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菜々子の一刀両断ってわけにはいかないか……【第199夜】

緊急事態宣言

写真ACより
写真ACより

私の名前は松下菜々子。深川門前仲町で久寿乃葉という小料理屋を営む。未婚、子なし。恋人募集中。世間の皆さんあるいはお店の常連のお客様同様、将来に不安を感じている。砂浜の真砂が尽きないように、私の老後不安にも底がない。同年代の客も同様と見えて、カウンター席でも座敷席でも、その種の会話が多いように見受ける。客の話に合わせるのは接待の基本。菜々子も、新聞、テレビ、図書館で、その種の勉強に怠りはない。

外出自粛で都内にとどまる

 電話が鳴り、ほどなくしてHさんが階段を上ってきた。「この時間帯だから、予約なしでは席がないのではと心配だった」との言だが、その目はいたずらっぽく笑っている。だってHさんがこの日の一番客で、ほかにだれもいない。それもそのはず、中国・武漢発の新型肺炎ウイルスに端を発して都知事が発出した「不要不急の外出自粛要請」の直後だもの。接客を伴うバーなどには立ち入らないようにと念押しまであったのだから。そんななかを来てくれたHさんは神さま、仏さま。だのに余計なことを口にしてしまうのが菜々子のよくないところ。雪解けを待って軽井沢に行くと前回の来店時にHさんが言っていたのを思い出したから、「気候がよくなった今頃は、信州の別荘でゴルフの日々だと思っていたわ」

 広々した屋外空間のゴルフ場は“三密=密閉・密集・密接”には当たらないはずだが。Hさん曰く、別荘行きの荷物を自家用車のトランクに積み込み、準備万端の朝のこと。テレビで地元民と称する人が「都会人がコロナウイルスを持ち込むのが心配だ」とコメントしている。それで気がついた。自分が感染しないことだけではなく、他人に感染させないことを考えなくてはならない。感染初期あるいは抵抗力があるために無症状の人は、自身が感染していても自覚がまったくないから、知らずに他人にうつしてしまう。マスクもそうした無自覚感染者が装着することに真の意味がある。信州行きを取りやめたHさんがその無自覚感染者であったとすれば、かの地の人は救われたが、目の前で会話している菜々子はどうなるの? お互い東京都民だからいいとでも言うの? 

 「そこが難しいところなんだよな。『飲み屋に立ち入るな』は、このご時勢では世間的に反論できない〝正論〟だが、自粛が数カ月も続けば、営業しているお店はなくなるだろう。テレビで銀座高級クラブのママが『ホステスはそれぞれ事情を抱えて働いているのです。自粛を言うならお店への金銭補償をしてもらいたい』と訴えていたが、現行の法律論的には筋が通っているように思える」

 政府は不便を強いた事業者や国民に現金を配るそうだが、今後新種ウイルスが来襲するたびに同じことが可能なのか。水商売の場合、さまざまな事情で客がいっとき来なくなるのは仕方ない。材料などの仕入れは才覚で調整するしかないだろう。ただ固定費はどうしようもない。久寿乃葉の場合は店舗の家賃。「少しまけて」と掛け合いたいが、高齢の大家さんにとっては、久寿乃葉の家賃が年金代わりという事情がある。

いっせい休校

 Hさんは元教員。学校のことが気になるようで、話題になったのは、三学期の終了間際に開始された一斉休校。学校を感染場所にしないためという政府(安倍総理)の強い意向であり、ほとんどの自治体の教育委員会が受け入れた。インフルエンザ蔓延に伴う学校・学級閉鎖は毎年恒例だが、それはあくまでも感染が拡大した後の事後措置。今回は感染を未然に防ぐことが目的であって、まったくの別次元の措置である。

 「殴られてから反撃するのがインフルエンザでの学校閉鎖。腕まくりをした目つきの悪い奴が向かってきたので、こちらから先制パンチを見舞うのが新型コロナでの一斉休校」。Hさんのたとえ話は、違っているようで、それでいてまったくの的外れでもないような。

 理論、理屈はとりあえず横において、蔓延防止に効果があるのかどうかがポイントのはず。休校措置で母親たちから挙がったのが、「子どもだけで留守番させるのか」の声。一昔前なら、子どもの留守番=かぎっ子はごくごく普通だったが、子どもの人権意識の高まりとかで、子どもを残しての親の外出は児童虐待とみなされるらしい。働き方改革で夫婦共稼ぎが当然視され、三世代同居は過去の遺物扱い、加えて隣近所について無関心・没交渉だから、平日の昼間に子どもを世話する者はだれもいないのだ。

 母親たちに「どうしてくれるのよ」と叫ばれ、たちまち方針がぐらつき、保育所や学童保育は閉鎖の対象外になった。母親たちは胸をなでおろしたかもしれないが、疑問になるのが、休校措置の目的が何であったのかである。“三密”を避けるためであれば、子どもたちが群れて遊ぶ保育所、学童保育こそまずいのではないかと思える。

 休校中の子どもの学習をどう確保するか。ネットで授業をするなどの説が飛び交い、機器やシステム納入業者は思わぬ特需に皮算用をしていることだろう。だがIT教育導入の是非は、国民の教育レベル向上という国家百年の大計の中で仕組みを考えることであって、ウイルス緊急対策でドタバタ始めるものではないだろう。少し考えてもインターネット環境をすべての家庭が整えるべきというのは、余計なおせっかいというものだろう。それに家庭にいる子どもたちを机に座らせ、学業を見守ることがネットで可能なのか。

学校制度をどうする

 「休校が新年度も続くとだれが想定しただろうか」とHさん。年間の授業時間をいかに確保し、子どもたちの学習成果を確保するか。校長時代に悩み、苦しみ続けた課題だという。旧年度にカリキュラムを入念に準備する。想定外のこともあろうと、いくばくかの隠し球をひそかに用意しておく。ところが今回は4月早々から授業を始められないのだ。

 「校長、各担任、各教科の先生は、『今年はこういう方針で行くからな』と児童・生徒との合意作りを考えるが、今回はこれができない。『お上の方針だから休校措置に異を唱えないが、学修成果に関しての責任を負わない』というのが、教師の本音ではないか」。

 そうでなくてもこのところ世界での順位が下がりっぱなしのわが国の義務教育水準。ITがどうのこうのと理想論を振り回す前に、子どもたちの学習意欲がどうなのかという現実を見据えるべきだ。Hさんに言わせると、原因ははっきりしているという。

 一つは、“偏差値優等”大学を出なければ社会的に認められないという世間の決めつけ。この種の優等大学に進むためには、塾などに通わせる家庭の経済力が前提になるというのだから、親も子どもも、教育を通じて這い上がるという意欲を喪失してしまう。

 二つは、優等大学を出た者が必ずしも成功者にはならないという現実。学校で学ぶ知識が現実経済社会で有用な能力とは一致しないのだから当然のことなのだが、学校偏差値信仰の浸透があるために、現実が学校システムへの不信感につながっている。

 三つは、何のために勉強するのかがこの国全体であいまいになっていることだ。世論調査の国際比較で明らかになっているように、わが国では勉強が好きという者の比率が際立って低い。そして精いっぱい勉強しなくても、衣食住に困らない福祉制度になっているから、勉強に駆り立てるインセンティブもない。真面目さの価値が認められないのである。

 子どもや親が、「感染のおそれはあっても勉強したいし、させたい」と学校や教育委員会に詰め寄り、当局の方が「その要求はもっともだが、子どもたちを介しての大量感染という事態を避けるため、ここは曲げて休校を受け入れて」と説得するのが本来のはずが、議論は方向違いに流れ、任天堂の機器やソフトが売れて子どもはゲーム漬けである。

危機への対処は国家の基礎

 教育者に教育制度を語らせたら際限がない。興奮して口角泡を飛ばすことになり、感染防止の点では問題だ。話題を変えよう。

 「国家的危機はウイルスに限らず、いろいろとあると思うけれど、そうした危機への対処方針が定まっていないという意見があるわ」。Hさんはすぐに飛びついた。

 「インフルエンザ特別措置法が改正され、それに基づく緊急事態の是非が論じられているが、本来の“緊急事態”とはいかなるものか」

 今回のウイルスは飛沫感染と接触感染。潜伏期間が長く、健康に見えても感染者である可能性が全員にあるという厄介さが特徴だが、致死率は低い。対策は感染者と非感染者の分離であり、「他人とは触れ合うな」すなわち「外出自粛」が目玉になっている。これを徹底すればいっさいの対人営業を禁止すべきことになる。ただし行き過ぎれば物資の流通も止まってしまうから、スーパーはよいが、パチンコはダメときめ細かく統制する。ただし行動の自由を唱えて政府方針に従わない者がいれば、効果は台無しだ。

 「ルール破りには罰金、拘束あるいは銃殺という強権対応が一番。わが手法を導入してはどうか」と専制政治手法の利点を吹聴しているのが習近平中国。だがこれは毒入り饅頭で、顔認証システム、電話盗聴、ネット監視などが前提だから、思想信条の自由を売り渡す結果につながる。たった一つのウイルスで民主主義システムが自壊の危機にあるとHさん。「インフルエンザでの死亡はやむを得ないが、コロナは別」。論理的と言えない〝正論〟が他論を許さず、社会の包容力が失われていると指摘した。

 国民の自由を侵さず、しかもウイルスの爆発的蔓延を防止する方法はあるのだろうか。

 「感染者を監視対象とするから方法を間違えるのです」とHさん。彼の主張はこうだ。だれもが感染者になり得る。ならば抗体ができるまでの期間、陽性者だけが暮らす平面空間で過ごせばよい。Hさんは具体案を示した。広大な敷地内にあらゆる事業所が備わったなかば独立形態の街を準備し、コロナウイルス陽性者を受け入れる。入所者はその敷地内で自由に過ごせる。無症状者は休暇もよし、敷地内事業所でアルバイトしてもよし。全員が陽性なのだから、行動をはばかる必要がない。そしてひと月ほどして他人への感染のおそれなしとなれば退所する。

 「宏大な施設を今から作ろうなんて泥縄もいいところだわ」との菜々子の疑問に対してHさんが用意していた答えに目を開かされた。「ハンセン病療養所が全国十数カ所もあるではないですか。今はその用を終えて廃所になろうとしています。もったいない。閉じ込め施設ではなく、ウイルス陽性判定を受けた人が、『ちょっと行ってくるよ』と宣言できる明るいオープンな施設に精神的な切り替えをすればよいのです。コロナ陽性者のためのホテル借上げなどより効果的だし、費用もかからない」。Hさん、政府のブレーンになってよ。

(月刊『時評』2020年6月号掲載)

寺内香澄(てらうち・かすみ)(有)総合社会政策研究所。ショートストーリー作家としても活躍。単行本として『さわやか福祉問答』(ぎょうせい)。
寺内香澄(てらうち・かすみ)(有)総合社会政策研究所。ショートストーリー作家としても活躍。単行本として『さわやか福祉問答』(ぎょうせい)。