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【時事評論】「観光立国」の陥穽

長期的視点から望ましい産業構造を

pixabay
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 行楽の秋である。

 もちろん、四季折々に行楽はあるが、世に「行楽の秋」と言われるにはそれなりの理由があってのことであり、また今年5月に新型コロナが「5類感染症」となったこともあり、秋を迎えてますます観光も活発になることだろう。

 振り返れば、わが国では、今から20年前となる2003年に、当時の小泉内閣の下で「観光立国懇談会」が開催され、訪日外国人旅行者数の増大のための「ビジット・ジャパン」事業が始まった。

 2006年には「観光立国推進基本法」が成立し、「観光立国」の実現は「21世紀の我が国経済社会の発展のために不可欠な重要課題」とされた。

 さらに2008年には、関連政策推進のために、観光庁が創設されている。

 こうした中、訪日外国人旅行者数は2003年の521万人から2019年の3188万人まで増大した。

 その後、目標とされた「2020年に4000万人」は達成できず、さらに今般のコロナ禍で急減して2021年にはわずかに25万人となったが、2022年には383万人となり、今年は1月から7月までで1303万人と急速な増加傾向にある。

 政府は「2030年に6000万人」という目標を堅持しつつ、さらに今年3月31日には「第4次観光立国推進基本計画」(2023年度~25年度)を閣議決定、一人当たり旅行消費額の増加等を目標として「観光立国」政策を進めることとした。

 もちろん、訪日外国人旅行者の増加は、わが国の誇るべき自然や文化といった観光資源の豊かさが一因であり、またその結果としての経済効果も小さくはない。

 そうした意味では、確かにオーバーツーリズムといった課題もあるが、訪日外国人旅行者の増加は喜ぶべきことだろう。

 他方で、わが国として直視して考えていくべき根本的なポイントがいくつかある。

 第一に、訪日外国人旅行者の増加の主な要因の一つが、そもそもの日本の物価水準と円安の相乗効果によって、いわば「海外に向けた一大バーゲンセール」が行われているからだ、という点だ。

 その裏返しとして、日本人が海外旅行で楽しむことは、ハードルが高い奢侈となっている。

 国民が貧しくなって海外向けのバーゲンセールを実施している形だが、これは「途上国型経済」の姿ではないか。

 国民の厚生の在り方として、そうした経済の姿が望ましいかどうかは、今一度、しっかりと吟味すべきだろう。

 第二に、簡単な経済学が明確に示すように、「観光立国」が進めば進むほど(政策的に推進すればするほど)、他の産業との関係では、観光産業の比較優位が増大して他産業は衰退するであろうということだ。

 コロナ禍で明確になった観光産業の脆弱性にも目を向けつつ、望ましい産業構造の在り方を考える必要がある。

 その際、観光産業は基本的に労働集約型であって、人口減少が続くわが国の基幹産業として位置付けることは無理があるのではないかという点に留意が必要だ。

 また、宿泊業にせよ輸送業にせよ、観光関係の産業では固定的な設備投資が全産業平均を上回る水準で必要であり、資本収益率でみても決して高い水準にあるわけではないことにも目を向けるべきだ。

 もちろん、以上の指摘は、観光産業の発展を疑問視するものではない。

 観光産業に携わる方々が「観光立国」をアピールし、自らの事業活動を推進することはあって当然のことである。

 しかし、政府が政策的に観光産業の比較優位を作り出し、おそらくは無自覚に他産業を衰退させていく、あるいは発展を阻害することは、国家百年の計として誤っているのではないか。

 かの「西洋の没落」を著したドイツの歴史哲学者であるシュペングラーも、外国人観光客頼みの経済政策を採るようになることは、ある国の文明が没落に向かっている顕れだと喝破した。

 供給面から言えば生産性向上率や資本収益率が高く、需要面から言えば所得弾力性が高くて市場拡大が見込めるような産業分野が主要産業として存在し、そこに観光産業「も」あり、自国民「も」観光を楽しめる、という姿こそが望ましい。

 今の日本の政策に足りないのは、観光振興政策ではなく、そうした望まれる基幹的な主要産業を根付かせるための改革だ。

 金融産業、IT産業、バイオ産業、等々の先端的な産業が基幹産業となり、こうした産業分野で高い教育を受けた国民が活躍する姿に私たちは向かっているだろうか。

 この観点から言えば、実は、アベノミクスで標榜された「第三の矢」=構造改革こそ、全力で推進すべき政策である。

 本来は、いわば一時的な時間稼ぎであるべき財政政策や金融政策に依存したまま、構造改革が遅れ、その挙句に数値で結果が見えやすい「観光立国」政策だけが進んでいくことは、シュペングラーのいう没落の道ではないか。

 今こそ、長期的かつ俯瞰的視点から望ましい産業構造を見据え、基幹的な産業を根付かせるための構造改革を進めるべきだ。
                                                 (月刊『時評』2023年10月号掲載)