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俵孝太郎「一戦後人の発想」【第141回】

ガン老人のひとりごと

~老人にガンはつきもの、重いか軽いかは運次第、くどいヤツ多い前立腺、結局はマメな検診次第~

齢90も過ぎると、ガンの経験値もそれなりに上がる。野次馬根性丸出しのガン擦れした筆者として改めて思うのは、家庭医や地域医にもっと着目し、地域住民とのネット形成を図っておくべき、ということである。

 ガンが怖くて年寄りができるか、というのが、ここ20年ほどの筆者の口癖だ。
 必ずしもカラ威張りの無責任な放言というわけではない。この間、というよりその10年ほど前から本格的なガン患者になって、間もなく93歳を迎えようというのだから、たいしたことでないのは明白だが、それでも命を落とさずに済んだ程度のガンは、その前から一通り体験してきた。トシだから当然、といってしまえばそれまでだが、現に複数のガンを、あるいは長年抱え、あるいは一応消滅した状況になっているとはいえ、経過観察中の医師の判定を受けている。専門医から文系の常連寄稿家、新聞の連載読み物に至るまで、多様かつ多彩なレベルと内容の著作物や闘病記が溢れているいまの世の中で、なにをお前ごときが、といわれるのは十二分に承知のうえで、一通りのガンを経験しながらラッキー続きで生き延びている一老人の、それなりの体験で得た超シロウトの率直な所感を、筆者も書き残すことにしたい。

偶然見つかり瞬時に解決

 筆者の最初のガン体験は、いまでは多くの人が同様であるように、とてもガンとはいえぬ、ガどころかカが鳴くような話だった。もう半世紀も前になるだろうか、年中行事的な人間ドックの胃カメラ検査でまったく偶然に見つかって瞬時に解決してしまったのだ。
 このころはすでに新聞記者からフリーの物書きになっていたが、独立と同時に、もはや会社による年に2回の健康診断は受けられなくなるのだから、どこかしっかりした病院の会員制の人間ドックに入っておかなければならぬ、というわけで虎ノ門病院系のドックの会員になった。そこで受けた胃カメラ検査で怪しげな組織が見つかり、多少範囲を広めにとって再採取して精密検査をしたら、その中心部にガン細胞が見つかったというわけだ。新聞記者、それも夜討ち朝駆け常習の超不規則・超乱脈な生活を続ける政治記者をやってきたのだから当然といえばそれまでだが、胃潰瘍の既往症がある。それで多少念を入れて担当医が診てくれたおかげで、早期発見以前のミリ単位の異形細胞を胃カメラで採った標本の中心部で発見した、というわけだ。
 このときは発見即摘出イコール治療完了となって、当面要観察、というだけの話で済んだが、虎ノ門の人間ドックは高位官僚や官僚出身政治家が会員の中心らしく、筆者もその筋の紹介で入ったのだが、それはともかく、検査前日は隣接するホテルに泊まるのが原則だった。前日の夕刻にいったんドックに出頭し、当夜の飲食等の注意を受けたあと、小さい計量カップ様の容器を渡される。検査当日の朝、起床して最初に出す小水を容器に採取して持参して、検査開始時に提出する決まりだ。夜明けに目覚めて用をたした後、またひと眠りすることはよくあるのに、なぜ起床して最初の小水でなければならぬのか、わけがわからないし、なにより面倒くさい。どこかに移ろうと考えていたら、たまたま江戸英雄さんの発意で新宿にできた小規模の会員制のドックから誘いがかかり、そっちに移った。 

気楽な環境で気楽に内視鏡

 この会員はお膝下の三井系をはじめ民間人主体で、政治家や弁護士も多少はいたが、定期的に講演依頼を受けていた複数の企業の幹部や、作家・音楽家・俳優、テレビ関係者など、顔見知りも多く、なにかと気楽だった。そこで当時はまだ広く普及していなかった大腸内視鏡検査を受けたら、大腸の上部と直腸に複数のポリープが見つかった。
 初期のころの大腸内視鏡は、胃カメラも同様だが先端にカメラをつけて体内に挿入する管が太く、その操作も被験者の苦痛を和らげる技術も未熟で、検査をいやがる人が多かった。しかし鈍感力だけを唯一の取り柄とする筆者は最初から全然気にならず、喉からの胃カメラも難なく飲み込めたし、肛門に挿入する大腸内視鏡は、ベッドに腹ばいになって自分の腸内の様相をモニターで見ながら、オレの腹の中は全然黒くないね、と検査している医師に冗談をいう余裕もあった。
 しかしそうしたことと、見つかったポリープの性質の善し悪しとはまったく関係ない。内視鏡検査で切除したいくつかのポリープのうち2、3本から怪しい部分が見つかり、細胞検査をしたら、いくつかはガン細胞が見つかった。とはいうものの一応は取ってしまってあるのだから、こんども当面は経過観察でいい、ということになり、しばらく年2回のドックのうち規定では胃カメラと交互に1回だけの大腸内視鏡を、オプションで毎回やるだけで、本格治療には至らなかった。

一様にはいかない前立腺ガン

 そこまではガンというより、相撲でいえば序の口から序二段くらいの話だが、やがて幕下から関取クラスに出世していく。新宿のドックが江戸氏が亡くなって閉鎖になり、会員は府中の榊原記念病院か、四谷の警備会社セコムが経営する病院か、東京女子医大病院が河田町の本院とは別に運営していた青山病院の会員制ドックの、いずれかに紹介するから移ってほしい、という話で女子医大の青山にした。この病院はいまはなくなったが、ここも何人もの顔見知りの政治家や同業者、舞台人や落語の大御所などが一緒で、今回はだれに会うかな、といくのが結構楽しみだった。
 数年通っているうちに、前立腺の血液検査の数値が怪しい、精密検査が必要だ、ということになった。男性の前立腺ガンと女性の甲状腺ガンは遺体を解剖すれば半分ほどの人から見つかる、というくらい潜伏度の高い、裏返しにいうと必ずしも重症化しないガンとされている。しかし筆者の新聞記者時代の友人で、のちに田中角栄の名物秘書として名を馳せた早坂茂三元東京タイムズ政治記者のように、発見されたらあっという間に肺・脳から全身の骨に転移して、すぐ亡くなってしまった、という厳しい症例も稀にないわけではない。早坂と筆者の二人にとって大先輩の政治記者で、職業が変わってもしばしば会って政界情報を中心に雑談を楽しんできた読売新聞の渡邉恒雄主筆のように、さっさと手術して完治した例もあり、一様にはいかない。
 筆者はレントゲン照射下の穿刺による細胞診断の結果、数か所からガン細胞が見つかったとして前立腺ガンの診断を受けたが、全摘手術をするか、注射療法を採用するか、ガンの状態から見て手術には及ぶまい、という担当医の見立てで、当初は毎月、数年後からは1か月置き、さらに3か月置き、そして20年以上たったいまでも半年ごとに、下腹に太い注射を打たれ続けている。なにかの必要があってとりだす人間ドックの健康報告書類を見ると、現に治療中の病気、という項目の筆頭に前立腺ガンが出ている。つまり古い病気だがまだ一応は現役には相当するだろう。

市井に多い超シロウト的恐怖

 もっとも、相撲に例えれば昔はフンドシかつぎと呼ばれていた下っ端クラスからは一応抜け出しているものの、まだ一人前の力士とはいえない、せいぜい幕下クラスの前立腺ガンだが、それでもガンと聞いただけで震え上がる人が世の中には意外に多いものらしい。前立腺ガンの注射の前には、その都度担当医の問診が必須とされていて、予約した時間に診察室の前で待機することになるが、検診で診断が出て治療方針を決めることになった患者が、手術をカンベンしてほしいというのならまだしも、なんとかガンではないといってもらいたいと、付き添いの女房ともども、医師に長時間かき口説き続けるのが少なくない。おかげで予定の診療時間が大幅に遅れ、こっちは理不尽に待たされることが多い。
 肺ガンと直結する呼吸器外科や、胃ガンや大腸ガンの治療が主役の消化器外科など、幕内格のリッパなガンは、さっさとハラを括らなければ手遅れになって命に拘わるから、哀訴陳情するヒマなんかない。相談時間も比較的短く、不条理な待ち時間を強いられる経験もまずないのだが、前立腺は勝手が違う。早坂のような深刻なケースもあるのだが、一般にはそう深刻なガンとは思われておらず、しかしガンといわれればこわいし、男のシンボルをチョン切られるかもしれないという超シロウト的恐怖が、率直にいって市井一般の患者には多いようで、極度にイヤがる。陳情・嘆願して治療せずに済んだらシンボルは安泰だし、自分も家族もガン患者でないと思って気楽に過ごせる。こう考える連中が出てきやすい特別の心理状況が、前立腺ガンにはあるのかもしれない。

むしろ急を要した間質性肺炎

 閑話休題、筆者のガン体験に戻って、東日本大震災・福島第一原子力発電所の大被災事故があったころ、やはりドックで肺ガンが見つかった。すでに80歳台に達していたが、他に健康上の問題は見られないので手術したほうがいい、という医師の判断になった。尤もそう急を要する状態ではないという話で、時節柄、世の中が安定感を取り戻していない春のうちや暑い夏の間は避け、涼風が吹くころになったら手術しましょう、ということになり、9月末に右肺上葉の切除手術を受けた。手術は出血も少なく術後の発熱もなく、順調に回復したとして一週間ほどで退院した。日常復帰、といっても自宅で原稿を書く生活だから、フツーに暮らして退院一週間後の経過観察のために病院にいったら、執刀した胸部外科の教授の顔色が変わった。なんでも左の肺が重い間質性肺炎に冒されているのだそうで、下着を取りに帰宅することさえ許されず、即胸部内科の診察を受けて入院治療に入るようにいわれ、確かに間質性肺炎だという診断で、ステロイド剤1000ミリグラムの3日連日点滴投与、という治療を受けた。
 この治療は効く患者には驚くほど効くが、必ずしもだれにでも効くというわけでもないし、効いていても3日以上続けると顕著な副作用が出て、そっちのほうが問題になるのだという。筆者の入院早々家内は主治医に、3日たっても容態がよくならなければ覚悟してください、といわれたそうだが、それから12年たった最近でも、間質性肺炎で入院した夫がそういわれたという家内の友人がいた。いまだにそういう慣例らしいのだが、その人はいったん回復して退院・帰宅したが間もなく再発、結局薬石効なく亡くなった。しかし筆者は悪運強く、2日間はダメだったが3日目にはレントゲンで顕著な回復が見られて、そのまま快方に向かった。

手書き執筆で原稿落とさず

 とはいうものの、ステロイド剤の減薬管理は、ヘタすると再発するので難しいという。そこが内科医の腕の見せどころだそうで、筆者の場合は1か月半ほど入院を続け、全体症状の治まり方との見合いで点滴薬の手加減、静脈注射、飲み薬への転換と、小刻みの減薬を重ねた。退院許可は1日当たり5ミリの錠剤くらいになってからではなかったか。
 入院中も、本人としては格別の症状が感じられるわけでもなく、かといって当然ながら外出など厳禁、病室内で徒手体操でもしていなさい、という生活になる。筆者の場合は本誌の当連載を含めて、いまよりはかなり多い執筆予定があったから、ワープロを使えない病室でベッドの囲いの上に板を渡して机がわりにして、久しぶりに400字詰め原稿用紙に手書きで執筆し無聊を凌ぐことができた。本番と付け足しを合わせて2か月ほど入院したにもかかわらず、どの連載も落とす、つまり休載することなく乗り切ったのは、物書き稼業の身としては、それなりに満足し、誇りにできることだったと思っている。
 とはいえ、こうした生活をそこそこ長期にわたって、病院のまずいメシだけ食ってやっていけるものではない。病室から家人に電話して、なにか旨いものを差し入れてくれ、と頼むことになる。家内・長男の妻が家から見舞いにくる途上で新宿のデパートで、サラリーマンの長男は帰宅途中に銀座・新橋あたりで、然るべきものを買ってきてくれるようになり、運動もせず食う一方の日常を送っているうちに体重が激増して、ヴェテランの看護婦に、いまどき肺ガンではそう簡単には死なないけれど急激な肥満でコロリと逝く人は多いですよ、とからかい半分に脅かされるようになった。さすがに自粛したが、一度増えたものはそうたやすく元に戻らず、入院中にプラス15キロまでいった絶頂から10年以上かけて25キロほど落とし、最盛期は85キロを超えて90キロ目前だった体重を、まず75年前の高校生時代の62キロまで落として、高齢が進んだいまも維持している。

直近ではPET検査を受ける

 間質性肺炎という病名はよく耳目に入るようになったものの、どういう病気なのか、医学に無知な身には、患者を10年以上続けていても、さっぱり分からない。肺炎というのだから細菌性であるかウイルス性であるか、いずれにしても感染症で、つまり症状が重くても一過性でいつかケロリと治る病気だろうと思っていると、さにあらず。他人から感染するものでも、他人に感染させるものでもないらしいが、急性症状は治まっても病気は患者の肺の中にしぶとく残っていて、肺細胞をひとつひとつ壊していくらしい。そのあとには肺気腫という、要するに空洞が残って次第に広がっていくのだという。挙句の果ては肺機能が衰え、呼吸不全になって死に至るのだそうで、患者は通名バイタル、正式にはパルス・オキシ・メーターという、新型コロナで一気に世間に知られるようになった、指先に嵌めて血中酸素の飽和度を即座に検知・計測する器具を常時携帯して、警戒することになる。急に呼吸が苦しくなったり、そうでなくてもメーターの数値が主治医が指示する異常レベルに落ちたときは、落ち具合によって救急車を呼ぶか、救急車ではどこにかつぎ込まれるか分かったものではないのでタクシーで主治医のもとに急ぐか、そこは患者自身の判断、ということになる。
 この状態を続けながら、結局のところたいしたこともなく、80台の10年余を過ごしたのだが、92歳を迎えた昨年秋のドックで右肺中葉に新しいガンの疑いが、極めて強い影が出てきたといわれ、暮れの診察を経て年明け早々に、PET検査をやる運びになった。この検査は経験者も少なくないと思うが、要するにガン細胞に集まるクセのある薬液を点滴し、2時間ほどしてからアタマのてっぺんから足の先まで、嘗めるようにレントゲンを照射すると、体内に存在するすべてのガン細胞に薬液が集中していて赤く発光し、議論の余地なく白黒がつく、という仕掛けだ。
 これをやるとしばらくは患者自身が放射能を帯びた移動危険物になるという話で、点滴から検査を終えて2時間ほどは行動を慎むように、という注意書きが渡されるが、そういわれると余計に指定時間中に盛り場を徘徊したくなるのが人情というものだ。筆者も昔の前立腺や前回の肺ガンのときは、じっとしていないで病院からそう遠くない新宿や高田馬場周辺の馴染みの中古レコード店や古本屋などを回り、時間を潰したものだった。

4日間連続放射線照射

 さすがに今回は、トシのせいで徘徊する元気はなく、じっと待った。結局怪しい影は明白にガンだが、前立腺を含めて他に転移は認められず、どう処置するかを決めよう、ということになり、年齢的に見て手術はこのまま放置するよりもっとリスクが高い。制ガン剤も一定の副作用がないとはいえない。ガンの状態と筆者の体調を評価すれば、副作用のおそれはあるが放射線が適しているのではないか。こういう判断が総合診療、呼吸器内科、双方の教授の一致した見立てとなり、善は急げと、たまたま正月で放射線治療の枠が空いていたので一月末に4日連続照射を受けた。 
 この治療は、まず事前の準備段階で、患者が微動だにできないように、石膏型のような仰向けに寝た全身をすっぽり嵌める型を、紙のような素材でつくる。そしてそこに寝かせて、レントゲン画像が示す位置に正確に治療機が放つ放射線を集中照射できるように、位置と角度を精密に計算してセットする。シロウトの筆者にはよくわかりかねるが、1ミリでもずれれば治療成果が上がらないだけでなく、ガンでない健常な臓器細胞を棄損することに直結するのだから、この機械を操作する検査技師に手順を指示する計算の的確さが、放射線腫瘍科の専門医の腕の見せどころ、ということになるのだろう。
 準備が整ったら、連続4日の治療になる。患者はただベッドの型にすっぽり嵌まって、指示がある場合は息も止めて動かないようにしていればいいだけで、たぶんレントゲンのカメラ付のものと、別の3つの大きな輪がともにベッドを中心に回り、その間に適切に放射線を三方からそれぞれ精密に計算された方向・角度・秒数で患部に集中照射して、つまるところ完全に焼き尽くすのだと思われる。治療は毎日せいぜい数分程度。そのためにはるばる病院に出向くのは億劫だが、放射線の過照射による障害もこわいから、そこはやむを得ない。筆者の場合1日10・5グレイ、4日で計42グレイ、という話だから、たぶん1日で3つの放射機械から各3・5グレイを狙いすました角度で放射したと思われる。
 と書いたものの、そもそもグレイとはなにものなのか、シーベルトと同様の放射線量を示す単位だ、という説明だったが、さっぱりわからない。尤もマナイタの上のコイの身としてはそんなことはどうでもよく、問題は治療が効いたか、効かなかったか、だけだ。
 その効き目だが、呆れ返るくらいよく効いた。照射から2週間ほどした時点でとったレントゲンで、すでにはっきりあったガンの姿が全部行方不明になっていた。この治療には短期的には照射点の火傷、発熱や腹痛、不快感などの副作用が出ることがある、という話だが、そうしたものも一切なかった。

地域医に、より着目すべき

 副作用は3か月後から半年後くらいになって出ることも少なくないというが、その気配もなく、ほぼ半年たって7月にとったCTでも、あれだけはっきり赤く光っていたガンは影も形もなくなっていた。焼けた肺細胞の瘢痕がかすかに見られるという話だが、ガンの本体は完全に消滅、雲散霧消した。
 事前の説明のとき、成功するとどうなりますか、と筆者が尋ねたら、治療に当たった生真面目で敏腕の放射線腫瘍科の准教授は、焼けてなくなります、と答えた。焼けたら灰はどうなりますか、と聞いたら、尿とともに体外に排出されると思います、と答えた。その尿は何色をしているんでしょうか、と聞いたら、さすがに閉口して、たぶん特別の色はついていないと思います、と答えた。
 さすがにここまで野次馬根性丸出しのガン擦れした患者は、90台の年寄りにもそんなにはいないようで、ドックを含めて眼科・歯科まで、この大学ですべての診療科にかかっているから、膨大にたまっている電子カルテを見ながら、なんどもガンを経験していらっしゃるようですが、ガンだといわれてもこれだけ気にせず、さっさと検査・治療を進める患者さんは少ないと思います、といわれた。 
 昔から、医者を選ぶも寿命のうち、というが、筆者は医療情報がほぼ遺漏無く電子的に共有され、これだけ先進的で精密な医療機器が広く備えられるようになったいま、地域医療の世話人的存在である家庭医や、在宅高齢者の日常を管理して非常事態になれば病院につなぐ地域医にもっと注目し、地域住民とのネット形成を図っておくべきだと考える。国公立の基幹病院や大学病院などは、流行疾患に対する不断の監視・早期流行の防止や、難病治療、基礎研究や教育に専念したほうがいいに決まっている。基幹病院や大学・公的研究機関の付属病院は、実は地域医療機関では必ずしも揃わない分析・診断機器を駆使した人間ドックによる早期発見と高度医療と、最初歩の診断と最高度の医療に専念するようにし、掛かり付けの家庭医を決めていない、風邪や腹痛レベルの患者が、知名度と存在感だけで高度医療機関の待合室を埋める愚は、いくらなんでももうやめようではないか。

(月刊『時評』2023年11月号掲載)

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