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【末松広行・トップの決断】東英弥(先端教育機構理事長)

事業構想大学院大学が涵養する、理想を形にできる人材

あずま・ひでや 1978年からこれまで14社起業し、現在、宣伝会議を加えた15社を経営。事業の傍ら、東京大学大学院工学研究科、新領域創成科学研究科などで学び、理論と実務の融合を実践する。2012年、文部科学大臣の認可を得て、「事業構想大学院大学」を設立。2017年には広報専門の大学院「社会情報大学院大学」を開学。宣伝会議代表取締役会長。東京国際大学理事・評議員。青山学院大学、早稲田大学、多摩大学大学院等で客員教授を務めた。
あずま・ひでや 1978年からこれまで14社起業し、現在、宣伝会議を加えた15社を経営。事業の傍ら、東京大学大学院工学研究科、新領域創成科学研究科などで学び、理論と実務の融合を実践する。2012年、文部科学大臣の認可を得て、「事業構想大学院大学」を設立。2017年には広報専門の大学院「社会情報大学院大学」を開学。宣伝会議代表取締役会長。東京国際大学理事・評議員。青山学院大学、早稲田大学、多摩大学大学院等で客員教授を務めた。

東理事長は、20代の起業当初から、自身の継続的な研究活動と並行し、次々と斬新なアイデアを創出しては、ビジネスとして確立させ軌道に乗せてきた。2012年に文部科学大臣の認可を得て開学した事業構想大学院大学は、構想を実現して経済・社会・国民生活の向上に資するという東理事長自身の理念を集大成した、実学形成の場であると言えよう。さらに次なる大学院大学の構想も控えるなど、その開拓者精神はとどまるところを知らない。

学校法人先端教育機構
理事長
東 英弥

資源を生かして理想を描く

末松 東理事長とは、私が現役当時の2010年に農林水産省「食」に関する将来ビジョン検討本部に委員として参加をいただいてからのご縁で、長いお付き合いです。農林水産業に対する独自の見方やアイデアに共感し、刺激を受けたのですが、数々の会社を起こし、事業家として経営を行いながら、複数の大学院に通って研究を続け、理論と実践の融合を考えている点に新鮮な印象を覚えました。その経験も踏まえて、約10年前には社会人を対象とする専門職大学院大学を作られました。その経緯と描いたビジョンをお聞かせいただけますか。

 開学から10年を経て、ようやく最近心身共に落ち着きまして、これまでの半生を顧みる余裕が持てるようになりました。

 私が最初に起業したのは25歳の時、会社案内を作成する企業を興したのが始まりです。会社案内を作成する場合、必ずその企業のトップの方々に会うことになりますので、そうした出会いを通じてさまざまな勉強ができるのではないかと考えました。ピーク時には年間2000社の案内を作成したのですが、その過程で各経営者の、構想のベースにある理念の形成、活動を顧客に伝えるためのコミュニケーション等々を感得できたと思います。実際にトップとの対面を積んでいくうちに、中小企業の経営者の方からは、他社の経営方式などを逆に問われることなども増えてきて、今思えばその経験がその後のマーケティング指向を涵養していたと言ってもよいでしょう。

末松 その頃から同時に、大学院にも入り直されたとは驚きです。

 当時はまだ夜間の社会人大学院がほとんどなく、昼間大学院で研究し、夕方会社に戻って仕事をするという毎日でした。34歳からトータル20年をかけ、東京大学をはじめ複数の大学で修士、博士を取得してきましたが、その過程で数多くのアカデミアの先生と交流する機会に恵まれたのはやはり大きな財産です。年配の先生方は戦後の復興期を経験された方が多く、安定した社会の形成、学問体系の確立に向けた方策などを構想してこられた方ばかりでした。

 先人からの薫陶を得たことに加え、末松さんがご指摘のように、私自身が経営と研究が融合した日々を送ったことが、現在の大学院設立の遠因になっているかもしれません。昼間、研究してきた理論を社内報に発表したり研修に活用するなど、実学への応用発展を常に模索する、その反復の毎日でしたから。最後の院を修了したのは54歳の時、その段階で独創的な新しい大学院の設立を目指す気持ちが私の内部で高まっていました。

末松 東理事長は株式会社宣伝会議の代表もお務めされていますが、運営に関わられたいきさつはどのような?

 実はこれも、大学院の先生からの推挙によるものでして。バブル崩壊以後、宣伝会議の運営状況が芳しくないと聞きつけたマーケティング分野の権威の先生が、私に対し立て直しに一役買うようお勧めしてくれたのです。仲間の先生方も含んで若いころ、研究成果を宣伝会議において発表していたとのことで、思い入れが強かったのです。

 早速、翌日には当時の社長に面会し、運営を任せてもらいたい旨交渉したのですが、最初はけんもほろろに追い返されました(笑)。が、次の日には役員の方から関係性維持を申し出る連絡があり、以後、資金援助等を行いながら、数年後には会社を買い取ることとなりました。今思えばM&Aのはしりだったと言えるでしょうか、宣伝会議が当時抱えていた負債を一気に返済し、以後、今日までさまざまな構想や方策を巡らせ、同社を成長させてきました。私はこれまで14の会社を興し、全て黒字経営を実現してきましたが、宣伝会議は引き継いだ形ながら、代表的な事例に位置付けられます。

(聞き手)末松広行
(聞き手)末松広行

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