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菜々子の一刀両断ってわけにはいかないか……【第185夜】

子どもを作らない人の言い分

私の名前は松下菜々子。深川門前仲町で久寿乃葉という小料理屋を営む。未婚、子なし。恋人募集中。世間の皆さんあるいはお店の常連のお客様同様、将来に不安を感じている。砂浜の真砂が尽きないように、私の老後不安にも底がない。同年代の客も同様と見えて、カウンター席でも座敷席でも、その種の会話が多いように見受ける。客の話に合わせるのは接待の基本。菜々子も、新聞、テレビ、図書館で、その種の勉強に怠りはない。

姉妹の誕生会
 お座敷に男女の4人組。連れてきたのは常連のNさんで、手前側に菜々子に背中を向けて座っている。横には清楚な感じの女性。Nさんに寄り添い、料理を取り分けてあげる仕草から、親密な関係であることは疑いない。Nさんに向かい合う男性は、口の利き方から、多分Nさんの学生仲間だろう。そしてその横、Nさんの対角線にもう一人の女性なのだが、スマホに着信があり、座を立っている。 
「ママに紹介するよ」。Nさんに声を掛けられた。「向かいはSクンといって大学の同級生で、隣のこれはボクの家内」
「タケコと言います。いつも主人がお世話になっています」と頭を下げられ、「ひょっとしたらNさんの…」と疑ったことを恥じることになった。そこにもう一人の女性が電話を終えて戻って来た。
「孫娘が『明日のピアノ発表会、絶対来てよね。私の晴れ舞台なのだから、ババチャマも和服姿でなきゃだめよ』と強硬で」と言い訳しつつ正座して、「Sの家内のマツコです」と自己紹介したが、その顔立ちがタケコさんにそっくり。
「彼女はタケコの双子の姉妹なのさ」とNさんが補足したので合点した。
「今日は姉妹の誕生日。合同で祝っているのです」とSさん。

親族関係はややこしい

「ご主人同士が学生仲間で、奥方は姉妹。どちらかのカップルが先にできて、彼女の姉妹を友人に紹介した。どう、ずばりでしょう」との菜々子の推量は大外れ。仲が良かったNさんとSさんが、お祭にそれぞれカノジョを連れて行ったところ、姉妹同士が顔を見合わせて「ウッソー」と同時に発したのだとか。それぞれがゴールインして今に至る。
「念のために聞くけど、どっちがお姉さん」と菜々子。
「戸籍上は私だけど」とマツコさん。「でもリードするのは、いつもタケコの方だわね」
「そうね。私もマツコと呼び捨てだし」とタケコさんが返す。
 ということはマツコさんの夫であるSさんが義兄で、タケコさんの配偶者のNさんは義弟になる。それで上席とされる奥まった側にSさん夫妻があらたまっているわけだ。クスッと笑いが出る。
 マツコさん、タケコさんには他に兄弟はいない。姉妹の父親は数年前に他界した。経営していた事業は母親が引き継いだが、いずれは姉妹の時代になる。
「私は孫の相手で忙しいの。タケコかNさんに社長を譲るわ。あなたたちには老後の生活資金源が必要だろうし」。マツコさんは鷹揚なところを見せたのだが・・・。
「そうはいかないわ。家業の継承は長子と決まっている。妹の私が会社を継いでごらんなさい。クーデターだとかなんとか、古参の社員たちが動揺しちゃうわ。長幼の別はもめごとを避けるための人類の英知だもの」とタケコさん。こちらも一見謙虚だが……。
「長子相続が常に当てはまるわけではないだろう。みんなが同意するなら自分が経営を引き受けたい。Sクンより経営センスはいいと思うぜ」。Nさんはタケコさんの夫であるにもかかわらず、マツコさんの説に賛成する。
「ダメ。私たち夫婦には子どもがいない。それだけでも家業を引き継ぐ資格がない。マツコのところは子どもが3人、孫世代もすでに9人いる。またSさん自身も5人兄弟。母と養子縁組して苗字を変えてもらえば、亡くなった父がどれほど喜ぶことか」。タケコさんは天国の父親に合掌する真似をした。
 姉のマツコさんは妹夫婦に家業を譲ると言い、しかもNさんは乗り気。しかし当の妹であるタケコさんが頑強に辞退し、夫婦間で意見が割れている。ではもう一人の当事者であるSさんはどうなのか。
「あなたが優柔不断だからいけないのよ。はっきり『俺は嫌だ』と言いなさい」と奥さんのマツコさんに叱られている。同時に「義兄さんには長女の夫として家業を引き継ぎ、母の面倒を見る責任があるのよ。父が生きていた間、『キミが跡取りだ』と言われ続けていたでしょう。女房の尻に敷かれていないで、男らしいところを見せなさいよ」と義妹のタケコさんからは受諾の決断を迫られている。
「俺は過去のお義父さんの言動は気にしちゃいないぜ」とNさんが再度、口を挟んだのだが、「あなたは黙ってなさい」とタケコさんに一喝された。
「タケコ、ダンナ様に向かってなんて言い方なの。それに私がSを尻に敷いているなんて言い過ぎだわ。Sは私に黙って起業しようとして危うく大やけどするところだった。あのときは後始末にSのお義父さん、兄弟や親戚がどれだけ汗をかき、関係者に頭を下げて回ったか。とにかくこの人は経営には向いていないの」
「それは事実だわ。社長はマツコの方が無難」とタケコさんも応じたから、Sさんの立場はない。「夫のダメなところを補ってこそ、女房の鏡。原点に戻ってマツコ自身が社長を継げば丸く収まる」とブツブツつぶやくのが精いっぱい。
「その原点がおかしいのよ。私がタケコより1年でも先に生まれていれば、姉としての責任の取りようもある。でも私たちは双子よ。同じ日に生まれ、しかもタケコは私のことを姉扱いしてくれたことなど一度もない。跡取りはあみだくじかジャンケンで決めよう」
 お酒の場の勢いで決めることではないでしょうと菜々子が割って入り、なんとか話題を変えることになった。

DNAは同じでも・・・
 Nさん夫婦には子がいない。子どもにおカネを残す必要がないから、死ぬまでに使い切るのだという。二人分のボーナスで海外旅行を楽しんできたが、一線のサラリーマンを引いた今もこの習慣は変わらない。今年はスイスの山登りツアーに申し込んでいるとか。費用を聞いて菜々子は腰を抜かした。
「日本人が長寿になって人生百年時代というし、重度の認知症になる可能性もある。頼れる子どもがいないのだから、せっせと貯金をしなさいと忠告してもタケコは聞きやしない。家業を要らないというのも、会社経営が面倒くさいというのが本当の理由なのだから呆れてしまう」。お酌する菜々子の耳元でマツコさんがつぶやく。
「老い先をくよくよ考えても仕方ないわよ。長生きに備えて貯金しても、ポックリ逝ってしまえば大損害。老後を子どもに頼らなくてもいいように日本政府が老後の保障をやってくれるはず。それに期待するのは国民の憲法上の権利だわ」とタケコさん。
 対するマツコさんは絵に描いたような勤倹貯蓄型のようだ。若いときから収入の2割は貯蓄に回し、残りの額に支出を圧縮する暮らしを続けてきた。特別支出があった月は、翌月の支出をいっそう抑制して収支尻を合わせ、貯蓄ペースを落とさない。
「わが家には子どもが3人いたの。子育てで私が働けないから片稼ぎ。衣食住の最低需要を満たす工夫で頭がいっぱいだったから、Sにもタバコ禁止、ゴルフ厳禁、家族旅行も問題外」。そうしてなんとか子ども全員を大学まで通わせた。
「子どもをたくさん産むからよ。生活を切り詰めたというけれど、子どもを産まなければ私たちのようにぜいたくできたはずだわ。マツコの苦労は自己責任」とタケコさん。
「子育ては人生においてムダなことではなく、おカネでは買えない得難い体験。一過性の旅行で見聞する薄っぺらなものとは違うの」とマツコさんも、売り言葉に買い言葉。
「若いときの苦労は買ってでもせよと云うけれど当たっているわ」とも付け加えた。子育て期間が終わり、子どもが巣立っていくたびに家計支出が減っていく。そして預金に回す額が増え、老後資金が急速に貯まるようになる。その感覚は分かるような気がする。
 マツコさんとタケコさんは同じDNAの一卵性双生児。しかし考え方、人生観はかなり違うようだ。

社会への関心事
 現代の日本では猫も杓子も老後の経済不安を口にする。その対策で怠りないのがマツコさんとすれば、なんとかなる主義がタケコさん。だが、言葉と本当の気持ちは別ということもある。面白い質問を思いついた。
 だれでも自分の身の回りのことを他人に委ねなければならない時期がある。その典型が幼児期と老後の要介護状態。本来は家族が世話すべきなのだが、現代社会では現役世代は軒並み就労を求められている。そこで社会連帯でのケアの制度化が必要になるのだが、高齢者の激増で要介護者へのケア需要は増加の一途で、介護保険給付費が10兆円規模になるなど、財源確保が追い付かない。保険制度の見直しは不可欠ではないのかと水を向けてみた。
「なに言っているのよ。高齢者福祉は国家としての約束。増税するか、現役世代を海外から移住させて負担をさせるか。方法は政府に任せるから、高齢者介護施策を一歩たりとも後退させることは許さない」とタケコさん。
 これに対して「わが子や孫の生活を考えれば、現役世代の負担を抑えるのが親世代の責任」とするのがマツコさん。高齢世代の人数が増えるに反比例して一人平均の受給額を減らさなければ総費用を一定以内に抑えられない。子世代が親世代より公租公課負担が低いのが本当の福祉社会であると強調する。そのためには出産奨励して現役世代を増やさなければ始まらない。保育所増設のために高齢者介護費用を回すなど、高齢者には遠慮が必要と言う。
 現役世代を育てあげたマツコさんが介護給付見直しを提唱し、子どもを産まなかったタケコさんが子世代からの給付を当然視する。高齢者の意見もさまざまということのようだ。

(月刊『時評』2019年4月号掲載)

寺内香澄(てらうち・かすみ)(有)総合社会政策研究所。ショートストーリー作家としても活躍。単行本として『さわやか福祉問答』(ぎょうせい)。
寺内香澄(てらうち・かすみ)(有)総合社会政策研究所。ショートストーリー作家としても活躍。単行本として『さわやか福祉問答』(ぎょうせい)。