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森田 実の「国の実力、地方に存(あ)り」③

若き校長・荒井優(札幌新陽高校)の「本気の挑戦」が北海道と日本に〝活〟を入れる

新陽高校のある札幌市南区の風景。雄大な大地も「本気の挑戦」を見守る。
新陽高校のある札幌市南区の風景。雄大な大地も「本気の挑戦」を見守る。

「本気で挑戦する人の母校」(札幌新陽高校の標語)

新陽の〝奇跡〟を生んだ新校長


 新陽の〝奇跡〟とは何か。札幌新陽高校のフェイスブックに生徒の菅原衣織さんの一文がある。長い引用をお許し頂きたい。
「校長先生が変わってから新陽が変わったところは生徒も何事にも本気なところだと思います。今までの新陽生が本気でなかったというわけではありません。ですが私が1年生の頃とは確実に何かが違います。誰かが本気ならそれを応援しようとする姿勢、誰かが声をかけたらそれに本気になって自分も取り組む生徒が増えたからではないかと思います。それは部活でも行事でも日常生活でも。自分たちで頑張ろうとする部活や積極的に活動する部活、もっと高みを目指そうとする部活。ひとつのことに頑張ろう! と全校生徒がなって実現したのが学祭の携帯使用許可だとも思います。
 やる気のない人には誰もついて行かないと思います。けれど新陽高校の校長先生をはじめとする先生方はみなさん本気。だからその本気が生徒に伝わって私たち生徒も本気になれているのではないかと思います。そして本気を意識して生活出来ているのだと思います。私もその一人です。
 新陽高校は確実に変わっています。卒業した先輩方が口を揃えていう事は『なんでこんな短期間で新陽変わってんの』。それほど急速にいい方向に行ってるのは本気だからだと思います」
 荒井優氏が札幌新陽高校校長に就任したのは2016年2月1日(当時40歳)。それから大変化が始まり、あっという間に、以前とは違う溌剌とした学校に変わった。私は2018年5月、札幌新陽高校を訪問し、荒井校長と数名の教師、生徒と会ったが、すべての人が輝いていた。新陽の奇跡は事実である。荒井優新校長の「覚悟」と「本気」が新陽を変えるとともに日本の教育界に意識の変化を起こしつつある。


荒井優校長の原体験


 1975年2月28日生まれ。札幌市出身。父親は荒井聰氏(農水省を経て衆議院議員)。早稲田大学政治経済学部卒。卒業後㈱リクルートなどを経てソフトバンク㈱に入社。2011年7月より公益財団法人東日本大震災復興支援財団の専務理事を兼務し、ソフトバンクと孫正義社長が行う復興支援活動の責任者となり、「福島県双葉郡子供未来会議」の世話役など東北復興の最前線で活躍した。荒井優氏は東日本大震災復興支援活動を通じて自らたくましい教育者魂を鍛えた。
 荒井優氏は、校長就任の事情を述べている。
 「(校長就任の打診を受け)『教員免許もなく、学校で働いたこともない40歳の自分に、校長が務まるのだろうか?』と悩んだ。……新陽高校の経営は長らく迷走し続け、次第に生徒も教員も自信を失い、いつしか『札幌で一番レベルの低い高校』という風評が定着した……やらなければいけなかったのは、学校の再生そのものだった。
 ……友人知人の多くからは『リスクが大きくリターンが少ない』『君の人生に傷がつく』と猛反対もされた。しかし、最終的に校長を引き受けた。
 ……2011年の東北の震災で家族も家も仕事もすべてを失った人が、たった一人で立ち上がる瞬間を近くで見続けてきた。悩み苦しみ、自信のない中で、最後に自身に降り掛かった不条理を引き受けて、立ち上がっていた。……『今度は自分の番なのだ。そのために東北の被災地にいさせてもらったのだ』と悟った。自分の人生に本気で挑戦する覚悟を決めた瞬間だった。」(新陽高校校長日誌より抜粋)


教育者魂のルーツ


 札幌新陽高校のルーツは1958年創立の慈恵女子高等学校である。創立者の荒井龍雄氏は、当時38歳(1958年逝去)。学校法人札幌慈恵学園(札幌新陽高校の法人名)の現理事長、荒井聰衆議院議員の父親で、荒井優校長の祖父。創立者・荒井龍雄氏の死後、慈恵女子学校は龍雄氏の恩師に引き継がれた。龍雄氏の後継者になるべき聰氏は東大農学部卒業後、農水省の卓越したキャリア官僚となった。官僚機構の中で聰氏の存在は際立っていた。聰氏はその後、衆議院議員となり、民主党の中心的幹部として活躍した。民主党のトップリーダーになるべき卓越した政治家だったが、聰氏は自らナンバー2の道を選んだ。
 慈恵女子高校は1987年に札幌新陽高校に改称し、男女共学化した。
 2015年、荒井聰氏は学校法人慈恵学園の理事長に就任した。傾きかけた「慈恵を立て直す」ことが聰氏に委ねられた。聰氏の理事長就任直後に、当時の校長が辞職した。後任校長として白羽の矢が当てられたのが優氏である。この人事が成功した。優氏は傑出した教育者であることを示した。
 優校長は、教職員、生徒、父兄、理事などすべての人々の心を捉えた。新陽高校に精神革命が起きた。学校の空気が一変した。
 新陽高校の精神革命は、重要情報として全国の学校に広がった。全国各地からの視察団が新陽高校を訪れるようになった。優校長は全国各地から講演を求められるようになり、新陽の「本気」革命は全国に広がり始めている。
 荒井優氏は、祖父・龍雄氏と祖母、父・聰氏と母親の教育者としての優れた血を継承し、優氏自身の誠実な努力を通じて偉大な教育者魂を鍛えた。北海道に、いや日本に、教育改革の卓越した指導者が登場した。荒井優氏の「本気」革命が苦難に陥った日本を救うと私は期待している。

森田 実(もりた・みのる)評論家。1932年、静岡県伊東市生まれ。
森田 実(もりた・みのる)評論家。1932年、静岡県伊東市生まれ。