
2025/06/04
私の名前は松下菜々子。深川門前仲町で久寿乃葉という小料理屋を営む。未婚、子なし。恋人募集中。
世間の皆さんあるいはお店の常連のお客様同様、将来に不安を感じている。砂浜の真砂が尽きないように、私の老後不安にも底がない。同年代の客も同様と見えて、カウンター席でも座敷席でも、その種の会話が多いように見受ける。客の話に合わせるのは接待の基本。菜々子も、新聞、テレビ、図書館で、その種の勉強に怠りはない。
だれにも子がいない
今日は高校のクラス会。といっても3人だけで、菜々子のほかにはI子とK子。I子とK子は優等生で、卒業後の進学先は国立大学の理科系学部。I子は物理を、K子は化学の学科を選択した。ぼんくら菜々子とは、天と地、雲と泥ほどの差があった。
彼女らは大学卒業後、だれもが知っている著名企業に就職した。そしてI子は20代の前半に、K子は40歳目前で、それぞれ会社の中で有望株とされていた男と社内結婚した。結婚式の媒酌人は本社の重役夫婦で、会場も料理も演出も参列者の装いも豪華絢爛。
I子のときは級友多数で出席し、みんなでお祝いの歌をアカペラ合唱したのだけれど、若かった菜々子は、場違い感の緊張で音程を外してしまい、穴があったら逃げ込みたいほど惨めな思いをした。
K子のときはさらに悲惨だった。高校の恩師が「男性との噂話がなく、生涯独身を貫くつもりかと案じていたK子に伴侶が現れ、元担任として肩の荷を下ろした思いである」とスピーチを終えたまではまだ許せる。続いて友人代表として菜々子がマイクに向かうところで、先生とすれ違い、目が合った。すると先生は踵を返してマイクをつかみ、「皆さん、私は重大な記憶違いをしておりました。この子がまだ残っていることを忘れておりました。新郎のご友人で未婚の方がおられましたら、ぜひこの子をもらってやってください」と菜々子を指差したものだから会場は大爆笑。花嫁のK子も下を向いてはいるものの、肩を震わせて笑いをこらえているではないか。
「あそこで泣きださなかった菜々子は偉かったわ」とI子。
「いくらお酒が入っていたからといっても、あの先生のスピーチはひどかった」とK子。
「そうよね。ところで菜々子はいったいどういう話をしたのだっけ」と二人。肝心の菜々子のスピーチの内容はだれの記憶にも残っていない。まあ、自分でも覚えていないのだから無理ないか。
ともあれ二人は、華燭の典を経験した。「菜々子にもそのうちチャンスが現れるって」と慰め続けられて、この歳だ。彼らに祝い金を出したけれど、まだ見返りがない。これって不公平と思わないか。「なに言ってるのよ、悔しければ結婚すればいいだけのことよ」とK子。
この際、二人のプライバシーを少しだけ明かそう。
子ができなかったI子
結婚ではクラスの女子の先頭だったI子は、結婚と同時にキャリアを捨て、専業主婦になった。大学院までの勉学の成果を生かさないわけで、国が投じた高等教育費を返すべきではないかと口にする級友もいる。I子の夫は企業内研究者として順調に出世を重ねたが、専門分野を同じくするI子の助力があったのかもしれない。
結婚当初、未婚の私たちを招いたホームパーティーで「子どもは5人欲しい。それでバスケットボールチームを作って、私がコーチをするのよ」と言っていた。暮らしぶりは質素で、子育て費用を貯めなきゃが、その頃のI子の口癖。ボーナスを全額預金すると言っていた。
でも夫婦は子宝に恵まれなかった。30歳を超えてからは不妊治療に夫婦でずいぶん通い、夫の稼ぎの相当な割合を注ぎこみ、40歳半ばになって諦めた。不妊治療費が報われることはなく、ドブに捨てたのと同じことになった。
子なし者に優しい社会に
世の中の不妊治療技術の進化は著しく、費用についても健康保険や自治体からの助成が進められている。これが数十年早かったらI子は子どもを持てたかもしれない。
「過ぎたことを振り返ってもしかたがない。私たちは子どもをあきらめた時点で考えを変えたのよ。子育て費用はいらないから、それを使って夫婦で楽しめた。世界中を旅して思い出はたっぷり。そのアルバムを見ていれば、二人で飽きずに話し合えるわ」
そういう生き方もあるかもしれないが、菜々子はそこまで割り切ることはできない。老後を頼れる子がいない分、頼りは自身の資金準備ということになる。
「その点で自分には提案がある」とI子。「年金をはじめとする社会保障の基本は国民間の助け合いとされている。その際重要なのは公平感だと思うのよねえ。私たち夫婦には子どもがいない。子どもがいる夫婦は、保育所、児童手当、学校教育などでさまざまな経済支援を受けている。その費用は自分たち子なし夫婦が負担したことになる。この時点で子あり夫婦は優遇されたのだから、老後では遠慮するのが妥当と思うのね」
即座には理解できなかったが、K子がこれに反応した。
「それは一般常識に反するわよ。世代間の助け合いが年金のベースであり、子どもが次々に生まれることが、制度維持の前提条件になっている。子を産んだ者の年金額を多くするなら世間の支持を得られそうだけれど、逆に子どもを産み育てた者の年金が少ないのでは、子どもを産む者がいなくなって社会が成り立たない。当然、年金制度は維持できない」
「子どもを産めなかったということで辛い思いをしている。そうした者に配慮すべき。菜々子のように産みたくなかった者とは違うのだから」と八つ当たりされた。菜々子に子がいないのはそのチャンスがなかったからで、子が欲しいのか、欲しくないのかなんて、その場にならなければわからない。I子の気持ちがわからないではないが、子どもを欲したけれどできなかったことの代償を要求するのは筋ちがいであろう。菜々子はK子の説をさらに進め、子どもを育てなかった者が、年金で同等の権利を得るには、若いときに割り増し保険料を納付するのが妥当ではないかと発言した。
I子は2対1で分が悪いと悟ったか、渋々納得した。
子の有無の判断基準
3人の中ではK子だけが妊娠経験がある。K子の結婚は遅かった。独身主義ではないか、同性愛者かもと噂されたことがあり、それが先生の結婚祝辞に反映されたのだろう。ただ晩婚は生物的には好ましくない。妊娠率が落ちるし、ダウンその他の障害児が生まれる確率が顕著に高くなる。
K子の場合、妊娠はするのだが、3回続けて流産した。結局、実子を諦め、児童施設から養子をもらい受けて育てることになった。その子はまだ幼児だから、K子夫婦は年金受給しながら、子育てが続くことになる。
今日の年金議論は頭の体操。ここで突っ込まない手はないだろう。
「K子は子育てした夫婦者の年金を優遇すべきと言うけれど、子育て実績とは、子どもが育ちあがっていることを指すのだろうか」
常識的にはそうなるだろうが、それは親が年金を受給していることの条件になるはずだから、子が先に死亡したりすればややこしいことになる。その子が外国滞在中で日本の年金保険料を納付していない場合などでは、親への年金優遇はできないんだろう。
ひとり親では評価は倍増?
ところで子育ては二人でするもの。父親が愛人を作って家庭をないがしろにしていたような場合はどうか。父親が養育費用を負担していれば事情が変わるかもしれないが、基本的には母親のみが養育を評価されるべきだろう。離婚の場合も同様だろうから、離婚訴訟で子どもの親権、養育権をめぐる争いが活発化することになるだろうが、子の立場は改善される可能性が生じそうだ。
実子の場合は産む前から養育し、費用をかけている。これに対し養子では、養育するのは縁組以降である。成人期に近くなった者と養子縁組をして年金額を有利にしようとする者があるかもしれない。それにどう対応するか。あるいは児童虐待をして、子ども児童施設で育った場合の親にも年金の特典があるのか。頭の体操になりそうな事項は数限りなくありそうだ。
これも原則的には、子が成人するまでの全期間養育をベースとしておいて、該当しない期間に比例で減ずるなどになるのだろうか。
保険料の割引
子育て経験者は老人医療などでも同じにすることが考えられる。後期高齢者の受診時一部負担割合が1割から3割に引き上げられることになりそうだが、低所得老人は1割に据え置かれそうだ。これには3人とも大反対。保険料を高所得者にたくさん負担してもらうのはまだ理解できるが、保険給付時にも所得に差をつけるのは保険原則に反し過ぎている。一部に1割負担者を残すというのであれば、たくさん子どもを産み育てて社会保険の制度安定に寄与した者に恩返しすべきだろう。
と菜々子は自分でも驚くほど理路整然と演説をした。ところが気がつけば、I子もK子もカウンターに突っ伏して鼻提灯ではないか。ふざけんな。終電車に間に合うように肩を揺さぶったが、起きる気配もない。タクシーの呼び出し番号を書いたメモを残して帰宅することにした。エアコンのタイマーが切れて冷え込み、風邪をひいても自己責任だからね。
(月刊『時評』2025年5月号掲載)