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【話題の論点】大石久和の国土学「日本人を考える」

国土学の観点から、「日本人」を考える

国土学総合研究所長 大石久和(おおいし・ひさかず)氏 昭和20年4月2日生まれ、兵庫県出身。京都大学大学院工学研究科修士課程修了。45年建設省入省。平成11年道路局長、14年国土交通省技監、16年国土技術研究センター理事長、25年同センター・国土政策研究所長、令和元年7月より国土学総合研究所長。
国土学総合研究所長 大石久和(おおいし・ひさかず)氏 昭和20年4月2日生まれ、兵庫県出身。京都大学大学院工学研究科修士課程修了。45年建設省入省。平成11年道路局長、14年国土交通省技監、16年国土技術研究センター理事長、25年同センター・国土政策研究所長、令和元年7月より国土学総合研究所長。

この論文は、2019年12月11日の国土学総合研究所開所式(主催:株式会社オリエンタルコンサルタンツ)における記念講演を基本としています。

ユーラシアとは決定的に異なる、大量死の主因
 厳しい自然環境に住むわれわれ日本人は、古来より、常に国土に働きかけることによって、国土からの恵みを得てきました。例えば、全国に無数に残る溜池は今なお農業用水などに利用されていますが、これによってわれわれは干ばつの恐れから逃れることができるという、大昔の人々が国土に働きかけてくれたことによる現在への遺産です。また日本の平野でごく一般的に見られる水田も、ご先祖が土地を開墾し、平坦にして水を縦横に張り巡らせたからこそ、現代人は豊かな恵みを享受できているのです。林業においても同様です。北山杉など各地に残る美林は、先人が絶えず森林を手入れしていたからこそ木材資源の活用が可能となり、今に受け継がれてきたのです。

 島国、かつ山地と森林が多く河川が急流な日本の国土は、世界的に見てユーラシアとどのように異なるのか、その地で歴史を刻んできたヨーロッパ人、中国人とはどう考え方や社会生活が異なるのか、という点を相対比較することによって日本人自らの姿を明らかにしようというのが、国土学の主要な眼目の一つです。国土学総合研究所設立にあたり、国土学に続けて〝総合〟を付けたのは、単に地理的、土木的観点から国土とわれわれの関りを明らかにするだけでなく、気候風土から地政学的な点まで複眼的に考察し、あるいは国土への働きかけがユーラシアの人々とはどう異なるのか、どのような経験を積み、何を経験しなかったのか等、多角的に考察する必要を感じたからでした。

 考察は自然科学にとどまらず、ときに宗教学まで及びます。というのも人間が最も深く事物への関心を高めるときは、愛する者の死が間近に起きた時だからです。とくに、戦争や災害のような不慮の不幸が二度とあってはならない、そのためにはどう対応すべきかということを原点に、各国の社会体制が独自に形成されていったと考えられます。

 この点、ユーラシアと日本とでは、大量死が起こる主因が全く異なります。ユーラシアでは東西を問わず、人口減が発生するほど人々が大量死するのはほとんどが紛争や戦争でした。それに対して日本で起きてきた紛争はユーラシアのそれと比べて非常に小規模で、むしろ津波や地震など相次ぐ自然災害で大量の命が失われてきたのです。しかし、紛争や歴史が、隣国との緊張関係や異民族の動向などである程度の兆候をつかみ備えることが可能となるのに対して、自然災害は現在でもいつどこでどのように起こるのか全く予見できません。ユーラシアにおける紛争では対策を講じる余地があり、死別の悲劇を防ぐための合理的手法を論理的に考える文化が社会全体で醸成されるのに対し、日本の災害は対策の立てようがなく、かといって平常時は恵みを与えてくれる海や山を恨んでも始まらない、従って自然に諦観と忍従の性向が培われることになります。

 この、察知しうる大量死の主因と予見できない大量死の主因、〝紛争死史観〟と〝自然災害死史観〟の違いが、ユーラシアと日本をして、決定的な彼我の差になったと考えられます。この違いに立脚して、個人、集団、社会を捉え直し、その特性・特質を明らかにし、ヨーロッパ、米国、中国でごく一般的な傾向が、なぜ日本で見られないのか、起こり得ないのか、それならどうしていくべきなのかを考えることが国土学の目的とするところだと言えるでしょう。

城壁に見る、都市形成の過程
 例えば中世を通じて一般的だった都市形態を比較すると、ユーラシアでは多くの都市が城壁で囲われていることに気づきます。前述した、敵の攻撃から守るためのインフラです。もともと「シティ」の語源が、ラテン語の「壁の内側に人が集まっている場所」から成り立ったもので、むしろ壁が無ければ都市になりません。ちなみに「パラダイス」も同様の語源を持つそうで、言わば壁で囲わなければ楽園は造れないというわけです。それほど城壁は一般的かつ社会に必須の都市構造でした。城壁のルーツは、西洋文明発祥の地とも言われる、古代シュメール時代にまで遡ります。ここではすでに初期的な都市国家の城壁建設が始まっていました。シュメールは灌漑農業を行っていましたから、食料を奪いに来る異民族への備えが不可欠だったのでしょう。以後、文明が長い歴史を刻んでいく間、城壁は都市構造のスタンダードになっていった、というわけです。現在でも、欧州各国では、都市の城壁で囲まれていたエリアを一歩出るとしばらくは人家のほとんどない田園地帯が次の都市まで続く、という光景が一般的に見られます。

 一方、日本の城下町ではそれに該当する城壁はまずありません。まちを壁で囲って攻撃に備える必要が無いからです。加えてユーラシアの都市がほぼ平原で形成されたのに対し、日本では地形上、狭い扇状地や複雑な海岸沿いなどで小規模コミュニティをつくるのが一般的で、都市形成やまちづくりの概念や構想がユーラシアと日本とでは根本から異なります。平原の広がるユーラシアは敵から攻められやすく、山地に隔てられた日本は敵が攻めにくい地形だったのです。

 国土の形そのものの違いも大きな要素です。国土の複雑度、すなわち面積に対して周囲の長さの比率を図り真円を1とするいびつ度を計算すると、フランスは2・08、ドイツは2・91、しかし日本は実に15・6に及びます。いかに国土の形状が複雑で、生活形態が地形的影響を受けざるを得ないかよくわかります。しかしそれでも、日本の農地は豊饒でした。コメの生産効率の高さは麦を大きく上回り、また農水省のデータ(2008年)では1ヘクタールの農地で9人の人間を扶養するだけの生産高が得られているとのことです。ドイツでは同4人、英・仏では同2~3人とされています。日本では資源を奪いに他の地域・領土を攻める必然性がごく少なかったことを表しています。

 歴史的に、ヨーロッパでも中国でも、数百万単位の犠牲者が出る紛争は頻繁に起こっていました。領土や資源の争奪ばかりではなく、各種の政治的革命や宗教戦争などでも日本では考えられないほどの犠牲者が発生しました。事実、英語では大量殺戮にあたる単語の数が日本に比べて圧倒的に多く、人為による死が実に身近であったことを示しています。余談ながら、単語表現の数で言えば、日本語で言う二人称、つまり他者への呼びかけが「あなた」「君」「お前」など英語の「YOU」に比べて圧倒的に多い。これは呼びかけの使い分けで自他の距離感を表現する端的な例だと思います。他者の社会的位置づけがまず在り、それに基づいて自分が存立する立場を規定するという考え方なのです。

 では日本では大規模な紛争死は起こらなかったのか。確かに日本でも戦国時代を経ましたが、個別の合戦で何人戦死者が出たのか明らかにしている研究者は誰もいません。信玄と謙信は川中島で何度も戦いましたが、当時の足軽である農民をその都度大量に損耗していたのでは領地経営が立ち行きません。現場の兵は、ある程度大勢が決する頃には槍を捨てて逃げ、結果的にそれほど死者が出なかった、というのが実情ではないでしょうか。

見ず知らずの他者に対し、無関心、無頓着な日本人
 ここからは、日本の社会と国民性が、特異な国土構造のもとで醸成された故に、世界と比べていかに異質であるかを、日常ごくふつうにみられる光景から考察してみましょう。日本の駅という駅には、視覚障害者用の点字ブロックが縦横にめぐらされていますが、欧米の駅ではまず目にすることがありません。では、欧米人は目の不自由な人に対して冷淡なのかと言うとそういうわけではない、むしろ日本人が、点字を敷設したことでおおよその障害者対応を済ませているのだと言えるでしょう。

 哲学者の中島義道氏は、夫妻でドイツを訪問中、たまたま奥さんの方が自身より大きな荷物を持って歩いていたところ、通りすがりの全く面識のない男性から、女性に大きな荷物を持たせるとはけしからんとお叱りを受けたそうです。日本で見ず知らずの人が他人の夫婦の荷物の配分を咎めるなどということがあり得るでしょうか。しかし、そうしたことを目にすると看過せずにはおれないドイツ人気質の一端を見る気がします。逆に日本人は、点字ブロックの例にもあるように、身内や親族など自身の関係外の他者には無関心であることを示しています。事実、2016年に当時まだホームドアが無かった東京メトロ青山一丁目駅で視覚障害の方が線路に転落して亡くなりました。そのとき、周囲の人は線路に落ちかけようとしている障害者に注意を払わなかったのだろうかと、非常に疑問に感じるところです。私たちは、見ず知らずの人に関して全くの無頓着、われ関せずという国民性なのです。

 こうした傾向は予期せぬ危機に直面した時でも明らかです。1999年全日空61便が包丁を持った男にハイジャックされました。機長が殺害され、八王子あたりに墜落し大惨事になる可能性もあったのです。しかし数百人乗り合わせた乗客は誰も単独犯を取り押さえようともせず、状況を傍観していたのです。その対比となるのが2001年9・11の米国同時多発テロで、ユナイテッド航空93便がハイジャックされた事件です。乗員・乗客はわずか40人、テログループは4人という61便より圧倒的な不利な状況にありながら、乗客はテロと格闘し、機体は墜落するもおそらくはホワイトハウスを標的にしたであろうと言われる企てを阻止しました。ただいたずらに推移を傍観していても助かりそうにない、ならば被害を極小化すべきだとの思いがこれらの行動を発露させたものと思われます。

 日常的な場面を例に挙げてみましょう。日本では、自宅もオフィスもたいていのドアは外に開く形式です、その方が玄関のスペースを有効利用できますから。しかし、外国のドアはほとんどが内開きで、いざ賊が侵入しようとすると家具を積み上げて防ぐ様子を映画などでご覧になった方も多いでしょう。つまり、日本では日常の利便性がセキュリティに優先しているのです。

〝積み重ねる歴史〟と〝流れる歴史〟

 自国の歴史に対する考え方はどうか。元・文化庁長官の青柳正規氏は、「欧州は〝積み重ねの歴史観〟を持っている」と述べたことがあります。現在は過去からの蓄積の上に積み重なり未来へ続くという認識です。私がその考察に到達した理由を問うと青柳先生は、「彼らは石の文化だから。石というのは積んで形を成していくもの」という旨を回答されました。なるほど、例えばフーコーは1851年に地球の自転を目に見える形で実証しましたが、フランスのパリではその時実験を行ったパンテオンという建築物がそのまま残っています。つまり1851年が今でも市民の身近に存在するのです。イタリアのトスカーナ地方には1452年に生まれたダ・ビンチの生家が残っています。他方、足利時代に活躍した武人や文化人の生家が日本に残っている例というものを私は知りません。

 欧州の〝積み重ね〟に対し、われわれ日本人はさながら〝流れる歴史観〟です。これも、度重なる自然災害の影響を大きく受けています。江戸時代からの街並みは、関東大震災でほとんど壊れてしまいました。かつて小泉純一郎・元総理が靖国神社を参拝した時、亡くなった人は皆、仏である、なのになぜ靖国参拝が問題になるのかという意味のコメントを発しましたが、これは〝流れる歴史観〟による日本にのみ通じる観念で、中国をはじめ世界の感覚はそう捉えてはいないのです。鴨長明『方丈記』の冒頭「ゆく河の流れは絶えずして・・・」にあるように、日本人における時の流れは決してとどまりません。そのため、過去に対して非常に無責任という一面があります。この違いを理解しておかないと、歴史観を巡って軋轢を起こす遠因になりかねません。

 米国には立派な公文書館があり、人員数約3000人、トップは大統領からの直接任命という非常に厳正な運用が為されています。日本でも公文書偽装が問題になった時に、この機に米国並みの公文書館をつくろうかという動きが起きたかというと、ほとんど議論もされませんでした。むしろ、沖縄返還に関わる密約問題などは外務省が公文書を大量に破棄したとの風説が流れるくらい、過去の記録に対する認識が極めて希薄なのです。逆に日本人は〝公〟ならぬ〝私〟、つまり日記をよく残しています。NHKで、戦後のとある事件を検証する番組を放映していたのですが、米国側から事件に関する資料が出てきたのは公文書館、当の日本で資料として紹介されたのは、個人の日記でした。公的な記録よりも私的な思いが後世に伝えられているのです。

 欧州で古来の建築物が多く残っている背景の一つに、中心部では地震が少なく、よって大規模災害によって建物が倒壊したりするケースがあまりないという事実があります。つまり、人が手を加えないと歴史的建造物をはじめ事物は変化しない、変わる時は人為による、ということになります。このことが欧州をして、万物の上に人は立つ、という意識の醸成につながっていると考えられます。旧約聖書には、神は万物を支配するために神に似せて人を創造されたとも記されています。つまり人は特別な存在なのです。

 逆に日本では人が何もしなくても自然災害などにより環境が変化していくので、物事が変わりゆくのに抵抗がありません。既存の社会が壊れたり流されたりした後、よし新しく造ろう、と思うほかにないのです。しかも自然の猛威の前には人も牛馬も等しく無力ですから、自ずと人間が万物を支配するなどという考えに至りようがありません。天台宗の『山川草木国土悉皆成仏』では、人間だけでなく山も川も、草木や国土でさえもいずれは皆、仏になる、人間だけが特別な存在ではないと説いています。これは日本人特有の、素晴らしい考え方だと私は思います。われわれ日本人は、この普遍的とも言える理念をもっともっと誇りにしても良いのではないでしょうか。

大戦末期に、やり方に対する硬直性が発露
 しかし一方で、われわれ日本人は環境の変化は積極的に受容するものの、やり方や方法、ルールなどについては柔軟に変化させることが非常に苦手という面も持っています。むしろ変わらないことを重んじる気風がある。江戸時代から変わらぬ伝統製法、と聞くと多くの人が称賛するでしょう、数百年にもわたって改善・改良を加えていない方法に、です。江戸時代から明治へ移行する時、明治憲法は従来の律令制を廃止するという宣言をしませんでした。それゆえ今でもわれわれは、律令制の中に生きているとも言えるのです。

 この日本の硬直性が端的に表れたのが、第二次大戦末期です。膨大な費用を投下して建造された戦艦『大和』はほとんど何の役にも立たずに沈没しました。なぜ海軍は大艦巨砲主義から脱却できなかったのか。戦後、参議院議員になった海軍将校だった源田実氏への病床時のヒアリングによると、その理由は「水兵を失業させるわけにはいかなかったから」だそうです。社会の特定労働層を保護するために国力をかけて時代錯誤的な戦艦を造り続けたというのです。いかに日本が既存の産業を手厚くする社会なのかよくわかります。それは現代の過剰に手厚い補償主義にも現れています。水兵の失業防止と全く同じ発想で、関西空港では漁業補償を、本四架橋ではフェリーに補償しました。既存の経済構造に対する手当の篤いこと、とにかく〝過去に優しい〟のが日本の気質なのです。デービッド・アトキンソンは日本社会を評して「・・・これだけの危機に直面しても、自ら変わらないというのは、普通の人間の感覚では理解できない」とまで言っています。例えば財政再建。1995年、政府が発した「財政危機宣言」以来今日までなお、財政再建至上主義ですが、それではこの国の経済は成長しないし、国民の所得は向上しないし、インフラは整備されていかない、ということが明らかになっています。つまり四半世紀の間、誤った主義が反省も検証されることもなく引き継がれ、何ら効果をもたらしていないのにまだ続いているのです。このままでは、既にそうなっていますが、日本は世界からますます取り残されてしまいます。逆に、ヨーロッパ人がルールを頻繁に変えていくのは、冒頭で述べました、紛争の歴史が関係しています。敵の出方に応じて戦略や戦術を変えていかねば生き残れませんので、常に最善を目指して現在のやり方や方式を改めていくのは彼らにとって肯定されるべきことなのです。

〝連綿と続けること〟がレーゾンテートル

 ではなぜ日本人は、環境や構造物を変えることは問題ないのに、ルールや方式を変えることに抵抗感を覚えるのか。私が思う仮説として、万物が変わりゆくという状況下で方法・方式まで変転させていては自己存立の基盤、レーゾンデートルを見失うという潜在意識が常にあるからではないでしょうか。そして、日本は〝途切れることなく続ける国〟であるのです。古来より天皇を国の頂に戴き、その下に貴族や武士などの権力構造が支配する形で歴史が紡がれてきました。〝連綿と続けること〟それ自体がわれわれのレーゾンデートルなのです。

 変えられないものの代表は現・日本国憲法でしょう。明治憲法における五箇条の御誓文では、なぜ既存の社会態勢を刷新するのかといった理念は一つも提示されず、「広く議論して万機公論に決すべし」といった方法論のみが示されているのです。これからの新しい日本についての姿勢を表した文言ではありません。実に不思議な話ですが、そこに流れている基本的な底流は「とぎれることなく続きゆく国」こそが日本の国柄であり、日本立国の精神というものではないか、それが現在、私が思考の先に行き着いている一つの結論なのです。

 古来より日本のコミュニティは、それこそ縄文時代から江戸末期まで、ほぼ400人くらいの小集落を平均的な単位として暮らしてきました。限定的な空間内で顔見知りの村民と毎日顔を合わせて暮らし続けるため、知っている者同士、集落内でいさかいが起こらないことが何より重視されてきたのです。農業、災害対策、冠婚葬祭まですべて仲間との協働で行う社会では、もめ事を起こすことが最大のタブーでした。民俗学者の宮本常一は、集落での決め事には全戸が参加して徹底的に話し合うのが通例で、一人の反対者もなくなるまで時には三日三晩かかることもあったと記録しています。このような人間関係前提の秩序感を継承してきたがために、共に有ることを最も大事にする国民となったのです。トロンという基本OSを発明した坂村健氏は、アメリカ人は一人になっても戦う、それは個人の責任というものを明確化することで力を発揮できるということであるが、対して日本は個々の責任を明確化されると力を発揮できない、しかしグループ全体の責任が問われると構成員は役割分担し、相互に協力して力を発揮すると指摘しています。にもかかわらず、現在では企業統治一つとっても米国式に個人を分断する傾向が一般化し、それゆえ強みを発揮できないどころか個人では力を発揮できない日本人の弱点のみが露呈しつつあるように思います。近年の企業統治改革は、おしなべてこの方向に進んでいるのを、私は危惧してやみません。

 日本国憲法第13条には、「すべて国民は、個人として尊重される」と書かれていますが、世界中の憲法でこのようなことを書いているのは日本だけです。これはGHQによる日本破壊装置と言っても過言ではありません。日本人ははるか昔から、コミュニティ、すなわち家族や企業の一員として尊重されることを最上の帰属意識として有し続けてきたのです。それを、一人の人間として尊重するという理念を掲げたものだから、特に若い世代で個性の発揮をはき違えた混乱が見受けられるのです。他人が初見では全く読めないキラキラネームを子どもに付けて個性だと主張するのはその典型的な例でしょう。確かに日本人はアイデンティティが希薄かもしれませんが、それは自己の存在証明を明らかにしなくて済んだ社会洋式だったからです。そこに個性の発露が第一という考えを外部から持ってきて定着されようとしたものだから、企業統治をはじめ日本型経営との間に相克が生じ、社会にひずみが起こっていると言わざるを得ません。

 欧州で城壁内に住む資格を有したのは、個人の権利獲得に釣り合う責任を果たした場合、つまり私に優先する公を受け入れた場合のみで、そこで初めて市民となりました。そういう意味ではこれまで、日本に市民が存在したことはありません。道路建設に反対する市民運動、などとよく報じられますが、その道路がつくられなかったことによる損失を、その市民の人たちはどう補うのでしょう。これは市民運動ではなく、責任を伴わないただの反対運動なのです。市民とは、引き受けるべき責任を持っているから市民なのです。

 以上、国土と国民の関りについて自説を述べさせていただきました。今後はさらにこの国土学の観点から検証を進め、日本人と社会の本質を明らかにしていきたいと思います。
(月刊『時評』2020年4月号掲載)