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菜々子の一刀両断ってわけにはいかないか……【第272夜】

自転車ルールの改正

写真ACより
写真ACより

 私の名前は松下菜々子。深川門前仲町で久寿乃葉という小料理屋を営む。未婚、子なし。恋人募集中。
 世間の皆さんあるいはお店の常連のお客様同様、将来に不安を感じている。砂浜の真砂が尽きないように、私の老後不安にも底がない。同年代の客も同様と見えて、カウンター席でも座敷席でも、その種の会話が多いように見受ける。客の話に合わせるのは接待の基本。菜々子も、新聞、テレビ、図書館で、その種の勉強に怠りはない。

自転車受難時代

 梅雨入り前の初夏。新緑が吐き出す息吹を感じる。〝風薫る〟の表現がぴったり。両手を思いきり伸ばし、大きく息を吸って「生きていてよかった」と感じる。「お弁当を持ってサイクリングをしたいねえ」

 その自転車が受難の時期を迎えている。この4月から実施されている走行ルールの改正がそれ。自転車が絡む交通事故を防ぐ必要性は分かる。でも、〝歩道を走るな〟と言われても、「東京には自転車専用道路はないじゃないか」など評判はさんざんなのだ。

 カウンター席の中央を占めるグループ。どういう関係か定かではないが、たまーに声を掛け合って久寿乃葉に現れる。そして言いたいことを言ってうさを発散、銘酒をお腹に入れて内臓を新陳代謝して別れる。

 最初に自転車規制に触れたのはSさん。「自転車は下町都民の足だ。六本木や番町あたりではいざ知らず、主婦がスーパーに行くのも、子どもが友達の家に行くのも、高校生が学校に通うのも自転車。自転車は歩道ではなくて車道を走れとなったら、車との接触事故は増えるぞ」と警告。この人は根っからの自転車好き。住んでいる隣区から久寿乃葉まで、サイクリング用自転車に乗り15分で突っ走ってきたものだ。

「オレは原付バイクより速く走る。だから以前から歩道ではなく、車道走行をしている。しかしママチャリにまで歩道走行禁止はやり過ぎだ」

 菜々子も含め、皆が頷いた。スマホを見ながら走るなど危険そのもの。さらに前の歩行者に「そこどけ」とばかりにベルを鳴らせば、歩行者を驚かせて転倒事故を引き起こす。でもそれはマナー遵守の次元。歩道全面通行禁止は問題が違うとYさん。

「困るのは想像力の欠如からくる一部の者の問題行動。自転車に乗り始める就学前後の時期にしっかり危険性を教えれば済むはずだ。その上でその種の危険走行をする者には、〝罰金〟ではなく、〝自転車の召し上げ〟などの経済的対応で締め上げる方が効果的なはず」

常識・道徳で行政対応すべき

 住まいが近いKさんが続ける。「駅前に勝手に駐輪している自転車を区が持ち去る事業がある。取り戻すには遠い保管場所まで歩いて出向き、高額の預かり料金を払わなければならない。一度経験すると懲りて迷惑行為をしなくなる。そのために駐輪自転車監視員を区は雇っている。彼らに歩道危険自転車の集中点検も併せてさせればよい」

 久寿乃葉は駅前通りからは二筋も奥まっている。なのにKさんはお店の前に停めていた高級マウンテンバイクを撤去されかかった。この監視員の仕事熱心ぶりからすれば、スマホを見ながらの自転車を引き留め、運転者から召し上げるなど造作もなかろうと指摘。

 もう一人のMさん。自転車に乗るのはもっぱら娘さん家族との往来。それぞれのマンションは同じ幹線道路沿いで自転車にちょうど良い距離。歩道も広く、ゆっくり走る分には歩行者に迷惑をかけないはずと、やはり新ルールに懐疑的。

「車道走行では耳元をかすめるように自動車が追い越していく。追い抜く際には60センチメートルの間隔をあけるというが、それでは車の方が車線変更がらみの事故を起こしそう。それに自転車の方でも駐車中の車があれば車道の中央部に出ることになる。自転車にはバックミラーがない。自転車も後続車も命がけの冒険になる」

自転車規制の本筋

 警察にも言い分はあるのだろう。交通事故数を減らせなければ職務怠慢を問われかねない。自動車と違って運転免許証不要だから安全運転の講習機会がない。だがそれでは角を矯めて牛を殺す愚ではないか。文部科学省に運転モラル教育を、国土交通省に自転車専用道路整備を、自治体に生活道路の歩道と車道とでの使い分けを求めるなどできるはず。法律事項にして取り締まるのは最後の手段ではないのか。今回の規制強化を受け、自転車の乗り控えが起きているとも聞く。本末転倒とはこのことだ。

 国民の多くが新ルールに怒っているのは、発想の安易性への疑念ではないか。事故の重大性という点では、自転車よりも自動車の方がはるかに重大だ。だからといって自動車を走らせるなという声は出ない。経済活動がマヒしてしまうからだ。そこで事故を防ぐための〝歩車分離〟が進められる。自動車専用道路の建設、主だった道路での歩道設置、そして狭矮な地域道路への進入禁止である。そこで宙ぶらりんになるのが自転車。

 警察の論拠は「自転車も車両」ということだが、自動車と自転車の同等扱いはどうなのか。住まいの近くの都電軌道跡には緑道ができている。自動車は進入禁止だが、自転車は認められる。自転車道は歩道と別とされてはいるが、地面が色分けされているだけで実際は共用だ。つまりこの緑道では自転車は「車両」ではなく「準歩行者」扱いになっている。区民もわきまえているから、ここを競技用自転車でぶっ飛ばす者はいない。

 親水公園に至っては「自転車の走行はゆっくり」の表示があるだけ。その遵守で重大事故は防げている。自転車運転者に常識的モラルがあれば、歩道が広ければゆっくり走り、狭い歩道では歩行者として自転車を押して歩く。それで解決できる問題なのに、取り締まり、検挙、罰金処分などを持ち出す。国民を信用せず、取り締まり対象としか見ない専制主義国の発想だ――この過激発言、3人のうち誰だっけ?

自転車規制の基本方針

 歩行者と自動車の区分をしておいて、「自転車はどちらの範疇か」と問うているイメージだが、これがおかしい。久寿乃葉での論調はこの点で集約されている感じ。自転車の基本は動力源がないこと。だが、最新工学と運転者の脚力次第で時速何十キロにもなる。またママ族愛用の電動の補助駆動付きでは、重量は小型バイク並み。背後からぶつけられたら歩行者は致命傷を負いかねない。

 いわゆる自動車の方でもバリエーションが大きい。銀座、日本橋近辺で、遊園地で見かけるようなゴーカートが大通りを縦列で走行している。自動車であることは間違いないが、事故ったときに運転者の身を護る設備は皆目なさそうだ。運転者には一見して外国人と分かる者が多い。日本の交通ルール講習はどの程度なされているのか。

「勝手にぶつかってきて、『ケガをしたから賠償しろ』と騒がれるのでは、一般車の運転者はたまらないわよね」。菜々子の感想にSさんが反応する。

「一般車の間をすり抜ける興奮が魅力なのかもしれないが、道路は遊び場ではない。その常識があれば『ゴーカートは遊園地で乗るべきものだ』との一喝で終わるはず。仮に、法にゴーカートの一般道路規制がないから統制できないと法の執行者が思っているとすれば、大学での法学教育が歪んでいるのかもしれない」

自転車運転免許証

 自転車にも運転免許証を義務付ける主張があるみたいね。菜々子からも問題提起。

 Sさんに発言の順番。

「そんなことになったら庭先の道路で、わが子に自転車の乗り方を教えるなどできなくなる。自動車教習所は副業ができて儲かるだろうが、自転車に乗る人が年々減って自転車産業など壊滅だ。モラルを守らせるのに新たな免許制度というのは、鶏を割くのに牛刀を使う類だな」

 モラルの基本は他人に迷惑をかけないこと。言い換えればお互いさまの精神。民主主義の根本と言ってもよい。このモラルが、罰則付きの強権法がなければ守られないというのでは、国家・民族の先行きは危うい。

 Mさんから新提言。前置きとして、「行為者を取り締まろうとするからややこしいことになる。罰則適用となれば、〝罪刑法定主義〟がどうとかとなって法律は禁止行為を列挙することになるから、『書かれていない行為は放任のはず』と反論される。検察は公判に耐える証拠がないからと起訴を躊躇し、重大事故の原因者すら放免される」

「交通事故は車両があるから生じる。そこであらゆる車両の所有者に『事故防止のための客観的対応義務』を課す。車庫証明などはその実体化だが、これを広げる。昨今は、あらゆるところに防犯カメラが設置されている。これを活用し、危険運転と見られる映像が確認されれば、車両の所有者を呼び出すのだ。自転車も車両であるから、例えば高校生の息子が自転車に乗っていて、歩道で通行人を驚かせたとか、車道でジグザグ走行をした映像があれば父親が呼び出される。警察署ではわざと1時間ほど待たせる」

 何のために待たせるのかと当然の疑問の声。Mさんが続ける。

「所有者である父親をイライラさせるために決まっているだろう。こんなことのために呼び出されるのではたまらん。その日の夕刻、父親は息子をみっちり説教する。安全運転できないなら自転車を取り上げるぞ。モラルはこうして継承されていくのだ」

つべこべ言わせない仕組み

「運転していたのが息子ではなく、借りていた友人だったら?」とKさん。

 Mさんは想定していたようで、「『自分の息子ではないから説教できないとおっしゃるのであれば仕方ありません。当の友人にはこちらで説教します。モラル完全修得まで3年ほどかかると想定し、その間、自転車はこちらで預かり、保管料は当然いただきます』とすればいいのさ。自分が父親だったら、『それには及びません。自分が先方の親とも協力してきっちりモラル教育します』と約束するね。だって自転車を買い替える費用を考えてみろよ」

 風変わりな案だけど存外有効かもしれない。警察庁勤めの甥っ子が来たら検討させてみよう。

注)「道路交通法の一部を改正する法律」の施行により2026年4月から導入されたルールは、16歳以上による自転車の一定の交通違反に対しての「交通反則通告制度(青切符)」の適用。
  道路交通法上、自転車は軽車両と定義されており(2条1項8号、11号)、車道通行が原則(17条1項)だが、年齢や特定の条件により歩道の通行も認められている。歩道を無秩序に走る自転車が多く、事故も多発したことを受けた2008年6月の改正により、車道通行の原則は維持しつつ、自転車が例外的に歩道通行できる要件等が明確化された(63条)。

(月刊『時評』2026年7月号掲載)

寺内香澄(てらうち・かすみ)(有)総合社会政策研究所。ショートストーリー作家としても活躍。単行本として『さわやか福祉問答』(ぎょうせい)。
寺内香澄(てらうち・かすみ)(有)総合社会政策研究所。ショートストーリー作家としても活躍。単行本として『さわやか福祉問答』(ぎょうせい)。