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菜々子の一刀両断ってわけにはいかないか……【第224夜】

苗字をめぐるパズル的問題

写真ACより
写真ACより

私の名前は松下菜々子。深川門前仲町で久寿乃葉という小料理屋を営む。未婚、子なし。恋人募集中。
世間の皆さんあるいはお店の常連のお客様同様、将来に不安を感じている。砂浜の真砂が尽きないように、私の老後不安にも底がない。同年代の客も同様と見えて、カウンター席でも座敷席でも、その種の会話が多いように見受ける。客の話に合わせるのは接待の基本。菜々子も、新聞、テレビ、図書館で、その種の勉強に怠りはない。

少人数営業の善し悪し

 密閉空間に多数が集まらないよう、〝三密防止〟で営業再開後の久寿乃葉は一日一組の受け入れ。桜の時期など文字どおり立錐の余地がないほどのお客さまを詰め込み、ゴールデンウイークの旅行資金ができたぞとニンマリしたものだが、昔日の感である。

 久寿乃葉は戦後の資材難の時期の建築。窓はきっちり閉まらず、至るところから隙間風で自然換気たっぷり。換気装置など不要のはずだが、融通が利かないのが日本の行政。

 今宵はA夫さんとM子さんのカップル。自然と菜々子も会話に引き入れられる。この二人が顔を出すようになって久しい。雪解け時の志賀高原に写生旅行に行った際にM子さんに出会ったのが最初。雪の回廊になった国道を車が縫うように登ってくる。はるかかなたに北アルプスの連山。その情景をスケッチしていたら、後ろに気配を感じた。それがM子さん。よかったらあげるわと声をかけて友達になり、久寿乃葉で食事していく仲になった。最初は一人だったが、そのうち男性同伴になった。それがA夫さん。二人がどういう関係なのか、観察していれば明白だが、明かされない限り、こちらからは問わないのが菜々子の流儀。

なぜ正式婚姻しない

 A夫さんがM子さんの左手を掴み、「婚姻届けを出そうよ」。そしてダイヤモンドの指輪を薬指にはめた。驚いた。菜々子を目の間にして、なんと大胆な。

 「ボクたちを見ていて似合いの夫婦に見えたでしょう。でも、まだ婚姻届けを出していないのです」

 いわゆる事実婚夫婦である。同棲しているが正式の夫婦ではない。最近の流行らしい。生涯添い遂げられるか、お互いに試行期間。妊娠などして正規婚に進めばよいが、ずるずると関係が続き、セックスのない倦怠期のような関係のカップルも少なくない。婚姻していないのだから別れるのは簡単なはずなのに、それも面倒くさい。難しい決断はずるずる先送りをする現代日本の政治方式が国民にも感染しているように見える。ともあれ、これでは子どもはたくさん生まれない。

 政府は少子化を国家や民族の危機事態としているが、その主因をどれだけ正しくつかんでいるのか。「同棲はダメ。結婚に進むか、分かれて次を探すか、さっさと決断すべし」と大キャンペーンを張るべきなのだ。ずるずる状態では避妊がされるだろうし、できたものの中絶される命だってあるだろう。これには目をつぶって、数的にはわずかの不妊夫婦への治療費支給を政策の目玉にしている。少子化問題の根本から目をそらし、利権に関与して政治をしたつもりになっていると言うのは行き過ぎか。

珍しい苗字を残したい

 政治のあり方についてはA夫さん、M子さんと意見が一致する。二人には正式婚への躊躇はない。それぞれ経済的にも自立しており、親の承諾が必要な若輩でもない。年齢の関係では、子どもを早く授かりたい。医師の診断を受けており、もうしばらく自然妊娠しなければ人工授精に進む契約をし、振り込む資金も準備している。

 ではなにが問題なのか。二人によるとこの国の少子化がずるずるの原因なのだ。A夫さんもM子さんも一人っ子。婚姻すれば二人で新たな戸籍を作ることになる。これが今の法律の根本。どちらかの戸籍に他方が取り込まれるのではない。新たに作るのだ。法律を知らないタレントが「入籍しました」と記者会見しているが、政府はそのタレントを教育した教師や学校を、憲法24条をしっかり教えていないとして処分指導しなければならない。初婚であれば「私たち新たな戸籍を作りました」と正しく会見で言わせなければ、まだ家制度が残っているのだと誤解する若者を増やすことになる。

 A夫さん、M子さんは、その点での誤解はない。双方の親も戦後民法を理解している。ただし感情を乗り越えられないのだという。二人のフルネームは、甲山A夫と乙川M子。〟〝甲山〟、〝乙川〟と仮名にしたけれど、それぞれがたいへん珍しいもので、しかも由緒があるらしい。甲山はどんどんさかのぼれば宇田源氏に行きつくとか、乙川は徳島県の祖谷渓に逃れた平氏の一族だとか。

 しかも二人の父親はそれぞれ市内で一番の不動産業であるとか、県内屈指の公立高校長を務めたとかで、遠慮とか、相手を立てるとかは大の苦手。加えて父親のいずれにもたくさんの姉妹がいて、旧姓の甲山、乙川に誇りを持っている。その考えがそれぞれの子どもたち、つまりA夫さんやM子さんの従兄弟従姉妹に伝わっている。

 「察しがいい女将にはわかるでしょう」とM子さんが目配せした。わかるよ。菜々子も三人姉妹だもの。姉二人が結婚してそれぞれ夫の苗字で戸籍を作った後、「菜々子は次男、できれば三男と結婚しろ。その彼に父さんが頼みごとをするから」が口癖だったもの。菜々子の苗字は押し頂くほどありがたいものではないけれど、同じ苗字を名乗る子孫がいなくなることは寂しいことなのだ。

 「お墓には『○○家』と書かれていますからね」とA夫さん。「自分と苗字が違っていたら、先祖の墓石を見つけるにも難儀でしょう」。まったくそのとおりだ。

苗字は選択制

 二人が婚姻届けを出すには新戸籍の苗字を決めなければならない。家族は同じ苗字であるべきとの考えであり、生まれてくる子どももその苗字になる。これで両親とその養育下にある子どもたちの核家族は、みな同じ苗字を名乗ることになる。ただしそのためには、婚姻に際して、二人のうちのどちらかは苗字を変えなければならない。

 それに反対しているのが「夫婦別姓論」だ。生まれたときに名づけてもらった姓名を生涯使い続けるべきとの主張である。その理由として個人の尊重をいう。中に女性差別を挙げる者がいるが、これは間違い。いずれかの苗字を選ぶのだから、新婦の苗字を選べば済むこと。1割程度はそうしている。

 夫婦別姓論の弱点は、家族内での苗字が異なること。中国や韓国では婚姻しても苗字が変わらない。そこで子どもの苗字をどうするか。ほとんどで父親と子どもたちは同じ苗字を名乗り、母親だけが別苗字になる。〝嫁〟という漢字は、女性が家から閉め出されて戸外に一人立つ情景に似ているが、まさにそんな恰好だ。

 A夫さん、M子さんが抱えているのがこの苗字選択。新夫婦を祝福することでは双方の親族は一致しているが、由緒正しい(と双方の親族が思い込んでいるだけかもしれないが)甲山あるいは乙川の苗字を引き継ぐのは「あなたしかいないのだからね」という点でも、それぞれの親族が団結しているのだ。なぜそうなったのかはすでに述べた。くりかえすと甲山家、乙川家とも、何世代も断絶せず、かといって分家を増やさずに続いてきた。そうしたところで新憲法と民法改正で「家」制度がなくなった。戸籍は一代限りになったのだ。よって子どもの一人が同じ苗字で戸籍を作らない限り、代々の苗字は絶える。

兄弟姉妹が増えれば自動解決

 「だったらあなたたちが二人以上の子どもを産めばいいのでは」

 菜々子ならずともそう考えるだろう。苗字はどちらを選択してもよい。最初の子どもには甲山を選ばせ、次の子には乙川を選ばせる。もっともそれぞれの相手がそれに同意しなければならない。相手が一人っ子だったりすると、今のA夫さん、M子さんの親族集団のように、「どうしてそっちの苗字の存続を優先しなければならないのか」と争いになる。でもそちらの兄弟も3人、4人といれば話は別になる。

 「お宅には苗字を継ぐ候補が一人しかないないのであれば仕方ないですな。こちらが譲りましょう」となるのではないか。家制度がなくなり、苗字を継ぐことの経済利益はない。苗字は、血族の歴史、郷愁、文化といったものに過ぎないのだから、執着の強い方を残すことで協力し合えばいいのだ。

 菜々子の考えは浅かった。M子さんに睨みつけられた。

 「仮に私たちが甲山を選んだとする。子どもを1ダース産んでもすべて甲山を名乗っている。その子たちが婚姻する段になって、自分の苗字で新戸籍を作ることを相手に承諾させたとする。でもね、その戸籍は甲山。乙川の苗字は消えてどこにもないのだから」

 「その子がひとまず乙川のお義父さんの養子になって、それから婚姻すればいいじゃないか」。これはA夫さん。

 「それ以前に父も母も亡くなっていたらどうなるのよ。養親なしでは養子縁組できない。このところ父は体調がよくない。昔の病気がぶり返したみたいで」。M子さん泣き出しそう。

 「菜々子女将に助け舟はないかい?」とA夫さん。瞬間、ひらめいた。

 「あなたたちが〝乙川〟を選択するとしよう。A夫さんの親族は不満かもしれないけれど、将来〝甲山〟を継ぐ子を産むからと説得する。その子の婚姻前にあなたたち夫婦が形式離婚して、また再婚する。ただし再婚時には〝甲山〟を選択する。婚姻する子は〝甲山〟で戸籍を作れるわ。要は国民みんなが子どもをたくさん産めば、なんとかなるってことよ」

 でも本質的な解決は別にあるのではないか。婚姻で新たな戸籍を作るのだから、二択ではなく、選択の幅をもっと広げればいいのではないか。三親等以内の親族の苗字はOKだとか。外国人の帰化などの際には、新しく苗字を作っているのだし……。

 逆に二択にこだわるのであれば、夫婦のうち年上の方の苗字と法律で決めてしまうとか…。

 たかが苗字、されど名前の一部である苗字。○○専門家とか△△人権派と称する人たちに任せず、津々浦々で国民的議論をすればよいと思う。

(月刊『時評』2022年7月号掲載)

寺内香澄(てらうち・かすみ)(有)総合社会政策研究所。ショートストーリー作家としても活躍。単行本として『さわやか福祉問答』(ぎょうせい)。
寺内香澄(てらうち・かすみ)(有)総合社会政策研究所。ショートストーリー作家としても活躍。単行本として『さわやか福祉問答』(ぎょうせい)。