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【末松広行・トップの決断】安田隆夫(PPIH会長)

アジア市場へ〝安心安全・美味健康〟な日本の農産物を

やすだ・たかお 昭和24年5月7日生まれ、岐阜県出身。慶応義塾大学法学部政治学科卒業。昭和53年に18坪の個人商店を開業。その後、問屋経営を経て、平成元年に東京・府中市に「ドン・キホーテ」第一号店を開業。株式会社ドン・キホーテ(現株式会社パン・パシフィック・インターナショナルホールディングス、以下「PPIH」)の代表取締役社長として全国展開の指揮を執り、平成17年に同社代表取締役会長兼CEO就任、同年、公益財団法人安田奨学財団を設立し、理事長就任(現任)。
やすだ・たかお 昭和24年5月7日生まれ、岐阜県出身。慶応義塾大学法学部政治学科卒業。昭和53年に18坪の個人商店を開業。その後、問屋経営を経て、平成元年に東京・府中市に「ドン・キホーテ」第一号店を開業。株式会社ドン・キホーテ(現株式会社パン・パシフィック・インターナショナルホールディングス、以下「PPIH」)の代表取締役社長として全国展開の指揮を執り、平成17年に同社代表取締役会長兼CEO就任、同年、公益財団法人安田奨学財団を設立し、理事長就任(現任)。

 PPIHグループが手がける『ドン・キホーテ』、『ユニー』、『長崎屋』は多くの国内外の来店客で常ににぎわいを見せ、店舗自体が今や日本を代表する一つのブランドとも言える。同時に同社がアジア各国で多店舗化を図る『DON DON DONKI』も現地の市場に定着、日本の農産物・食品の需要喚起に貢献している。さらに日本産品の海外展開拡大を目的として昨秋設立されたPPIC(通称ピック)は、生産者と小売事業者が一体となったバリューチェーンとして注目を集めるなど、安田隆夫創業会長が打ち出す構想は常に新たな価値の創造につながっている。

株式会社パン・パシフィック・インターナショナルホールディングス(PPIH)
創業会長兼最高顧問
安田 隆夫

企業理念を凝縮した『源流』


末松 今般のコロナ禍以前、PPIHグループの中核を成す『ドン・キホーテ』各店は、インバウンド(訪日外国人旅行者)を中心に大変な人気を博していたと思われます。創業以来、多々ご苦労がお有りだったと推察されますが、現在に至るまでのご所感についてお聞かせください。

安田 われわれが1号店をオープンした1989年当時は、小売業界では大手チェーンストアが全盛を極め、後発の小店舗が大手に伍して新規参入するには大変困難な状況でした。当然、先発大手と同じ販売戦略を取っては勝負にならないため、1号店ではあえて通常のチェーンストア理論を採用せず、独自の店づくりを目指しました。当時の常識とも言えるチェーンストア理論の放擲は、業界関係者のだれもが首をかしげるところであったものの、今思えば独自路線の追求が、既存のチェーンストアと同質競争を免れる遠因になったと言えるでしょう。

 おかげさまでPPIHグループは現在、総合型小売業のカテゴライズではわが国3番目の規模に成長いたしました。売り場面積のごく小さい1号店からスタートして、以来30余年、創業者の私自身でさえ、よくぞここまでという信じられない思いでいっぱいです。

末松 御社では、2011年に企業理念を取りまとめた冊子『源流』を発刊しておられますが、刊行にあたっての背景をお願いできましたら。またポイントを訴求していただくとしたらどのような点でしょう。

安田 創業者が世を去った後も、〝顧客最優先主義〟という「企業原理」は次代に継承されていかねばなりません。それには私たちの基本となるスピリット、哲学を文字という明確な形で可視化しておくことが必要です。米国に『ビジョナリー・カンパニー』(ジム・コリンズ 著)という名著がありますが、この『源流』には、PPIHグループはまさしく日本のビジョナリー・カンパニーになるのだ、という思いを込めたつもりです。

 企業である以上、常に利益を生み出すことが求められますが、それは同時に社会貢献、公益を意味するものでなければなりません。公益の蓄積が富の蓄積とイコールになるような方向性を明確に定めぬかぎり、企業の繁栄もあり得ないのです。『ドン・キホーテ』に来店されるお客さま個々は、各位の利益を充足するために来店されるのです。私たちがその望みを満たし次の来店を促進することによって企業の成長と公益の拡大に結び付けられるよう、事業は常に公明正大、常に真っ正直であることを『源流』の第一部第一章で明確化しています。

(聞き手)末松広行
(聞き手)末松広行

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