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菜々子の一刀両断ってわけにはいかないか……【第202夜】

コロナと国民性

写真ACより
写真ACより

私の名前は松下菜々子。深川門前仲町で久寿乃葉という小料理屋を営む。未婚、子なし。恋人募集中。世間の皆さんあるいはお店の常連のお客様同様、将来に不安を感じている。砂浜の真砂が尽きないように、私の老後不安にも底がない。同年代の客も同様と見えて、カウンター席でも座敷席でも、その種の会話が多いように見受ける。客の話に合わせるのは接待の基本。菜々子も、新聞、テレビ、図書館で、その種の勉強に怠りはない。

庶民の日記の活用策

コロナで暇。死にそうなくらいにヒマなのだ。外出自粛が解除されたといっても、いったん染みついたSTAY HOMEの習慣が即座に元に戻るわけではない。客が来ないのにお店を開けるのは意味がない。それなら休んじゃえ。だけどすることを思いつかない。兼好法師を見習って日記に打ち込んでみるか。

 人は体験しなければ理解しないというけれど、まさにそうだと感じる。書物を読んでああだ、こうだと論じるのが学問であるという風潮だそうだが、菜々子に言わせてもらえば、あまりにも軽い。文献とされるものは、知識人が読んでもらうために書いたものである。その対極にあるのが庶民の日記。他人様に見られることを想定していないから、本音が綴られている。思想統制を強化する某国とは違って、思想信条の自由が行き渡っているから、ほぼ本音丸出しと考えてよい。実は菜々子も人知れず日記をつけている。口に出せば諍いになりそうなことも書く。翌日になって書きすぎたと反省することも多いが、書き直しや削除はしない。そして書いた当人もやがて内容を忘れてしまう。パソコンの奥深いファイルに眠った情報は、菜々子の死後、パソコンとともに鉄クズ業者によって融解されるだろう。つまり後世への記録にはならないのである。

 今回、ヒマに任せて日記を読み返してみた。すると「あのときはこう考えていたのか」と自分でも驚くことが多い。菜々子の頭で考えることだからレベルは低い。ただIQや社会的地位が高い人の論が常に正しいとは限らない。一般人の意見を集約したもののほうが、政策としては正しかった。そういうことも少なくないような気がする。民主主義を衆愚政治という見解もあるが、多数者の意見で世の中を運営しようというのが、このシステムの元の姿であろう。わが国も聖徳太子の時代から、「和をもって尊しとする」とされている。 

 庶民の日記は読まれることを想定していないから、全文公開は、著者の死後であっても差しさわりがあるだろう。だが、こういう使い方はないだろうか。政府の国会図書館で死後寄贈された日記をデータ管理しておき、政府が政策決定時に過去のある時点での国民世論を知りたいときに、その時点での膨大な日記から庶民の感想、分析、見解を抽出するのである。こういうのは大型コンピューターの得意分野であろう。

今日は何の日

 開いた箇所は今年の6月25日だった。この日の新聞記事を見たのだろうか、「今日は朝鮮戦争開戦から70年目」と書いている。前の年も、その前の年も、同じことを書いた気がする。ファイルをめくっていくとそうだった。大要同じことを書いているのに1年後にはすっかり忘れて、新聞を読んで新発見した気になっている。

 「この戦争はスターリンと毛沢東の支持を得た金日成が起こしたものだったが、学校では南が仕掛けたものだと教えられた。なぜ学校ではウソを教えたのだろう。北朝鮮に連れ去られた横田めぐみさんほか何十人もの国民の奪還を政府は考えようともしない。出かけて行って拘束されたのではない。北朝鮮工作員(国家公務員)が侵入してさらったのだ」

 11世紀初頭の刀伊の入寇では対馬や壹岐を中心に千人の国民がさらわれた。九州の出先事務所(大宰府)では急遽迎撃軍を組織して上陸してきた敵と戦って打ち破った。そして連れ去られた人を奪還するため追撃船団を派遣する。だが出撃命令は、朝鮮海峡の中間線を超えないことという条件付きだったという。理由は中央政府(京都の朝廷)が、「軍船を相手国の領土にまで近づかせれば戦争になってしまう」と恐れたからだとされている。この当時の声なき庶民の感情を推し量る材料はないけれど、「侵略行為があったのだからすでに交戦状態である」といったことではなかったろうか。

 この構図は今も変わらない気がする。わが国に照準を合わせた核ミサイルが並べられているのに、政府はその基地を事前に叩く準備すらしようとしない。その理由が「憲法が認めていないから」だという。憲法と国民の命とどちらが重要なのか。憲法は国民が幸福に暮らすために作られているのであろう。核ミサイルを撃ち込まれれば生きていられない。憲法典が残っても、それを遵守する国民がいなくなる。

コロナの自粛終了

新型コロナへの対処として三密回避が有効とされた。コロナはウイルスであり、これに感染すると人によってはさまざまな体調不良を起こし、重症者は死亡する。これまでに世界で48万人が死亡している。新規感染が収まる気配が見えている国もあるが、感染者が急増し始めている国もあり、第二波と見られる感染流行が伺われる国もある。

 こうしたなかわが国の自粛措置は、新規感染者数が低位安定してきたため、いったん解除されることになった。自粛期間が長引けば、国民生活や国内経済が困難になってくるからだ。社会が回らなくなってしまうのではないかと体感する国民が日々増えている。経済の専門家も日本経済がマイナス成長に陥ると警告している。コロナに感染して死にたいと思う人はいない。しかし仕事がなくなって、収入がなくなれば、これまた生きていられない。いずれにしても生存にかかわる大問題である「前門の虎、後門の狼」が当てはまる。

 東京都知事選の真っただ中で新聞に各候補の政策を綴じたチラシが折り込まれていた。コロナに関する訴えが多いが、大別して二つに分けられそうだ。一つは、自粛継続を前提に、都民に経済面で心配するなと現金給付を約束するものだ。「次のコロナに備えて国の施策とは別に都独自で、個人に10万円、事業者に100万円を支給する」などである。もう一つは経済活動を重視するもので、象徴として「風俗営業の再開」などを主張する。

 相異なる二つの方向だが、背景にはウイルスについての基本認識の違いがあると思える。前者は感染を封じ込めることができるとの確信があるのだろう。そうでなければ軽々に巨額になる経済支援を約束できるはずがない。外国人客が久寿乃葉でつぶやいた言葉を思い出す。その人は10万円の特定定額給付金が、外国人である自分に支給されるのか戸惑っていたのだが、間違いがないことを確認したとたんにこう言った。

 「政府が不自由な暮らしを強いた補償として支給するということなのでしょう。そういうことであれば自粛が長引いた場合、月ごとに10万円を支給してもらえるのでしょうか」

 居合わせた日本人客は驚いた表情だったが、当人は至って真剣に見えた。

 では風俗営業を含め、経済活動に対してコロナを理由とする営業自粛を求めるべきではないとの考えの都知事選候補者の頭の中はどうなっているのだろう。昨今の新規感染者は新宿の飲食街での集団感染が多いという。そこがクラスターとなって感染者がネズミ算的に増えていく。そうなった場合、感染源の自覚があるのに営業継続したお店は感染者に対する賠償義務を負うことになるのだろうか。

トコトン詰めないのが日本的

 どの候補者もギリギリ詰めて考えた上での選挙公約ではないのだろう。まずは言ってみる。選挙に勝ってしまったら、そのときはそのときだ。これが日本の選挙であり、政治の原点のような気がする。だとすればコロナ対策もギリギリと考えない方がいいのではないか。日本人は論理ではなく、その場の状況判断で行動する。大まかな方向性についてのほんわかした合意があれば、各人がその場で最も妥当な行動をする。そう考えればこれまでのコロナ対応にも合点がいく。感染を徹底防除するのか、徐々に感染を広げて集団免疫ができるのを待つのか。ウイルス対策は究極この両者に集約されるが、日本政府はそのどちらとも言っていない。ある意味無責任だが、国民個々の良識を信頼しているとも言える。

 これまでのところ功を奏している。世界のコロナ死亡者が48万人のところ、わが国の死亡者は千人に達しない。人口比では死亡率が一ケタ違う。その原因に関してさまざまな解釈がされている。菜々子は保健衛生やウイルス学には詳しくないからコメントしない。ただ低死亡率(そして低感染率)には日本人の国民性が関係している気がする。エイズ騒ぎのときも専門家の予想とは違って、わが国では患者が増大しなかったことだ。

 日本人の国民性とは何か。それは気遣いではないか。地震や津波の際にも発揮されたことだが、いいことも悪いこともお互いさま。自分だけ抜け駆けしていい目をしようとは思わない。皆と同じに決まりを守る。

特定定額給付金の配り方

 政府はマスクの全戸配布に続いて、一人10万円の給付金支給を決めた。民主主義の代表者が決めたのだから、その是非は言わない。ただし方法についての意見を言ってもいいだろう。今日現在で給付金の支給率は3割程度。東京では1割にも達しない。外出自粛が解除されてからの支給では意味がない。配る行政機関としては、漏れがないように、また二重取りがないようにと正確を期すのだろうが、そもそも給付金に論理性などない。日本人のお互いさま思考からすれば、給付金を配っても配らなくても行動パターンは変わらなかったと思われる。

 だとすればもっと簡素な方法でよかったはずだ。例えば選挙の投票システムを活用し、特定日に設置した窓口に給付金を受けたい者がくれば、地域の立会人が当人であることを確認して小切手を渡し、受け取った者が最寄りの郵便局で現金化する。そうすれば市町村の事務量はさほど増えないし、口座への振込手数料(1件最低110円。総額数十億円)もかからない。二重払いを求める不埒な国民は多くないと割り切ればよかったと残念に思う。

(月刊『時評』2020年9月号掲載)

 てらうちかすみ。(有)総合社会政策研究所。ショートストーリー作家としても活躍。単行本として「さわやか福祉問答」(ぎょうせい)。
てらうちかすみ。(有)総合社会政策研究所。ショートストーリー作家としても活躍。単行本として「さわやか福祉問答」(ぎょうせい)。