お問い合わせはこちら

菜々子の一刀両断ってわけにはいかないか……【第193夜】

生前葬儀――切縁(せつえん)式の奨め

(写真:takedahrsによるPixabayからの画像)
(写真:takedahrsによるPixabayからの画像)

 私の名前は松下菜々子。深川門前仲町で久寿乃葉という小料理屋を営む。未婚、子なし。恋人募集中。世間の皆さんあるいはお店の常連のお客様同様、将来に不安を感じている。砂浜の真砂が尽きないように、私の老後不安にも底がない。同年代の客も同様と見えて、カウンター席でも座敷席でも、その種の会話が多いように見受ける。客の話に合わせるのは接待の基本。菜々子も、新聞、テレビ、図書館で、その種の勉強に怠りはない。

知人がいない葬儀で喪主の大役
「今日は家内を連れてきたよ。二人でお疲れさま会をするのだ」
「あなたが噂の菜々子さんね。主人からかねがね聞いていたとおり、着物姿が似合う美人だわ」
 並んでカウンター席の椅子に腰を下ろしたTさんとA子だが、その装束は黒ずくめ。Tさんは円筒形のものをくるんだ風呂敷包みをカウンターに置いた。
「今日は家内の親族の葬儀だった。ボクたちが喪主役で、これがその遺骨」と風呂敷包みを指さしたから、思わず「足元に下ろしてよ」と叫んでしまった。
 遺骨の主はA子さんの従兄弟叔父(いとこおじ)。続柄でいえば、A子さんの母方の祖父の弟の息子。系図でいえば5親等になる。ところがこの従兄弟叔父が生涯独身で子がいない。兄であるA子さんの祖父が3親等でもっとも血が濃い親族になるのだが、110歳の高齢で認知症も発症しており、老人ホームから出かけられる状態ではない。次がこの祖父の一人っ子である娘、すなわちA子さんの母親の4親等になるのだが、すでに故人になっている。そこでそのまた一人娘であるA子さんにお鉢が回ってきたという次第だそうだ。
「亡くなった従兄弟叔父は名のある絵描きでね。ボクも展覧会に行ったことはあるが、家内の親戚だとはつゆ知らなかった」とTさん。
「ごめんなさい。従兄弟叔父が画家として名を成したことは承知していたけれど、あなたがこの人の絵に関心があるとは思わなかったから」とA子さん。

無縁葬儀が普通になる?
 つまりこの芸術家は、生前にA子さん夫婦との普段のお付き合いはなかったわけだ。だのに血筋ということで葬儀の主に押し上げられた。
「従兄弟叔父の画集を出した出版社が葬儀の段取りをしてくれたのね。参列者は200人以上で盛大だったわ。でも私たちには日常的な縁がない画壇関係の人ばかりで、見知った顔がいない。だけど出版社は『形式といえども喪主は親戚が勤めるべき』って強引なの。私が従兄弟叔父に会ったのは60年以上の昔の一度切り。彼が絵の修業にフランスに往く前で、私は幼稚園に入る前。私の結婚式のときはまだ海外にいたから呼ばなかったと母が言っていたような記憶がある程度。顔なんか覚えてもいないわよ」
「キミはまだいいさ。オレなんか、棺に向かって『従兄弟叔父さん、初めまして』だぜ。それでもって『故人は美術界で一派をなし、特段の取りえのない平平凡凡のわれわれ親族にとりましては大きな誇りでありました…』と、出版社から渡された嘘八百の“喪主あいさつ”を喪主のキミの代理として朗読したわけだ…」。
事情は分かった。ともかくお疲れさま。あらためて二人のグラスにビールを注いだ。

葬儀の意味を考える
 日本人の寿命は伸び続け、政府は「人生百年時代」と言う。一方で少子化が進んでいる。直接原因は、生涯結婚しない者が増えたこと、結婚してもこの従兄弟叔父さんのように子を持たない夫婦が増えたこと、そして子づくりしても一人っ子…。
 A子さんが付け加える。「寿命は人によってさまざま。私の祖父は百歳を超えて長命だけれど、両親の方は先に死んでしまっている。祖父の葬儀は孫である私が仕切ることになるけれど、私の身に何かあったら、その役割はひ孫に回る。でもわが家の一人娘は国際結婚してアメリカで共稼ぎ暮らし。『ひ孫として曽祖父の葬儀を務めなければなりませんから、しばらく日本に帰ります』なんて、ドライなアメリカの会社が認めてくれるかしら」
 長寿少子社会は葬儀のあり方にも影響しているのだなとあらためて感じる。独身子なしの菜々子は姉の子どもたちを手なずけ、わが葬儀を仕切らせようと長期的に取り組んでいるのだけれど、万一、菜々子が想定外に長生きし、番狂わせで甥、姪の方が先に逝ってしまえば、計画はオジャンである。
「葬儀の意味は何かを改めて考えるべき時代だと思うぜ」とTさん。ビジネスの最前線から足を洗った5年ほど前から、現世のドロドロよりも哲学的な考え方をするようになっているように見受けるが、今日はさらに一歩進んだ発言である。
「身近な人の死を親族が受け入れるのは簡単ではない。医者は『ご臨終』宣告で任務終了だが、親族はそうではない。この世での別れを受け入れられず、もう一度会いたいという気持ちを捨てきれない。そこを思い切らせるのが葬儀に関する一連の行事なのだ。知人友人が『悲しいよね。いっしょに泣いてあげるね』と呼びかける。そして故人の肉体が火葬炉の中で崩壊して白い骨に姿を変える。その骨壺を抱くことで、『ほんとうに死んだのだ』と受け止め、『これからは自分の心の中でのみ対話できる』ことを知る。仏壇とかお墓はその舞台装置なのだと思う」

この世での別れの儀式をいつするか
 人は呼吸を止めたときに死ぬのではない。これはだれの言葉だっけ? 「人の生死は他者との関係であり、肉体は滅びても、その人と親しかった知人親族の胸中に思い出が詰まっている間はまだ死んでいない」のだそうだ。反面、呼吸をしていても、その人のことを気にかける者がだれもいなければ、その人の存在は無意味なのである。
 A子さんがTさんの発言を引き取る形で続けた。
「老人ホームに入所している祖父の認知症はどんどん進行している。私の顔を見て『お母さん』と誤認する段階はとっくに過ぎ、今は自分が何者かも分かっていないと思うわ。この状態で祖父が死んだとしましょう。葬儀にだれを呼ぶかと考えても思いつく人はまったく浮かばない。アメリカから娘家族を呼ばず、私とあなたとだけでの家族葬になりそうね」
「そうだな。オレの方の親族に招集をかけてもよいが、おじいさんとはオレたちの結婚式で会ったきりだ。ほとんど『初めまして』に近い関係だからな」とTさん。

本人中心に再設計
「おじいちゃんがまだしっかりしているうちに、友人、知人を呼んで“生前葬”をやってあげればよかったわね」と菜々子。実は、菜々子自身のこの世とのお別れの仕方としてアイデアが浮かんだのだ。
「私のお付き合いの半ばはこの久寿乃葉を通じてのもの。いずれお店をたたむ時が来るでしょうが、その後は日々疎くなっていくはず。であれば閉店時にお別れパーティーを設定し、それに“菜々子の生前葬”と名付けたいわ」
「それはいつ頃になるのかい。ママは執着が強そうだから、『もう少し、もう少し』と先延ばしでお店を続け、いざ閉店時には、オレなんか足腰が弱ってパーティーに参加できなくなっていそうだ」とTさん。
 A子さんは「そのときは私が代わりに参列してあげるわ」に続けて、「〝生前葬”という言葉はよくないわ。ママのアイデアは、現世でのお付き合いが途切れるグループとのさよならパーティーということでしょう。ママがそれで肉体的に死ぬわけではないし、マンションや趣味の人たちなど別のグループとはお付き合いが続くはずだわ。そうすると特定の社会活動からの“離脱式”と捉えて、楽しまなくちゃ」
「なるほど。オレも会社を辞めるときには事業部で“さよならパーティー”をやってもらった。ママの場合は個人営業だから、自分自身で企画することになるわけだな」
 特定の社会活動からの〝離脱式”というA子さんの指摘はポイントを突いている。だが名称が長い。さりとてテレビ、雑誌などで取り上げられる“終活式”もちょっとイメージが違うような。

切縁式と命名しよう
「“切縁式”ではどうだ」とTさん。〝離縁”がピッタリくるが、養子縁組の解消と誤認される。〝絶縁”では喧嘩別れのようでよろしくない。それで〝切縁式”だという。「もし普及するようになったら、オレの造語ということで名を残せるかな」と一人ごちたが、〝セツエン”の語感がいま一つかも。
「式の内容が重要だわ」とA子さん。「ママが企画し、案内状を出し、費用も原則負担するのだから、自分が楽しめ、満足できるものにしないと意味がない」。まったくおっしゃるとおり。A子さんは結婚式を持ち出した。
「人生において自分が主役で、回り中からチヤホヤされる最大の催しが結婚式。このパーティーに呼ばれて当人を批判するような野暮な人はいない。だれもかれもが、当人のナルシズムをくすぐる。何時間でも聞いていたい至福の時間だわ」
 その応用形でのパーティー模様のビデオ画像を何度も反芻できれば余生も変わるだろう。

遺品処理を忘れずに
「切縁式に賛成。閉店したら生活にハリがなくなると心配していたけれど、気持ちの持ちようね。お店の〝切縁式”、写生クラブの〝切縁式”と、費用が続く限り、いくつもやればいいのだわ。結婚式のように参加者はご祝儀を持ってきてくれるだろうから、持ち出し費用は思ったほど大きくないはず」。菜々子の現実主義が膨らむ。
「パーティーにかこつけて遺品になりそうな物品の処分先を決めることも重要だと思うぜ」とTさん。「昔は形見分けといって遺族の裁量で親しい人に身の回り品を持って行ってもらった。これからは切縁式で当人が形見分け予約を受け付けるのはどうだろう。そして死後に遺族が、その形見分けリストに沿って品々を手渡して回る」
 甥や姪の顔が浮かんだ。「そんなの面倒くさい、葬式の方が一度で済む」と方針転換しても、菜々子は「約束を守れ」と声を上げられない。(月刊『時評』2019年12月号掲載)

寺内香澄(てらうち・かすみ)(有)総合社会政策研究所。ショートストーリー作家としても活躍。単行本として『さわやか福祉問答』(ぎょうせい)。
寺内香澄(てらうち・かすみ)(有)総合社会政策研究所。ショートストーリー作家としても活躍。単行本として『さわやか福祉問答』(ぎょうせい)。