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菜々子の一刀両断ってわけにはいかないか……【第230夜】

財産継承の合理化

写真ACより
写真ACより

私の名前は松下菜々子。深川門前仲町で久寿乃葉という小料理屋を営む。未婚、子なし。恋人募集中。
世間の皆さんあるいはお店の常連のお客様同様、将来に不安を感じている。砂浜の真砂が尽きないように、私の老後不安にも底がない。同年代の客も同様と見えて、カウンター席でも座敷席でも、その種の会話が多いように見受ける。客の話に合わせるのは接待の基本。菜々子も、新聞、テレビ、図書館で、その種の勉強に怠りはない。

エンディングフェアに参加

「お待たせ~」の声とともに現れたIさん。久寿乃葉名物60度傾斜の階段で息が切れている。中年太りで、階段のミシミシの音程が以前とは違った。なお、世間はいざ知らず、久寿乃葉での「中年」は前期高齢期(つまり64歳)までを含む。「エンディングフェア」で「終活」の勉強をしてきたを遮り、「キミは結婚しているではないか。それに会社経営も順調なはずだぞ」と声を上げたのはYさん。Iさんが発した「エンディング」を「ウェディング」と聞き違え、また「終活」を同音の「就活」と誤認したようだ。

 YさんはIさんの高校同級生であり、その会社の経理顧問。Iさん夫婦には子どもがいないし、結婚式場に何の用がある?会社の業績は順調なのにだれの就職の心配をしている?会社の業績が粉飾であったとなれば、自身の公認会計士の資格に傷がつく…。と思ったかどうか、Yさんは不機嫌になった。

「1時間も待たせて悪かったよ。割り勘ではなく、わが社の経費にするから機嫌直せよ」とIさんがビール瓶を手にしたが、Yさんはそれを奪い取って手酌した。仕方なく菜々子がYさんの聞き違えを説明する。とたんに仲直り。「どんな話を聞いてきた?」と、YさんがIさんに促す。「終活」は現代日本人の大課題。菜々子も夫なし、子なし。それに長寿のDNA保持者(単なる自認だが)として関心がある。

死後に名を残すことに意味

「日本人の死亡率は100%」。よく使われるフレーズ。普通の統計は年を単位とするから死亡率は1%台になるが、単位を100年にとって21世紀中の日本国民の死亡率を予測すればほぼ100%に近くなる。もっと長いスパンでは当然100%。「生あるものは必ず滅びる」の同義に過ぎない。そのことはだれもがわきまえている。普段は考えないようにしていても、お彼岸に先祖の墓前で考える。「自分の死後はどうなるのだろう」。考える対象は「名誉」と「資産」になるだろうか。

 このうち前者は、大半の庶民が何時間も考えることはない。貴族制度も家制度もないのだから、特別な存在である皇室の方々を除けば、せいぜい叙位叙勲、国民栄誉賞あるいは文化勲章、ノーベル賞を受けることだが、並みの能力ではそもそも縁がない。その点、不名誉の方では、石川五右衛門のような大泥棒になるか、プーチン、毛沢東、ヒトラーのような人権破壊者になることで後世に名を残せるかもしれないが、冷酷に徹しきれない凡人が目指す道ではない。まして凡人は自分の遺体に防腐処理を施して、後世の人を畏怖させようという悪趣味も持たない。世間の一般風俗に倣って火葬してもらい、俗名を刻んだ石塔の下に焼骨を埋蔵してもらい、生前の自分を知る孫の代までがお彼岸にお参りしてくれれば十分だ。

 死後に霊魂が残り、生前の行為の善し悪しで天国(極楽)行きか、地獄行きかが定まるとの考えもあるが、信じる場合でも最終選別は神の御心次第。その決定に異議も控訴も認められない。よって神の道から外れた行動をしないのが庶民の行動標準になるが、それは俗世の道徳に従うことにほかならず、言い換えれば諸般の政府規則(法律)のルールを踏み外さないことである。よって庶民、凡人にとっては意識して行動を改めることではない。

DNAを残す

 ほかに凡人が残せるものにDNAがある。つまり遺伝子。俗世の用語では「血を引き継ぐ」という。これは人類に限らず、地球の生命体すべてに共通する。DNAを残すとは、生殖行為をして子どもを作り、その子を成人にまで育て上げ、そしてさらにその子を作らせる環境を整えることにほかならない。人間という動物種が滅びないための必須の義務行為ということになる。ただそれに若干の所有物が加わる。

「哲学的な勉強をしてきたのね」と菜々子。Yさんの目もいたずらっぽく光っている。

「キミたち夫婦には子どもがいないはず。それとも外に隠し子でもいるのか」

 冗談でも口にすべきことではない。だがそれが許されるのが元同級生の仲ということか。

「ボクたち夫婦には子どもができなかった。よって孫もいない。それでボクの財産をどうしたらよいのか。ボクには家屋敷、別荘、会社の株式など譲り先を考えなければならないものがあるからね」。Yさんの品のない軽口に対する嫌味のお返しのようだ。

「Yさんには財産はないけれど、子どもさんが5人。お孫さんは今何人?Iさんはしっかり稼いでたくさん納税している。二人を合わせれば日本社会の繁栄に貢献しているわ。Yさんの子どもたちを形式的にIさんの養子にして、遺産相続の対象にすればよいのでは?」

 その場を収めるつもりで口を挟んだが、「そういう問題ではない」とIさんから睨まれ、Yさんも頷いた。菜々子の機転は空回り。おつまみ作りに専念するわと二人に背を向けた。

次世代に財を残すには

 Iさんがエンディングフェアで関心を持って聞いたのが相続の話だったようだ。背中越しに聞こえる(実は聞き耳を立てているのだが)ことをまとめてみる。

 世間一般では相続は「子どもに残すもの」と認識しているが、それはまったくの認識不足とIさん。個人の財産を、その死を機に他の個人が譲り受ける。縁者、他者を問わない。このすべてが相続問題という。Yさんは怪訝な顔つき(ちらっと盗み見た)だ。

 人間は他の動物と違い「物を所有し、それを使用し、あるいは交換して」生きている。そうして子どもを育て上げ、次の世代を生み育てることができるようにする。そこで必要なのは、国家が課税権を行使する際(ⅱ)に、この必要経費には課税しないこと。現にアメリカなどでは、親が子の養育のために支弁する費用はそっくり所得税から差し引かれるとIさん。この点はYさんも承知しているようで、「子育てに福祉措置として児童手当を支給しているが、子育ての本質意義にかんがみれば、税の軽減で応じる方が経済的に正しい」。

 わが子への教育、結婚、さらに家の購入なども含めて、親が経費を負担したときにその所得税において経費とされるのであれば、親が子に資金を援助する場合も税の扱いは同じであるべきだとIさん。「贈与税のことだね」とYさんが反応している。

「無償でもらうのが贈与。経費がかかっていないのだから全額に厳しく課税してかまわないはず。ただしそれが子に対するものであれば、世間常識的なものは課税すべきでないことになる」。その理屈は菜々子にもわかる。贈与税には年間110万円までの基礎控除があるが、Iさんの説明文脈で整理すると分かりやすい。

相続税の特例措置

 必要時にこまごまと援助する際の贈与税の非課税特例とは、親が子にしてやるものとして社会的常識範囲にある部分については贈与税を課さないということだ。この場合の非課税の領域では日本社会の〝常識〟が基準になるべきであり、億ションの購入費をそっくり親が渡しても非課税部分は世間常識の範囲内までと税務署が判定する。

 その一方、子の家業維持のうえで資産価値が高くても非課税贈与が必要な場合が考えられる。子が親の水田を引き継いで農業を継続するとか、親名義の漁船で子が出漁しているような場合だ。親から子への資産継承に課税すべきではないことは世間常識。そして実際の承継(贈与)が起きるのは親が死亡した場合。この場合の贈与課税をどうするかが相続税の基本ポイントであるとIさん。

 現代社会では所有権は個人に帰する。会社の所有権にしても株式を介して個人である。その個人は財産を保有したまま、いつか必ず死ぬ。その際に所有権の譲り渡しが必要になる(ⅲ)。これが相続税の基本だとIさん。相続は贈与の一形態。つまりだれがだれに贈与してもよい。そして必要経費はゼロなのだから、相続税は税率高くガンガン取り立ててよろしい(ⅳ)。ただし親子の間では、DNAを引き継いでもらうのだから、自分の血の一滴、すなわち財産を税で減損させずに渡したいのは肉親間の自然感情だ(ⅴ)。ここまで進んでIさんが言いたいことが分かってきた。

「国家は所得に対して課税する。この場合の所得とは、収入から経費を差し引いたもの。したがって取得経費ゼロの贈与税や相続税の徴収はきびしくて当然。ただし親から子への継承については、逆に次世代育成の観点から、ある部分までは課税すべきでないという原理が働くわけね」と菜々子。IさんもYさんも受け入れた。

 3千万円に法定相続人の数に500万円乗じた額の合計という相続税の基礎控除はそのための仕組みだとIさん。ここでの法定相続人は基本的に次世代である子を想定している。配偶者に関しては「子どもも財産も夫婦共同でつくり育てるのだから、全面非課税が当たり前で、本来相続とは別問題のはず」とYさんが経済専門家らしいコメントを加えた。

 問題は最近多くなっている相続税の特別制度。例えば生存中に住宅、教育、結婚子育て資金を孫に渡した場合に1000万円とか1500万円を上限に相続税の課税対象から除外する「一括贈与」制度の利用を金融機関が煽っているが問題含みだとIさん。その使途に活用しなかった部分は改めて相続課税の対象になるだけ。それならば渡すときに贈与税の非課税に該当するか否かの税務署の判定を受けたほうが後腐れはない。また、2500万円を限度として生前に子や孫に渡し、相続時に金額を組み戻して税額を計算する「相続時精算制度」は、相続財産が十分残らないと他の子どもとの間での揉め事を作り出すことになる。

「Iさんのアイデアは?」。菜々子の促しへの回答は「税制は簡明をもって旨とすべし」。「子の非課税枠は子一人に付き一律1億円。養子は一人に限り、子の非課税の対象と認める」。

 なぜ1億円か。親の経済格差を次世代に持ち込ませないとIさん。「超過額にはきっちり課税して前世代の格差を縮小する。課税されてまで相続させたくない人は、国や自治体、公益目的の法人に寄付すればよい」とYさん。夜が更けて冷えてきたから、熱燗に代えよう。

ⅱ 憲法30条に国民の「納税の義務」として明記されている。
ⅲ 財産の譲り受け人がいないと国庫がいただくことになる。つまり所有権者がいない財産はあり得ない。
ⅳ 相続税法2条1項に「相続又は遺贈により取得した財産の全部に課税する」とある。
ⅴ 親の財産形成に子が貢献したという事例もなかにはある。

(月刊『時評』2023年1月号掲載)

寺内香澄(てらうち・かすみ)(有)総合社会政策研究所。ショートストーリー作家としても活躍。単行本として『さわやか福祉問答』(ぎょうせい)。
寺内香澄(てらうち・かすみ)(有)総合社会政策研究所。ショートストーリー作家としても活躍。単行本として『さわやか福祉問答』(ぎょうせい)。