代の急速な減少は、社会保険制度が充実しておらず、社会保障給付資金の積み立ても極端に少ない中で、経済の後退が現実化している中国にとっては、まことに深刻な問題だ。

 急増する社会保障給付・医療給付の劣悪さに対する高齢者の不満が爆発すれば、いくら一党独裁体制下でも、統治体制が揺らぐこともありうる。その兆候を契機に、習の言動に対する党内批判がアタマを擡げない保証もない。農村の高齢化に伴う疲弊、その結果としての食糧自給の困難は、現にトウモロコシなどを大量輸入に頼る状態が示しているが、それも決済能力が十分にあり、輸出側の国との間に円満で安定した関係があっての話だ。その前提が失われれば〝食糧安全保障体制〟が揺らぎ、国家社会の安定度にも響く。

 習近平・中国は、現に経済面でも、それ以上に国際的な信用度の面でも、かつてない困難な状況に直面している。それも、相手から追い込まれたというより、自分自身があたり構わずケンカを売りまくった結果、そうなったところに異様さ、深刻さがある。

諸方面で綻ぶ経済政策

 経済に関していえば、そもそもいまの中国は、世間が思うほど金満国ではない。日本とトップを争い続けるとされる外貨準備高は、日本が〝正味〟なのに比して、中国は実質的には軍つまり国の直営企業の対外債務が巨額で、よくて差し引きトントン、実態は水面下ではないかとする説が有力だ。対米・対台湾外交で味方につけようという政治的意図によるアフリカや中南米の国への借款供与も、多くが不良債権化して回収困難とされる。途上国援助も、日本は着手した工事はほぼ予定通り進むが、中国は港湾など自分が軍事利用する施設は完成を急いでも、鉄道や道路などは資金難・技術難で工事を中断・放棄する例が目立ち、インドネシアや、習が鳴り物入りで進める〝一帯一路〟の終点になるはずの旧東欧圏で、問題化している。

 長く共産中国の最大の強みだった日用雑貨から高度工業製品に及ぶ輸出にも、影が目立つ。いままでは眉を顰めはしても見逃してくれることが多かったさまざまな貿易上のルール違反や知的財産権侵害などの無法行為も、いまは真正面から非難され、世界の市場から締め出されるようになってきた。

 ファーウェイが欧米市場から追われつつある姿が象徴する、中国企業は政府が要求すれば経済活動で得たあらゆる情報を提供しなければならない、という市場経済の常識に照らして論外にもほどがある法制を、世界に向けて押し通そうというのでは、話にならない。経済の情報化が進む中で、5Gに続く次世代通信規格の展開、あるいは次世代半導体の開発・生産で、先進世界に置いていかれれば、中国経済の前途は先細りになる。

 国際関係の面では、それより遥かに風当たりが強い。50年間続ける、と返還条約で世界に公約した香港の一国二制度の実際上の蹂躙。東南アジアで頻発する、他国の領海や専管水域の公然たる侵犯。さらにそれを正当化する国際法をアタマから無視した〝海警法〟制定。さらに明白に中国由来の〝武漢ウイルス〟が世界人類全体に害悪と苦痛を強いているのに、反省・謝罪のカケラも示さず、やりたい放題・言いたい放題を続けて、是正する気があるとは到底思えない姿勢。こうした状態に対する反感が、中国に集中してきた。

毛沢東晩年の体制に

 つまるところ習近平体制は、周恩来がいない毛沢東晩年の体制になっている、といって間違いない。毛・周の時代も、国内反対派への弾圧やモンゴルでの大量虐殺、今日の新彊・ウイグルにつながるチベットの圧政などが起きていた。しかし周はバンドン会議の〝平和的中立主義〟提唱などで、毛体制や国内の暴挙・失態を巧妙にカバーし、中国が平和的・良心的な国だとアピールしてきた。いまは習本人が、時にどうかと思う野心剥き出しの姿を曝すものの、党と国家を率いる第一人者らしく、泰然と構えるポーズをとるくらいの分別は心得ているのに対し、せわしなく世界中を飛び回り続ける子分の王毅外相が、各地で鼻つまみになっている。習にゴマを擦るつもりか、主席に代わって教えてつかわす、という調子で上から目線で講釈し、チェコの大統領が会談後に公然と名指しで不快感を示したのをはじめ、反中国感情の発生源だ。

 習・中国のあまりの乱暴さに、2022年に予定される北京の冬季オリンピック・パラリンピックを、香港、そして新彊・ウイグルの人権抑圧に対する国際社会の反対を示すため、ボイコットしようという議論も、アメリカや欧州の一部で出ている。1980年のモスクワ・オリンピック夏季大会で、当時のソビエトのブレジネフ政権のアフガン侵攻に際し、アメリカのカーター民主党政権が同盟国にボイコットを提唱して、日本も西欧主要国とともにそれに同調した例がある。その再現がないとも言い切れない形勢なのだ。

習が無理を通す理由とは

 なぜ習近平・中国が、ここまで無理を重ねるのか。その理由が、わからない。これは、いま世界中が抱く疑問だろう。習自身が、彼に忖度して事実を伝えていない党と政府の中枢のだれよりも、国の前途が暗いと認識していて、破局が到来する前に少しでも到達点を高くし、歩留まりをよくしようと焦りまくっているのだというのが、正解かもしれない。ひょっとすると習は、晩年の毛沢東のように健康に大きな不安を抱えていて、ごく一部の側近は別として党と政府の多くの幹部が面従腹背の姿勢と冷たい視線でトップの立ち往生を待っているに違いないと猜疑心に駆られ、自暴自棄で暴走しているのかもしれない。

 万が一にも後者なら、これは過去にSF小説がさんざん描いてきたような、世界最終戦争に突進する虞れも、絶無とはいえない。習が破れかぶれで、アセアン海域や尖閣を含む台湾周辺で軍事行動を起こせば、当然反撃があり、相互にエスカレートする。小規模戦術核が使われれば必ず戦略核の応酬になり、地球は全土放射能に晒された死の砂漠になる。少なくともそれに至る過程で、真っ先に特定の少数の地域に経済・生産施設、巨大人口を抱える中国が蒸発するのは確実だ。それだけの核戦力を、アメリカは持っているのだ。

 それを理解すれば、習・中国は非条理な身勝手を慎み、手前勝手な〝絵に描いた餅〟が実現できないのを焦りまくる姿を、挙国一致で改めるしかない。そのために不可欠な自制心が、彼らになかなか生じないなら、彼らにそれが生じざるを得なくなるように、世界の有志国が彼らに対し圧力を強めるしか、方策はない。もはやその時期なのではないか。

 その意味で、菅首相が友好同盟国のトップでバイデン・アメリカ大統領と会談し、台湾の現状維持に関して断固たる姿勢を共同声明で示したのは、まことに適切だった。バシー海峡以北・台湾海峡以東を〝極東の範囲〟と定めて日米安保改定条約の適用対象とするのは、〝岸・アイゼンハワー共同声明〟に発する戦後日米関係・日本自衛の基本だ。それを再認識する意義がいまほど高いときはない。

(月刊『時評』2021年6月号掲載)