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俵孝太郎「一戦後人の発想」【第92回】

シカトされて逆上しただけではない 文在寅・韓国 裏に潜む二つの〝鍵〟

 歴代の韓国大統領同様、対日関係において身勝手な違反を繰り返してきたが、特に文政権は、二つの点でこれまでと大きく異なる特異性が有る。文には大統領としての統治能力が皆無なのは言うまでもないが、その野望は軍事的危険性をはらむ可能性を帯びてきている。

国際関係全般を不安定化

 一昨年2017年の本誌五月号に筆者は『韓国は放っておこう』というタイトルで、発足したばかりの韓国の文在寅政権に処する日本の基本姿勢について述べた。この稿の表題脇に付された編集部のリードは、
 「韓国の混乱はもはや末期症状にあり、反日・侮日路線にも鑑みて日本は当面、韓国とは没交渉にするほかはない。(中略)北の情勢と合わせて(朝鮮)半島については当面距離を取るべきだ」。
 とある。新聞やテレビの〝ニュース芸人〟は、口を揃えて、いまの日韓関係は戦後最悪だ、というが、この表現はまったく正しくない。韓国には、現に戦後最悪どころか、史上最低の大統領がいて、日本との間をはじめ、国際関係全般を極度に不安定化させている、というのが正確な認識であり、理解なのだ。
 韓国の大統領は、絶対君主に比すべき存在である。閣議を主宰し、首相を直接指揮して内政・外交両面で権限を行使する。国民がそれぞれ別に直接投票で選ぶのだから、本来なら二元代表的に選ばれている議会は、大統領をチェックする立場にあるはずだが、極端にぶれる激しい国民性と低い民度に相応して、大統領与党は私兵的な存在になっている。したがって大統領は、一院制の議会で少数与党に止まっていれば、チェックを超えた厳しい抵抗に晒される。しかし逆に与党が多数であれば、議会を思うままに引き回して、独断専行することができる。
 加えて、任命権を恣意的に行使して、最高裁長官から検事総長のクビまでを平然とすげ替え、司法の名の下に政権の国際法違反を正当化したり、犯罪嫌疑で政敵を抹殺したりして、三権を独占支配することも不可能ではない。まるで1930年代を中心として20年弱ドイツに君臨した、ヒトラーにも比すべき強権的存在なのだ。
 ただし永久のヒューラー(指導者)と自ら位置づけたヒトラーと違い、任期は5年と決められ、しかも再選できないという制約がある。したがって絶対権力者として振舞えるのはせいぜい3年余。任期後半はレイム・ダックとして過ごさざるを得ない。いったん落ち目になると、次の独裁権力者の座を狙う野党や党内反対派が仕掛ける、さまざまな工作や陰謀が現れる。議会や官僚の抵抗に遇って、国政運営も思うに任せなくなる。失敗を続けているうちに、当初は高かった国民の支持率もどんどん低下し、追われるように政治的反対派に大統領職を明け渡すことになる。それで済めばまだいいほうで、多くは在任中の〝罪〟を問われて牢につながれたり、甚だしきは崖から投身して自殺することになる。
 一身への権力の過度な集中と、それとは正反対の権力構造の不安定さ、苛烈な政権交替の様相との落差は、韓国政治の構造的な欠陥というほかないのだが、その構造悪は、とりわけ対日関係で目立ってきた。〝平然とゴール・ポストを動かし、いつまでたってもゲーム・セットにしない〟といわれる、日本との国際条約・二国間協定の身勝手な違反や無視は、保守・左翼を問わず、過去のどの韓国大統領も繰り返してきた手口だが、文の悪質さは、それだけに止まらない。

二つの大きな特異性

 文には、同じ左翼であっても金大中、盧武鉉ら過去の大統領になかった、二つの大きな特異性がある。第一は〝ゴール・ポストを動かすこと〟に関して、なんのためらいも罪悪感もなく、平然と正当化して憚らない、という点だ。その背後には、一種怨念めいた感情の暴発がある。そして第二は、これが最も重大なのだが、韓国憲法を無視して自陣営の永久政権化を意図しているだけでなく、それによって達成される朝鮮半島の理想像に関し、明らかに空想的かつ誇大妄想的ではあるが、少なくとも本人としては大真面目な確信に立って凶悪無残なイメージを抱いている、と見ざるを得ない面がある、という点だ。
 第一点は、すでに広く知られる通りだ。韓国によるGSOMIA(日韓軍事情報包括保護協定)破棄に至る紛議の根源が、大戦末期のいわゆる〝徴用工〟問題に始まっていること、そしてこの問題が、1965年に日韓国交基本条約とともに締結された、日韓請求権協定の乱暴極まる蹂躙であることは、もはや日本国民には衆知の事実だ。
 そもそも朝鮮半島は、かねがね韓国が主張するように、日本が侵略して植民地にしたわけではない。長く朝鮮を統治する李王朝が無能の極、欧米で進展した近代化についていけず、国内の低迷・混乱に加えてロシアと清国の圧迫にも苦しんだあげく、日本に助けを求めた。そしてまず、日ロ戦争後の明治38=1905年に、二次の両国協議を経て日本が現地に朝鮮統監府を設け、李朝朝鮮の内政を裏面で支えた。しかしそれでも所期の成果にはほど遠く、五年後の明治43=1910年に改めて両国で協約して、日朝が併合つまり企業に譬えれば対等合併
することになり、李家は日本で公爵という最高位の華族に処遇された。そして日本は、明治28=1895年に日清戦争の結果として割譲された台湾に台湾総督府を置いて統治し、内地つまり日本本土から巨額の財政資金を送って近代化を進めた前例に沿い、朝鮮を統治する組織として朝鮮総督府を置き、現地からあがる税収とは比較にならない巨額の資金を、内地つまり日本本土であげた税収による国家財政から毎年投入して、開発・近代化を進めた。

対日請求権国内解決の原則

 日本は敗戦の結果、ポツダム宣言に従って〝在外領土〟を放棄したが、その帰属は本来国際協議によって決めること二つの大きな特異性になっていた。しかし米ソ冷戦が兆す中で朝鮮半島は、不法に進攻したソビエト軍の傀儡・金日成勢力と、日本占領の延長で進駐したアメリカが在米亡命者・李承晩を帰国させて擁立した政権が、38度線を境に対峙する形になった。
 〝光復〟と称するが、韓国も北朝鮮も自力で独立を回復したわけではない。米ソとその傀儡の不法占拠、よくいってもせいぜい実力支配の産物なのだ。そのうえに韓国も北朝鮮も、日本が領土を放棄したまま残していった官民の公共資産・私的財産を、法的に取得したとはまったくいえない状態で、占有している。そうした状況下、まず北はさておき、日本と李承晩・韓国の間で、戦後処理を兼ねた国交正常化交渉が行われたが、何度も決裂・中断した。1960=昭和35年に、李承晩政権が朴正煕を中心とする陸軍のクーデタで潰れたあと、両国の交渉が復活・加速され、1965=昭和40年に当時の佐藤栄作政権との間で、日韓基本条約締結に至ったのだ。
 このとき、過去の併合を清算するための資金供与も交渉対象になった。経済回復を急ぐ朴政権は、その資金にするために、強く即時一時払いを求める。日本側は、日本官民の在韓残留資産と韓国側の対日請求を精査し、その結果に併合に対する一時金を加えて、金額を決める方針だった。しかし朴・韓国の強い要求を容れ、時間がかかる精査・積算を断念して、無償3億、有償(借款)2億、民間協力(投資)1億ドル以上、で折り合い、国の支出分は即時供与、個々の請求は要求する個人・企業が属する国がそれぞれ責任を持って処理する、と決めて請求権協定を締結した。
 民間投資は実際は短期間で3億ドルに達したとされるが、国費の5億ドルは、当時の日本の外貨準備高の3分の1、韓国の国家予算の2年分の高額だ。ここには〝徴用工〟などの個人補償分も入っていて、文が民情首席秘書官として支えた、師匠格の廬武鉉元大統領も、韓国人の対日請求権は韓国政府が解決する原則を認めて日本側に明言していた。

文政権の急所は、〝朴〟

 この事実を文は当然百も承知していたはずだが、大統領就任後間もなく、人事権を行使して保守派の最高裁長官をクビにし、左翼弁護士あがりの知見に立ち、かねて目をつけていた同じ左翼の下級裁判官を、人事序列を完全に無視して最高裁長官に据えた。そしてうまい具合に地裁・高裁を経て最高裁にあがっていた〝徴用工〟訴訟の判決で、日韓協定や国際法の原則などクソ食らえ、文の政治基盤の強化につながる反日世論に迎合した、異様な判決を出させたのだ。
 文政権はさらに、いわゆる〝従軍慰安婦〟の生存者や遺族に対し、〝ゴール・ポスト〟を動かしてまで日本が新基金10円を拠出し、見舞金を個人給付していた事業を一方的に停止し、残っていた基金も行方不明にしてしまうという、明らかに国際法違反であるだけでなく、韓国側関係者の横領事件にもなりうる、乱暴な事態を引き起こす。これら文政権の初期段階で起きた二つの〝事件〟には、明らかに共通するキー・ワードがあった。
 不思議なことに文・韓国に対し、必ずしも発足当初のように容認的・好意的でなくなってきている日本のメディアやテレビの〝ニュース芸人〟らは、この〝急所〟に触れていないが、その〝急所〟とは端的にいって〝朴〟だ。佐藤政権と交渉して日韓基本条約・請求権協定を締結し、日本からの5億ドルの政府資金と新日鉄―埔項製鉄所を軸とする3億ドルの投資・技術供与を利用して、短期間に貧しい農業国を近代的工業国に変える〝漢江の奇跡〟を成し遂げたのは、朴正煕大統領である。そして佐藤を大叔父とする安倍晋三政権と〝慰安婦癒し財団〟の発足で合意して〝事業〟をはじめたのは、親日の父親に反して反日の世論に流されがちだったというものの、朴正煕の娘の朴槿恵前大統領だ。
 この父娘は、韓国の左翼にとって不倶戴天の敵だ。できの悪い娘は、霊能師を側近に置いてさまざまな利権に関与させたという大失態を演じていたとして、現に獄窓に追いやられている。しかし父親の不滅の功績は、経済無能の文ら左派にとっては、永遠の目の上のタンコブだ。その〝漢江の奇跡〟を生み出したのが日韓請求権協定なのだから、これと直接結び付く〝徴用工〟問題は、左翼持ち前の事実の歪曲や国際法・国際ルールの無視を敢えてしても、なんとか思わしい〝成果〟をあげなければならない。
 文や最高裁長官を含むその一派は、こう強く思いつめたのだろう。〝徴用工〟と〝慰安婦〟をめぐる二つの問題に並行して起きた、自衛隊機に対する韓国軍艦の攻撃用レーダー照射。韓国の観艦式に臨もうとする自衛艦が常に艦尾に掲げ、また国際スポーツの場でも日本チームへの応援に登場する、旭日旗への強烈な拒否感。再三にわたる竹島での軍事演習。これらはすべて、文政権に迎合する一部韓国官民の悪ノリにすぎないと思われる。

審査の適正化に対するGSOMIA破棄

 とはいえ、二つの問題に対する日本政府の度重なる抗議や、請求権協定が定めている紛争解決のための協議申し入れを、文・韓国は一貫して黙殺してきた。これはマトモな国家なら取るべき姿勢ではないし、自衛隊機に対する攻撃用レーダー照射は撃墜の準備行為で断じて看過できない事案だが、これについても抗議に対して誠意ある弁明がない。
 そうした中で、日本がものによっては国際シェアの90%以上、低くても60%台を占める、半導体生産の必需品でもあるが、サリン製造にもウラン濃縮にも不可欠な化学製品について、韓国側の調査でも日本からの輸入品がイランやベトナム、シンガポール、中国などに再輸出されたうえで、国連安保理決議で禁輸が決議されている北朝鮮に、迂回出荷されている疑いが露見した。表には出ていないが、日本政府が掴んだ、より正確で悪質な事犯も少なからずあるという。
 そこで日本は、国内の輸出管理手続きとして、韓国向けの審査を適正化した。これに対し文・韓国は猛反発したが、たまたま時期を同じくした8・15の〝光復節〟つまり独立記念日の式典演説で、文は〝徴用工〟はじめ自分たちにとって不利な問題はすべて対話・交渉を拒否しているのを平然と棚上げしたうえで、韓国にとって死活的に重要な日本の化学品の輸出適正化措置の解除については、話し合いたい、とネコ撫で声で打開を図った。
 しかしそのムシのよすぎる申し出は、日本側に無視される。そこでアタマにきた文が、〝誠意ある発言を無視されて民族・国家としての自尊心が傷つけられた〟として、GSOMIA=日韓軍事情報包括的保護協定破棄を決めたのは、これも日本国民衆知の通りだ。破棄方針発表の翌朝、北朝鮮はこの夏7度目の短距離ミサイルの発射〝実験〟2発を敢行した、朝鮮半島・日本海上空に監視衛星七基を配備している日本は直ちに捕捉したが、衛星を持たずレーダー監視に頼る韓国の察知は日本より26分遅れた。地球は丸いがレーザー電波は直進する。高度はとっていても、つまるところ地球に沿って飛ぶミサイルは、いずれレーザー電波の水平線下に消える。韓国が推測で発射と軌道を割り出すのに要した26分は、北のミサイルが至近の韓国に着弾して大殺戮を敢行するのに12分の時間なのは、改めていうまでもない。
 GSOMIA破棄には、日米韓で北朝鮮の核武装に対処しようとするアメリカも、強く反対していた。アメリカ太平洋軍司令官や国務長官は事前に反対の意志を強く表明していたし、国防長官に至っては、緊急に訪韓して韓国の国防相に直接申し入れている。それにもかかわらず、文・韓国はGSOMIA破棄を強行したばかりか、事後に強い憂慮を示して再考を求めるアメリカ国務長官をはじめとする政官軍上層部の発言に反発し、駐韓アメリカ大使を大統領府に呼び付けて〝抑制〟を求めるという、友好国として、また仮にも米韓防衛同盟の当事国として、ありえない態度を示したのである。

2045年南北統一の荒唐無稽

 この事実が明瞭に示しているのが、まさに第二の問題点だ。1950=昭和25年6月に、スターリンの命を受けた金日成が突如韓国に侵攻し、韓国軍を釜山周辺の狭い地域にまで押し込んで海に追い落とす直前になったとき、日本駐留のアメリカ軍がイギリス・オーストラリア軍の参加も得て、仁川付近の敵の背後に急襲上陸して一挙に戦局を転換し、北に加勢して押し返してきた建国直後の中国の〝義勇軍〟とも戦って、多くの兵士の血を流して〝自由国家〟韓国を守り抜いたのは、韓国人だけでなく世界中が認識している。またその朝鮮戦争で荒廃した韓国を、日本からの国費五億ドルをはじめ民間の投資・技術協力が救ったことも、韓国人だけでなく、世界中が等しく評価している。その認識は金太中や盧武鉉など左派大統領も共有していた。
 しかし北朝鮮領域に生まれ、朝鮮戦争時は親に従って南に逃げ、流れ着いた釜山で貧窮困苦のうちに育ち、学業抜群でソウル大学を出て司法試験に受かって弁護士になり、盧武鉉に目をかけられて政治に入った文は、たぶん貧困の中で馴染んだ左翼イデオロギーが先行する観念的なものなのだろうが、根っからの反米・反日の人間として、野心の導くままに反朴勢力の中心に身を置き、流れに乗って大統領の座についた。そしておよそ経済はおろか、党派抗争を別とすれば、政策はもとより政治に関する見識もなく、国際関係の枠内でものごとを考えることなどまったく無縁のままで、ひたすら本能の赴くところ、無思慮な妄動路線を突進していったのではないか。
 文が反日・反米の姿勢を明確に打ち出し始めて以降、呪文のように唱えている、〝光復100周年の2045年には南北朝鮮の統一を達成し、日本に勝つ大国になる〟、という〝目標〟には、当然のこととしてアメリカとの同盟関係も、韓国経済を技術・部品・販路として支えてきた日本も、視野の外にある。李承晩――朴正煕以降積み上げてきた韓国の国情も、まったく考慮のうちにない。
 
 文の〝目標〟が示す中身が、必ずしも日本のメディアからだけではないのかも知れないが、掘り下げて考察されていないように見えるのは、考えればまことに不思議なことではないか。せいぜいが、北朝鮮に豊富に埋蔵されているとされる地下資源と多くの低賃金の労働力に魅力を感じているのだろうとか、彼らの生活水準をあげるだけでも大きな内需につながり輸出に過度に依存する韓国経済の体質改善につながるとか、そうした〝観測〟に立って、それでもうまくいくわけがないと断ずる、それこそ文の妄想と大差ないレベルの論評はあっても、政治的に文の発言を論ずる声が、日本を含む他国はもちろん、当の韓国の中からもあがっていないこと自体、異様であり、不思議というほかない。
 そもそも5年しか任期がないはずの韓国の大統領が、25年も先の話を、なぜできるのか。その理由は、文は本気で永久政権を、自分自身には限度も限界もあるとしても、同じ〝目標〟を持つものが政権を握り続けることで達成できる統一朝鮮の姿を、描いているとしか、考えようがない。たとえその中身が余りにも荒唐無稽、傍目からは誇大妄想としかいえないもので、バカバカしくてマトモな議論に値しない、と思われていても、本人やその一味は、大真面目でそれを実現しようとしているのだ、と見るのが、実は正しい観察、的確な判断なのではないか、ということだ。

北と日本の賠償問題という秘策

 盧武鉉のもとで民情首席秘書官を務めた文が、自らの民情首席秘書官に据えた曹国を、母親・妻・弟・甥の資産形成疑惑、娘の不正入学疑惑とそれに絡む妻の学業優秀を謳った賞状の捏造疑惑、息子の徴兵忌避疑惑など、〝玉ねぎ男〟と揶揄されるほど多くの疑惑が現に追及されており、妻が在宅起訴されるという中で、〝検察改革〟を任務とする法務大臣に任命するという異様な強行突破を図ったのは、左翼政権の永久化を意図して、自身と同様に曹を自らの後継者に擬していたからに外なるまい。ひょっとすると文は、メドベージェフと大統領・首相の座をキャッチボールしつつ政権の私物化を進めるロシアのプーチンに倣い、再選が許されない大統領職のタライ回しを策しているとも見受けられる。
 もちろんその前に、秘蔵っ子である後継者候補の曹の疑惑を、検察指揮権を持つ法相として曹自身に潰させるだけでなく、大統領職を離れた自身が多くの前任者と同様に検察の手で罪に問われることを阻止し、政敵の保守派を徹底的に弾圧しようという意図があることも、否定す
るわけにはいかないはずだ。
 こうした文の飽くなき権力欲、保身欲は、彼が唱える〝2045年に生まれる南北統一朝鮮〟のビジョンとも直結する。仮にも大統領なのだから、文も韓国経済の構造的弱点について、一定の認識はあるだろう。それは財閥支配もさることながら、自己完結能力に欠け、輸入部品の組み立て輸出の段階に止まっていることだ。しかしそれを是正するためには大きな資金がいる。それは自前では調達できないし、いまさら日米には頼れない。
 しかしただ一つ、秘策がある。それは南北統一段階で、北と日本の間で未着手・未解決になっている日本の賠償金の存在だ。韓国は朴正煕が安売りして〝積年の禍根〟を残したが、裏から北をけしかけて巨額の賠償を吹っかけ、日本が応じなければ、いまや朝鮮民族の共有資産となったといっても過言でない核を装備した短距離ミサイルで威圧し、相手側の出方によっては一発や二発ぶっ放しても、要求を通そうという企みだ。
 いまや文の口癖の観がある〝日本に勝つ〟というフレーズは、必ずしも日本に国力・経済力で勝つということだけを意味しているのではなかろう。核戦争という手段に訴えても勝つ、という無謀かつ凶悪なものになっているというふうに、捉えるべきではないか。
 「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」国の存立を図るという理想的だが空想的な前文を掲げる憲法の下にある日本人は、国際社会を律する軍事オプションに関してナイーヴ過ぎるが、習・中国、金・北朝鮮と並び、文・韓国も、甘く見てはいけないのだ。

(月刊『時評』2019年10月号掲載)