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俵孝太郎「一戦後人の発想」【第85回】

習近平vsトランプ 僥倖を強権に変えた化けの皮を剥ぐ

 いまや軍事・経済などの面で、世界中でわがもの顔をする習・中国だが、ここに至る発展は何ら実力で得たものではなく、現代史における三つのIF、すなわち複数の僥倖に恵まれたに過ぎない。むしろプロの政治家ではないトランプが米大統領となったことで、習・中国の本質が明らかになったと言えよう。

歴史上のIFの積み重ね

 習近平・共産中国をめぐる風向きが全世界で変わったことは、明らかだろう。

 共産中国が現に世界第2位の経済大国で押し押されもせぬ核武装の超軍事大国であることはいうまでもない。しかしそれは、考えれば一種の僥倖というか、歴史上のIF、複数の〝もしも〟の積み重ねで具現したものだ。この点は必ずしもしばしば指摘されても、広く認識されてもいないが、紛れもない真実である。

 共産中国にとって風向きが変わったのは、順風、というよりたまたま彼らに有利に展開していた歴史上のIF、〝もしも〟の流れが止まり、アメリカを筆頭に多くの先進国が意図的かつ明示的に吹かせはじめた冷たく厳しい気流の作用で、彼らを取り巻く環境が一変したというのが、より的確だと思われる。その背景には、人間が当事者なら、己の不徳の致すところ、というほかない共産中国の最近の傍若無人な言動があるが、彼らへの批判が強まったきっかけがアメリカ・トランプ政権の出現であることもまた、否定できまい。

カイロ会談による変容

 なぜトランプなのか、その根拠は最後に述べるとして、まず〝もしも〟の実相とそれをめぐる世界の変化に触れる前に、シナ・アメリカの関係の歴史的推移を見ておくと、ともに19世紀半ばに成立したアメリカの二大政党のうち共和党は、〝新大陸〟に最初に渡って建国の主流になったWASP=ホワイト・アングロサクソン・プロテスタントの党として、北部を中心に生まれた。民主党は、やや遅れて移ってきた都市部ならイタリア系やユダヤ系の商業・金融・サービス業者、南部ではスペイン系やフランス系に多い奴隷を使う大農園主など、非WASPの多様な民族が共和党に対抗してつくっていた、出身国や業種に応じて生まれた団体や組織の結集体だ。

 南北戦争はリンカーン率いる共和党と、植民者意識丸出しの南部の民主党勢力との戦いだが、奴隷解放を受けて共和党はアメリカ国土の〝体幹〟というべき、北は五大湖から南はメキシコ湾に至る人口は少ないが広大な平原の〝地付き〟の民衆中心の保守体質の党になっていく。これに対して民主党は、多くの民族が雑居して人口的に大きいだけでなく思想や生活スタイルの面でも多様多彩な、東西両岸の都市住民中心の党として現在に至る。その経緯を反映して華僑、シナ系の都市の移民社会と民主党の関係も、長く続いてきた。

 ただしその関係は、個人的利害には敏いが政治的には慎重な華僑の性格を反映して、小規模な資金網と票田の範囲に止まっていたようだ。それが第二次大戦中に蒋介石夫人・宋美齢の働きかけで民主党のルーズベルト大統領が、チャーチル英首相の反対を押し切り蒋介石をカイロ会談に招いたことで変容する。

 カイロ会談は、対日抗戦で蒋の国民党政府と毛沢東が率いる共産党勢力の〝国共合作〟を認め、戦後秩序を主導する国連の創設とその中核の安全保障理事会の五つの常任理事国に蒋の中華民国を入れることを決めた。この特権的な国際的地位が、それまで〝眠れる獅子〟と呼ばれ、図体は大きいが欧米の植民地的存在で近代国家としての力量は日本に劣るとされた、彼らの面目を高めることになる。

 とはいえ蒋の国民党政府は統治能力も経済的背景も弱体で、抗日戦終結とともに始まった〝国共内戦〟で毛沢東率いる共産党勢力に台湾に追い落とされてしまう。中国大陸に覇を唱え人民共和国成立を宣言した共産側も、体制固めに追われ、さらに朝鮮戦争に参加したことで国際的に疎外される状態になった。そうした中で民主党と在米華僑の関係は、中立・台湾系・共産中国寄りの大陸系に、政治的立場や、なにより出身元の地縁に由来して複雑化していくが、なんといっても政治権力の影響は大きい。次第に共産中国の存在感が強まったことは否定できまい。

発展途上初期ゆえの共産中国承認

 過去のしがらみがない分だけ対中国でフリーハンドの共和党は、東西冷戦と中ソ対立の構図の中で、東側の盟主であるソビエトに対抗する手段として、ニクソン大統領が極秘裡にキッシンジャーを北京に派遣し、共産中国との国交樹立、国連代表権の国民政府から共産党政権への移転という大転換に踏み切る。これで共産中国は国際的市民権を確立した。

 彼らは当時すでに核保有を実現してはいたが、まだ毛沢東が存命で、彼が始めた〝文化大革命〟は混乱を残しながら収束期を迎えていたものの、〝農工両全〟による経済発展、〝農村が都市を包囲する〟農本主義的・原始共産主義的イデオロギーは、建前上はまだ厳然と存在していた。今日のように経済・生産の仕組みを完全に資本主義化して世界第2位の経済大国の位置を築くことなど想像もできない、極貧国からやっと抜け出したかどうかの発展途上の初期段階の姿だったのだ。

 だからこそニクソンは共産中国の承認をためらわなかったのだ、といえるだろうが、僅か20年後に同じ共和党のレーガン大統領がソビエト共産党書記長ゴルバチョフと会談、米ソの核軍縮協定の締結と東西冷戦の終結という、やはり画期的大転換を実現させる。この結果、ブレジネフ時代末期から顕在化していた共産党独裁権力の弱体化と、冷戦下の軍拡競争による経済の疲弊が一挙に表面化してソビエト体制は崩壊し、東側共産圏諸国も道連れで将棋倒しになる。これで戦後世界を半世紀間脅やかしてきた緊張が一挙に緩和し、アメリカ・ユニ・ポール、全世界規模のアメリカ一極体制が実現する。このことはすなわち、共産中国が世界の共産党独裁国のユニ・ポール的存在になったことに直結した。

ソビエトが存続し、イラク戦争が無かったら

 ここで本題の三つの〝もしも〟だが、第一の〝もしも〟は、もしもソビエト体制が崩壊しなかったら、もしも共産中国で毛沢東死後も直系が権力を握り〝文化大革命〟路線を続けていたら、共産中国はどうなったかだ。

 ソビエト体制の衰退そして崩壊は、時間の問題だったろう。共産中国はソビエト崩壊の時点ですでに日本やアメリカと国交を正常化させ、毛沢東批判に踏み切って〝4人組〟を断罪し、〝改革開放〟に着手して〝毛沢東憲法〟を改正していた。しかし一方で胡耀邦―趙紫陽の〝自由化〟路線は安定せず、ソビエト体制崩壊に連動したチベット独立の動きや北京の天安門広場を埋めた学生・若者中心の自由化要求デモは、共産党独裁の本質を露呈した軍事弾圧で圧殺されている。

 第一の〝もしも〟と次に示す第二の〝もしも〟のタイミングが、実際よりかなり離れていたとしたら、〝心臓(政治)は左胸(共産党一党独裁体制)で鼓動し、財布(経済)は右のポケット(資本主義の手法)に入れる〟手法は世界の批判を浴びて早い時点で行き詰まり、共産中国は現に見る〝経済大国〟の姿にまでは、なっていなかったに違いない。

 そこで第二の〝もしも〟だが、もしもソビエトと東側陣営の崩壊・東西冷戦の終結と時を同じくして西欧でEUが発足しなければ、もしも同じ時期にフセイン・イラクのクエート侵攻に対しアメリカ中心の〝有志連合〟が反撃してイラク戦争に発展し中東動乱が一挙に爆発しなければ、どうだったか。

 イラク戦争でフセイン政権は壊滅したが、暴力が中東全域に拡散して9・11事件を頂点とするイスラム過激派のテロ攻撃が世界各地で突発する。このため世界の関心はもっぱら中東と新生EUに集中して、共産中国の動向は視野の外に置かれた。おかげで彼らは世界の混乱の渦に揉まれず、他国の警戒の目に晒されずに、自国の発展強化に専念できた。

 1990年代当初からトランプ大統領出現に至る時期は、北京駐在外交官の経験があって発展途上に踏み出す段階の中国の印象が強い父ブッシュが1期4年、クリントンが2期8年、父親の固定観念の影響がないとも思えない子ブッシュが2期8年、就任早々妻子を春休みの北京旅行に行かせたほど共産中国に対して脇が甘かったオバマが2期8年。共和・民主が交替で2往復した都合28年間、中国に、というよりアジアに対して関心の薄いアメリカ大統領が続いた。彼らの共通感覚は、日本という忠実な同盟者が太平洋の出口を抑えていれば共産中国の領域は限られる、東に出口のない彼らがソビエト崩壊で弱体化したロシアと緊張関係を持てば、それはそれで結構、という程度のものだったろう。

日本のODAの使いみち

 しかしこの時代に共産中国が望んだのは東や北に進出することではなく、〝改革開放〟の実をあげて重化学工業国として力をつけることだった。低開発国が工業国にテイク・オフするためには、まず小さい資金と簡素な設備で操業可能な繊維や縫製、玩具や日用雑貨などの軽工業で労働集約的な事業を立ち上げることだ。その段階で勤勉な労働力が育てば先進国からの下請け発注や投資につながり、産業構造をより高度化する可能性が開ける。とはいえそこから重化学工業主体の高度工業国になるのは容易ではない。大規模な生産施設が不可欠だし、その前にインフラ整備、中核事業に対する部品供給をはじめとする裾野の構築、マネジメント能力や技術力の修得も必要になる。そのためには自国で賄えない膨大な資金と、さまざまな援助を他に求めなければならない。共産中国の場合、その〝水源〟になったのが日本のODAだ。

 毛沢東―周恩来は、日本との国交樹立に当たって、日本の敗戦直後に蒋介石が宣言した〝日本に戦時賠償を求めない〟姿勢を踏襲したが、日本からの〝友好のしるし〟のODAは大歓迎した。昨2018年まで40年間も続いた無償・有償(融資)、技術供与など総額3兆円を超えるODAは、一部は病院建設や交通網整備に回り中国人民の福利に貢献したが、大半は重化学工業化に投じられた。

 さらにそれを上回る規模で、大企業や大商社から中小のあらゆる商工業者に及ぶ、民間投資や工場進出の奔流が続く。これらは10億を大きく超える人口を抱えた中国市場を当て込んだり、日本に較べて遥かに低い人件費に魅力を感じたり、相応の利益を見込んだ商業ベースのものではあるが、日本の動きに触発されてアメリカやEU加盟国の企業も中国に進出した。当時の各国政府は、日本の経済成長に脅威を感じても、共産中国に対しては政治的関心が低く、経済的にも〝巨大市場〟〝世界の工場〟としか見ていなかったことも影響した。この世界規模の対共産中国投資ラッシュが、彼らが日本から〝世界第二の経済大国〟の座を奪う原動力だったのは疑いない。

支配の代償――韓国の場合

 いささか脇道、ただし極めて重要な脇道に逸れるが、日本は韓国に1965年の日韓基本条約に伴う経済協力協定で〝日帝38年の支配の代償〟として、無償3億・有償2億・民間資金供与1億ドル(この二つは借款)の提供を決めた。共産中国向けODAの3兆円に較べ、1ドル360円時代にしても少額に見えるが、中国は最近まで40年の総額だ。韓国は3億ドルが即金、残る2億ドルも先方の要求に沿って早期に貸し付けた。民間の1億ドルも、その補完役だったといえる。

 半世紀以上前の日韓協定締結当時の日本の外貨準備高は20億ドル弱。15億ドルを越せば好況、割れば金融引き締めになった。加えて日本は、〝38年〟間に現地からあがる税収を大幅に超える財政資金を〝内地〟から仕送りして、朝鮮半島に多くの鉄道・港湾・道路や水路、京城帝国大学を筆頭とする教育施設や近代建築などを残した。国有資産だけでなく、日本の企業・個人が現地に築き、残した資産も多い。筆頭は野口遵の日本窒素財閥が鴨緑江の南に建設した当時東洋一、世界有数といわれた化学工場群と、そこに大電力を供給する水力発電所と水源のダムだ。いつか北朝鮮と国交交渉する機会があれば、日本側が支払う補償と、野口コンツェルンの遺産をはじめ北に残した鉄道や港湾など官民の旧日本資産は、断固差し引き清算すべきだ。

 日韓間交渉に際して韓国の朴政権は、在韓の日本官民の総資産と韓国が対日本で持つ官民の請求権を、積算し清算することを避け、互いに請求権を放棄してそれぞれの国が自国民に対して責任をもって対処することにし、日本が支払う3億ドルや借款の2億ドルは韓国政府が一括して受け取りたい、と強く主張した。日本は難色を示したが、韓国が是非にと望み、やむなくその通り決着した。

 ソウル・オリンピックの直前に、朴正煕のブレーンの一人で韓国随一のジャーナリストと定評があった鮮宇輝と、ソウルでこの問題を議論したことがある。鮮が、国交正常化で日本の負担が少なかった、というので、日韓交渉を直接担当した記者である筆者は、当時の日本の外貨準備高の数字を示し、日本の官民が朝鮮半島に残した総資産と朝鮮統治下で日本が朝鮮に〝仕送り〟した財政資金の総額を列挙したら、ウーンと唸り、それは知らなかった、それならやむをえん、と納得した。

 いまの徴用工問題は、このとき日韓が互いに帳消しにしたカネを、韓国人がいまごろになって払えと要求した、という話だ。かつて朴政権は、日本から一括で得たカネの全額を、浦項製鉄所を筆頭とする韓国の重工業の建設資金に充て、急速な経済発展を図った。それが奏功して〝漢江の奇跡〟と呼ばれる韓国の高度成長が始まって今日に至るのだが、浦項には当時の八幡製鉄会長・稲山嘉寛が熱心に動き、経営指導や技術供与など大きな資金投入を伴う援助をしている。それにもかかわらず、八幡製鉄と富士製鉄が合併した新日鉄の後継会社である新日鉄住金に対し、韓国人の自称徴用工、実は出稼ぎ労務者が金銭保障を要求し、韓国最高裁がこれを認め、思想的立場は違えど紛れもなく朴の後継大統領として協定を守る国際的義務のある文在寅が不法・無法な要求に加担するのだから、理不尽極まる強欲の徒、忘恩の国というほかない。

情報化社会への変容がなかったら

 閑話休題、第三の〝もしも〟だが、もしもこの30年間に工業化社会から情報化社会への生産技術と社会の根本的な変化・変容がなければ、共産中国が果たしてこれだけ急速な発展を遂げただろうか、という点だ。

 半世紀も昔に流行した〝未来学〟の用語を借りるが、ポスト・インダストリアル・ソサエティはインダストリアル・ソサエティの基盤なしには成り立たない。いまでは重厚長大と揶揄される鉄と石油が支える重化学工業だが、早い話が電力設備ひとつとっても、その前提なしには半導体と電磁的信号が主役の情報化社会など、ありえないのだ。

 重厚長大の重化学工業は一足飛びには実現しない。膨大な装置産業だから、多大の資金を投じ、経験を積み重ね、高度の技術を磨くことが不可欠だ。日本はその長い道程を、欧米先進国に学びつつ、基本的には自力で歩いてきた。それにひきかえ、韓国もそうだが共産中国も、日本の官民・公私の資金・技術、さまざまなノウハウの助けで達成している。

 重化学工業の次の経済・社会の主役とされる情報通信・エレクトロニクス産業は、いみじくも重厚長大とは正反対の、軽薄短小と評されるアイデア勝負の世界だ。先端技術というが、情報機器の開発・製造はまだしも、キモは利用技術だ。新機軸で一発当てれば世界の寵児になれる。必ずしも自分が開発したアイデアでなく既成の製品の目先を変えただけの猿真似でも、ヨソのチエを掠め取ってきても、先に表に出せば早いもん勝ちだ。他社の技術者をノウハウぐるみ引き抜いてもヘッド・ハンティングと居直れば罷り通ってしまう。モノと違って情報技術などの知的財産には一見してわかるような形がないものが大半だから、よほどヘマをしなければ盗んだかどうか黒白はつかない。悪事の証拠があるか、と揉めているうちに、日進月歩の世界では次の新趣向が現れ・ウヤムヤになってしまう。

 朝鮮もそうだが、シナも昔からニセモノ大国だ。他国の有名ブランドの似ても似つかぬ安物を平気で作り、売る。発展途上の軽工業の段階ならどの国でも珍しくないが、経済が一定の発展段階に達しても平然とやっているのが、韓国であり共産中国だ。底辺の零細企業がこっそりやるのならまだしも、レッキとした大企業でも、獲得した位置にふさわしい常識も品性もなく、カネ儲けのためには平然とやる。共産中国の場合は企業即国家だから監視も歯止めも、抑制も制止もありえない。

無理押し体質が進める勢力圏拡大

 その延長線上に、すべての国際ルールを平然と無視する無理押し体質がある。韓国もそうした面があるが、習・共産中国はあらゆる分野に及ぶ国際条約や協定、確立されたルールに対し、自分に有利と思えば拡大解釈してもトコトン利用しようとするし、不利だと思えば平然と無視して徹底的に破りまくる。それだけでなく、横車を押して自分有利な〝ルール〟に変えさせようとする。最近ではそれが、既成事実でそれを正当化する〝ルール〟をつくり、国際社会に腕づくで認めさせようとする、暴力的ともいえる手口が目立つ。

 どんなに汚い手を使ってでも、握ったカネは強い力になる。悪辣な手段を尽くして世界第2の経済大国にのしあがった共産中国は、巨大なカネを注ぎ込んで軍事大国になった。その軍事力で世界に占める勢力圏の無限の拡大を狙い、まず第二次世界大戦の戦後処理の不徹底で存在は明白だが帰属が宙に浮いていた南シナ海の島を、突然実力占拠して実効支配し、周辺に領海や専管水域を持つ国やアメリカはじめ国際社会の批判を無視して、あっという間に軍事拠点化した。

 さらにアジア・アフリカ・ラテンアメリカの貧困に喘ぐ左翼独裁権力が支配する低開発国や分裂国家の左派勢力を中心に、武器供与を含む〝援助〟を与えて傀儡化を図ったり、必ずしも親中的とはいえない国にも、財政力の弱さにつけこんで持てるものなら持ちたい空港・港湾施設・鉄道・高規格道路などの建設資金を、中国企業の工事参入つまり暴利追求とセットで、いずれ返せなくなることを承知のうえで借款供与し、債務奴隷化して従属国にしようと企んでいる。その線上に、中国大陸からシベリアや中東を経由してヨーロッパに至る複数の鉄道と、共産中国が権益を握る太平洋やインド洋の港を結ぶ〝一帯一路〟と称する交通・交易インフラを使った、勢力圏拡大策がある。彼らはこの野望を〝習近平思想〟というご大層なネーミングで、世界に向けてアピールし、認めさせようとしているが、こんなものが〝思想〟のわけがない。

プロでないが故に捉えた本質

 毛沢東思想はアナクロでもまだマシだったし、三つの〝もしも〟のうちの第一には深くかかわっていた。〝習思想〟は思想の体をなしておらず、単なる妄想の陳列、子分や人民向けの駄法螺に過ぎない。そもそも習は、三つの〝もしも〟のうち、なに一つ関与していない。ただの受益者、渚に打ちあがっていた3匹の魚を食ったネコ、棚から落ちた三つのボタ餅を食ったネズミのようなものだ。それが党規約で決まっていた2期10年の任期をお手盛りで無制限化し、軍事力をひけらかして世界に向けて臆面なく露骨に野望を広げるのだから、反発を食わない方がおかしい。

 トランプはプロの政治家ではないから、戦後世界の大半を占めてきた東西対立の歴史、というよりアメリカの大統領としてソビエト―ロシアを過剰に意識する罠には、はまらなかった。別の角度でいうと、就任当初こそ習を親しげに扱って見せたが、腹の中では共産中国を軽視せず、その危険な本質、最近の動向を、的確に捉えていたのだろう。

 同時に海千山千のビジネスマンだから、どぎつい表現になるが、野郎、汚い手を使いやがる、というストレートな形で共産中国の現状と彼らが享受した僥倖、それに億面もなく乗っかって自身の最大利益と世界への最大脅威を追求する習の手口を鋭敏に感知し、露骨に口にすることができているのではないか。

 習・中国の化けの皮を剥がすのは、オバマごときにできる芸当ではなかった。トランプの登場は、それだけでも意味がある。 

(月刊『時評』2019年3月号掲載)